君を呼ぶ世界 97


 思いがけずも、癒された。

 カモがネギを背負ってやってきたのか、はたまた、飛んで火にいる夏の虫であるのか。
 兎に角、相手は可哀相なのかもしれないが、癒しキャラに認定してもいいような奴をそう簡単に手放せるほども、オレは現状にストレスを感じていないわけではないので。興味以上にただのとばっちりを向けているに過ぎないとわかりつつも、ハム公を解放する事は出来なかった。
 幼稚園児でも折れるような紙飛行機に食いついてくれたのをいい事に、オレは勤務中の兵士を拘束し、久し振りに純粋に、同年代の男との他愛ない遣り取りを楽しんだ。
 ハム公は、相変わらず緊張が抜けていないようだったけれど、それでも、一生懸命オレに応えてくれて。オレの方も、ジフさんモードを早々に解除して、喋るごとに口調を緩いものへと変え、それを解す事に努めて。その互いの努力の結果、ジフさんが戻ってくるまでに、かなり打ち解ける事が出来た。
 色々突っ込んで話を聞けるほども、オレもハム公も柵がないわけではないので、当り障りのない程度の情報しか得られなかったが。やはりそれなりに偉いのか、王城担当の衛兵であるハム公は、けれども全然それらしい威厳はなかった。女装していたオレにビビっていたわけではなく、元から気弱な性格のようで、「ぼ、僕はあまり、兵士らしくないんだけど…」と、ここで働いているのかとのオレの問いに頷いた彼のそれは、姿形は全く違うのに、旅の途中で出会った美少年を思い起こさせるものだった。身体に纏う肉同様、はちきれんばかりの純粋さが幼子のようなのだ。
 人より大きな軍服が目に入らないわけではないけれど、ハム公の場合、彼自身のそういうところばかりが目立っていて、オレはついつい目の前に居るのが何者であるのか忘れそうになったけれど。失礼にも、兵士なんて務まっているのか?大丈夫か?と心配さえ覚えたけれど。驚くべき事に、ハム公はここで働き始めてもう二年近くになるらしい。
 それが、兵士として優秀であるからこその王城勤めなのか、無能であるからこそエリート集団へ放り込んでいるのか、兵士とは違った意味での何かに期待されてのことなのか。オレには全くわからないけれど、ハム公が王城勤めである事は嬉しい話だった。
 もっと仲良くなれば、ここの様子を聞き出せるようになるかもしれないと。そんな打算が働いたのは致し方ないことだろう。またこの部屋の護衛をする事があるのかと問えば、何の疑いもなく純粋にその可能性は大きいといったような答えを返してくるのだから、「じゃ、良かったら、さ。今度、この王城の事や国の事を教えてくれないかな? オレ、田舎者だからあまり知らないんだよ。折角王宮見学に来たのに、何故かこんな事になっているしさ」と迷惑を顧みずに頼んだのもまた、仕方がない事だろう。
 はっきり言って。ハム公にとってみれば、見張らなければならない相手と和むのは、兵士としてどうかと言うものだろう。いがみ合う事はないが、対象者と必要以上に仲良くするのは何かと面倒であるはずだ。何より、主である王様の友達だとか何だとか言うのならば兎も角、オレはこの国にとっても要注意人物であろう立場の者なのだ。そんなオレに、懐くなんて絶対NGだろう。そんな事、オレにだってわかる。
 だが、ハム公はもう救い様がないくらいに素直に、「ぼ、僕でよければ、お話しします」とはにかんだりしたのだ。白い頬を軽く染めて。
 それに対して、若干、罪悪感が浮かんだのは嘘ではない。だが、オレだって、別にこんな所で病原体のように隔離されていなければ、こういう痛みは覚えないのだろうから。この罪悪感はオレのせいじゃないさと、あえて無視して、よろしくとお願いしたのだけれど。
 ジフさんが戻ってきた時、当然のようにハム公が所定の位置に居なかったからか別な兵士が居間まで来てしまい。只今戻りましたとのジフさんの声に顔を向け、その後ろにこれぞ兵隊さんだという無表情の男が立っているのを見た時、…しまった!と内心で焦ったのも多分ハム公を都合良く扱った後ろめたさがオレにあったからだろう。
