君を呼ぶ世界 77


 問答無用で飛ばされた世界でも。
 好きだと思える人達が居るこの世界を、恨みたくはない。

 王城と言えば、王様が暮らしている場所であり、政治の中心だ。
 それなのに、そんなところに牢屋を置いていいのだろうか…? 普通、重要なところからは離すんじゃないのか? だって、危険人物としてみなして捕らえた者を王の近くに置くって言うのは――有りなのか?
 …いや、無しだろう。
 警備がしっかりしているのなら兎も角、この国の安全対策はそうでもないようなのだ。脱走された暗殺者に王の命を狙われたりしたら、一体どうするつもりだろう。そういう危惧を持ってのこれなのか、その発想がないのか…。……よくわからない体制だ。オレには関係なく、むしろ歓迎すべきものだけど。本気で心配になってくるぞオイ。
 牢ならば、普通は王宮の端っこで厳戒態勢か、それこそ兵舎の中に置くとか、そういうものじゃないだろうか。そう思いながら、男に続いてその閉鎖的な空間から出て、微動だにしない二人の見張りの前を抜ける。
「……」
 この門番さん達は、一体オレの脱走をどう説明するのだろう。
 本当に大丈夫なのかと振り向きかけたところで、先に行く男が振り返り後れがちになったオレを無言で促した。仕方がなく、少し駆けるように足を進めて、またひとつ扉を抜ける。その前にも、兵士が二人。…どれだけの奴を巻き込む気だよ、あのオヤジ。
「…大丈夫なのか?」
 我慢出来ずに問い掛けると、前を向いたまま男が「ご心配には及びません。貴方を無事に王宮の外へお連れしますので」と、罪を犯している雰囲気ひとつ見せずに答える。
 だけど、オレが言いたいのはそう言う意味出じゃない。気になるのはオレの無事じゃなく、他の奴等のそれだ。でも、そう重ねて訊いたところで、この男は同じような調子でオレが気にする事じゃないと言うのだろう。取り合いそうにない。
 彼らが罰せられる事がない逃げ道があるのならば、オレだって気にしないけど。そう言う手段は本当にあるのだろうかとちょっと考えてみるけど、オレには全然思いつかない。
 例えば、オレが気付かぬうちに勝手に逃げただとか、上司であるオジサンに強要されただとかなんだとか。そういうのを、あの門番やこの男が言ったらどれだけ猶予されるのか。全くわからない。この国の縦社会も法律も、オレは知りもしないのだから、心配するなのヒトコトで心配が消えるわけがない。
 それでも、言葉を重ねなかったのは。男の答えにはオレの負担を軽減させる為のものではなく、余計なことは聞くなとの牽制の方が多く含まれているのだろうとわかったからだ。仕方がなかったとは言え、自分自身をこうして一時的に預けてしまっている以上、オレとしてはもう引くしかない。
 それにしても。さっきから気になっているんだが。
 あの独房はどこにあったんだろう? 普通、牢屋と言えば、地下だろう?
 けれど、実際には扉を出て少し歩いた先にあったのは、下りの階段。十数段降りて、二階だったのかと考えながら廊下を歩けば、また階段。それも、今度は上りだ。
 男の後について、下りて上って歩いて曲がって、と。始めは頭の中に地図を描いていたが早々にそれを放棄して、迷路のような通路をオレはもう余計な口を利かずに黙々と進む。放っていかれたら、最早先程の牢まで戻れそうにもない。
 これだけややこしい道ならば、王城に牢屋も頷ける。遅ればせながらにもそう納得しているオレだけど、流石に薬が聞いているとは言え、これだけ歩けば身体に堪えるというもので。
 最後の階段だったらしく、数段上った扉の向こうにあった小さな部屋に出た時は、少し息が上がっていた。整える間もなく、男は出てきた隠し扉のようなそれを閉めると、直ぐにオレを促す。その部屋の隣は大きな広間で。そこを抜けた先が、漸くやっとの外だった。
 真っ直ぐと伸びる通路に沿うように広い庭が広がっており、緑の向こうに塀がある。昼前まで雨が降っていたからか、緑が濃くて。瑞々しくて。
 思わず吐いた深い息。吸い込んだそれは、とても美味しい気がして。重ねて数度深呼吸を繰り返す。
 太陽は思った以上に傾いていた。夕暮れも近いだろう。だけど、このまま速攻で帰れば、夜の営業のピークには間に合う。
 女将さんは休んでいいと言ったし、雨上がりで客は少ないかもしれないし、何よりそんな状況ではないんだけど。既にもう、リエムの伝言は届いているのかもしれないのだけど。
