君を呼ぶ世界 72


 世界を変えられた者も。
 命を奪われた者も。
 神子の前では、取るに足りないものなのか。

 被せられた上着のせいで、少し息苦しいが。意外なリエムの声音に、動く事が躊躇われる。
 何故、話していた事がリエムにバレては駄目なのかわからないけれど。オレもまた似たように、今起きているのを悟られたくはない気分になった。
 だから、固い床に転がったままじっとしていたのだけど。
「貴方の様な方が、こんな場所に如何様なことがおありなのでしょう。シャグラド様」
「はて。それは、本気で問うているのか」
 中に足を踏み入れて直ぐに止まったリエムに代わるように、静かな言葉を発しながら男がカツンと足を動かした。ゆっくりと数歩進む音に、緊張が張り巡らされているかのような空気の中で、オレはその人物が離れていくのを何故か少し残念に思う。
 頼りになるはずのリエムがそこに居るのに、おかしなものだ。
「だとしたら、目出度いものだな。ヴァン殿よ」
「……」
「あれ程の騒ぎを起こして、隠し通せるとでも思っていたのか」
「……」
「あの神官が何をしたのか、本気で知られはしないと思ったわけでもあるまいに」 「…………私には、何を仰られているのかわかりかねます」
 沈黙を作っていたリエムが、これ以上無言は作れないから止むを得ずといった風に、渋々なのを隠さずにそう言った。もしかしたら、顔のひとつでも顰めているのかもしれないと思えるほどの声音だ。だけど、きっとリエムの事だから、無表情に徹しているのだろう。何を聞いても動じないような、兵士の顔に。
 けれど、オレはそんな男の顔は知らない。
 それに、ヴァン殿と呼ばれる男もだ。
 リエムに続いて誰か入った様子はない。だったらオジサンが呼びかけた人物は、リエムしか居ない。
 そう、居ないのだけれど。
 事実として目の前にあっても、飲み込めない。名前なんて何であってもいいけれど、隠されていたそれが今は結構キツイ。
 ……どうして、偽名を使ったのだろうか。王に近い兵士だからか? まさか忍者のような、隠密部隊のひとりだとか言わないよな? それとも昔の日本のように、名前が幾つもあるのだろうか。
 そんな風に、オレがひとりあれこれ考えている間も、重苦しい空気の中で言葉が交わされていく。
「どう見繕うとも、事実は変わらない。召喚を行い、神子を得られなかった事実は変わる事はない」
「……」
「まだ結果はわからないと言いたげな表情だな、ヴァン。だが、そなたとて思っているのだろう? 神子がこの世界に降りていたとしても、もう見つける事は出来ないだろうと。だからこそ、王も焦ったのだろう。あの男はこの者を攻めるほどに、余裕がないというわけだな。違うか?」
「……貴方に、あの方の何がわかるのでしょう。愚弄するような事は言わないで頂きたい」
「不敬罪で私をも牢に閉じ込めるか? この者のように」
「シャグラド様、それは言葉が過ぎましょう…!」
「王が愚かなのも、この者がそれに巻き込まれているのも、紛れもない事実であろう」
 哀れなものよのと、誰に対して言っているのか、壮年の男はそう嘆く。それに対して再び作ったリエムの沈黙は、それを拒絶していた。
 視界を塞がれていても感じる、その憤り。
 アレでも一応主君であるのだろうし、友人であるようなのだから、バカにされて怒るのは当然だろう。だけど、オレの知るリエムならば。もしもオレが同じように責めたとしたら。きっと、そんな事はないんだと自分が知る王を語るのだろう。わかってくれたら嬉しいというように、真摯に言葉を選んで伝えてくるのだろう。
 相当に、リエムはこのオジサンが嫌いなようだと、オレは友の意外な一面に驚きつつも理解する。聖人君主のようなイメージを持っていたが、流石にそこまでではなかったようだ。その立場か何かゆえかもしれないが、こんな鬱屈したような憤りを持つ事もあるらしい。
「神子召喚の儀を行った結果が、神官一人の喪失だけだとは。如何なる申し開きも出来まい。さて、王はどうするつもりか」
「何度も言うようですが、私はその件はわかりかねます」
「話が進まん、いい加減にしろヴァン。そなたがどう言おうが、私が知った事実もまた変わらぬぞ。あれからそなた達が神子を捜し求めていたのを、見てみぬ振りしてきたと思うか? もう下手な誤魔化しは効かないと腹を括れ。見苦しい」
 笑いを含んでいた声が、不意に嫌悪を滲ませて強い言葉を吐いた。
