君を呼ぶ世界 91


 どうしてこの世界へ飛ばされたのか。それも大事だけど。
 それ以上に、どうやってこの世界で生きていくかの方が重要で、切実だ。

 旅先でたまたま出会っただけのオレにも善くしてくれるほどに、出来た男であるリエムの優しさには底がない。
 果たして、そんな男の譲れないものは何なのか。
 きっと、こういう人物だからこそ、普段の物分りの良さはどこへ行ったのやら、意固地なほどにそれに拘るのだろう。優しさを知る相手を怯ませるほどの、強固さを見せるのだろう。
 そんな男が相手では、生半可な態度なら負けるのは目に見えているというものだ。
 だけど、そうであるからオレはリエムを追い払おうとしているのではなく、本当にこの遣り合いは無駄だと思うから。いや、無駄以上に、不健全だ。リエムのそれが何なのか、その意思がどこから来ているのかわからないけれど、オレにだって負けられないものがあるのだ。実際に負けるのだとしても、それを認めるわけにはいかないのだから、このままの言い合いは互いに何も得られない。それどころか、下手をすれば大切なものを失ってしまうかもしれないのだ。
 だから、わかれよと。退いてくれよと。
 退室を促したまま、オレはリエムを見据えたのだけど。
 リエムは膝に肘をつき、組み合わせた両手の上に顎を乗せて動かない。考えているその顔は、背中を丸めているぶん低くて、見上げてくる視線が段々と居心地悪く感じてくる。
 こんな風になってまで神子に拘るのは、王が望むからか、リエム自身のものなのか。オレは一体ドコを突けばいいのか、どうすればいいのか。展開が見えなさ過ぎて、決めかねる。
 退かせようと思ったリエムが、動いてくれない。
 その沈黙に耐えられなかったわけではないけれど、漂うそれを断ち切ったのは、オレだった。
「……リエムの中では、オレはもう何であるのか決まっているんじゃないのか?」
「どういう意味だ…?」
 リエムが背中を伸ばしながら、軽く眉を上げる。
 漸く動いたその表情にどこかで安堵しながらも、オレの方は意識して表情を変えずに言葉を紡ぐ。
「オレが何を言っても、気に入らなければ全てを否定するのだろう? いや、否定とまではいかなくても、納得しないことに変わりはない。今まで俺が話した全てを疑っているわけではないんだろうけど、信じきっているわけでもないんだよな? リエムは、自分が思う答えに行き着くよう、オレにそれを求めている」
「……」
「それが何であるのか、オレは知りなくはないけれど。少なくとも、リエムの中でオレはもう、ただの田舎者じゃないんじゃないのか? オレがどんなに神子とは関係ないと言っても、あの石もそうだと言っても、納得していないのだろう? リエムはもう既に、オレがこうであるべきだというのを決めているようだ」
 違うか?と、その答えを求めれば。リエムは再び沈黙を作り、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、お前に…縋っているのかもしれない」
「……それは、また…意外だな」
 何を言うかと構えていた力が、予想外すぎる言葉に抜けた。強要しようとしている等と言うのならば、そうだと言って反省を促すところだけど。縋るとは、意外だ。そんなに、下手な態度ではないだろう。
 だけど、無茶な話であることを思えば、確かにそうとも表現出来るのかもしれない。
「俺は、召喚が行なわれてからずっと、神子を探している。だが、手掛かりひとつ見付かっていなかった。そこに現れたのがお前だ、メイ。お前に覚えはなくても、迷惑極まりなくとも、どうか協力してくれ。この通りだ、頼む」
「ちょッ! 頭なんて下げるなよ…!」
 お前は日本人か!と思うほどに、自然な動きであっさりと、足に両手を置き頭を垂れた男に、俺は慌てて手を伸ばす。
 こんな事をされては困る。ここへきて情に訴えるなんて卑怯だぞ…!
「オレは、本当に神子には関係ないから、探し出す役になんて立たないんだよ。協力なんて、求められても何も出来ない…!」
 下がった肩を押し、それでも上がらない頭に直接手を置き押し上げる。
 リエムの額は意外にひんやりとしていたけれど、その向こうの眼は相変わらず強い。
「お前が関係ないというのはわかる。誰だって、自国の大事に関わるような事はしたくはないものだ。無関係だと逃げるのが普通だ」
「そりゃ、まあ、そうだろうけど。オレの場合は本当にだな、」
「何と言おうと、唯一の手掛かりであるのは事実なんだ、メイ」
 オレの言葉を遮り、それで押し切れると思っているのか言い切るリエム。だけど、その事実が、あのトラ公によってもたらされたものであるならば、オレには納得出来ないのもまた事実で。このままではどう行こうと平行線だと、オレは溜息を吐く。
 やっぱり、一時休戦が必要じゃないかと。相手に聞き入れられない主張ばかりしていては、オレもアンタも虚しいだけだぞと、嘆くように頭を振る。
