君を呼ぶ世界 92
神子は、神子を捨てられ、この世界の普通の人と成り得るのに。
異界人はいつまで経っても、世代が変わっても、異界人。
そう言えば、あのオジサンも、もう神子を見付けることは出来ないんじゃないかと言っていたように思う。あれはこういう意味だったのか。
神子を探せられる時間は限られていたのだ。神子に神子であることを捨てられたら、見付け出すことは叶わないと言うわけだ。きっと、その様子から言って、今度の神子もまた消失が可能なだけの月日が経ってしまっているのだろう。
このひと月半。オレは、一生懸命この世界で生きてきた。リエムは、神子を探し続けていた。
そして、神子はその間。神子を捨てようとしてきたのか。それとも、ただ逃げているだけなのか。あるいは、迎えを待ち続けているのか。
オレにそれはわからない。だけど、オレの中の名残に反応するくらいだから、探している者達には本当にそれ以外では気配を感じられていないのだろう。神子が何をどうしているのかなんて二の次で、兎に角、存在を証明したいのだ。
現状として、神子は召喚場所に現れていない。だったら、神子が神子を捨てようとしていると、最悪なそれを考え避ける為に奔走するのは妥当だろう。危惧するリエム達と同じく、オレもまた何となくだけど、その想像が当たっているように思うから。当事者にとっては、大事だ。人ひとりが犠牲になっているのだから、みすみす逃がす事は出来ないだろう。
しかし、それにしても。
聞けば聞くほど、召喚側の騒ぎようはわかるのだけれど。根本的なところが、オレには理解出来なくて。必死なリエムには悪いが、同調するのは難しい。
「オレも、そんなの初耳なんだけど…神子って、そんないい加減なものなのか? 辞めるだなんて、適当すぎやしないか? だって、神子って言うのは、誰かに与えられた地位でも役職でもないだろ? ただの人になるって言っても、神子は神子なんじゃないのか? 刺青が消えるのは兎も角…記憶はどうなる? 全てをなくすのか?」
「そこまで知らない。神子に関しては本当に、色々言われてはいるが、何が正しいのか何が間違っているのかはっきりしていないんだ。ただ、この事に関しては、神子を辞めた神子がどうであるかは兎も角、周囲にその存在であったのを悟らせないのは事実のようだ」
「他の神子や聖獣にもそうだと言ったな…。だったら、神にはどうだ? 神は世界を見ていて、王の行いに評価を下す。そして、王に尽くす神子もまた、神に試される。オレはそう習ったけど、王から逃げ、神子という事からも逃げた元・神子を、神はどうするんだ? そのせいで、国に災いが起きたりしないのか? 神子というのはは、そういうことになっても気にかけない人物なのか?」
好色オヤジどものように、神子は美人だと決め付けたくはないのと同じで、聖人君主だと思うのも勝手だとわかっているけれど。それでも、神の子だというくらいなのだから、それに適した心を持つ人物であるだろうと、あるべきだとオレは思うのだ。いや、今まで疑問を生む事もないほどに、それを信じていた。
だけど。
もしかしなくても、違うのかもしれない。
だが、自分が一番だと考える神子がいても、おかしくはないのだ。何故なら、この世界に来る瞬間まで、神子には神子の世界があった。ここではないどこかで、神は勿論、自分がそうであると知らずに、その世界の秩序に従って生きてきたのだ。いや、もしかしたら、そこからはみ出していたかもしれない。
兎に角。少なくとも、己が尊き存在になるなど考えてもみなかっただろう。知識を詰め込まれても、この世界を理解しようとも、全員が全員召還を納得する方がどうかしているというものだ。
そう、もしもオレが神子ならば。
そう言った方法があるのならば、それを選ぶかもしれない。神子と違い、オレはこの世界の事をまだよくわかっていないからなのかもしれないけれど。少なくとも、来訪者だというのを隠し日々を過ごしていこうとしているオレは、リエムの話に乗らないオレは、消える神子と左程変わらないのだろう。
