君を呼ぶ世界 87


 オレは、王にも聖獣にも、いい印象は持っていないけど。
 彼らをこうして思う奴がいるというのを、忘れてはならないのだろう。

「お前も、俺に言いたい事があるだろう」
 唐突に訪れた、この瞬間。
 真剣な男の顔を見返したオレが思ったのは、どうやったら逃げられるのだろうかと言うものだったりする。
 リエムには悪いけど。あのオジサンの話を鵜呑みするわけではないが、今までのことを考えてみれば、あまり王様と接点を持つべきでないのは間違いないのだ。召喚や神子のことはオレだって知りたいが、今ここで関わるのは賢くない気がする。調べるのなら、別の線を選び辿るべきだろう。
 胎を決めたらしいリエムの追求は、なんとしても逃れたい。相手が王様ならば、知るかボケ!で話は済むけど。流石に、気心を許した相手となると邪険になど出来ず、請われればオレはポロリと言ってはならない事を言ってしまいそうだ。
「えっと、いや、その…な?」
 逃げなきゃ! でも、どうやって?
 そう考えて、逃げる術などオレは持っているのか、オレの小手先の誤魔化しは通用するのか、足元から一気に沸きあがってきた焦りに言葉がどもったのだけど。
 ふと、ちょっと待てよとあげた片手越しに見たリエムの眼が、何も見落としはしないぞというようにオレを捕らえていて。その冷静というか、思いの強さに、オレの体の芯が一気に冷めた。焦りが一瞬にして消え、脱力に似た重さが腹の中に溜まる。
 確かに、このままでは終われないのはわかっている。いつまでも回避していていい訳ではないのも、だ。オレの方だって、聞かなければならない事は山積みだ。
 だけど、折角、暖かい飯を食って、柔らかいベッドに入って、友と和んだ時間を持って。自分が望む現実というか、不満ない日常が直ぐそこまで来ていたと言うのに。
 今ですか?
 今更とは言わないけど、このタイミングなんですか?
 そう突っ込まずにはいられない。それを、最悪だと思わずにはいられない。
 不意打ちも不意打ちだろう。だったら、今までの気遣いは何だったのか。気紛れか? おいおいリエムさん、一貫してくれよ。
 この展開を普通に起こしてしまうアナタは、かなりのツワモノなのでしょうが、オレは違う。普通に繊細な小市民だ。軍人のような精神力は微塵も持ち合わせていないのだ。心臓に悪い展開をしないでくれ…。
「イキナリ、何? どうしたんだよ?」
 リエムだから、構えていなかった。アンタだから気を緩めていた。
 だから、そんなオレの心情を慮って今は引いてくれないだろうかなとの期待を込め、オレはヘラリと笑って見せたのだけど。
「メイのことを、詳しく知りたい。あの石の持ち主のことも」
「……」
 真剣さが、怖い。愛の告白みたいな台詞だなと、からかい笑う事も出来ない雰囲気に気圧される。
 オレの事を知りたいだなんて、短い付き合いながらも仲良くやっている相手に、こんなクソ真面目に言うか普通。普通は言わないだろう。つまり、オレを疑っているのだ。サツキの石を神子のものだと思っているのだ。
 暴力的な王様とは全く違うけれど、詰問されているわけではないのだろうけど。リエムに疑惑の目を向けられた事実が、王様の理不尽さよりも堪える。リエムのこれは遅すぎるくらいであり、予想出来る範囲であったというのに、衝撃が収まらない。
 先程までの穏やかな空気が偽りであったとは思わない。互いにぎこちなく当り障りのない話をしていたわけではないはずだ。少なくとも、オレは。オレは逃げる為に、核心に触れなかったわけではない。
 オレとリエムの間で、王や聖獣が拘るそれは関係ないと思ったからだ。そう、思いたかったからだ。
 リエムは確かに王様の部下で、無関係ではないのだろうけど。こうして二人でいる時に、あえて仲を壊すようなものを呼びたくはなかった。
 オレは、リエムとは今までと同じ友達でいたい。それが、オレの最重要事項だ。壊れたら仕方がないと諦められるのかもしれないけれど、壊れるまでは自ら壊したくはないものだ。
 けれど、リエムはそうではない。本人の信念か、王や国への忠義か何かはわからないが。全てを明かしたいのだろう。オレとの仲を壊しても。
 偽る事はするなと、その茶色の眼が語っている。
 いつからなのか、今の今まで気付かなかったけれど。リエムはオレを、今までと同じオレとして見ていないのだ。
「……知りたい、か」
 だったら、アンタが知っていただろうオレって何なんだろうな、と。心の中で苦笑するが、言葉にはしない。
 だって、今目の前にいるのは、オレの友達のリエムじゃなく。王様の友達か、王様の腹心かわからないけれど、間違いなく軍人なんだとオレは思ったから。一本筋の通った、強靭な芯を持っている。きっと、時と場合によっては人のいいお兄さんな仮面を付け替え非道にも徹するのだろうなと、わかったようなわからないような事をオレは漠然と感じたから。
 もし、逆に、リエムに同じ問いを向けられたら。オレはなんて言えるのだろう。
 心に覚える悲しさや寂しさを紛らわすよう、オレは小さく口元を歪めながら突っ込んでやる。
「王様とオレじゃ話にならないから、変わりに聞けとでも言われたのか?」
「俺の意思だ」
「だけど、昨日は聞かなかったじゃないか。あの牢屋で、アンタはそんなこと言わなかった」
 言いたそうにしていたのにと、言葉にはしないまでも無言で訴えると、「俺だって混乱していたんだ。あの時は、話題にすればお前を追い詰めるかもしれないと…」と語尾を濁して言い訳をした。
