君を呼ぶ世界 84
サツキ。
オレは、お前を守るから。
父は、新聞社に勤る記者だ。
母は元モデルで、今は十代の頃から世話になっているモデル事務所で副社長に就いている。
そんな彼ら曰く、自分達は互いに出会うためにその職を選んだという。父は、どこかに居る母を捜す為に。母は、どこかに居る父に見つけて貰う為に。
正直言って、幼い頃は「へぇ〜、そうなんだぁ」と素直に聞いてはいたが。中学に上がる頃には、「勝手に言っていろ、バカップル」と反応して当然な話だ。息子が照れる程もラブラブな雰囲気を醸す夫婦ではなく、極普通のそれであったけれど。子供をからかうにしてはセンスがないし、惚気るにしては微妙すぎるしで、相手にする理由がないものだ。
だから。運命の相手を信じて夢見がちだった訳ではないだろうに、下手な嘘をつくなよ、と。そんな風に突っ込んで訊いたことは一度もない。態々訊かなくとも、父は大学を出て選んだ職がそれだっただけであり、母に至っては、本当は実の両親を探したくて有名になろうとしたのではないかと、息子なりに多少の予測がついたからだ。
今でこそ、手足が長く、目鼻立ちのはっきりした小顔は珍しくなく。また、髪と目の色が黒以外であるのも常識のように浸透しているが。母が子供の頃は、そうでもなかっただろう。スラリとした姿形に、薄茶の髪に、赤茶の瞳。養父母の反対を押し切って、芸能界に飛び込んだ母の中には、きっと自分を捨てた親への執着があったんじゃないだろうかとオレは思っている。
それこそ、デリケート過ぎて直接触れたことはないが、少なくとも母を育てた祖父母はそう思っているのを聞いたことがある。
日本以外の血が混じりながらも、自分のルーツを知らない、そんな母に比べれば平凡だけれど。一方の父もまた、幼少時に両親が離婚し、十代の多感な時期に母親が再婚するという経験をもつ人物だ。
だからだろう。
運命ではなく、その出会いは自分達が努力して引き寄せ掴み取ったのだと言い切る二人は、互いに傷付いた記憶の隙間を埋めるかのごとく家族を大事にしている。それはもう、オレが家庭の話をすれば友達にドン引きされるくらいに、とてもとても大事に、だ。
父も母も、休みなどないに等しいくらいに働いていたので、その引け目もあたのだろう。彼らは本当に、思春期ならば鬱陶しいと避けるはずのところを、それさえも出来なくなるくらいにオレを構い倒した。そして、オレはそのスキンシップが普通だと思い、同じように彼らに返した。ちょっと異常だぞと、友達に突っ込まれて気付いた時にはもう遅く。故に、オレには反抗期と言うものを未だ嘗て経験していない。
だがそれは、オレに対する彼らに満足していたのではなく、反発を覚えなかったのはひとえに、彼らのサツキに対しての愛情を信じ、信頼し、尊敬していたからだろう。二人は、まるで彼女が生きているかのように、オレに対するものと同じ質の慈しみを死んだ娘に向けていた。
そして。そんな二人に育てられたオレも当然、彼らと同じように自らの片割れを愛した。だから、ある意味。オレ達家族は、仲のよい親子ではあるけれど。それ以上に、サツキを中心とする同志のようなものであるのだ。オレ達の絆は、サツキ抜きではあり得ない。
悪阻が酷くて入院までした母が、その日、まだ予定日まで二ヶ月近くあり、痛みも違和感もないというのに不安を覚えたのは奇跡だったのだろう。妙な胸騒ぎに病院へ赴いてから、診察の順番がまわって来る前に、待合室で唐突に激痛に襲われたという。
直ぐに運び込まれた病室で、胎児のひとりの心臓が止まっている事を訊かされた母は、そのショックからか陣痛が始まり、オレとサツキを生んだ。もしも、母が不安を覚え病院に行っていなかったら、オレの命も危なかったのかもしれない。
母体から出て直ぐに処置を施されたそうだが、サツキが泣く事はなかった。
そのサツキの小さな手には、小さな黒い石がひとつ握られていた。
そして、その石は体内にもあったらしく、荼毘にふされた後、小さな白い骨の間から別にふたつ見付かった。
サツキの死は、突発性のものとして処理されたようだが、身体に石が出来ていたのだから悪いところがあったのだろう。仕方がなかったのだと言えることだ。母がそんな言葉で納得出来るわけもないだろうが、事実は事実。けれど、オレは。オレがサツキであったかもしれないと言う思いを、いつの頃からか覚え、今なお消し去ってはいない。
両親とオレは、サツキの石をお守りとしてひとつずつ持ち、そして彼女を尤も身近な家族としてそれぞれが扱った。他人から見れば、亡くした子供の歳を数えるような真似は不健康であるのかもしれないが。少なくともオレの家族は、不幸に縋ったのではなく健全に、短い間ながらもそこに存在した命に対して敬意を持って故の自然な行いだった。
オレが二十歳を迎えた時、父とは母それぞれ持っていた石をオレに渡した。二十年持ち続けたものだ。今更そんな事をしなくてもいいじゃないか。正直、そう思ったけれど。二十年目にして死んだ娘の事に区切りを付けるのだとか、オレを一人前と認めて託してくれるのだとか。そんな二人なりの理由があるのだろうと、オレは受け取った。