 空を見てオレが思ったのは、そんなことで。思った後で、ああ、オレって結構やばかったんだと自覚する。意味がないと思いつつもこうして日常を考えてしまうのは、この異常事態の中でもバランスを取ろうと精神が踏ん張っているからだろう。
 実際は、帰り着いても仕事なんてしていられない。女将さん達に聞きたい事が相談したい事が山ほどあるのだ。その話の展開によっては、オジサンが言うように本当に、オレは直ぐにでも王都を出なければならないかもしれないのだ。
 だけど、ここを出て、どこへ行けばいいのやら。
 希望としては、オレはもっとこの世界の事や神子召喚のことを知りたい。だけど、それをする前にまず、生きていく術を身に付けねばならない。漸く、桔梗亭で職を得て落ち着けたと思ったのに、これから少しずつ調べていこうと思っていたのに。王都を出るとなれば、またふりだしだ。それでも、命を奪われるようだとすれば、そういうことも言っていられない。女将さん達が、逃げた方がいいと判断したならばそれに従うのが賢明だろう。
 そう言う意味では、オレはこの王都にも、この国にも、未練はない。知り合った人はいい人達ばかりで名残惜しく、気になる事も沢山あるけれど。命には変えられない。だけど、それと同様に、命を掛けてでも手放したくないものがここにはある。
 サツキの石だけは、あの腐れ王様にくれてやる事は出来ない。
 今は無理でも、必ず取り返す。その思いは変わらない。
 もし、可能ならば。迷惑が掛からないのならば、爺さんのところへ戻るのもいいかもしれない。オレが来訪者だと知る爺さんならば、何かいい案を考えてくれるかもしれない。
 何にせよ、まずはここを無事に出てからが勝負だ。王都を出るか、追っ手に捕まるか、リエムに助けを乞うか、その他諸々。全てが、この後の事だ。今オレに出来るのは、この男について行く事だけだ。一番まずいのが、脱走できずに王城内で拘束される事なのだから。
 もうひと踏ん張りだと、そう決意して。ダルい身体に、もう少し頑張れと叱咤して。ふと、ひとつだけ他にも出来る事がある――というか、したい事があるなと気付く。
「なあ、ちょっと教えて欲しいんだけど」
 明るい廊下を堂々と進み始めた男に並び、その横顔にオレは問い掛ける。
「王様ってドコ?」
「……」
 思いもよらぬ言葉だったのか。男が足を止め、態々振り向きオレを見た。その表情に乗るの
は、呆れではなく、驚愕の色で。
 オレとしてはそう驚かれるような話だとは思ってもいなかったので、不味い事でも言ってしまったのかと慌てて言葉を付け足す。
「いや、訪ねて行くわけじゃないから。っていうか、近付きたくもないし。ただ、どっちの方向に王様が居るのかなと思って聞いただけで…」
「それを知ってどうするんですか?」
「……まあ、何て言うか。改まって聞かれると、答え難いんだけど――アッカンベーでもしておこうかなと思って」
 ホントは、中指立てて悪態のひとつでも吐いてやろうと思っているのだが。オレに呪いを実行する力はないので、それはただの負け犬の遠吠えにしかならないんだろうけど。流石に王様への忠誠心が低そうなこの男であっても、一応はこの国の民であるのだから、そんな奴に「クソ野郎、くたばりやがれ!――と叫びたいから居場所を教えてくれないか?」なんて言えるはずもない。
 だから、ちょっと子供ぶって可愛く言ってみたのだけど。
「あ…、オイ!」
 アハッと笑ったオレを冷ややかに眺めた男は、さっと踵を返して歩みを再開した。ここまで来て、オレの質問には無視だよ無視。冷た過ぎる…。このくらい協力してくれてもいいんじゃないか?
「……ケチ」
「どこで誰が見ているとも限らない状況であるのを理解して下さい。貴方が考え実行すべきものは、この王宮から一秒でも早く出る事だけです」
「…………了解」
 ちょこっと教えてくれれば、歩きながらでも出来る。っていうか、オレだって隣にこの男が居る状況でバカな事をしようとは思っていない。王の居場所を聞いても、せいぜい心の中で罵るくらいだ。
 それなのに。ホント、面白くない。ケチケチだよコイツと、心底残念に思いながらもオレは殊勝に頷く。そこを何とか、ひとつお願いします――なんて粘っても、教えてくれそうにはないし。オレの中でも、ナイスな思い付きに水を差されて消沈だ。
 それでも、未練はたらたらあるので。
 四方八方に向けて、王様のバカ野郎ー!と心で叫んで念を飛ばしておく。くたばりやがれ!と。

 気が晴れたとは到底言えはしないけど。
 仕方がない。諦めて、真面目に脱出するとしますか。うん。


2009.06.22
76 君を呼ぶ世界 78