君を呼ぶ世界 76


 オレにだって。
 この世界にいる理由がある。

 目の前の男が訴える意味はわかる。まあ、王様がオレに信頼を置く事は確かにないだろう。都合良くオレを使おうとするのならば、何かで縛るという考えは頷ける。その何かが、オレか誰かの命かであるのも、一番効果的な方法だともわかるけど。
 だけどさ。
 あんな喧嘩をしてやりあった相手に、そんな事を望むか? 望まないだろう。神子にするとしても、罪を被せるとしても、もっと簡単に事を運べる奴を探すんじゃないか? 自分で言うのもなんだが、オレだと手間だろ?
 あのオジサンもこの男も、そこのところがもうひとつ分かっていないんじゃないだろうか。
 本気でそう思えて、溜息が落ちそうになる。だけど同時に、全部わかった上での事なのかもしれないと感じもする。
 あのオジサンにとって、最悪なのは。王の神子召喚が周囲に受け入れられる事なのだ。成功したとして神子が現れる事と、失敗したとしても原因が別なところにあったとされる事を避けたいのだ。そう、だから。オレを逃がそうとするのは、オレの不運を憂いての親切心からではない。王様がするかもしれない可能性の芽を摘みたいだけなのだ。
 ま、逆にオレを自分の手の内において、王に言い逃れをさせない事態へ展開する事も可能なのだろうから。そうはせずにただ逃がしてくれるというのには、オジサンの良心がそれなりに織り込まれているのだろうけど。だからって、疑いひとつ持たずにホイホイ乗っかれる話ではない。何事も、オレには見えていない部分が存在するものなのだから。
 だけど、まあ、そんな裏と同様に。目の前に示されるのもまた、無視は出来ないもの。
 オレがいては厄介だと判断してのこれを、どこまでどう信じればいいのかわからないけれど。無理やり気味に手を差し伸べられているとわかっていても、オレとしてはなかなか複雑だ。牢屋なんて一秒でも長く留まりたい場所ではないのだから、正直に言ってこの手はかなり魅力的である。何も考えずにとりあえず、この閉鎖的空間から出られるのならば、多少の危険があってもこの手を取りたいと思う。
 けれど、それが脱走となれば常識的なオレは怯むというもので。その罪を犯す最大の理由が、オレには関係のない王とオジサンの対立――いや、王宮全体の揉め事か。何にせよ、王の独断行動を許すか許さないかの話だから、オレとしては面白くなさすぎ。ここが牢屋でなければ、いつもの日常でのひとコマなら、「あんたら勝手にやってろよ」と手を払いのけるだろう。
 でも、だからこそ。いち庶民のオレには、議論に口を挟む事も許されないものであり、関わりたくないものであるからこそ。こうして、それが許されている今のうちに、片足を突っ込んでみたい気がする。この男の手を取る事で、あの王様に少しでもダメージを与えられる事が出来るかもしれないのならば、それも悪くはないのかもしれない。そう思うくらいに、オレの中ではあの若き王に対しての怒りは燻っている。
 だけど、それは超がつくほどの、個人的なものだ。それだけをもって国の中枢に首を突っ込むのは、愚かでしかないのだろう。
 リエムが真摯に仕えているくらいなのだから。あの男にも、色々理由はあるのだろう。秘密裏に神子を呼ぼうとしたのも、それを今なお取り繕うとするのも、あのオジサンと上手くいっていなさそうなのもそうだ。あの男がただの男なのならば、オレはあれこれ考えずここを出るだろう。けれど、あの男は王なのだ。オレには考えも及びつかない立場に就く男なのだ。
 信じる事は出来ない。だけど、その全てを否定出来る程に、オレは王とは何なのか、どうあるべきなのかわかっていない。わからないままに、あの男を、リエムが信じているものを、蔑ろには出来るだけしたくない。
 先程の接触を思い起こせば、感情的には「そんなこと知るかッ!」だけど。それをグッと飲み込んで、なんとか理性的な判断に努めれば、やっぱり王様は王様であるべきなんだろうと思うのだ。
 王の独裁は許してはならない事だろうけど。
 オジサンにもこの男にも、王の意に背く理由があるのだろうけど。
 一般人なオレが己の感情に従って行動した結果が、今のこれなのだ。続いて牢屋を脱走したら、次はどうなるのか。その嫌悪や恐怖を差し引いて考えても、逃げるのは違うように思う。意味のあるなしではなく、相手が王であるからこそ、オレはここで自分が取った行動の結果を受け取るべきだと思う。異議があれば、正当に申し立てるべきだろう。逃げては今以上に、あの若き王にオレの言葉は届かなくなるような気がする。
「……オレは、行けない。行かない」
 男の掌をじっと見つめて散々考えて、迷った挙句に導き出した答え。
「悪いけど、」
 あのオジサンに謝っておいて下さいと、男の顔を見上げてオレはそう頼もうとしたのだけど。
「貴方の考えはわかりました。ですが、聞き入れるわけにはいきません。今すぐ、ここを脱出するお覚悟をお持ちになり、私に従って下さい」
「…………いや、ムリだから、そんなの」
「では、従って頂きます」
「……問答無用なら、訊くなよ」
 グッと腕を引かれ、前にのめりながらも抵抗し、オレは低く唸る。ヒトに考えさせておいてなんだっていうんだ、クソ…!
「お言葉ですが、貴方の判断が正しいものであったのならば、問題にはならない事でした」
「……あんたらがどう思っているのか知らないが、相手は王様なんだ。それでも、オレの判断が間違いだと…?」
