君を呼ぶ世界 73
決して公平ではないと云われる神の采配。
その中で、この国の未来はどう描かれているのだろうか。
額に重ねられた手が離れたのを感じ眼を開けると、ばっちりとリエムと視線が重なった。覗き込むようにオレを見下ろす友の顔は、いつもの男前からはかけ離れている。影が落ちるそれは、心配げな瞳がなければ冷淡とさえ言えるものだ。
シャグラドと呼ばれていたあの男と話した名残か。それとも、オレへの態度も変えたのか。
まあ、兵士が囚人と仲良くするのはまずいだろうし、それはそれで仕方がないのだけど。理由があっても、結構寂しいものだ。
「どうした…?」
なあ、リエムって偽名?――なんて、流石に聞ける雰囲気でも、聞きたいような気分でもなく。ただ、固いリエムの表情に諦めに似た納得を自分の中でつけて、オレはそれを行なった自分を悟られぬかのようにヘラリと笑ってみせる。
見捨てるなんて酷い!などと言ってこの男を責められるほど、オレは厚顔ではないし。むしろ、リエムが不利になるのならばオレを見捨てればいいとさえ思うし、それを負担にさせたくはないと思うので。オレは色んな事に気付かない振りをする。
痛みに似た色を持つ眼が、オレを射貫くけれど。だけど、卑怯だといわれても、オレに出来る誠意はこれだ。
「…すまない」
オレの判断がこの男に何を与えたのか。床に寝転がるオレから目線を外し、リエムが謝罪の言葉を紡ぐ。
だけど、何を謝る必要があるのだろう。
「それは、何に対して…?」
喉はピリピリというのを通り越し、火傷をしたかのごとく上顎の辺りまでヒリヒリするけれど。かすれないようゆっくりと問い掛けながら、オレは体に力を入れる。起き上がろうとすると空かさず手を貸してくれる男は、あのオジサンの上着をオレの肩に掛け直しながら、「大丈夫なのか?」と気遣ってくれる。
なんだ。全く変わらないじゃないか。
「薬を持ってきたんだが、飲めるか…?」
「薬…?」
「ああ、熱を下げるものだ」
そう言って、紙に包まれたそれと水筒のような入れ物を取り出し、再びリエムが謝った。
「本当は、医者に診てもらう方がいいんだろうが…悪い」
「そこまで大袈裟にしなくていいよ、ちょっとした風邪だから」
「風邪…?」
「そう。実は朝からダルかったんだよ」
心配掛けたくはなくて黙っていたんだけど、逆効果だったな。悪かったよ、と。決まり悪さにちょっと苦く笑いながら、リエムの手から薬を受け取る。包みを開くと、入っていたのは茶色い粉で。
「苦い…?」
「そこまでじゃないさ」
思わず匂いを嗅いで上目使いに問うたオレに、漸くリエムは表情を和らげて小さく喉で笑った。だけど、その応えは微妙だ。そこまでが、どこまでなのか。基準がわからない。
きっとこれは漢方みたいなものなのだろう。ひとつ深い呼吸を吐いて口に含んだ薬は、土臭いような妙な味だったが苦くはなかった。だが、いかんせん後味が不味い。エグさがじわりと広がる。
それでも、漢方ならば即効性は期待出来ないと思いつつも、水分を取った事もあるからだろうが、口内に広がるものとは逆に早くも身体が少し落ち着いた気がした。薬を飲んだ安心感だ。オレって単純。
美味しいものじゃないなと軽口を叩いた後で、オレはリエムに軽く頭を下げて礼を唇の乗せる。
「ありがとう、助かった」
「いや、オレが悪かったんだ」
リエムがまた視線を落とし、そう答える。
オレだって、何を指しての言葉なのか、流石にこの状況でわからないわけもない。だけど、殊勝な態度でこられては、出してくれ!と訴える事も出来ないというものだ。それでも、ここにいるのがあの若き王であったのならば、一発くらい殴っているのかもしれないけれど。
リエムのこれは、逆に慰めてやりたくなるほどのもので。
「あのさ、リエム。さっきから謝っているけど、それ可笑しいから。オレが今体調を崩しているのは、オレ自身が不摂生をしたからだ。風邪気味なのに山登りしてはしゃげば、熱が上がって当然。自業自得だよ。それに、さ。ちゃんとした寝床で休めず、ここに入れられたのも、責任はオレにある。細かく言えば原因はオレだけじゃないところにもあるけれど、それはリエムじゃなく、あの男だ。そうだろ?」
「メイ…」
「あんたは、オレがここにこうしている事を望んでいないんだろ? だったら、謝る事はない」
「だが、俺の軽率さと不甲斐無さがお前に迷惑を掛けたのは事実だ」
なんだそれ。
リエムの言葉に、思わずオレは目を丸める。
リエムだって人の子なのだから、そういう事をしていたとしても可笑しくはない。実際、あの王様にはなにやら前以ってオレの話をしていたようだ。でもそれは、きっと今回の事を予期してのものではないだろう。ただ単に、旅で出会った男の話をした程度じゃないだろうか。そうでなければ、聖獣や王が喰いつくようだと思ったら、リエムだってオレに何かを仕掛けてきただろう。悪意とはいかずとも、そう言う意図を持って接したはずだ。
