君を呼ぶ世界 71
この世界の者ではないオレからすれば。
神子の命も、神官の命も、それこそ王の命も。
そこに差は、変わりは、一切ない。
身体の不調を超える震えを感じながら、オレは男の言葉を反芻する。
神子の召喚は、王が秘密に行なったものなのだ。誰にも気付かれぬよう、注意を払って。だが、予想外だったのかどうかはわからないが、不味い事に召喚に関わった神官が一人死に、周囲の疑惑を集めてしまった。
だが、皮肉な事に、神子が王の下には現れなかったからこそ、今まではそれを誤魔化せてもいた。
けれど。
オレが、現れた。神子の気配を持つオレが。
切羽詰っていたのだろう事を思えば、王様の行為はやはり許せられないが、その行動は理解出来る。求めた神子は現れずに、神官を失っただけの結果だったのだ。神子への手掛かりに食らいついたのも仕方がないだろう。あの石はサツキのものであると知るオレとしては、そこに神子の力の名残があったとしてもそれは残り香のようなものであるはずだから、神子への手掛かりと思っての暴挙に出た王様を哀れであるとさえ思える。自分への仕打ちを抜きとすれば、同情ものだ。
だが、それはホンのちょっとした感情であって、大部分を占めるのは。神子だの何だのと言って大事にしたのはあの王様自身なのだから、オレに言わせれば自業自得であり、秘密がばれるのは仕方がない事。故に、さっさと白状して、罰なり何なり潔く受けろというものだ。
神子召喚なんていう大それた事をしたのだから、当然だろう。
それなのに。
独断での召喚の結果が、神官を失っただけというのは通らないと。だから、都合良く現れたオレを犠牲にして取り繕うだろうと。牢屋にまでやって来たオジサンが、これ以外の事実はないというように一部の隙もない声音でそう言い切ってくれる。
でも、だからって、オレにどうしろと言うんだよ…。そんな話を聞かせて何のつもりなのか。
説明はありがたいけれど、既にオレはこうして捕まってしまっているので、もうどうしようもない状態なんだけど。
「私的な欲だけではなく、王は神子を手にせねばならない状況だ」
「神官を失っておきながら召喚は失敗だった――なんて事が出来ないのはわかるけど…。だからってそんな、場当たり的な策を……」
「そなたはそれを理解し、協力する気はあるか?」
「は? 協力?」
「確かに愚かとしか言いようがない策だが、効果はあろう。王が打つだろう手はふたつ。そなたを、神子が降臨しなかった理由にして罰するか、神子として奉るかだ。どちらにしても、そなたにはもう自由はあるまい」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ…!」
先程も言われたばかりの言葉を繰り返され、本気で本当に、あの男はそれを考えているのかと実感が増し、オレの中で戸惑いが爆発する。
オレを罰するのは、まだわかる。だってあの男は王様なのだから、オレのような田舎者ひとり、牢屋にぶち込んでも心は痛まないだろう。イカレた奴の怒り具合を目の当たりにした身として、それを納得は出来ないが、簡単に想像出来る未来のひとつだ。
だけど。自分が神子になるというのは、それをオレにあの男が求めるというのは、微塵も頭に描けない。
王様にとって神子は、権力保持の道具に過ぎないのかもしれないが。それでも、腐っても神子だ。周囲の手前、粗末に扱えはしないだろう。そんな役、オレなんかにさせるだろうか。少なくとも、あの男が演技だとしても、オレを同じ人間として扱うようには思えない。
オレを利用しようと言うのはわかる。不本意だが、オレは状況を理解していないにもかかわらず、核心部分へ入ってしまったのだから、隠したい側にしては捕らえておかねばならない人物だ。だったら、都合良く使おうと言うものだろう。
でも、それに必要なものがオレに欠けているのは、あの男だってわかったはずだ。自国の国王様へ持つべき、畏怖や忠誠や何もかもをオレが持ち得ず、故に仕えはしないという事を短いながらもあの接触で感じ取ったはずだ。
それでも、オレを利用しようとするのならば。オレ自身を脅してという事になる。言う事を聞かねば殺すだとか、家族を捕らえるだとか、お決まりのそれになるはずだ。
だけど、そんなものに絶対はない。オレには口が有り、神子ではない事実がある。オレが王を責めれば、それで終わりだ。小さなものでも、綻びは必ずおきるはずだ。
第一、 協力するとオレが言ったところで、あの王様が信用するはずもないだろう。
オジサン、アンタはイイ人なのか、何なのか。可能性を二つ示してくれたけど。きっと、あのイカレた王様なら、オレを神子に使う事はない。それがふたつあるのならば、このままこうして隠され葬られるか、それか首根っこ押さえつけられて観衆の中で打たれるかだろう。
そう、それこそ。
自由どころか、オレ、命そのものがヤバいんじゃないか…?
