君を呼ぶ世界 94
ここはドコ。
オレは、誰。
どういうメカニズムで、睡眠時に夢を見るのか知らないが。
曲がり間違っても、願望から見たのではないと断言できる最悪なそれから目覚めたオレは、暫くベッドの中で唸っていたのだけれど。
瞼を通してもわかる部屋の明るさに観念して、身体を起こす。
しかし、それでもオレの口から零れたのは、朝には似つかわしくない溜息だ。ホント、ヤな夢を見たものだ。アレが予知夢だとか言ったら、オレはこの先を生きるのを放棄するぞ、コンチクショウ。
サツキとオレの立場が逆転していたのは兎も角。何故に、あのクソ王が出てくるのか。兵服だったからあの男の部下なのだろうヤツに、何故刺されなければならないのか。それに比べたら地味だけど、歯が抜け落ちるのも思い出したら鳥肌ものだ。
はっきり言って、認めたくはないけれど。オレは相当に参っているのか、ストレスが溜まりまくりなのか、恐怖と不安に慄いているのか。今朝の夢は、つまりはそういう事なのだろうかと思えば、それはそれで参る。
もしかしたら、巻き込まれた状況もさる事ながら、リエムの頼みを蹴った罪悪感が見せたのかもしれない。あの夢に理由をつけるのだとしたら、やはり精神衰弱が濃厚だ。これが神子ならば、もっと立派な夢を見て、予知の能力でも開花させるのだろうけど。
こんなところひとつとっても、オレは平凡な人間でしかないのだと。いや、それ以上に、ふざけた夢を見るアホなのだと。それこそ、リエムに今朝の夢を覗き見て貰い、神子捜索の役に立たないマヌケだと認識して欲しいくらいだ。
しかし、それを実行したところできっと。リエムが本気でオレの残り香の線から神子を辿る気でいるのならば、オレがどんな無能でも利用するのだろうし。逆に、無理強いをしたと慮る態度に出たのならば、オレの方が恐縮してしまうというものだ。
このままここにいる限り、ストレスは溜まる一方だろう。だけど、それはリエムだけのせいではない。リエムは真実を暴こうとしているのかもしれないが、オレが来訪者であるのは、オレの理由だ。来訪者にならざるを得なかったのは、オレをそんな異端にしたのは、神子召喚を行った王様だ。なのに、リエムがオレの弱り具合を知り傷つけたと反省するのは、ちょっと違う気がする。
嫌だと、無理だと、断るオレの言葉を聞かないのは、リエムだって反省するべきだけど。オレが何者であるかを知りたく思うのも、神子がどこに居るのか気に掛けるのも、リエムの正当な欲求だ。そして、あの王に仕えているが故に、自分が思う以上に踏み込むのも、リエムの義務みたいなものだ。
だから。リエムは、アレでいいのだ。
オレは、それを理解しても、協力しないけど。
それもまた、オレの権利だろうから、それでいいはずだ。
変な夢を見たけれど、オレは方針を変える気はないと。故に、もう気に病むなと。夢は夢だと、オレの気鬱を表しているものではないんだと、軽く頭を振って追いやり、オレは勢いをつけて寝具から足を抜く。
同じ夢を見るのならば、元の世界のそれを見たい。過去じゃなく、オレがいなくなった世界で、それでも知っている皆が元気に明るく暮らしている夢を見たい。忘れられていたら悲しいけれど、それでも知り合いの笑顔を見る事ができたら寝覚めはいいはずだ。
それでも、この世界の夢を見るのならば。もしも、またあの王様の夢を見るのならば。
「一発、殴ってやる」
声に出して、オレは軽く拳を繰り出す。
今度は、どんな変態奇人技で度肝を抜かれても、これをあの面白くない顔にめり込ませてやる。
仮にも王様。現実では難しいけれど、夢の中でならば殴り放題だ。倒してやる。
常日頃から脳裏に思い描いていれば、ホントに夢で見られるかもしれないぞ、と。まるで、エロい夢を見る中学生のような事を考えながら、オレは部屋の扉を開ける。
