君を呼ぶ世界 85


 やっぱり。
 リエムは、いい奴だ。

 ベッド脇に置かれていた水差しから、手ずから水を汲んでくれてカップを渡される。
 ありがと、と。こういう事をサラッとしてしまう辺りが小憎いよなと思いながら、軽く礼をいいリエムからそれを受け取ったオレは、ひとくち口をつけて自分の飢えに気付いた。
 喉だけじゃなく、身体も心も干からびていたらしい。
 一気に水を煽りのみ、「旨いッ!」と叫んで、カップを突き出す。
 オレの意を汲んだリエムが、もう一度そこに水を注いでくれた。おお、給仕のようだ。ありがたや。
 着替えて、軽く飯を摂ったら、もう一度良く寝ろよと。そう言って、水差しを置いたリエムが立ち去り、直ぐに小さな盥と着替えを持ってくる。
「手伝うか?」
「遠慮します」
 大丈夫だと証明するように、オレはベッドを降りる。力は半分といった程度だけど、立ち眩みなどはしない。もう病人は脱出だ。
 ぬるま湯で絞った布で身体を拭き、借りた服に着替えながらふと思い出し、脱いだ服を眺めてしまった。
 そう言えば、今更だけど。オレはちゃんと寝巻きを着ている。
 良かった、良かった、助かった。
 流石のイカレ王にも、同性を…というか、オレを強姦する趣味はなかったようだ。
「それにしても、ここドコ?」
「ああ…客間、だな」
「兵舎の?」
「いや、城の」
「へぇ、牢屋から一気に格上げじゃん。でも、なんで?」
「元々、お前を牢屋に入れる必要はなかったんだ」
 少し躊躇いを見せたが、リエムは意外にもはっきりとそう言った。きっと、オレを牢屋に放り込んだのは王様であるのだろうに、主の意に反する発言をこういう風にするとはちょっと驚きだ。オレに気を付けろといった舌の根も乾かぬうちにどうしたというのか。
 確かに、どうしてリエムがあんな男の肩を持っているんだよ…と。面白くなく思っていたけれど。歩み寄りされるのも、何だかしっくりこない。兵隊さんは絶対服従でなければならないだなんて、オレだって思ってはいないけど。何となく違和感が付きまとう。
 もしかして。リエムも、あの男と揉めたのだろうか。喧嘩でもしたのか…?
「ふ〜ん…ま、何でもいいや。オレはベッドの方が嬉しいし」
 一瞬、警察病院みたいなものか?と思いもしたけれど。派手ではないが、桔梗亭の客室よりも豪華だとオレにもわかるくらいの部屋なのだから、王城の客間であるのは間違いないのだろう。
 だったら、何でこんなところにいるんだ!?と、今更なんだと怒って出て行くこともない。王城には居たくはないけれど、留められるのならば、居心地が良い方が断然いいに決まっているのだ。リエムに言ったところでどうにもならないだろうし、この事はこれでよしとしておこう。
「強姦されかけた慰謝料とでも思っておくか」
「……メイ」
 一応、王様に楯突いた自分の立場がどういうものであるのか、オレとて理解している。だからそれを思えば、牢屋が妥当だなと納得する部分がかなりあるのだ。故に、庶民なオレには、不敬とされるオレには、王城の客間だなんて恐れ多いというか、分不相応だ。新手の嫌がらせか?とも思える。
 だけど。あの王から受けた理不尽なものを総括して、それに対する詫びだと思えば、この場所はオレが勝ち取った当然の権利にも思えて。
 このベッドでもう一度眠れるのは魅力的過ぎだと。開き直って、今晩も居座ってやろうと。そう思いながら、ただ単純に嫌味のひとつ程度で落としたその言葉に。
 リエムは息を飲んだ後、眉を寄せ、低い声で諌めるようにオレの名を呼んだ。
「え…?」
 自爆したか、オレ…?
 もしかして、オレが服をバッサリ斬られた事を、リエムは知らないのだろうか?
 じゃあ、誰があの状況から助けてくれたのだろう?
「……王は、…そういう意味でお前に触れたわけじゃない」
「…ああ、まあ、そうみたいだな」
 墓穴を掘ったのかと思い、強姦ってのはどういう意味だと聞かれたらどうしよう!? 冗談で言った事に詳しい説明を求められるほど恥ずかしい事はないぞ!と、一瞬焦りかけたオレだけど。
 オレのそれは運良く的を外れていたようで、リエムが紡いだ言葉は、何があったのか知っていての王様のフォローだった。
 ああ、やっぱり王様よりなのだと、普通に納得しながら、オレはきちんと確認しておく事にする。
 だって、何があったか知っているのならば、さ。これくらいの嫌味、許してくれてもいいと思うんだよな。
「リエムに聞くのもなんだけど、アレ以上の事はなかったんだよな?」
「ああ…」
 誓って、王はそう言うつもりで…と。リエムが同じ言葉を繰り返す。それを見て、王のフォローではなく、もしかしてオレを心配しているのか?と思いつく。強姦なんて言ってしまったから、気にしたのかもしれない。
 確かに、あの男が何の目的であんな事をしたのかは、とても重要だ。だけど、だからといって、その理由によって行為が正当化される事はない。あってはならない。
「あのさ、リエム。別に、オレだって貞操の危険に晒されたと思っていないから、そこのフォローは要らないよ。むしろ、面白くないから、あんまり掘り下げないで」
 改めて考えてみなくても、オレの身に起こった事は結構ハードなものだ。だから、リエムはあの男を擁護するのではなく、オレの精神負担を軽くする為に、何とかしようと思ってくれているのかもしれない。だって、もし、オレが逆の立場なら。アイツはお前の身体を狙って…などと、事実であってもそんな傷口に塩を塗るような真似は出来ない。度が過ぎていたが、深い意味はないから気にするなというのが妥当だろう。