でも、リエムは違った。違うからこそ、今こうしてオレの前に居るのだ。賢いリエムの事だ、オレを利用したければもっといい作戦に出たはずだ。演技なんかじゃない。リエムは絶対に、今日の事態は予想外だったはず。
ならば、オレに対して謝るような、軽率さも不甲斐無さもリエムは発揮していない。やはりどちらかと言えばリエムは巻き込まれただけだろう。あの王の暴挙に。
神子召喚を行い、ひとりの命を犠牲にし、失敗を誰かに擦り付けようかとする王自身に。
その点で言えば、オレもリエムも同じ。哀れな犠牲者同士が傷つけあう必要はない。
「実を言えば、オレはまだ何がどうなっているのかわかっていないんだけどさ。それでも、リエムのせいじゃないと言い切れるよ。あんたが何を言ったのだとしても、どう手を拱いたのだとしてもさ、それはオレに謝る事じゃない。オレはオレの意思で、今日はリエムの誘いに乗ったのだし、王様だとわかってからもあの男に噛み付いたのだし、全てはオレの責任だ。あんたが気にする事じゃない。むしろ、オレのせいで王様に楯突いて罰せられないのかと、オレはリエムの方が心配だよ」
気に掛けてくれるのは嬉しいけれど、無茶はしてくれるなよ。そう、肩を竦めて口角を上げるオレの笑いに何を思ったのか。
「お前って奴は、まったく…」
俯きそう呟いたリエムが、そのまま口を閉ざした。
「リエム…?」
長くなるような沈黙に少々不安を覚え、身体を倒すようにして顔を覗き込もうとすると、不意にクツクツと笑い声が響く。そして、それは瞬く間に大きくなり、唖然とするオレまでをも震わせるよう空気を揺らした。
薄暗い狭い空間でのこれはよく響く。石畳に吸われる事無く跳ね返る声に、オレは段々居心地の悪さを覚える。
「最高だな、メイ」
「……それは、どうも」
笑みを刻んだ男前の顔を見据え、オレは憮然とそう答えた。
オレの心を込めまくった労わりを笑うとは、最低な奴だなオイ。褒め言葉だとしても、傷付くぞ。
「…笑うなよ、バカにされている気がする」
「まさか、逆だ。今ほどお前を凄いと思った事はない」
「……はいはい、わかったよ。それはどうもありがとう。オレの素晴らしさはもういいから、さ。そろそろちょっとは現状説明をしてくれよ」
人としては当然だろう今の慰めが一番だなんて、一体今までリエムの中のオレはどんな奴だったんだ。レベルが低すぎやしないか? そんなにオレ、取るに足らないような事しかしていなかったのか?
確かに物知らずだが、人間としてはそんなに酷くはなかった筈なのに…。
参ったなと、内心で溜息を吐きつつ。いい加減にしやがれよと、下手に出つつも真剣に、オレはリエムを現実に呼び寄せる。薄暗い独房で、爆笑してんじゃないよ、全く。外に見張り番が居るんじゃないか? 何事かと思うぞ、ったく。
「えっと、まずは、だな」
肩まで揺らす男をさておき、俺は強引に話を変える。和むのもいいが、ほのぼのする状況でもないだろう。
明かり取りの窓から差し込む光はまだ大分強く、その角度から言っても、オレが気を失っていたのはそう長くはない時間だったのだろうけど。だけど、リエムと遊んでいていい時間はない。オレにだって仕事があるのだ。
何より、しんどい。
「その、あんまり信じたくないというか、それらしくなかったからもう一度確認したいんだけどさ。あのオレに襲い掛かってきた男が、この国の王様なんだよな? っで、あの動物が聖獣と?」
「ああ、そうだ」
笑いを治めたリエムが、また少し気まずげに表情を変えて頷く。
「46代ハギ国王、キース王だ」
「マジで王様か…思っていたのと違うな。あんたの友達なら、もっと好青年かと思った」
「…そうか」
微妙な笑いを浮かべるリエムに、そうだと深く頷きながらオレは今一度、男の姿を脳裏に浮かべる。
なんていうか、言動もそうだけど。雰囲気に迫力はあったが、豪華さがなかった。一国の王なのだから、もっと派手なのものだと思っていたが、服装なんてオレと変わらないくらいだった。布の質は雲泥の差があるのだろうが、無頓着なオレから見たらさほどの違いにも思えない。軽る過ぎるほどに軽い。
確かにリエムも、兵士であるにもかかわらずいつもラフな格好だ。だが、それはオフでの事であるからだろう。鍛錬場で居た兵士はきちんと軍服を着ていた。王宮内で見た人たちもそれぞれ、それなりの格好をしていた。なのに、王様はどうだ。街人の方が華美なくらいだ。王に意見していた部下らしきオヤジ二人の方が豪華だった。
もっと言えば、先程まで居たオジサンの方がそう言う点でも王様らしい。肩にかかる上着を確かめ、オレは思う。これを着て、王冠をつけて、豪華な玉座にどっしり座って、装飾の派手な杖か剣を手にしていたら。それはまさしく王だ。わかりやすい、RPGにでも出てきそうなキャラだ。
あの男には、そう言う意味での威厳は皆無。微塵も感じなかった。
まさか、庶民派気取りか? ケッ!
性格最悪なんだから、そんなことしても無駄だよバーカ。
2009.06.08