君を呼ぶ世界 89
この世界では、神子召喚は愚かな行為だと認識されないのだとしても。
それでもやっぱり、あの王は間違っていると思う。
ここに神子がいないのは、つまりはそういう事なのだ。
アレだけ神子神子と騒いでおいて、居ればいいだけだというのか? おかしいだろう。
ってか、それじゃ済まない。
済ませたくないと、口を閉じたリエムをじっとりと見てやるが、それ以上の言葉は発しそうにない。これ以上は言えないと、今のもポロリと落としてしまったのだと言うように、静かな強固さを見せてくる。
「…ま、いいや。王様のことをリエムに聞いても困るよな」
知っていても勝手に言えないだろうしと、オレはさり気なく視線を部屋の隅へと飛ばす。
オレに、思考や感情があるように、リエムにだってそれがある。今ここで、違うそれの折り合いを見つける必要はない。神子談義は確かに、オレの立場では重要であり外せられないけれど。あの王の真意がどこにあるのか知りたくもあるけれど。
ここは一先ず折れようと。リエムが聞きたいと口火を切ったのだから主権を渡すべきかと、オレは視線とともに話を戻す。
自分がもし、神子と言う存在であったのならば。
自分を呼び出した相手が、国の滅亡を救って欲しいだとか、己を不老不死にして欲しいだとかの、それは無理だろうな常識外れな願望を抱いていたならば、面倒は避けたいと逃げるだろう。即座に捕まる事のない別な場所に飛ばされたのなら、これ幸いと身を隠すだろう。知識を得る神子なのだからきっと、そういう対処をすると思う。
だが、勝手な期待は確かに遠慮したいが、何もないただの実験のように召喚されたのだと知ったら、逃げ出す前にまず拳を見舞ってやるんじゃないだろうか。きっと、オレにこの言語力を与えた奴は、どこかでそう思っているはずだ。実際には折角逃げおおせているのだから、ここに来る事はないだろうけど、一矢は報いたいはず。
ならば、オレがそいつの変わりに王様を殴るべきなのかもしれない。
本当に、何も望まずに召喚を行ったというのならば。
「それでなくとも、あの王様、何を考えているのかわからない奴だしさ」
とりあえず、何となくだけど状況がわかったし、王様の事は後回しだと、オレは肩を竦めるに留めておく。
「っで。リエムはオレの事を聞きたいようだけど。一体、何を知りたんだ?」
「いいのか?」
「ああ、いいさ」
まるで、先程のオレのようなその問いに、オレは思わず小さく笑う。ダメだとか、何で聞くんだよととか怒ったことは一度もないのに。違う意見を沢山言い過ぎたのか、話したくないオーラを出しすぎていたのか。遠慮気味に確認する友の様子がおかしくて仕方がない。
「答えられない事はあるかもしれないけど、リエムが聞くのは自由だ」
そう言いながら、現金なものだとオレは思う。先程はあんなに、話を振られただけで動揺したと言うのに。今更かよと舌打ちしたい気分であったのに。
オレがした質問に、全てではないが真摯に答えてくれたリエム。神子召喚といえば、この国にとって、この世界にとって重要なものであり、加えて簡単に他言なんて出来ない事情もあるというのに、嘘をつかずに認めてくれた。そんな男の言葉を蹴るような真似は、出来ればオレはしたくない。
っていうか。むしろ。
オレは、この男の知りたい事が何であるのか。何をどう考えているのか。それを積極的に知りたいと思おう。
「ただの田舎者だから、珍しい話も、爆笑話も披露できないけれど。オレは何を答えればいいんだ?」
一瞬、このまま交互に質問し答えあおうかと提案することを考えた。詰まったり、相手が拒否したりしたらそこで会話は終わりだとしようかと。そうすれば、互いを思いやって会話を進められるだろうと。聞きたい事が沢山あるのならば終わらせない為に、無謀な質問や乱暴な会話は避けるだろうと。ちょっと狡賢いことを思ったのだが、やっぱり止めておく。
そういう事をしなくとも、多分、リエムは大丈夫だろう。
相手があの王様ならば、そういう取り決めをしておかねばオレだけ身包み剥がされそうだけど。
だから、緊張なんて微塵も覚えず。さあ聞いてみろよと、軽口を叩くようにオレが少し偉そうな態度で言葉を促すと。「単刀直入に聞くが」とリエムは前置きして、本当にズバッと言った。
「メイは、神子なのか?」
「まさか。それって、リエムが神子だというよりも、オレにはあり得ないんだけど」
何だそれ、あの石に神子の力があると聞いたからそんな事を言うのか、でもちょっと考えたらわかるだろう。そんなツッコミが、一瞬浮かんだが。オレは、瞬時に飲み込んで、肩を上下に動かす。取り合うのも馬鹿らしいけれどと言う風に。
「第一、神子の条件にオレは何ひとつあてはまらないだろう。異世界生まれじゃないし、知識もないし、玉も刺青もない」
「では、あの石の持ち主は?」
「あいつも違うさ。世の中何が起きるかわからないと言う意味で、あいつが神子であったのかもしれないとの可能性が捨てきれないのだとしても。彼女が死んでもう二十年以上経つんだ、追求する意味はないだろう? 少なくとも、リエムが探している神子ではない。それは確かだ」
「二十年…」
「あの王様が召喚をするずっと前から、あの石はオレのものなんだよ。期待したようならば悪いけど、神子の力がどうのこうのいうのは間違いだ。だからさ、さっさと返して欲しいんだけど」