 そして、オレもそう考えておく方が気は楽だし。
 何より、実際に奴にそういう欲望らしきものが皆無であった事を、誰よりもオレが一番知っている。あそこに流れていたのは、そんな昏いものではなく、もっと殺伐としたものだ。オレ自身、熱でイカレていたというか、ラリっていたのだろう。だから、AVもどきのことを考えて騒いでしまったのであって、アレはある意味自爆しただけの事だ。だって、起こった事実は、何もなかった。それは、オレ自身が証明している。
 そう、だからこそ。
 こんな軽口を叩けるんだよと、大丈夫だから変に気遣うなと笑いながら、オレは心配しているのであろう友に向き合う。
 オレだけではなく。
 リエムは、あの王とも知己なのだから。
 奴がオレにした仕打ちを知って、何も思わなかったわけではない。それだけで、オレには充分だから。
「もういいから」
「だが、」
「じゃあ、ひとつ」
 オレの言葉にリエムが頷いたので、オレは一度深く息を吐いて、真面目な声で言ってやる。
「ただ、さ。あれが嫌がらせにしろ何にしろ、王様がオレにやった暴挙は変わらないわけだよ。いきなり襲ってきて締め上げて、オレの大事なものを奪って。ンで、牢屋から逃げたのは確かに悪い事だけど、それ以上の嫌がらせをアイツはした。アレは、オレの尊厳を奪う行為だ。王様にとっては、ただの足止めでも何でも、だ」
 オレの意見に、多少反論というか、何か言いたげにしながらも、リエムが少し目を伏せる。言っている事は尤もだというように。
 昔のことを掘り返せば。リエムはオレの立ちション見学者であるので、その点だけをつけばこの男も結構変態なのかもしれないのに、この対応は何なのか。自分がそう言われても、ドン引きされても、笑顔ひとつで済ませるというのに。実際、あっさり流してしまったのに。何だこれ。
 王様との事となると、どうしてこうクソ真面目振りを発揮するのか。それは、友としてなのか、部下としてなのか。
 どちらにしろ、苦労な事だ。
 リエムはリエムで、大変だなと妙に実感する。だけど、それに同情はしても、協力する気はない。悪いけど。
「だからさ。ちょっとくらい暴言吐くのは、聞き流してくれよ」
 気にしてくれるのならば、オレを宥めようとするのではなく、好きなようにさせてくれ。
 友人だか上司だか知らないが、そいつの悪口くらい言われても我慢しろ。それ相応の事はしているのだと、アンタだってわかっているんだろ?
 オレが、好き勝手言うのは、おかしくないよな? むしろ、当然だろ?
 そう、全てを口にはしないが、それを汲み取るだろうくらいに心情を表に出して訴えれば。オレのそれに気付いたリエムは、少し長く感じる沈黙を挟んだ後、「……そうだな、わかった」と深く頷いた。
「お前は案外、討たれ強いんだな」
「は?なんで?」
 何故、この展開でそれが出る? それは、強かだとか、図太いとかそういう意味でか?  そう思ったけれど、リエムの表情は穏やかで、本気で感心しているようなそれにオレは思わず改めて突っ込む。何故そうなるんだと。
 だが、相手はあっさり、だ。
「普通は、あんな風にやられたら、落ち込むだろう」
「いや、全然」
 普通って何だよと、落ち込むって何だよと、考えて。リエムが言わんとしている事をオレは理解するけれど、同意は出来ない。したくはない。だって、オレは落ち込んでなどいないから。
 ってか、落ち込みたくないし…!
「根本的なところが、わかっていないなリエム。その『普通』っていうのは、あの男を王様として見ているヤツ限定じゃないか。尊敬している王様に、暴言吐かれたり、理不尽な理由で牢屋に入れられたりしたら、そりゃヘコむよな。だけど、オレ、全然王様のこと敬っていないから。だから、どれだけ討たれようとも、腹は立っても傷つけられる事はないから。どうでもいい相手に否定されても、勝手に言ってろバァ〜カ、だよ」
 アンタだって、見ず知らずのガキにヒトデナシと詰られても傷付かないだろ? 逆に好きなヤツに大キライと冗談でも言われたら、ヘコむだろ?
 それと一緒だからと、必要以上にオレを悲劇の主人公にしなくていいからと、きちんと説明すると。
 リエムは、少し迷うような間を作ったが、「そこまでアイツは嫌われているのか…」と苦笑した。オレはそれに「嫌わない要素はないからな」と肩を竦めておく。
 だけど、実際は。オレは別に、ヤツを嫌いというほども憎んではいないような気がする。
 天誅が下ればいいと、オレをここへ飛ばしてくれたそれに対してそう思うし、その他諸々にも怒りを覚えてはいるけれど。嫌悪を覚えるほども関心を向けていないのが本心だ。多少やり返したいと思うが、それ以上に、関わりあいたくないと思っている方が強い。
 あのイカレ王は、それくらいに厄介で、鬱陶しい。
 精神的なダメージがオレの中にあまりなかったので安心したのか。柔らかく笑う男を見ながらオレは思う。
 ホント、なんでこの男はアレに仕えているのだろうか。

 少し勿体無い気はするけれど。
 フォローをするよりも、リエムは自分の爪の垢を煎じてヤツの口に詰め込むべきだろう。
 その方がきっと、効果は絶大だ。


2009.07.21
84 君を呼ぶ世界 86