君を呼ぶ世界 90
記憶にはないけれど。
サツキと供にいた数ヶ月を、オレは心から愛しく思っている。
あの石の持ち主とは、双子であること。彼女は、生まれ出る前に死んだこと。その身体から石が見付かったこと。両親がオレにそれを託したこと。オレにとって、だからどれだけあれが大事なのかと言うこと。
それらを語ったオレに、「そうだったのか…」と呟いたリエムは、組んでいた腕を解き片手を伸ばして、暫く親指で下唇を撫でながら沈黙を作った。
何を考えているのだろう。サツキに対する同情か、オレや家族に対する気遣いか。それとも、今の話の中に嘘がないか探しているのだろうか。
心配だとかなんだとか言うよりも、ただ純粋に知りたくて。わからないだろうかとその表情をじっくりと観察していると、視線に気付いたのかリエムが顔を向け見返してきた。
「身体から、石が出てきたのか」
「ああ、そうだ。だから、アレは、あんな風に輝きも何もない石なんだ」
「…お前の家族は、それを特別だと思わなかったのか?」
「特別?」
「身体から石が出たんだぞ」
「ああ、ま、そうだな…」
大事だろうと言った感じの雰囲気に、リエムが何に驚いているのかわかり、どうしたものかとオレは悩む。
だが、悩んだところで仕方がないと、「人間の身体っていうのは不思議でさ、病気になったら石や髪の毛が悪い部分に出来たりするんだよ。知らないのか?」と言ってやる。この世界ではそこまで病気は解明されていないのだろうけど、言ってしまっている手前、下手な誤魔化しなど出来やしない。
「って言っても、オレもよくわからないんだけど。まあ、そうらしいよ。だから、あいつの石も結局はそれであって、偶然に同じ数だったけど、神子の三珠でも何でもない。有り難味どころか、むしろあいつの命を奪った病の一部みたいなものなんだ。でも、オレにとっては神子の恩恵よりも何よりも、大切なんだけどな」
「…ああ、そうだな。そんな風にして、家族に貰ったものならば当然だ」
あの時、ペンダントに気付いたリエムに色々教えて貰った時に、オレはきちんとサツキの話をしていたら良かったんだなと。だったら、誤解され捕まるような事にはならなかったのかもしれないなと。オレの話に納得してくれたのか、同意するリエムの優しさに、ほんの少しオレは逃げていた事を後悔したのだけれど。
「だが、それとこれとは、話が別だ」
「は…?」
異世界からやって来ました〜!なんて、流石に言えないけど。もっと、喋れる範囲で自分のことを日頃から伝えておくべきかも、オレ自身を知ってもらうべきかもと。反省を踏まえてこれからの事を少し考え出したところに、リエムからの注釈が入った。
身体の中で石が出来るのは兎も角、そこに感じる神子の力の気配は、その物体が何であれ揺るがない事実だと。石の出来方など二の次であるのを隠さずに言い切る。
「聖獣は、あの石にある神子の力を感じたんだ。アレが何であるかは、重要じゃない。それこそ、偶々みっつの石であったからこそ、神子の玉だとの誤解を生み捕らえられてしまったが。力が入っていたのが他のものであっても、聖獣は感じただろうし、王はそれを追及しただろう」
「いや、まあ、それはそうかもしれないけど…」
サツキを気にしていたのに、何だこの変わり身に早さは。サツキ自身が作った石ならば、神子の玉じゃないならば、そのものに興味はないということか?
神子だったんじゃないかと、サツキに妙な疑いが掛かる事を思えば、リエムのそれは嬉しいが。そうなると、オレ自身への疑惑が深まるようで。
「メイ。何故、お前の持ち物に、神子の力が宿っているのだろうな」
そう言ったリエムの眼は、思わず逸らしてしまいたくなる程に強く。オレはあの、喉に突きつけられた刃先を思い出す。
多分この、緊張というか何というか、言い表し難い妙な感覚は、この世界にこなければ味わう事はなかったのだろう。
「……何故って言われても…。ンなの、わからないよ。どう考えても、オレの持ち物にそんなものがあるんだなんておかしいし…。やっぱり、聖獣の勘違いなんじゃないか?」
「聖獣は、未だお前を気にしているようだが」
「だから、勘違いじゃないってか? でも、ホントは逆で、間違って迷惑をかけた相手だから気にしているのかもしれないぞ?」
「俺にはそうは思えない」
「…じゃ、リエムは聞いたのかよ。直接アレから、オレが神子に関係があると」
そもそも、喋れない獣からどうやってそんなことをと。オレが噛み付きかけたところで、「落ち着いて聞いてくれ」と子供のように諭された。
「確かに、俺は直接聞いてはいない。だが、王は感じ取ったと、聖獣から知らされたのだと言う。そして、オレはそれを信じている。お前が、違うというのもわかる。寝耳に水な話だ、当然だろう。だが、それはお前だけの感情論だ。お前のそれには、他人を納得させるだけの根拠が今はない。わかるな?」
「……」
ただの田舎者だと称しているオレと、神聖な聖獣とでは、勝負は決まっている。そこに王が加わり、獣の肩を持つのだから、リエムがどちらの意見を汲むかなんてわかりきった事だ。オレと一緒に、突拍子のない事を言いやがってと、彼らを詰る事は絶対にない。
そう、それはわかっていた事だ。
だけど、こうして詰め寄られれば、腹立ちばかりを覚えるというもので。
「お前が言うように、あの石が本当に何も関係のないものならば、神子の力は外から宿ったことになるが。その心当たりはあるのか?」
「…ないよ」
「本当か?」
「知らないと言っているだろう」
「だったら、アレは本物かもしれないな…」
「違うに決まっている…!」