 オレ自身は、そこまで意識しているわけじゃなく、ただ他人に餓えていて、接した癒しに貪欲になってしまっただけの事なのだけど。実際には、オレが絡んだらハム公が困るんだろうなという事がわかっていて接触を取ったのだから、多分そこまで考えていなかっただろうハム公を利用したのに違いない指摘されても仕方がないことでもあるなのだ。
 だから、まるでドナドナの子牛のように連れられていく幅の広い背中を見て、悪かった!と胸中で謝罪したのはそういった後味の悪さ故だ。ただの折り紙で尊敬の眼差しを向けてくれて調子に乗ってしまったと、久々に気負いもなく喋れてテンションが上がってしまったんだと、部屋の向こうに消えたハム公を見て漸く、オレは自分の軽はずみな行為を知る。
 本来ならば、これは咎められるものでも、罪悪を覚えるようなものでもない。けれど、居間のオレは囚人みたいなものなのだ。それを望んだのは自分ではないけれど、その立場をわかっているのならば、考えなしな事をするものではない。
 まずった…と。どうしよう、と。
 つい落としたオレの溜息に、意外にもジフさんが反応をした。オレの感情など無視すると思ったのに。むしろ、何を兵士を捕まえて遊んでいるんだと、顔には出さずとも胸中で呆れかえっているだろうと思ったのに。項垂れたオレに、「レミィ殿はあまり初対面の方と打ち解けあうのが得意ではないのですが、とても仲良くなられたようですね」と、ジフさんはサラリとした声音ながらも優しさを滲ませてそう言ってきたのだ。もう、ビックリだ。
 今までの笑顔はやはり嘘でしたな…と言ってやりたくなるほど、本物のそれは全く違うもので。実際にはその表情はいつもの無表情に近いのだけれど、滲みだしているそれは何ですか?というものだ。その孫を慈しんでいるようなオーラが逆に怖いです…と。驚きすぎて、茫然自失になり掛け、目を見開くばかりのオレに、「何を話されていたのですか」と言葉を重ねてくれる全てが、今までと違う。豹変だ。
 ちなみに、レミィとはハム公の事だ。彼には体格に似合わない、けれどもその性格には似合うのかもしれない可愛らしい感じの名前がついている。太っているとは言え容姿は悪くはなく、何より金髪碧眼のぽややん系で、レミィ。ハムスターにしては豪華すぎるくらいの名前だ。
 さらに、ちなみを続ければ。オレもきちんと名前を名乗ったのだけど。ハム公は一度として呼んではくれなかった。貴方様と、一体何処の誰だと呆れるような呼び方を徹底した。故に、折角可愛い名前を知ったけれど、オレは心の中で「ハム公」と呼ぶのを止めてやっていないのだったりする。変な意地で、渾名は継続中だ。
 しかし。
 それにしても、ジフさん。
 もしかして、これは、アレですか。傍に仕えるものとして、対象者であるオレを調査しているのでしょうか…?
 それは、その為の笑顔ですよね? 懐柔作戦みたいなものですよね…?
「えっと…いや、特には、別に…」
 この三日傍にいて、少しはこの執事様の人となりを知ったが、オレに興味をもつ人物ではない。それでも、留守中の情報を得ようとするのはそういうわけだと、別に子供同士が友達になったのを微笑ましく見ている近所のじーさんではないと、オレは驚きをそんな理由で押さえ込み、なんと口を開くけれど。とっさに思い浮かぶ言葉がない。はっきり言って、ハム公との会話は他愛なさ過ぎることばかりで、教えられるものがない。
「それで…あの、彼は大丈夫ですよね?」
 なので、質問に対する答えではないけれど、オレは心配事を先に処理しようと問い返す。
「オレが退屈で無理やり話し相手にさせたのであって、彼が悪いわけではないんです。…もし、怒られるのだとしたら…申し訳なさ過ぎます」
 謝らなければと、ちらりと護衛が待機する隣のホールへの入口へ視線を走らせながら言えば。ジフさんはあっさりと、「大丈夫でしょう」と言った。言い切った。
 いや、しかし……本当か?
 だって、迎えに来た衛兵さん、明らかに不満顔だったぞ。お前は一体何を油売っとんじゃ!な目つきだったけど、ホントにハム公平気なのか? 怒られたら、泣くんじゃないか?