自分は神子に会ったことはないから、何も言えないが。神子は国を想うと聞く。神子を辞めようとするそれもまた、何かの為であるのかもしれない――と。オレと違って、神子への敬意をなくさずに語るリエムの声を聞きながら、人はそう変われるものじゃないと胸中で反論する。
この世界を嫌いにはならなくとも、元の世界以上に愛せるには長い時間が必要だろう。この世界の人々が思うほども、神子はこの世界に溶け込んではいないんじゃないだろうか。馴染むだけの時間がなければ、神子にとっての世界は飛ばされる前のそれではないのだろうか。
今回のように召喚場所から外れた神子は、これ幸いと逃げて、ついでに神子自体をも捨てる。それならば、いつか見付かり争いに巻き込まれるかもという不安もなく、この世界で平穏に暮らせる。
自分を呼び出した者に協力し、無条件に尽くすよりも。その方が余程、自然な運びだ。
「リエムが探す神子は、自らの意思で消えたんだな」
「……まだ、そうと決まったわけじゃない」
「でも、見付かっていないじゃないか。神子が、道に迷っているとは思えない。自分を召喚をした者に気付いていないとも思えない。ひと月半もあれば、名乗りを上げることは可能だ。誰かに捕らえられたりしているのならば、リエムだって気付いただろう。見付からないのは、そうだからじゃないのか」
「……」
口を閉ざしたリエムから視線を逸らし、オレはいつの間にか握り合わせていた両手を見下ろす。
それまでの世界から切り離された理不尽さは同じであろうとも。厄介な存在である事を捨てられる選択肢まである神子は、異界人として差別を受ける危険と隣り合わせのオレから見れば、嫉ましくなるほど羨ましい。しかしそう言うオレも、言葉を得られた事は、同じ異界人からすればずるいと言うものなのだろう。
オレがこの世界に来たのは、消えたそいつのせいではない。召喚なんてふざけた真似をしたあの王様のせいだ。けれどこの現状は、そいつがここにいないからだ。神子があの男のもとに現れていたのならば、オレの中に残り香ああっても気にもしなかっただろう。
だが、居ないそいつが、オレに言葉を与えてくれた。
リエム達はそう思いたいだけで、そう信じているだけで、実際にはまだ事実として、神子がこの世界に飛ばされたことを知らない。揺るぎない確信を得ていない。オレは、この能力を得たから、彼らよりも神子の存在を感じている。
オレの存在は、リエムが願うような、神子へと続く道にはならないのだろうけど。召喚の成功を示す事に成り得るものだ。
オレは彼らに、彼らと神子に、関係はない。だけど、関連はある。
一体、そんなオレは、今ここに居ない神子に何を思えばいいのだろうか。
何を思うべきなのか。
考えて、考えて、選んだのは。何も思わないことだ。色々思ったことは、差し引きしていくとゼロになる。だったら、神子を辞めようとまでしているのかのかどうかわからないけれど、ここにいないのがそいつの意思ならば、オレはそれを受け入れるだけだ。
恨みだけを膨らませて探し出したところで、何の意味もないし、嬉しくもない。そいつが勝手にしているのならば、オレもまた勝手にするまでだ。神子が元の世界への帰る方法を知っていると言うのならば探し出したいけれど、それ以外で関わる気はない。
会いたいと、どうしているのだろうかと知りたく思っていたが。
まるで逃げるようじゃないかと、それってホントは苦しい事なんじゃないかと思えるような、神子を捨て去れると言う事実に。オレは、自分などが簡単に関わるようなものじゃないなと敬遠を覚える。同時に、無関係な人間が飛ばされるよりも、神子にとってこの世界に来る事は衝撃なんじゃないかと哀れを覚える。
