君を呼ぶ世界 96
もしかしたら、オレは、苛立つよりも。
ただ、少し心細かったのかもしれない。
それなりに鍛えられているはずの兵士が、ただの一般人なオレを前にビクビクしているのはどういうことなのか。
確かに、オレは侍女の服を着て庭に蹲っていたのだから。あの時は恐怖心があったのだとしても、それは不思議ではない。だが、今は普通の服を着ているし、オレが怯えこそすれ兵士が怖がる要素はないはずだ。
だったら、この男のこれは、所謂ドン引きというやつか。あの時の女装男に遭遇してしまった恐怖か。そんな奴が客室を与えられている事実に、この世の奇怪を見たのか。
――なんて、ちょっと思ったオレだけど。
そういう風にはとても見えない。オレを変人認定しているのならば、少しくらいは嫌悪があるものだろうに、ハム公にはそれが全くない。
何て言うか、兵士に有るまじきものだけど。その様子は、まるでただの小心者であるかのようだ。
「…えっと、じゃ、まあ、取りあえず。まずは、謝らせて下さい」
お茶に誘うのを失敗したオレは、だったら自分が行かねばと、そう言いながら立ち上がったのだけど。オレの行動が理解できないかのように、「え? あ?」と声を零したハム公が、オレから逃げようとでもいうのか足を引き壁に張り付いた。
驚愕な表情で壁を背負う太った兵士という、その妙な画に笑ってしまいそうになるのを我慢し、オレは頭を下げる。先日の愚考を挽回するべく、丁寧に。けれど、正直に言えば半分以上、ビクツクこの青年をからかうつもりでだ。
「とても心配してくれたのに、あの時、あの場から離れてしまいスミマセンでした」
「い、いえ!そ、そんな事は…!」
「失礼なオレを、許して下さるのですか?」
オレの確認に、今度はコクコクと大きく頷く。何度か壁に頭が当たり鈍い音を立てるが、ハム公は気付いていないようだ。
「では、その証として、お茶の席にお招きしたいのですが、お受け下さいますか?」
にこりと笑い首を傾げるオレとは違い、難題を突きつけられたかのように相手は泣きそうな顔をした。
困っている様子に気付きながらも、オレは「さあ、どうぞ」と、先程自分がついていたテーブルを片手で示し促す。気分はもう、ジフさんだ。この小動物を逃がしてなるものかとの闘志が燃える。
折り紙よりも断然、ハム公に話し相手になって貰った方がストレス発散になるだろう。負けてやるつもりはない。
「あ、あの、僕…じゃない……私は、その、」
「貴方の仕事は、オレの監視ですよね?」
「えッ…?」
「でしたら、そんな部屋の隅で居るよりも、オレの目の前で居る方が何かと都合がいいでしょう。逃げようとすれば、直ぐに捕まえられる距離ですよ」
「…………逃げるの、ですか…?」
「まさか、例えばの話です。オレはこの部屋から出られなくて退屈しているんですよ。こうして折角、顔を知る方と会えたのですから、少しお相手して欲しいんです。勿論、あの時の詫びも兼ねてですので、どうしてもこの席につくのが職務を逸脱する行為であると言うのであれば、無理強いまではしません。けれど、その場合は貴方の所定の場所の隣へ、オレが移動しますからね」
「……」
「さて、どうしましょうか?」
立ったまま話をするか、互いに椅子へと腰を掛けるか。
どちらにしろ、オレはアンタに相手をさせるぞとの本心を隠さずに、オレは、「で、出来ません」「私には、許されていません」など遠慮気味に抵抗するそれを無視して畳み掛ける。聞くものによっては、無茶な事を言っているのは一目瞭然だが、幸いな事にオレの勢いに気圧されているのか、ハム公はそれに気付かずにオロオロする。どこかに逃げ道を探すように。
だが、逃げ道なんてないのだ。控えの間にも庭にも兵は居るのだろうけど、この居間には二人きりなのだ。そして、相手が虚勢さえ張れていない気弱そうなこの兵士となれば、オレは手を緩める気はない。
と、言うわけで。
攻防と言うにはお粗末なそれを制したのは、案の定オレで。
先程よりも草臥れたような様子に、先程以上の緊張と不安を含んだ顔で、ハム公はオレと同じテーブルについた。若干怯えているように曲げられた背中が、オレが言うのもなんだが、哀れだ。オレの相手をするのが嫌だと言うわけではなく、この状態が居心地悪いのだろう。
だけど、悪いがそれは我慢して貰う事にする。オレだって、この面白くない軟禁生活に甘んじているのだから。
オレにそんな仕打ちを行なっているのは、この国の王様だ。その王様に従っているのだから、ただの一兵卒でも多少の関わりはあると言うもの。オレのストレス発散の的になってしまったこの青年には同情の余地はあるが、恨むのならばここに己を配置した、上司か何かにして欲しい。オレのせいではないのだから。
だって、さ。
この窮屈な中に、弄り甲斐のありそうな小動物がやってきたら、誰だって遊ぶだろう。遊ばないような奴は、そもそも軟禁されていても堪えていない筈だ。
少なくともオレはこの存在を無視する事は出来ないと。改めて思い直しても、ホントにハムスターっぽいよなと思いながら、オレは机を挟んで真正面に座る青年に笑い掛ける。