一度は取り戻した、その時の安心感を思い出し。オレは己の不甲斐無さを自覚しつつも、ふざけた事をしてくれた男を思い出し腹の中で密かに詰る。結果的にはそう言う意味での身の危険はなかったのだが、あの王様はやっぱり変態決定だ。本当に、神子召喚にそれなりの理由がないのなら、更に変人奇人と称してやってもいいだろう。
そんな奴の手に、今なお大事な片割れの形見があると思うと、悪態が燃料となってオレの腹の中で燃え上がる。ついでに言えば、あのトラ公も要注意動物だ。また、咥えるなり何なり、雑な扱いをしているんじゃないだろうな。していたら、今度は反省ポーズを仕込んでやる。
覚悟しろよなと、胸中でだけど、国の重役を捕まえ闘志を燃やしていると。
「兄弟だと言ったな…。その彼女は、どうして亡くなったんだ…?」
オレの心境とは全く別な、リエムの静かな声が部屋に響いた。
どこか遠慮がちに思える言葉。だけど、実際には、拒否は出来ない強さが込められている。
オレに、神子か?と。サツキが神子か?と、問うた時とは少し変わったその雰囲気に。先の質問は、リエムの中では答えが出ていたんだなと。オレの返答を予測し、その通りであったのだろうと。本当に聞きたかったのはこれかと、オレは確信する。
オレが王やリエムの言葉でパズルのピースを組み立てるように、リエムもまた、オレの言葉や態度をかき集め、一枚の絵を完成させようとしているのだ。
けれど、それは多分。
オレは、真実を求めているけれど。
リエムがそこに求めるのは、自分自身が描いた絵であるような気がする。
「二十年も前なら、お前はまだ幼かっただろう。本当に殺したわけではないのに……何故あんな事を言ったんだ?」
リエムの中には何があるのか。
それは知りたいけれど、その絵は知りたくはないなと。漠然とだがそんな思いを抱き、咄嗟に口が開けなかったオレの沈黙をどう読んだのか。答える前に、更にそんな質問を重ねられた。
あのイカレ王のように、オレの憎まれ口を素直に受け止めず、冗談だとリエムは正確に捕らえたのか。それとも、オレが言った言葉をあの男から聞いたのかわからないけれど。オレに殺生など出来ないと、考えるまでもなく知っているのだろうリエムのそれに、何だか笑うしかなくて。
「大事だからに決まっているだろう」
何よりも、大事な奴だから。譲れない部分だから、オレは馬鹿をするんだと。王への態度も、牢屋からの脱走も、全てはそうであるからに決まっているじゃないかと。オレは笑いながらそう言い切ってやる。
この状況でへこたれずにいられるのは、自分を支える他人がいるからに決まっているだろう。人は、己ひとりではそんなに強くはなれない。少なくとも、オレはそうだ。きっとサツキの存在がなかったら、オレは異世界に飛ばされた事に堪えられていなかっただろう。
「売り言葉に買い言葉であったけど、自暴自棄になったわけじゃない。オレはさ、リエム。あの王様に、オレの大事なあいつの何ひとつも与えたくなかったし、触れて欲しくなかったんだ。指一本触れさせはしないと、あいつの全てをオレは抱え込んだ。それだけの事だ」
流石に、今はもうそんな事はしないよと。あの王様は人の話を聞かないくせに、ああいうのは素直に聞くようだからなと。冗談はもっと相手を見てからにすると、不用意だったなと少し反省すれば。
リエムは、「あの状況で軽口を叩く奴はいないぞ…」と、心底呆れたように頭を振った。
あの状況、っていっても。オレはちゃんと、サツキの石が本物の神子の玉で、神子は生まれた世界では死なないとの前提で言えばと。それなのにサツキは死んだのだから、原因はどこかにあり、追及するならばそれはオレである可能性が高いだろうという流れのもので。
誰かが殺めたのが真実ならばと、オレははっきりと言ったはずだ。突っ込む場所はオレが殺した発言意外にもいっぱいあるのだから、前提を無視して鵜呑みにした方が悪いだろう。
呆れるのならば、早計というか…子供のように単純なあの男だろうと、リエムのそれにちょっと下唇を突き出すも。オレだって、牢屋に入れられたことを早くも忘れた馬鹿でもないので、下手な事は言わないでおく。
そして、その判断は正しかったようで。
神妙に無言を貫いたオレに、リエムは、「…まあ、わからなくもないけどな」と、擦れるほどに小さな声で呟いた。
そう言えば。リエムは最近、友達を亡くしたのだった。
オレの中にある、亡くした者を思い続ける気持ちの強さを感じ取ったのかもしれない。
それに、リエムには兄と妹がいる。家族を亡くす辛さを想像出来ない男じゃない。
加えて、正確に言えば。オレの方が、大切な者を亡くす痛みを知らないだろう。サツキがそこに居たのを、オレは覚えていないのだから。
だけど。
「オレとあいつは、双子なんだ」
きょうだいだと言っていたのに、意外だったのか。それだけの告白で、リエムの眼がゆっくりと開かれていくのを見ながら。この世界にきて初めてサツキの事を語る為に、オレは言葉を紡ぐ。
今までだって、別に隠していたわけではない。だけど、あえて言う必要はなかった。でも、今は。この男に聞いて欲しいと、知って欲しいなと思う。
神子だとか、何だとか関係なく。オレにとって彼女がどれだけ大事であるのか、わかって欲しい。
「二十三年前、あいつは生まれる事無く死んだ。だけど、十ヶ月には満たなかったけれど、あいつはオレと一緒に、母親の腹の中で生きていた」
そう言って、オレはふと思う。
母親の腹の中は、小さな宇宙で。いわば異世界じゃないかと、そう言えるんじゃないかと、飛躍しまくったことを想像する。
案外、誰だって。
生まれ出る前は、神子に成り得る素質を持っているのかもしれない。
2009.08.03