「…リエムはさ、一体オレに何をして欲しいんだ? オレにその意識はないのだから、例えその可能性を納得したところで、神子は探せないぞ。そんな力はないし、自慢じゃないが、他のものであっても人より秀でたところはあまりない。知識も経験も乏しい田舎者に、何が出来ると思うんだよ? オレだって流石にさ、こんな迷惑を掛けられた神子に一言文句を言ってやろう!くらいには思っているぞ。だけど、さ。探し出すなんてやっぱり無理な話なんだ。それとも、リエムには、今まで見つけられなかったというのに、頼りないオレが加わるだけで劇的な何かが起こるとでも思っているのか? そんな秘策があるとでも?」
「いや、…今はまだ何も言えない。わからない。だが、協力して欲しい。お前が協力してくれたら、手詰まりなこの状況が改善するかもしれないんだ」
「じゃ、例えばオレがそれに頷いたとして。具体的には、オレは何をする…? どうなるんだ?」
「お前が現れた事によって、沢山の可能性が生まれた。それを検証する。」
 つまり、オレは手掛かりを与えるだけで言いという事か? 可能性をひとつずつ潰していくのは、リエムがやると言う事か?
 協力をするということは、リエムのそれに従順し、全てを話して己の情報を分け与えると…?
 この男ならば、例えそうであっても無茶な事にはならないだろうから、気がすむまで付き合ってやるのもいい。そう普通なら思うところだけど。如何せん、神子に関わるのはオレにとっては危険極まりない事なのだ。リエムの申し出は、己の首を絞めることにしか繋がらないように思う。
「メイを危険な目には遭わせないと約束する。だから、協力してくれ」
「いや、だからさ、あのな、リエム。オレはどこでどうなるのかを聞いているんだ。協力したら、その捜索に加わって国中をうろつくのか? それとも、必要な事以外はするなと、また閉じ込められるのか?」
「昨日のような事はもうない。お前は、俺が訊ねることに正直に答えてくれたらいいんだ。貰う情報はこちらで処理する」
「だったら、そっちで勝手にやればいいじゃないか。オレにはもう、別段教えられる新しい事はないしさ。オレの話で色々思ったことがあるのならば、そっちで動けばいい。オレは、何も出来ないし、探し当てるまで付き合うなんて無理だ。オレにだって生活があるんだからな。それこそ、聞きたいことがあればリエムが桔梗亭まで来ればいいだけじゃないか」
 必死なのはわかる。リエムは口にはしないけど、あのオジサンの言う通りならば今回の召喚劇で、神官が命を絶っているのだ。神子に意地になるのはわかる。だけど、わかるからと言って、一緒に追い求める気にはなれない。オレのように秘密を持っていなくても、普通はそこまで協力しようとは思わないだろう。ま、頑張れよ、見付かるといいな――そんな程度だ。
 なのに。
 リエムがまた、固い表情を作る。
「…本気で言っているのか?」
「ああ、本気だけど…?」
 むしろ、何故そんなに憮然とされるのかわからない。
 リエムだけなら兎も角、オレはこの件でイカレ王や、気紛れ獣に言い様に弄ばれたのだ。腹立たしさから黙秘を実行したとしても自然であるというのに、秘密な部分はあっても辻褄が合う程度の言葉を並べ誠意を示したのだ。最大限の譲歩を示してからの当然な主張に、非難気味な眼差しを向けられる意味がわからない。
 まさかリエムも、あの王様のように、自分の希望は受け入れられて当然な考えを持っているわけじゃないよな…? だったらちょっと、幻滅するぞ…。
「神子を探し出したいのは、リエムや王様だろう。オレはそこまで関係がないじゃないか」
「メイ。神子は、神子である事を辞められる」
「は…?」
 また、オレが手掛かりだと言うのかと、そこを突っ込みオレに同情させるのかと思ったが。リエムはさらりと爆弾を落としてくれた。
 辞めるって…、神子というのは、嫌なら拒否出来るものなのか…? 神子は、死ぬまで神子じゃないのか…?
「だから、時間がないんだ。お前の協力を手放すのは、惜しすぎる」
「ちょっと、待て。辞めるってなんだよ?」
「その言葉の通りだ。知識を得ている神子は、人の眼から自らを隠す事が上手い。加えて、神子が望めば目立つ刺青も消える。玉は、流行の三珠だと言うなり捨てるなりすればそれで終わりだ。神子である証明は出来なくなる」
「力は…? あの聖獣が感じたような力は…?」
「神子は、神子同士や聖獣とならば、互いを見極められるらしいと言われているが。神子を辞めた神子は、彼らにさえもそれを悟らせない。それくらいに、ただの人になるらしい」
 神子を辞めたものを見つけるのは不可能なんだと、お前に残る力が消えていないと言うのが唯一の希望だが、それがいつまであるかわからないんだと。リエムは色々言葉を尽くし、俺に訴えているようだけど。それはオレの耳を通るばかり。
 神子を辞められるって、何だそれ。いいのかよ、そんなので…?
「俺も、ついこの間まで知らなかった話だ。神子は正体を隠せるだけの能力があると聞いた事はあったが、それはただ、多くの知識を持っているから秘密を覆い隠す事が上手いだけだと思っていた。ただの世渡り上手なだけだとな」
 だが、根本的に違った。
 神子は、本人がそう望めば、神子ではなくなるのだ。

 リエムや王様の焦りが、少しはわかる気がしたけれど。
 それ以上に、神子を探し出す意味が本当にあるのかどうか、余計にわからなくなった。


2009.08.10
90 君を呼ぶ世界 92