「貴方が残られた場合、貴方の知人に害が及ぶのは確実です。それとも、その中で貴方は神子として王の権威の恩恵でも受けるつもりですか? しかし、そうなれば。あの方が何の対処もしないはずがないでしょう。どんな扱いを受けるにせよ貴方が王の手に落ちた時点で、あの方は貴方を排しますよ。そして、付け加えるのならば、その前に。貴方がここを出ないというのであれば、私が必要な処置をとります。私はあの方をほど、貴方に親切でいようとは思っていません」
「……」
 思わず流してしまいそうなほど、サッパリとした表情と口調で言われた。だが、言葉としては、かなりの威力持っていた。
「……わかったよ」
 わかり過ぎるくらい明け透けな男の言葉に、オレが答えられるのはそれだけだ。
 ここから逃がそうとするくらいなのだから、そりゃオレが王様の都合の良い駒にされる事になったら、あのオジサンはそれを阻止しようとするだろう。それこそ、王ではなくあのオジサンやこの男が、オレが余計な事をしないようにオレの大事なものに害を及ぼすのかもしれないのだ。それをはっきり示されても抵抗出来るだけの術は、残念ながらオレにはない。
 結局、オレはもうあのオジサンに目をつけられた時点で、逃げるしかないようになっていたらしい。
 体調が良くないのに頭を使わされ考えさせられたから余計に、選ばされた決まっていた結果にバカらしさが募って。もう、どうでもいいやと投げやりな気分になってしまう。自分達の喧嘩にオレを巻き込むなよ、クソッタレ。
「では、納得して頂いた事ですし、行きましょう」
 握られていた腕を今度は持ち上げるように引かれ、そんなに力は強くなかったのにあっさりと引き上げられる。肩から落ちた上着を慌てて拾い上げると、「それでは目立ちますので、着替えを」と、男は床に置いていた黄緑色の布を取り上げた。
「衣装は侍従と侍女のもの、どちらが良いですか?」
「……そりゃ、侍従の方が、」
 いいって言うか、それしかないだろと。何を聞いてくるんだと呆れつつも当然の答えを口にした途端、言葉を遮るようにして言われる。
「生憎、侍女のものしか用意しておりません」
「……」
 配慮が至らず申し訳ありませんと、口先だけで謝る男が差し出してきた服に視線を落とし、少し乱暴に掴み取る。だったら聞くなよと言うものだ。意味がわからない。さっきの問答と一緒か? オレの答えが間違いだと?
 そんなにこいつは、オレを苛立たせたいのだろうか。
 だが、そんな事をして何の意味がある。
「…どうやって着るんだよ?」
 見た目に反してそういう性格をした男なのだろうと流す事にして、オレは気が進まないながらも侍女の服を着てみようと広げてみるが……何だこれ? ワンピース? いや、袖のない浴衣? わからない…。
 オレが首を傾げると、表情も変えずに「お手伝いします」と男が言ってオレからそれを取り上げ、着付けてくれた。オレの無知をバカにしている様子は微塵もない。親切なのか何なのか、ホントよくわからない男だ。
 メイド服みたいのものだったらどうしようかと思ったが、制服といっても上着なだけの様で、着ていたものを脱ぐ必要はなかった。オジサンに借りた上着とは雲泥な生地だが、それでもオレが着ているものよりはよく、何より色目が鮮やかだ。薄い黄緑色の生地に、前の合わせと裾に青い糸で刺繍が入っている。
 何て言うのか、チャイナドレス…? アオザイ…? いや、やっぱり着物に近いか? う〜ん、極端に言えばだけど、膝辺りまであるチャンチャンコと言えばわかりやすいか。それで、横にも切れ込みが入っているので歩く度にビラビラなりそうなのを想像してくれればいい。
 そうキツくせずゆったりと、太くて固い帯びを腰に結べば出来上がり。
 着せ替えられた子供のように自分の体を一周眺めてみて思うのは、中華っぽい、だ。別段、女物だとは思わない。抵抗感は全く生まれない。
「出来るだけ顔を俯けて進んで下さい。もし誰かに話し掛けられ応えねばならなくなったとしても、決して相手と眼をあわすような事はしないで下さい。侍女らしくお願いします」
 らしく、と言われても。知らないのだから真似のしようがない。だが、眼もあわせるなという事なのだから、兎に角ひたすら大人しくしていればいいのだろう。
「因みに、さ。ここって何処?」
「客室に見えますか?」
「…牢屋って言うぐらいわかっている」
「そうですか、ご理解頂いているようで良かったです」
「あのな…」
 何なんだよその対応はと、ヒトコトもフタコトも文句を言ってやりたくなったけれど。それを今ここで指摘するのも何なので、もう諦める事にする。この男だって、きっとこれは嫌な仕事なのだ。腐っていてのものかもしれない。可哀相になとくらいに思っておいてやろう。きっと言い合う方が虚しくなる。
「オレが聞きたいのは、この牢屋がある場所だ。ここはまだ、王宮からは出ていないところなんだよな?」
 気を失っている間にどれくらい運ばれたのか。この牢屋を出てから、更に王宮から脱出するにはどれくらい掛かるのか。
 その疑問を解消する為に聞いたそれに返ってきた答えは、予想外のものだった。
「ここは王城ですよ」
 王城にある牢ですとあっさり言いながら、男は外に合図した。
 向こう側から開かれる扉を見ながら、オレは呆気に取られる。
 王城って、あの王城だよな? あの青い三角屋根の城だよな…?

 憧れではないけれど、感動に近い形で眺めたあの城に。
 こんな形で入城を果たすだなんて……サイアクかも。
 有り難味がゼロだぜ…。


2009.06.18
75 君を呼ぶ世界 77