だが。
「……」
そこに広がっていた光景は、オレの想像とは反していた。
客間と聞いて、オレは勝手にホテルのようなものを思い浮かべていて、当然扉の向こうは廊下だと思い込んでいたのだけど。どうやら、違ったらしい。オレが寝ていたのは客間の中の寝室のようだ。
部屋から出ると、日本人には馴染みが薄い、洒落た居間が広がっていた。何がどうとは、オレにはわからないけれど、どれもが一級品だろうことは感じとれる。それくらいに、押し付けがましくはないが、テーブルも椅子も壁も暖炉も、何もかもが自分をきちんと主張している。足並みが揃っているといえばいいのか、抜け駆けするように何かが突出しているわけではないので、嫌味な部分がない、気持ちいい程の自然な豪華さだ。
さすが、王宮。凄いねぇ。高級品に興味はなくとも、へえ〜とそんな風に唸る部屋。だけど、実際にはそれ以上に。装飾品の品の良さよりもオレが思ったのは、広い!という事だ。想像以上の客間のようだ。
仮にも、王様に楯突き、一度は牢屋まで入ったオレに、こんな部屋を与えるとは。一体、何を考えているのか。
リエムが、丁寧に協力を請うてきたことを思えば。もしかしたら、丸一日眠りこけている間に、オレの立場は180度変わったのだろうか。脅しつけて正体を暴くなり、神子情報を引き出そうとするのを止めて、懐柔策をとるつもりなのだろうか。
でも、それがリエムなら兎も角。あの王様が、そんな面倒な事をするだろうか?
あまりにも、予想外な部屋を前に、オレは自分が入ってもいいのか躊躇ってしまい思わず後ろを振り返る。
昨夜は、シンプルないい部屋だという程度にしか思わなかったけれど。華美な居間を見た後では、この落ち着いた寝室もまた、洗練されたもので統一された感がひしひしと伝わってくるもので。
何でオレこんな所にいるんだ?と。今更ながらの疑問が浮かぶ。
王様に嬲られ意識を失った後で、一体何がどうなったのか。果たしてオレは、誰に助けられたのだろう。
それとも、王様がここにオレを放り込んだのだろうか。
「おはようございます。体調はいかがでしょう」
「あ……おはようございます」
物思いに耽りかけていたオレは、声を掛けられるまで誰かがいる事にさえ気付かずに居て。慌てて頭を下げる。
「よく寝かせて貰ったので、もう大丈夫です」
「それはようございました」
オープンキッチンのような場所から現れたのは、これぞ執事といった雰囲気の紳士だ。落ち着いた物腰に、柔和な表情。だけど、隙などないと思える威厳さも確かにある。王宮で働いているだけあり、エリート然とした人物だ。
その様子に若干物怖じしかけたオレに、男は言葉と仕草で着席を求めた。お座りくださいと言われたならば、座らせて頂くしかないというもので。細い脚にまで細かな彫刻が施された白い椅子に腰を下ろし、オレは数歩離れた場所で背筋を伸ばし見守ってくれている男を見上げる。
「えっと…」
「本日より貴方様のお世話を仰せ付かりました、ジフと申します」
「あ、…え?」
「こちらでの御用は全て、私に仰って下されば結構です。可能な限り、ご要望にお答えするよう賜っておりますので、何なりとお申し付け下さい」
但し、ここで過ごすには条件があるだとか何だとかの注意点を並べ始めた男を、オレは両掌を見せて制する。咄嗟に言葉が出ずにした事だが、素早くオレの心情を汲み取ったらしく、「いかが致しましたでしょうか」と会話の主導権を譲ってくれた。
けれど、突然の事で、オレは言葉を纏めきれなくて。
