君を呼ぶ世界 83


 人間、受ける衝撃が強ければ強いほど。
 叫び声を上げるまで時間が掛かるものだ。

 意味がわからないまま反射的に俯けば。
 片方に短剣を持つ男の手が、裂けた布を更に勢いよく引き裂くところだった。
 ベルト代わりの帯で裂け目の進行が止まると、直ぐに男がその帯を切る。侍女の上着を留める、固い帯びがスパンと切れる。
「……は?」
 オレは、暗闇の中ぼんやり浮かぶ己の白い肌を見て、オレの下腹に視線を落とす眼前の男を見る。
 ……え?
 …………えっと…?
「……。…うわァッ!! な、な、な、何ッ!?」
 何をするんだ!と、驚きに漸く声を上げたオレを冷めた目で見返しながら、男はもうひとつの帯に気付き、バッサリとそれを切った。騒ぐオレは完璧無視だ。
 そして、残っていた部分を綺麗に裂き、オレの服は御開帳――って、説明している場合じゃないッ!!
 男なのだから肌のひとつやふたつ見せたところで気にもならないけど、これは違う。絶対に、おかしい。許容していい範囲じゃない。
「ちょ、ちょっと、やめ、」
 何故に服を破られているんだと、予期せぬ事態に呆然と仕掛けたオレだけど。紐を通しているだけの頼りないズボンに手を掛けられたとあっては、自失している場合ではない。未だ短剣を握っており、それが気にならないわけではなかったが。この行為を容認するよりは、腕を切られるほうが幾分もマシだと、オレは男の手首を掴み動きを止める。
「や、やめろって…、何するつもりだよ、オイ…!」
 咄嗟に手放してしまったサツキの石が気になったが、拾っている余裕などない。切れた感覚はないので刃はついていないのだろうけど、左手首に触れる短剣がオレの背筋を震わせる。だが、それ以上に、引き剥がそうとするオレよりも抵抗する力の方が強くて、オレの腕が小刻みに震える。
 クソ! 何なんだよ、マジで!!
「脱げ」
 踏ん張り力むオレとは対象に、先程の雰囲気を消し、まるで昼間に対峙した時のような冷めた表情をした男が、あり得ない言葉を静かに吐いた。
 だが、そんなこと訊けるか!というものだ。
「脱ぐか、馬鹿ッ!」
 なんて気色悪い事を吐かすのか。いや、実際に服を切り裂いてくれたのだから、吐かしただけではない。実行中だ。王様ご乱心だ。恐ろし過ぎだッ!
「あ、あんた、何だよ!? 変態かッ!?」
 同性婚が存在するのだから、そりゃ、そっちの嗜好を持った奴が目の前に居たとしてもおかしくないけれど。これは、法がどうこうじゃなく、人としておかしいだろう。男女間でも、いきなり脱げはないだろう。変態決定だ。
 唐突に、現実ではあってはならないエロビデオの設定に飛び込まされた感じだ。しかも、傲慢王様相手だと、オレがレイプされる女優役じゃないか…ありえねえッ!
 散々見てきたファンタジックなAV設定が頭の中で駆け回り、自分がそれらの体験をするのは断固拒否だと、オレは変態に慄きながらも火事場の馬鹿力を発揮させて魔の手を遠ざける。
「お、お、男がイイのなら、他を当たれッ!」
 体重を掛けて押さえ込んでくる男の腕を押し返すようにして、オレは少し離れた隙間に脚を入れ込み、王様だろうが何だろうが変態に関係はないとその体へと伸ばす。
 だが。
「ワッ!」
 一瞬でオレの右手の拘束を手首を捻るようして解いた男が、太腿を蹴ろうとしたオレの右足を掴み、そのまま斜めに持ち上げた。同時に、左足を払われ、オレはすくわれるようにしてソファへと突っ伏す。
「聖獣、お前とてこいつが何者か知りたいだろう。押さえていろ」
 横向けに倒されたオレが起き上がるよりも早く、体の上に何かが乗ってきた。
「ま、ま、ま、待てよオイ! ちょ、退けよ――痛ッ!」
 オレをソファに埋め込むかのごとく押さえ込んできたのはトラ公で。神聖なる存在であろう神の獣がレイプに荷担するのかと血の気を失いビビるしかないオレの髪を鷲掴み、無理やり頭を引き上げるかのようにして顎を逸らさせてきたのは王様だった。
 この、一人と一匹にタッグを組まれたら、どう足掻こうと太刀打ち出来ないじゃないか、クソ!
 だけど、諦めるなんて事は到底無理であり、オレは全身を使って抵抗する。
「静かにしろ」
「出来るかボケ! 妙な気起こしてんじゃねぇーよッ!」
「ボケた想像をしているのはお前だろう。誰が、お前など抱くか」
「…………え?」
 そ、そうなの…?
 何だよ、そうか。オレの勘違いか…良かった。
 と思ったのは一瞬で。だったら何でこんな事をと問い質す前に、下肢に違和感が――。
「リエムは見たと言っていたが、」
「は? え…?」
 リエムが何だって?と、それを気にするよりも。オレはスッと熱い肌を滑る空気に、自分の状態を認識して。
「うわぁあああああッ! 何してんだ、変態クソ野郎ーッ!」
 耳の側で絶叫され驚いたのか、ビクッと動いた虎をオレは怒りに任せて押しやり、少しずれたその巨体とソファの背の隙間から身を起こす。不埒な真似をしてくれた男が空かさず押さえ込みに掛かってきたが、オレは逃げるのではなく逆に突っ込むようにして、男の懐に勢いよく飛び込んでやる。