 聞いているだけのオレでも胃が痛くなるような、嫌な空気が狭い空間を支配する。
「この扱いを見れば、この者はそなた達の探し物ではなかったようだが。こうして捕らえた事を考えれば、何やら思惑があるようだのう、ヴァン。だが、また一人、新たな犠牲者を出してまでする事なのかよく考える事だ」
「……」
「王の考えであっても、許してはならぬ事もある。愚王を作りたいのであれば、話は別だが」
「……」
 ……リエムの沈黙が、痛い。
 虐められているからじゃない。無言を作るたび、オレの知らないリエムがそこに居ると思い知らされるからだ。
 それにしても、オッサン…。あんた、そんなキャラだったのか…。オレと話している時は、結構紳士っぽかったんだけど。声を聞いている限りだと、ねちっこい陰湿オヤジだよ…。オジサンも、相当リエムが嫌いなわけだ。
 いや、この場合はリエムではなく。
 男が責めているのは、その向こうに居る王様かと気付き、オレはそっと押し留めていた息を静かにゆっくりと吐き出す。
 こうしてリエムが嫌味に晒されるのも、それを男が口にするのも全て。元凶は全て、あの若き王じゃないか。バカらしい。
 国を治める奴が、周囲を乱して何をしているのか。
 神子を手にして、何をしたかったのだろう。
「所詮、聖獣を従えていたとしても、あの男はただの若造だ。この失態が明るみに出れば、どうなる事やら。苦労だのぅ、ヴァン。だが、見ものでもある。聖獣に神子にと、神を利用した王の末路がいかようなものになるか、楽しみだ」
 誰かの歯軋りが聞こえた。
 それはリエムのものなのだろう。だが、オレにはやはり、何故そんなにまで彼が怒っているのかわからない。
 オレは沢山の事をわかってないけれど。それでも、今の話を聞けば誰だって、王が非難されるのは仕方がないと思うだろう。オレだって、自分の事を抜きにしてもあの男を腹立たしく思う。
 あの若い王は過ちを犯したのだ。それはもう、どんな言い逃れも出来はしないだろう。
 そんな事はリエムだってわかっているはずだ。
 だけど、リエムの沈黙は、だからこそ甘んじて堪えているようなものではない。ただ、立場だとかなんだとか、反論をするべきではないから黙しているだけ。全くといっていいほどに、主君に非があるとは認めていない態度だ。
 オレが知るリエムには有るまじきものだよと、一体何がどうなっているのか、訳がわからなくなる。
 王が望んだからか自分の意思でかはわからないが、リエムもまた神子を欲していたけれど。どう取り繕うとて、悪い事は悪い事だろう。召喚が正しかったとは、オレにはどうしても思えない。神子が欲しいとしても、それは誰かの命と引き換えにする事ではないはずだ。
 王はやはり、然るべき罰を受けなくてはならないと、それが当然だとオレは思う。
 例え、リエムがそれを全身で否定していてもだ。
「さて、こんなところで長居は無用だな、失礼しよう。ああ、この者はそなたが招いた客であったな。まさか、こんなところへまで招くとはそなたとて思っていなかったのであろうが、丁重に扱ってやれ。熱があるようだ」
「…承知しています」
「ほう、知りながらも医者を連れていないところを見ると……そうか、王が許可しなかったか。仮にも神子候補であろうに、狭量よのう。それとも、既にもう罰する事を決めたのか」
「…その者は、身元が不確かな故に捕らえられただけです」
「王へ不敬を働いたとも聞いたが」
「私の客であると身元を正せば、心配には及びません」
「では、そのようにしてやるが良い」
 そなた以上に辛そうだぞと、意味深な言葉を残して男が立ち去った。あの若い男もそれに続いたのだろう、部屋の密度が減ったのを何となくだが感じる。
 そっと、上着を捲り顔を出し窺えば。
 リエムが背中を向けていた。
「…リエム?」
 オジサンとその部下が出て行った扉を見ていたリエムが振り返り瞠目したが、直ぐに表情を緩める。だが、それも束の間、直ぐに表情を引き締めオレの側により膝を折った。
「大丈夫か、メイ」
「ああ…」
 伸びてきた手が、一瞬、俺の額に触れるのを躊躇うかのように止まった。
 だが、オレはそれに気付かないふりで瞼を落とし、一つ大きく息を吐く。

 そろりと降りてきて触れた指先は、思った以上に冷たいもので。
 酷く曖昧な熱だった。


2009.06.04
71 君を呼ぶ世界 73