「なあ、リエム。オレは益々もって、探し出す必要が本当にあるのかどうかわからないよ」
何にしろ、覚悟を持って姿を消したのだろうその者を、それでも見付け出し暴く意味がわからない。召喚を失敗にしたくはないという理由では弱すぎる。召喚場所に現れなかった時点で諦めろよクソ王、ってなものだ。
「お前が、どう思おうと。何と言おうと。それでも、見付けなければならないんだ」
視線を絡ませてきたリエムの眼はとても強かったけれど。逆にオレは、それを注がれるほどに、冷ややかになっていく自分を自覚する。
協力してくれと、リエムは頼むように言った。それは、決定権をオレに与えたようなものだ。だけど、拒否するオレの言葉に納得する気は更々ない。
だったら、頼む意味などないというもの。
いっそ、あの王様のように傲慢であったならば。そう思ってしまうほどに、リエムのそれは胸掠め、小さいが地味に痛い傷をつけてくる。
「…やっぱり、リエムはオレの意見を汲むつもりはないんだな」
「それは…、お前もそうだろう」
「ああ、そうだな。でも、だから言ったじゃないか。不毛だから止めようと」
「協力してくれ、頼む」
「リエムの頼みは、出来るなら聞きたい。だけど、オレには出来る事と出来ない事がある。どんなに強請られようと、オレはリエムが望むオレにはなれない。ついでに言えば、アンタの後ろにいる王様を、オレは信頼出来ない」
どんなに守ると言われても、あの男が命じたのならば、アンタはそれに従うのだろう? あの王様は、オレの言葉を聞かないんだ。一体何をどう協力しろなのか。リエムは誠意を示してくれているけど、この状況で頷けというのも難しいものだよ。
オレは、確かに賢くないけれど。そこまでの能無しでもないつもりだぜ?
疲れたなと。丸一日眠ったのに、早くも体と心が休息を欲しいている。休みたい。
そう思いながらゆっくりと紡いだ言葉は、非難なのか言い訳なのかわからないものだったけれど。リエムは静かに頷いた。
「それでも、信じてくれメイ」
「信じているさ。信用しているし、信頼している。だけど、リエムはあの男の臣下だ」
「お前も、この国の、王の民だろう」
「それとこれは話が別だ。リエムは自分の意志で王様に仕える事を選んだんだろう。だから、オレだって、あの男の言葉に従うのをどうこういうつもりはない。それがリエムだと、オレは理解しているつもりだ。だけど、オレはそうじゃないんだよ。オレの主人はあの男じゃないし、オレにとって彼は王でもない」
オレが納得出来る人物じゃないときっぱり言い切ると、リエムは梃子でも動かなさそうなオレに疲れたのか、溜息を吐いた。
リエムの中で、オレはそれなりに素直な人物だったのだろう。押せばどうにかなると、情に訴えかければ簡単に協力を得られるとでも思っていたのだろう。実際、リエムひとりであるのならばオレは役にはたたなくても協力したはずだ。
オレ自身、自分でも頑な過ぎると思う態度だ。だけど、話せば話すほど、退く事は出来ない。したくないと思うのだ。どうしようもない。
だから。リエムがオレに求めつつも、オレを尊重してくれるのがわかっているからこそ。
こんなにも疲れるのだろう。
「疲れたな…。休んでもいいか?」
「……」
「昨日から色々詰め込まれて、オレはまだ知った全てを処理しきれているわけじゃないんだよ、リエム。また明日にしよう」
「…ああ、そうだな」
オレが出した二度目の休止願いは、先程とは違い控えめであったからか受け入れられた。
それでもまだ言いたい事があるようなリエムを、同じように「オヤスミ」と言外に退室を促し、オレは宣言通りベッドにもぐりこむ。
目を閉じた瞬間、走馬灯のように昨日からの出来事が脳裏を駆け巡ったが、拾う気にはなれなくて。
オレは闇を掴む為に更に沈んだ。
もしも、包み隠さずに。神子とともに飛ばされた来訪者だと、そう告白したら。
オレは一体どうなるのだろう。
2009.08.16