 胸を頭突きされバランスを崩した男が後ろにたたらを踏んだ。オレはその体を両手で更に押し、その反動でもう一度ソファに逆戻りしてしまうが、直ぐに立ち上がり逃げを打つ。
 だけど。
 摺り下げられ、足元に纏わりついたズボンでは駆ける事も出来なくて。
 一歩進んだところに居た虎を跨ぐ事も無理で。
 直ぐに足を取られて転げた。白い巨体に向かって、マンガのように飛んだ。
 けれど、ダイブしたオレをトラ公が避けてくれたので、オレは床に滑り込む。短い絨毯ではなく、ここがフローリングとかであったならば、きっと壁まで滑っていったんじゃないかと思える程の勢いでだ。当然として、その衝撃で直ぐに立ち上がる事は難しい。
 いや、難しいというか。もう出来ないようだ。
「流石、神子を殺し玉を奪うだけのことはあるな」
 一国の王を、王とも思っていないようだ。
 淡々とした声と共に、背中をグッと押された。転んだ衝撃で息をつめていたところに肺を押さえられ、タイヤがパンクしたかのようにプシュっとオレの口から貴重な空気が漏れ出る。
 背中に乗ったのは、聖獣ではない。感覚からして、どうも男の片足だ。
 しかし、それを認識しても屈辱は浮かばず。同じく、上着は肌を晒すほどに破れ、ズボンはほぼ脱げた状態であるというのに羞恥もなく。ただただオレは、床に突っ伏したまま、落とされた言葉に驚いていた。
 変態の次は、キチガイか?
 コイツ、頭おかしすぎだ。
「だ、誰が殺すか! オレはアンタみたいに野蛮じゃない! 剣すら握った事がないんだぞ、ふざけんなッ!」
「神子を殺したと言ったのはお前だろう」
「誰が、ンな事言うか!」
 そもそも、神子に会った事もないのに、殺すなんて不可能だろう。床に両腕を突っ張り身体を起こそうとしながら、言い掛かりも甚だしいとオレは奥歯を噛み締める。だが、ふと、引っかかる何かがあって。
 いくらも考えないうちに、昼間の遣り合いが頭を掠めた。
 そういえば。
 この男に、お前が殺したのかと言われて。
 オレはそれに、そんな風な言葉を返したっけか……。殆ど冗談だったので、忘れてた。
「ちょ、待てよ! まさか、アレか? さっきの話か? あれはただ、消去法でいったら、オレしか居ないってだけのことで…オレが手を掛けたわけじゃない!」
 ンなこと、説明しなくても普通わかるだろうに。何を、アレだけオレの言葉を否定し聞きもしなかったのに、そこだけ聞き入れているのか。あんな、売り言葉に買い言葉なものを信じていたとは、本当に驚きだ。
 あれはただ、腹が立って。本当に、サツキが神子で、神子は向こうの世界では死なないと、そう言うのならば。同じ腹の中に居たオレが彼女に何かしてしまったのかもなという意味での、ただのヤケクソ発言だ。実際には、オレは微塵もサツキの死を願っていないし、手も掛けていない。
 当然だろう。あいつが死んだのは、生まれる前だ。
 だけど、だからこそ。オレはオレだけの葛藤を抱えてきた。何故、死んだのが彼女で、生き残ったのがオレなのか。逆であったかもしれないという思いは常にあった。だけど、だからって。お前が死ぬべきだったとでも言うような、こんな風に片割れの死の不信を責められるような事を、オレは許容出来ない。
 他人に、口出しなどされたくない。
 しかも、こんな男に…!
「そもそも、それはアンタには関係のないことだ! あいつは神子なんかじゃないんだ! オレはそんな者に会った事もなければ関係もない!!」
「お前と話をする気はないが」
「ッ…!」
 背中の重みが消えたと感じるよりも早くに、脇腹を蹴り上げられるようにして仰向けに転がされた。
 パンツ丸見え、半裸な状態のオレを不快だと言うように男が顔を顰める。
 何だそれは。涎を垂らされても嫌だが、自分でやっておいて嫌悪するとはどういう了見だと、一瞬オレはむかついたのだが。もしかして、逃亡させないために裸に剥こうとしたのだろうかと、唐突にそんな可能性を思いつく。
 でも、もし、本当にそうならば。
 やっぱり、アホだろ、こいつ。
 オレは逃げ出す気なんてなかったし。本気で逃げるのなら、パンツ一枚でも躊躇わないし。
 意味がないなと、目を閉じて、喉の奥で小さく笑う。けれど、荒い息がそれを消し、玉がどうの神子がどうのと言葉を紡ぎだした男の声を、耳の奥で鳴り響く血潮がかき消す。
 話す気はないと言っておいて話す王様の言葉を聞き逃したなら、また不敬だと罪を問われるのだろうか。
 そう思いながらも、オレの瞼はあがらなくて。
 ドクドクと、響く音も薄れていった。

 微かに聞こえる何かの音と、永遠に広がる暗闇は、まるで母親の体内にいるかのようだと。
 沈む意識の中でオレが無意識に探し求めたのは、片割れの存在だった。


2009.07.13
82 君を呼ぶ世界 84