「だが、今この時点ではっきりとわかっているのは、聖獣がアレに神子の力を感じたというそのことだけだ。一方の可能性が絶対に違うというのならば、もう一方の可能性が高くなる。そうだろう?」
そんな屁理屈のような理論は要らないとオレが顔を顰めると、リエムは「わかっている事が少ないのならば、沢山の可能性を生み出して、ひとつずつ消していくしかないんだ」と、わかってくれというかのように少し視線を落とす。
半分程になったその眼を見ながら、オレは、だったら…と口を開く。
「あいつが神子である可能性は、完全に消去しろよ。時間軸が全くあっていないんだから」
「ああ、確かにそうだが…」
オレの神子の関わりへと意識を向けたはずのリエムは、けれども、サツキの事もやはり捨てきれはしないようで。
「しかし、聖獣が自分で召喚した神子の気配を間違うとは思えない。お前の双子のきょうだいは無関係だと、そう言える要素は今はないに等しい。その彼女が力の主なのか、彼女の石だから神子の力が宿ったのか、あの石であったのは本当に偶然であって理由はないのか。まだ何もわかっていないんだ」
「…何だよそれ、結局何もわからないから、何でもありにしているだけじゃないか。その理屈で言ったら、あいつがもし王が呼ぼうとした神子であるのならば、異世界じゃなく過去から呼び出したことになるんだぞ。そんな奇天烈なこと、本当に可能だと思っているのか?」
「普通は、ありえないな。だが、神子に関しては、わかっていない事の方が多いくらいだから、」
「その可能性もあるってか?」
遮ってまで、嫌味のように向けたオレのその言葉に。リエムはそうだと迷う素振りもなく、深く頷いた。
その様子に、オレの中で小さな爆発が起きる。
呆れ果ててものも言えない――とそう思ったのは、一瞬にも満たない間でしかなかったようで。
考えるよりも先に、オレは叫んでいた。
「だったら、あいつは…! サツキは、あいつらに殺されたと言える可能性もあるって訳だよな!? あいつらが可能性でオレをあんな風に責めたのならば、オレだってただその想像だけであいつらを責めてもいいって事だよな!?」
アンタが言っているのは、そういう事だぞと。それもまた屁理屈でしかないものをオレは向けながら、可能性にもならない、ただヤケクソのように絡んだだけの話であるのに、思いのほか痛んだ胸を片手で押さえる。
だけど。
そこに、片割れの石はない。
あるべきものがない苦しさに、遣る瀬無くてオレは拳をベッドに叩きつける。
「メイ…」
呼びかけは、乱暴な言葉に対する非難ではなく、心配げな色を持っていて。オレはちゃんと、それを感じたけれど。
聖獣がこの世界に引きずり込もうとして伸ばした先には、過去のサツキが居たのかもしれない。
そういう可能性だってあるんだなと、そうだろうと、オレは受け取り拒否をしてリエムを睨む。
「リエムのように言ったら、何だって有り得るじゃないか。オレだけじゃなく、誰だって、神子だと、その関係者だと、そう詰め寄れるんじゃないか? ひとの真実を、根拠がないと切り捨てておいて、何が、わかっていない事の方が多いだ! ふざけんなよ!」
こんな風に、怒りを覚える話ではないのかもしれない。いや、ないのだろう。
だが、誰にだって、触れられたくない事にひとつやふたつは持っているものだ。
そういうのは、言わなくても。リエムはわかっている人間だと思っていた。あえて、他人のそれに切り込む無作法者ではないと思っていたが…違ったようだ。
いや、正確に言えば、オレのそれは当たっているのだろう。
リエムは、わかっていて。オレの痛みを知っていて、オレの中に足を踏み入れたのだ。
自らの絵を、描く為に。
「オレは、神子には会ったことはない。だけど、今までにアレを誰にも触れさせなかったわけでもない。オレが気付かないうちに、正体を隠した神子がそんな事をしたのかも…なんて事も、リエムの理屈でいけばありえる事だよな? でも、する意味がないから、本当にアレに気配があるのならば、ただの残り香みたいなものなんじゃないかとオレは思う。だから、もっと探せば、オレ以外にも沢山そういうのが居るんじゃないか? そういう可能性もなくはないんだ、そうだろう? だったら、オレに拘らず、そういう奴を探せよ。オレでばかり、可能性の追求をするな…!」
目の前に現れた唯一の手掛かりだとしても、唯一であるのは当人達が手を抜いているせいかもしれない。そんな奴に、自分の尊厳を捨ててまで協力する義務はない。
理不尽と言える言葉で責めてくるのならば、オレのそれも受け入れてみろよと言うものだ。そうすれば、少しはオレも、その必死さを納得し、溜飲を下げ協力するのかもしれない。
だけど。今は、どうしようと絶対に無理。
「リエムに恨みはない。怒っていない。今までの事を感謝しているし、これからだって仲良くやっていきたいと思っている。だけど、リエムは、オレとの仲よりも…、神子の方が重要なんだろう? だったら、話はここで終わりだ」
いくら話しても、不毛だろうから、終わらせよう。
そう言った、オレにリエムが向けたのは。
腹の中の昏さを隠しているような、冷たいとも思わない、無の表情だった。
少し言い過ぎた口を閉じながらオレが思ったのは。
牢屋では寝たふりをして見なかったけれど。あのオジサンと対峙していた時、リエムはこんな風に、自分を一切消していたのかもしれないと。根拠も何もない、漠然としたそんなものだった。
時には取り乱してしまう程に、オレにとってサツキは特別で。
リエムにも、もしかしたらそういう何かがあるのかもしれない。
いつもの笑顔を消し去るほどの、特別なものが。
2009.08.06