 ふと思いついたハム公の泣き顔に、オレの心配は一気に駆け上がって、ジフさんの言葉を信じられず焦ったのだけど。耳を澄ませても、待機場からの小言は聞こえなかったし、聞こえたところで首を突っ込むわけにも行かないのだろうしで。「それならいいのですが…」と、オレは情けなくも執事様の言葉に縋る形でスゴスゴ引き下がるしかなかった。
 そして、やはりジフさんはオレの感情を気にする事はせず、さり気なく言葉を変えてハム公との遣り取りを探ってくる。
 何で知りたいんだかと、こんな事も仕事なのかと呆れながらも、オレも黙っているよりは気が紛れるので、彼の留守中にあった事を語って聞かせてみた。と、言っても。ホント、話して聞かせるようなことはないのだけれど。
「これがその、折り紙ですか?」
「ああ、うん、そうだけど…ジフさんも知らない? 子供の頃遊びませんでした?」
 どんな幼少期であったのかは知らないが、ただ単にハム公はこうした遊びを知らないんだと、普通にそう思っていたのだけれど。紙飛行機を手にするジフさんの様子に、この人もまたお初であるらしいと悟る。ということは、この国には折り紙遊びは全くないというわけだ。王都生活では紙は溢れているけれど、やはり遊びに回せるほども充分なわけでもないらしい。
 そう考え、オレは、まァ紙は貴重ですからね、子供の遊びにはね…と、適当に誤魔化しに掛かったのだけれど。
 流してくれればいいのに、ジフさんはその言葉を聞きとめ、どういう意味でしょうかと問うてきた。
 故に、仕方なく、オレは得たもので組み合わせた持論を披露したのだけれど。
「田舎で紙が高値なのは、それを必要としない者が多いからです。紙が希少なのではなく、需要が低いのが問題なのでしょう」
「はい?」
「確かに、大きな都から離れた地域へは運送費が掛かるので物資は全体的に高くなります。ですが、それ以外に、売れる量が値段に関わってきます」
「ああ、つまり。簡単に言えば、運賃を掛けて運んでも、ちょっとしか売れないのならば儲けが少ない。それでは手間や時間を掛けているのに割が合わない。だから、田舎での商売を成り立たせる為には、口銭率が上げねばやっていられないというわけですね?」
「そうです。そうでなければ、辺境の地へ商売をしに行っても損になりますから」
「まあ、言われてみればそうですよね。だから、田舎では紙が高いというわけか…。識字率が低い場所では、紙を必要とする人が少なく、故に商売人は売れない商品を持っては行かないので希少となり、必要な時は高い値で買うしかないと」
「食物ならば急には無理でしょうが、紙ならば、需要が増えれば供給は安定するでしょう。ですが、それはとても難しい事です。田舎で紙を得るのならば、馴染みの商人に直接注文するのが一番安価に手に入れられるでしょう」
「それならば、街からの運搬費程度を加算されるだけになるんだ?」
「馴染みであるのならば、相手も通常の商売のついでだと割り切るでしょうから、もう少し安く入手出来るのかもしれません」
「手間賃のみか、なるほど」
 ひとつ勉強になったと、教えてくれたジフさんに礼を述べながらオレは思う。そういうルートがあるのかどうかわからないけれど、あの爺さんの村でも案外簡単に紙が手に入るのならば、手紙を遣り取り出来たりするだろうかと。
 落ち着いたら手紙を書こうと、王都でならばあの村辺りを通って何処かへ行く人も居るだろうし、託けられる人を探せられるだろうと考えていたけれど。実際には日々の事で一杯いっぱいで、実行には移せていなかった。だけど、自分の報告ばかりではなく、爺さんからも手紙を貰えるのならば、直ぐにでも書きしたためたいくらいだ。まだ、オレは上手く、この国の文字を書けないのだけれど、色々と相談したい事がある。
 だけど、何より。それをするには、まずここからでる事だよなと、オレはジフさんに見付からないようこっそり深い息を吐く。
 囚人扱いのオレが、手紙など、書けても出せるわけがない。

 爺さんを思い出したからか。ハム公で上昇した気分が、若干下がる。
 王都へ来たのは、果たして正しかったのだろうか。


2009.09.07
96 君を呼ぶ世界 98