君を呼ぶ世界 75


 例え神に疎まれていたとしても。
 そこがどこであれ、オレはオレである事を止める気はない。

 ホント言えば。少しだけ。
 リエムが現れた時にオレはホンの少しだけ、リエムがペンダントを持ってきてくれたんじゃないかとの期待を胸に抱いていたのだけど。世の中そう上手くはいかないようだ。
 はあぁーと深い溜息を吐くと、上顎が燃えるような熱を教えてきた。爛れているのか、凄く痛い。
 だが、身体は少し楽になったようだ。薬のお陰なのだろう。
 考える事は沢山ある。きっとひとつひとつ突き詰めていけば、色んな事がわかるのだろう。耳を通り抜けていった誰かの言葉ひとつとっても、それは確実だ。オレは、知りたいと思っていた事に気付けば近付いている。
 けれど、今はそれを掴み取る気力はない。これも薬のせいなのか、瞼が重い。思考が鈍い。
 一度意識が戻った後では、こんな固い床じゃとてもではないが眠れそうにもなかったが。それでも、リエムの言うように休めたらどんなにイイだろうかなと、休みたい一心で気休めながらも薄い毛布を整えて、上着をきちんと被り直して、オレは身体を横たえる。
「……疲れた」
 呟いた途端、疲れ果てた。
 痛いくらいの石畳に火照った頬を押し付け、熱が移ったところで場所を変えて、今度は額を冷やす。石は直ぐにオレの熱を吸収してしまうので、何度も場所を変えて黙々と行為を繰り返す。そのうちに、重い頭を動かすのも億劫になった。
 もしもこのまま眠ったら。次はどこで目を覚ますのだろう。オレはどんな状況に居るのだろう。
 囚人収容所とかだったら嫌だな。でも、やっぱり王様に楯突いたのならそういうものなのかな。リエムの言う二・三日が何の時間なのかはわからないけれど、オレに救いが訪れるようにする為のそれではないのだろう。もしそうであったのなら、こんな所に入ったオレを慰める意味でも、あの男なら、大丈夫だとか、待っていろとか、任せろとか、そういう事を言ってくれたはずだ。
 リエムが不用意にそういう事は言えないと自粛するほどには、オレの未来は明るくないらしい。
 困ったものだ。
 こちらの世界に来てからは、何だかんだと周囲に助けられまくってきたので、これほどの先が読めない窮地は初めてだ。
 それでも、リエムは立場上難しくともオレを気にしてくれているし。王に対峙するからであろうが、結果的にはオレに手を貸そうとするようなオジサンも現れたし。きっと、突然体調を崩したから王宮に留まるなんて知らせを受けたら、女将さん達も心配してくれるだろう。
 最悪ではない。オレはまだ充分、皆に守られている。
 それをわかっていて、実際に救い出してくれるのを待つばかりでは情けないにも程があるだろう。
 休んでいる場合じゃなく、考えなければ。どうすればいいのかを。
 オレに釈明をする時間が与えられたならば、今度は相手があの王様でもグッと我慢して冷静に対応せねばならないのだ。色々対処方法を考えねばなと、それでもまだ目を閉じ寝転がったまま思う。やはりどうしても、実感が沸かない。鈍い。ひとつでも間違えば死が待ち受けているのかもと考える事は出来ても、それが自分の未来としては上手く思い描けない。
 だけど。さっきは、突然の襲撃であったし、腹が立っていたから、王様だとわかっても噛み付けたけど。流石に今度はそうはいかないだろう。その中で、あの王様を納得させる事が出来るだろうか。大人しくオレの話を聞いてくれるだろうか。いや、そもそも、王自ら尋問なんてするだろうか?
 兵士が相手だとしたら、殴られたり蹴られたりして自白を強要される――なんて事はないよな…? 大丈夫だよな?
「……」
 大丈夫だと言い切れる要素が、オレにはひとつもない。
 思わず眼を開け、押し迫ってきそうな重い天井を見つめる。そろりと吐いた深い息が、重力に従い落ちてくる。
 知らない世界では、どこに落とし穴があるかわからない。オレが出来るのはオレの乏しい想像のみで、事実は実際に起こって経験しなければわからない。例えば日本でも、取調室で暴力行為があったりするかもしれないけれど、それは違法だと誰もが知っているものだ。だけど、ここではどうなのか。それすらわからない。
 あまりにも弱い立場に居る自分を自覚し、叫び出したい衝撃が身体を駆け抜けた。
 けれど、それはオレに疲労だけを残して一瞬で消え去り、虚しさを覚えさせてくる。
 成るようにしか成らないのだろうけど、この重圧感が堪らない。眼を逸らし続けても、ストレスに押し潰されそうだ。
 のろのろと動いて横向きになり、足を抱くようなほどに背中を丸めるながら、リエムのような奴が相手ならばいいのになと思う。罪を判断する為にオレの話を聞いてくれるのが、リエムのような人ならば……。……。…っていうか、リエムがいい。リエムそのものが。
「なんでだろ…」
 リエムだって、オレに聞きたい事は色々あるのだろうに。何故、何も聞いてこなかったのだろうと、漸くその不自然さにオレは思い当たる。サツキの石の話は出たのに、全く踏み込んでこなかった。だけど、だからと言ってオレの言い分だけを汲み取っているわけでもなく、聖獣の判断も、王の行動も納得している節だった。