「ハムスターに似ているって言われた事ないですか?」
「…え? ハ、ハム…?」
「知らない? ハムスターって、このくらいのネズミみたいな小さな動物なんだけど…?」
指二本で大きさを示して窺うオレに、青年は困ったように更に眉尻を下げ小さく頭を振った。この世界に、ハムスターは居ないのかもしれない、残念だ。あの生き物を知らなければ、この兵士の癒し度は半減だろう。
「あ、あの、貴方様は、その、ハム…」
「ハムスター」
「あ、はい。ハムスタァが、好きなのですか?」
「まあ、嫌いじゃないよ」
飼った事はないけれど、ネズミの仲間とは言えペットとして広まっているものだし、嫌悪する理由は皆無。凶暴なわけでもないし、片手で握りつぶせそうだし、怯える理由も全くない。大好きかと言われれば、そんな意識をした事がない手前、別段そうでもないと言うけれど。好み程度の話ならば、普通に肯定すると言うものだ。
だから、ただ何の意識もせずにそう言ったのだけど。
何故かオレのその答えに、ハム公くんは小さいながらも満面なと言えそうな、愛らしい笑みを丸顔に浮かべた。
……う〜ん、こいつのツボが全くわからない。
「それは、何ですか」
「え…? ……ああ、カエル、ですけど?」
「は、初めて見ました」
「はあ!? カエルも居ないのかよっ!」
ハムスターを嫌いではないと言っただけで、どうしてだか少し緊張を緩めた青年。何なんだと不思議に思っているところに、意外にも気弱そうな彼から話題を振ってきて、テーブルの上で転がったオレの作品にそんな感想を述べた。
思わず、ちょっと済まして丁寧に接していたのも忘れ、盛大に突っ込んでしまうオレ。カエルも居ないだなんて、どんな世界だと言うのか、ありえない。虎やハムスターが居ないのはわかるのだ。彼奴らは住む環境を選ぶ生き物だから、この国に居なくても不思議ではない。でも、カエルは居るべきだろう、カエルは。
「何だよ、この国。地震でも来るってか!?」
まだそんなに暮らしたわけではなく、この国の気候を把握しているわけではないけれど。感じ的には日本と似たり寄ったりであると認識していたのに、違うのか? カエルまで居ないだなんて、もしかして。今まで気付かなかったけれど、この世界の生き物はオレの知らないものばかりとか…?
普通に、鳥だ羊だと認識して食っていたアレらは、もしかしてオレの想像しているものとは違うのかもと。嫌な予感に顔を歪めるオレの前で、先程の喜びが幻であったかのように、ハム公が怯えて顔を引きつらせている。
引きつらせたいのは、オレの方だよ…。
「あ、あの! ち、違いますから…!」
「…何が?」
「カ、カエルは、知っています! 僕が、い、言いたかったのは、そ、それの事です…!」
「……どういう事?」
「あの、その、そんな風に、便箋を折って、カ、カエルみたいにするの、は、初めて見ました! だ、だから…!」
「……ああ、そういう事か…」
「は、はい。だから、スゴイと思って、それで…!」
「……大きな声を出してスミマセンでした。だから、ちょっと落ち着いて?」
ちゃんと息を吸ってくれよと、酸欠で倒れるんじゃないかと不安になるくらいに必死で弁解するハム公に、オレは掌を見せどうどうと馬を落ち着かせるような仕草を向ける。
誤解とは言え、カエルも驚いたけど。ただのこの手慰みの遊びに大きな反応をされるのも驚きだ。たかが折り紙だぞ? そういや、リエムも少し驚いていたけど、アレはお守りの方に興味が行っていたように思う。ここまでじゃない。
「折り紙、知らない?」
「おりがみ、ですか…?」
「そう、ただ紙を折って、いろいろ作る遊びだけど。子供の頃やらなかった?」
「や、やっていません」
「本当はこういう便箋みたいなものじゃなく、真四角でそれ専用の色がついた紙で遊ぶんだけど……そういうのは無いのかな?」
「ぼ、僕は、知りません…」
そう答えるハム公の声が尻すぼみになる。きっと、自分が無知だとでも思っているのだろう。だけど、よく考えれば、それなりに紙は高価であるのだから、子供の遊びには使わないのかもしれない。
それでも、折り紙は無くとも、王都に居れば紙自体はそれなりに身近だろう。メモ帳だって、便箋だって、本だって、紙は紙だ。街で簡単に買える。
「じゃ、紙飛行機とかも知らないとか?」
「ヒコウキ…?」
不思議な単語だったのだろう。妙なアクセントでハム公がその言葉を紡いだのを聞いた瞬間、紙以前の問題だとオレは気付き、誤魔化すように苦笑する。飛行機どころか気球だって、この世界にはないのだろう。
「さて、上手く飛ぶかな…」
説明するよりも実践だと。数回折るだけの、簡単紙飛行機を作って、オレは手首のスナップを効かせてそれを空中へと放つ。
椅子に座った状態であったけど、部屋の中である分邪魔な風はなく、小さなそれはスッと勢いのまま上がり、ゆっくりと旋回しながら部屋の隅へと落ちていった。
飛翔時間は、たったの数秒であったけど。
視界の隅で捕らえた彼の顔は、驚きに見開いた目に確かな興奮を乗せたものだった。
素直なそれに、ふと気付く。
オレが思う以上に、この兵士は子供であるのかもしれない。
2009.09.03