若い王の褪めていながらも怒りに染まった眼が脳裏に浮かぶ。まるでその眼に射抜かれたように、熱のせいではなく背筋がブルリと震えた。
「協力も何も、どっちも嫌だ、ムリムリムリ! っていうか、どちらもオレ以上に適した奴はいるだろう? 王様なんだから、誰でも黙って言う事を聞かせられるんじゃないのか? オレなんか下手に弄るよりも、絶対、放り出した方がいいって! オレ、誰にも言わないからさ。召喚の話は忘れるよ」
冗談じゃないんだよと、考えを纏められないままにも必至で見逃してくれと訴えるオレを見下ろしていた男が、ふと溜息のような息を吐き頭を振った。
「それは、王に言うべき言葉で私にではない。私は、そなたを利用するつもりはない。むしろ、そなたと同じ意見だ。神子も、それこそ召喚の事実も、この王宮には要らない」
「……」
静かに落とされた声に、神子は不要だと言い切った先程の声もオレの耳奥に蘇る。
必死に神子を探す王が滑稽に思える程に、この男は神子を必要とはしていないどころか、排除したいと思っているらしい。
正確には、神子と成り得る者をだろうけど。何となく、本物の神子であっても嬉しくはなさそうな言い方。
王が権力を持ちすぎるのを厭っての事ばかりではないようなそれに、頭の芯がスッと冷える。一般の民のように、敬うだけでは済まない、神子が近い者にとっては。神子とはやはり、恩恵よりも厄介である方が大きいのだろう。
「そなたが、己を犠牲にし王に従うというのであれば、今ここで私が手を下さねばならないと思っていたが――手間が省けたようだ」
「……えっ?」
手を下す? 説得ではなく…?
もしも、オレが王に協力すると言っていたならば。この男は俺を排除するつもりだったのか? もしくは、王諸共、オレを証拠に罪にでも問うつもりか?
穏やかではないその言葉に、多少の予想範囲内であったにもかかわらずも眼を見張ったオレとは逆に、彫りの深い顔に男は小さく笑いを浮かべた。
「そなたをここから出してやろう」
「……出してやるって…、い、いいのかよ…?」
「良くはないな。王に知られれば私とてただでは済むまい。だが、そなたをここに留め置くよりはマシだ」
「……」
「そなたが逃げれば、公だって探す事は出来ぬが、私兵を動かすだろう。王に捕まりたくなくば、ここを出た足でそのまま王都を出ろ」
「王都を…?」
「捕まれば、そなたに未来はない。そなたは、昨日まで持っていた全てを失うだろう」
「……いや、でも、……」
そうは言っても、オレにだって都合がある。そう言いかけて、そんなことをいえる事態ではないのだとオレは唇を噛む。
ここを出ても、桔梗亭で居ればリエムが来るだろうから、そこで事情を聞いて今後を考えよう。ペンダントを取り戻してもらおう。オレはそう思ったのだけれど、そんな余裕はないようだ。
「迷う暇はない」
「ああ…」
そう、時間はないだろう。それはわかる。それこそ、このまま裁きを待つかのごとく捕らえられているのも賢明だとは思えない。だけど。
だけど、急な展開に、身体は勿論、心も思考もついて行けない。
事態は良くはない……どころか、最悪だ。でも、王都を出ろだなんて…そんな……。
「シャグラド様」
「――ああ、来たか」
部下の呼びかけに、出入り口のほうをちらりと見た男が、次にオレを見て徐に「寝ろ」といってきた。余りにも意味がわからず見返すと、「寝転がれ」と言って、脱いだ上着をオレに放るようにして掛けてくる。
「そなたが起きていては、少し面倒だ。寝ている振りでもしていろ。逃げる為にも休んでおかなければな」
そう言われ、よくわからないまま身体を横たえる。掛けられた上着は上質な物のようで肌触りが良かった。見た目通りの重さはあるが、流石に身体が弱っていようとも苦ではない。
問題は固い床だよなと、もぞもぞと間になった毛布を引き抜き床へとしいたところで、「ビス、開けてやれ」とオジサンが部下に指示をしているのを聞き何気に視線を向けると、若い男が小さな出入り口に向かうところだった。
「大人しくしていろ」
子供を寝かせつけるように、上目に扉を眺めるオレの髪をスッと指で撫でてきた男が、上着を引き上げオレの顔を覆う。
「……」
…っていうか。なんで、寝なきゃいけないんだよ。
どうしてオレは従っているんだかと疑問が浮かんだが、開けられた扉の音を聞いた瞬間、来るのは王様かと思い当たり緊張に支配される。
だけど。
「……一体これはどういう事でしょうか」
押し殺したかのようなその声は、オレ以上の緊張が含まれているような固さだった。
よく知ったその声は。
けれども、まるで知らない者のような、冷たいものだった。
2009.06.01