「ちょ…、ちょっと、待って下さいよ…。えっと、あの、どこから突っ込めばいいのかわかんないくらいなんだけど…そもそも、オレは、えっと、貴方のような方に仕えてもらうような身分じゃなくて、ですね。そりゃ、勝手にひとりで過ごす訳にはいかないから、世話をして貰わねばどうにもならないんでしょうけど、そこまで慇懃にされるのは、ちょっと…。そもそも、何でオレの方が上になっているんですか。普通は、お世話になるオレが頭を下げるものでしょう。って、もっと言えば、オレはそんなに、御用だなんだという程もここにいる気はないんですけど。今すぐ速攻で、世話になった礼を言って出て行く気でいるんですけど……まさか、無理だとか言います?」
「申し訳ございませんが、私は存じておりません。私は、こちらで貴方様をお世話する役目を与えられているだけです」
「誰が、そんな事を…。誰に、オレの世話を頼まれたんですか」
「私は、現国王に仕えさせて頂いております」
「…ここは、王様の部屋なんですか?」
「いえ、王の私室は別にあります。こちらは、王の私的な知人などを招く客間となっております」
「オレは別に、あの王様の友達でも知り合いでも何でもないんですけど」
「左様でございますか」
「そうです。だから世話をするだの何だのはおかしいかと。ジフさんだって、どこの誰かもわかんないヤツにそんな…嫌でしょう?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、私は王より直接言葉を頂きました故、こちらに来させて頂いている訳でございます。私をお気に召さないと仰るのでしたら、その旨を私が責任を持って王へとお伝えいたします。で
すので、変わりの者が来るまでは、どうぞお許し下さいませ」
「は?」
ちょっと待て、オレは何もそんな事はヒトコトも言っていないぞ。
ただ、傅かれてビビって、王様付きのエリート執事に自分の世話などさせるのは申し訳ないと、だからというわけではないが帰りたいんだと。ちょっと言っただけなのに、何故にそうなる。それで砕けてくれるのならまだしも、硬質さが増しているのはどうしてだ。深読みして言葉の裏を汲み取ったようなその言い草は、聞き様によっては慇懃無礼だ。
だが、あまりにもなそれに圧倒され、オレは言葉を詰まらせながらも、そうではないと否定する。貴方が嫌だとかなんだとかじゃなく、それ以前の問題だと。オレには現状が理解出来ないのだと訴えれば、ジフさんは至極簡単に仰ってくれた。
「王は貴方様がこちらに居られる事を望んでおります。私は、貴方様にそれを促し、留める役目を担っておりますが、それ以上のものは許可されておりません。ですが、こちらを守る衛兵達は、許可された者以外の出入りを容認する事はないでしょう」
「……」
つまり、オレはここから自由に出て行くことは出来ないというわけだ。出て行きかけた瞬間、兵に捕まるというわけだ。
どう考えてもそれはおかしいのに。誰も彼もが、王様第一かよ、クソ。
何だこれは。どこまで自分勝手なんだ、あのクソ王は!
「朝食を用意しても宜しいでしょうか」
「…お願いします」
今の遣り取りも、オレの渋面もないかのように、サラリと口にされた言葉に。オレは一瞬、だから…!と駆け上がってきた憤りを、なんとか意地だけで飲み込む。
……負けだ、負け。兎に角、負けた。
牢屋で兵士の次は、気心知れた友人リエム。っで、今度は、豪華な客間で懇切丁寧に。
強情者を懐柔させるにはどうすればいいのかの実験かこれは…!
そう、腹の中では対応の仕方がおかしい男を詰るけれど。それ以上に、オレはジフさんの背中を見ながら敗北感を味わう。
自慢じゃないが、一生かかっても勝てる気がしない。
それにしても。リエムといい、ジフさんといい。
そんなにも仕える意義が、あの王に本当にあると思っているのだろうか。
2009.08.26