それまでは、小さなお守り袋であったので。持ち運んでいても、服のポケットの事もあれば、財布や鞄の中の事もあったので。折角三つ揃ったのだからと、オレはペンダントにして肌身はなさず持つようにした。
そう、この三年間ずっと、オレはサツキと共にあった。
これからも。それこそ死ぬまで、離れることなど考えていなかったのに。少なくとも、あんな他人にとっては魅力の欠片もないものを奪われるだなんて、思ってもみなかった。
畜生、ふざけんなよ、くそぅ。
オレからサツキを奪うなんて、許せない。
絶対、取り返してやるからな。
いつから考えているのか、気付けばオレは頭の中でそう怒り狂っていた。その怒っている中で、今なお自分が夢うつつである事に気付いた。気付いた途端、もっと寝たいという欲求が沸いた。
腹立たしい男の事を彼方へ追いやる。
もう一度眠りに落ちようと、寝返りを打って落ち着く格好を探し、手に触れたフワフワの布団に顔を埋めたいと。
ただ、柔らかいそれを掴み、引っ張りあげようとしたのだけれど。
「――!!!!」
一瞬心臓が脈打つのを止めるくらいの衝撃が、オレに直撃した。
ビクリと、布団に突っ伏したままの姿勢で硬直してから、その衝撃が空気を震わせる大音量であったと悟る。
てか。
獣の咆哮だ。
「ッ…!!」
数瞬死んだようになったオレだが、全身を駆け抜けたその痺れの余韻を残しながらも、驚愕に打ち勝ち身体を起こす。
起こした途端に、バンッ!と、今度は別の音が部屋に響く。
「どうしたッ!?」
ハッと、反射的に体を引きながらも振り返ったそこには、何処かへ続く扉があって。大きくそれを開けて飛び込んできたらしいリエムが居た。
その足元を、さっと見覚えのある大きな白い物体が擦り抜けて行く。
聖獣だ。
「…何かしたのか?」
「いや…、…ああ、うん……したのかも…?」
その獣を見送るように、取っ手に手をかけたまま少し背を逸らし壁の向こうを見やったリエムが、直ぐに顔を戻してオレに訊くけれど。オレだって、何が何だかよくわからない。もしかしたら…と思うのは。さっき引っ張った毛布が、あのトラ公の尻尾か耳か脚かのどこかだったのかもしれないという事なのだが……。
扉を閉め、近付くリエムから視線を外し、オレは自分が乗るベッドを眺める。
もし、そうであったのなら。
あの獣、この上で一体何をしていたのか。オレの寝首でも斯くつもりだったのか…?
「気分はどうだ?」
そう訊ねながらも、すっと伸びてきた手がオレの額に張り付いた。
「熱は引いたようだな。身体は?」
「……ああ、大丈夫」
ダルい気はするが。熱のダルさではなく、身体は凝り固まった感じだ。多分、ただ寝すぎただけだろう。
「今、何時?」
「宵の口だな」
ちょうどいいから夕食にするか、と。そう言って笑う男を見上げ、オレはあれから全然時間が経っていないじゃないかと驚く。まだそんなものなのかと。
だが、そんなオレに「お前は丸一日眠っていたんだよ」と、ベッドサイドの小さな椅子に座りながらリエムが小さく肩を竦めた。
「昨夜は酷い熱だったぞ」
「ウソ…?」
「本当だ。元気になって良かったよ」
「それは…どうも、ご心配をおかけしまして、」
スミマセンと続けようとしたオレの言葉を遮り、リエムは「ああ、心配した。本当に、無事で良かった」と幾分声を固くして言う。
「お前が牢を抜け、王のもとに居ると知った時は……死ぬかと思った」
「……悪かったよ。でも、そんなことで死ぬだなんて、大袈裟だな。どんだけ弱いんだよ」
「違う、お前が死ぬかと思ったんだ」
「は…? え? なんで…?」
そりゃ、体調最悪だったけど、薬を飲んだのはリエムだって知っているだろうに。
「オレは別に、死なないよ。勝手に殺すな」
何を言っているんだよと、手を伸ばしリエムの腕を軽く叩くと、長い溜息を落とされた。
「メイ」
「なに」
「無益に人を殺めるのは、罪だ。それは、このハギ国の国王であっても同じだ。だが、今のお前の立場では、どんな些細な事が理由であれ、王に斬られても文句は言えないんだぞ。わかっているのか?」
「……ああ、そっか、うん…わかった」
大袈裟なと、またもや思ったけど。脅しでも何でもないのだと、リエムの表情にオレは悟る。
でも。
確かにオレだって、可能性というか、想像というか、知識というか。そう言う感覚で、王様に殺されるかもなと思いもしたけれど。今こうしてはっきり言われても、やっぱり現実味が帯びない。日本では、天皇陛下を討ったところで、即切り捨てられる事はない。下手をすれば、死刑にもならないはずだ。そんな国で生きてきたオレに分かれと言うのは、酷な話だ。
だけど、ここで頷かないのは、リエムにとって酷だろう。
「以後は、もっと、気を付けます」
っていうか、出来たらもう会いたくないんだけどなと思ったが。そうしてくれと頷く友に言える筈もなくて。
オレは、大人しく反省を示す。
だけどやっぱり、実感は沸きそうにない。
だって、もしも。
もしも、あの男がそうする人物であるなのならば。
オレはきっともう何度も殺されているのだろうから。
2009.07.16