 彼にとって、真実よりも。事態がどう動くかの方が大事なのだろうか? だから、追求はしなかった? それは、気にならないからか、気にしても意味がないからか。それとも、気にはなるが立場的に行動出来ないのか。
 ここに来て、リエムの新しい顔を幾つも見せられている。
 兵士って何だろう。剣を手にして敵と戦うだけじゃないんだなと、改めてそんな事を思いながら。本当に、リエムは兵士なのだろうかとも思ってしまう。どんなに仲が良くとも、その王が捕らえた、ただの知り合いでしかないオレの為に、牢屋まで風邪薬を届けるか? 普通は放っておくか、見張りに頼むだろう。自ら動くか? 動ける程の立場だったりすのか?
 わからない、わからなさ過ぎる。そもそも軍隊の構造さえ知らないのだから、想像にも限界がある。
 もっと言えば、軍どころか国自体に馴染みがない。身分制度もお手上げだ。王様が偉いと判断しているのも、想像の範囲を超えていないのだ。オレの知識は低レベルもいいところ。
 爺さんにもっともっと教えて貰っておくんだった。早くに飛び出しすぎたかも…。心許なさ過ぎるのに、何故あの時のオレは強気だったのか。
 バカだったと、深く反省しているオレの耳に、カツンと鈍い音が届いてきた。
「あ…」
 何だと顔を上げると、扉が開いていて。そこから若い男が一人するりと入ってきた。先程の、オジサンの部下さんだ。名前は忘れたけど、流石に顔はまだ記憶にあったので、反射的に強張らせていたからだから力を抜く。
 王様とか、取り調べ官とかじゃなくて良かった…。
「お待たせ致しました」
「あ、はい…?」
 いや、別に待ってないんだけどと思いつつ、オレは身体を起こす。逆に男は膝を降り、片手に下げていた布を床に置き、小さな巾着袋を差し出してきた。
「薬です。どうぞ」
「あ、や、さっきリエムに貰って飲んだから…」
「それで治るとも限りませんし、また必要となる時もあるでしょう。どうぞお持ち下さい」
「…だったら、遠慮なく」
 ありがとうございます、頂きますと受け取ると、男は体調を問うてきた。さっきよりも大分良いと応えると、「行けそうですか?」と重ねて訊いてくる。
「行くって…どこへ?」
「……貴方はあの方の話を聞いていなかったのですか」
 この男、オレと同じ年頃に見えるけど、どうなんだろう。アジア人のように童顔人種じゃなさそうだし、もしかしたら年下だったりするのかな?と。意味のない事を考えていてついそのまま聞き返したオレに返ってきたのは、当然だけれど冷ややかなもので。
「いや、聞いていました。覚えています…!」
 講義中の居眠りを指摘された生徒のように、思わず首を振ってまで、勢いよく忘れていない事を主張してしまう。…うん、まあ、忘れていなかったのはホントだけど。考えていなかったのも事実なのさ、ははは。
 だって、なあ? 見ず知らずの奴の手を取って逃亡なんて、そんな、ドラマじゃあるまいし。
「では、行きましょう」
「それは、ちょっと、待って」
「待つ余裕はありませんが」
「でも、さ。いや、あの、な? オレ、ホント抜け出していいのかな? 王様に捕らえられたんだから、やっぱ駄目だろ?」
 オジサンの話が百パーセント真実であったとしても。だから、逃げなきゃオレの命が危ないのだとしても。逃げてオレが助かれば逆に、オレを逃がした奴等が今度は窮地に立たされる事になるんじゃないだろうか。オジサンのところまで捜査は行かずとも、少なくとも、ここの見張り番は怒こられるだろう。迎えに着たこの男は顔を売っているのだから、言い逃れは出来ないだろう。それに。
 オレが逃げたら、リエムもどう思うだろう。彼にまで追われる事になるのだろうか。
 捕まっている牢屋から脱走するのは、それだけでも罪だろうに。罪に罪を重ねてまで、オレは逃げるべきなのだろうか。
「ここに留まるという事ですか」
「出られるものならオレだって出たいけど。自分の責任を周りに擦り付けてする事じゃないでしょ」
 これでも一応、オレだって。理不尽に思いつつも、己が罪を犯したのは多少ながらも自覚しているつもりだ。
 それなのに。
「もしもそれが、貴方の脱出に手を貸す者への配慮であるのならば不要です。むしろ、周囲に気を使う気があるのならば、直ぐに王宮を離れていただきたい。貴方が王の思惑に乗れば、いま払う危険以上の犠牲が出ますよ。貴方自身、苦しむ事になるでしょう」
「…どういう事?」
「王が無条件で貴方を信じる訳がないという事です。貴方の協力は、貴方の親しい方の犠牲を持って得ようとするでしょうと申しているのです。ここにとどまる事は得策ではない」
 わかりましたかと言うように、強い眼をオレの眼に合わせて一呼吸置くと、男はスッと立ち上がった。
「ご決断を」
「……」
 …いや、そうは言ってもさ。
 NOと言ったら、この男、オレを拉致ってでも連れて行きそうなんだけど。

 配下にここまで危険視される王様って、どうなんだよ?
 この国、大丈夫か?


2009.06.15
74 君を呼ぶ世界 76