 そう、言い訳だ。
 だって、今だって。オレはもう追い詰められている。リエムは気遣ってくれているのだろうけど、ズドンと落ちた。落ちてしまった。自分勝手だろうが、リエムからは聞かないで欲しかったのが本心だ。このままにして置けないとオレだってわかっているのだから、話し合う気はあった。と、いうか、自分の意見を訴える気でいたのだ。それを、待って欲しかった。
「そうなんだ。オレはまたてっきり、あの王様にオレと余計な話はするなと釘をさされているのかと思ったよ。喋らないのではなく、喋れないのだとな」
「……否定はしない」
 リエムの問いかけは、突然だったけど、予想範囲内の事だ。だけど、実際に起こってみると、何故か少し腹立たしくて悲しくて。つい、嫌味のような、八つ当たりのような言葉を向けてしまい、それに対して相も変わらず真摯な言葉が返ってくるのだから、オレのいたたまれなさがピークに達する。
「……。…ちょい、待って。一分でいいから」
 そう断り、ぎゅっと両手でシーツを強く握る。落ち着けと自分に言い聞かせ、そうじゃないなと直ぐに否定する。
 今は、そう。考えろ、だ。自分がどうしたいのかを。どんな結果を望むのかを。
 ここでリエムを突き放すか? ――答えは、NOだ。オレはリエムがどんな立場であっても、この友には真摯でありたいと思う。例え、嘘をつくその瞬間でもだ。だから、喋る事はないと会話を拒否する気はない。
 だったら。オレはどこまで話す? 何を、どんな風に、話す?
 まだ、来訪者だと知られてもいいと簡単に思えるほどの勇気が、オレの中にはない。知られてしまったら、その時だけど。知られないままの方がいい。では、この世界の人間だと、今まで通りに振る舞って。あの石をどう説明すればいいのだろう。
 片割れのものであり、神子とは関係ない。その事実を、本物のこの世界の人間にどうやったら伝えられるのだろう。
 信仰心のないオレは、聖獣の間違いだと気安く言えるけれど。頭の固そうなあの王様は勿論、リエムだってそんな事は簡単に認められないのだろう。間違うはずがないという絶対的なそれを、オレなんかがどうやったら覆せるのか。
 困った。非常に困った。今までの行いが、ここに来てオレの首を更に絞めるようだ。王に楯突き、牢屋まで脱走したオレが何を言ったところで、信用するには値しないというもので。実のところは、今更何を言っても無駄であるのかもしれない。リエムは、こうして知りたいと、下手に出てくれているけれど。
 チラリと傍らで待つ男に視線を向ければ、やっぱり、とても真剣な表情で。
 ぐわああああ〜〜、とオレは心で叫び、思わず頭を抱える。
 きっと、リエムの中でも、オレに対する認識が結構出来上がっているのだ。それをオレの口から聞き出そうと思っているのだ。聞く耳を持っていないわけじゃないだろうけど、誤魔化そうとしても誤魔化されてくれなさそうだ。
 でもでも、だからって。全てを明かすわけにはいかない。明かしたら、異界人なんてこの扱いで充分だと、あのオジサンが言うように変な事に利用されるかもしれない。少なくとも、オレは王様が隠したい秘密を知ってしまっているのだから、無罪放免される事はない。
 それは、今の状況でも同じかもしれないけれど。関係者かそうでないかでは、全然違う。オレは、神子召喚をした王様にとっては、知りたくはない結果だ。例え、手掛かりなのだとしても、神子が居ないのに神子じゃない奴を見つけたなんて、面白いわけがないだろう。八つ当たりされるのは必至だ。
 なんだ、この状況。最悪だ。リエムとの隔たりにヘコんでいる場合じゃない。どうするんだよ、オレ…!
 っていうか、オレなんかがどう出来るというんだと、重い重い溜息を吐いて。深く息を吸い込んで、また吐いて。数度繰り返して、ふと思う。
 あの王様の召喚と、オレ、ほんとに関係あるんだよな…?と。
 雰囲気に飲まれて、いつの間にかアイツがオレを巻き込んだんだと思い込んでいるけれど。そういえば、そうかもしれないというくらいしか判明していなかったんじゃなかったか…?
「……リエム、あのさ」
「何だ?」
「……その、」
 リエムの声が、思いのほか優しく響いて。オレは一瞬躊躇ったが、顔を上げて問う。まずは、ここからだと。
「王様が神子を探しているのって、いつから…? オレに妙な疑いを持つくらいだから、王様と神子は会ったことがないんだよな? つまり……召喚をしたけど、神子は現れなかったってところ、なんだろ?」
「…………」
「言えないのなら、別にいい――と、言いたいところだけど。こんな事になっているオレとしては、とても知りたい。教えてくれ」
 リエムの迷うような、考えるような沈黙の中。聞かずとも知っている事をあえて混ぜた自分を、オレは狡賢いと自身で呆れる。だけど、あのオジサンとの接触は、脱走を手伝ってもらった時点で一切言えなくなってしまったのだから仕方がない。
 いっそ、全てあのオジサンに話を聞いて置けば良かったかなと、このまま答えなさそうなリエムから視線を外したその時。
「神子召喚が行われたのは、ひと月半前。王の祝賀祭の時だ」
 嬉しくないが、ビンゴと心で声をあげながら。オレはリエムの言葉に口角を吊り上げる。
 記憶が、走馬灯のようにアレの頭を駆け抜ける。

 異世界に飛ばされ、もう、ひと月半。
 元の世界から遠ざけられ、まだ、ひと月半。


2009.07.26
86 君を呼ぶ世界 88