君を呼ぶ世界 98
王都へ来た事がどうであるのかは兎も角。
今こうして待ちぼうけをくっているのは、間違いなく、正しくない。
手持ち無沙汰で始めた折り紙だけど、集中しても思考は必要ないので、散漫なのは相変わらず。色んな事を考えては、ウダウダしてしまう。忙しいのも好きではないが、時間があるというのも考え物だ。
その中でふと思い出したので、ジフさんにダメ元で聞いてみた。
王様は、街に視察に行ったのかと。
オレとしては、扱いは丁寧でも捕らわれの身である奴に、大事な王の行動を報告する義務はないと相手にされないのだろう予想はしていたのだけど。それでも、まあ、なんというか。仲が良くなったというのとも、気心が知れたというのとも違うが、それなりにお互い相手の事を知り、距離の取り方も覚えてきたので。思い出したそれを、ただ単に、オレは左程意識せずに口に乗せたのだ。存じませんと、あっさり流されるのがわかりながらも、ただ言うだけならば問題ないだろうと聞いてみただけなのだ、本当に。
決して、何らかの思惑があったわけではない。まして、王様の執務に関心を持ったわけではない。
あえて言うなれば。あの雨風の様子では、嵐の被害は例年のように出ていないとのリエムの見解は間違いではないだろうけど。それでも、この街の建物がどれくらい頑丈であるかオレは知らないし、もしかしたら、離れた地域に直撃していたのかもしれないし、小さな被害は多発していたのかもしれないしで。予定通りならば視察が入ると言っていた客の言葉を思い出して、その予定は実行されたのかどうかで被害状況を知れるなと思ったのだ。オレの知り合い達は皆無事だったのか、あまりにも散々な自分の状況に考える余裕はなかったけれど、ここにきて暇を持て余す羽目になり気になり始めたのだ。
だから、あの暴君は街へ降りたのかと聞いてみた。しかし、実際にはそこに、オレは別な期待を込めていたのだろう。
予定通りの執務をこなしているから、オレのところへは来ないのだと。放置している理由は忙しいからだとの確証を得たかったのだろう。
会いたくはないが、放って置かれるとオレは無為に日々を過ごす羽目になる。だけど、あれでも一応国のトップなのだから、仕事ならば仕方がないと思ってやろう。そんな事を思い、オレは溢れ出しそうになる憤りを押さえていたのだろう。
だが。
「王の執務内容を私は把握しておりませんが、視察が予定されていたのでしたらその通り行なわれたのでしょう。この数日のうちは予定が変更するような火急な事態が起こったとは耳にしておりません」
「…ああ、そうなんだ。じゃあ、嵐の被害が出たりとか、なかったのかな…?」
オレは、店の客に王様が視察に来ることを聞いたのだが、その時その客は、嵐の被害によっては来ないかもしれないとも言っていたからと。まるで言い訳のような言葉を並べながら、だんだんと腹の中に嫌な重さが溜まっていくのに気付く。
正直言って、何だそれは!だ。仕事は確かに大事だ。予定は、王様なんだからこなさねばならない。だけど、オイ。ひとりの人間をこうして捕まえておいて、自分は通常通りかよ! 緊急事態とまで大事にしろとはいわないが、オレは取るに足らないことなのかよ!? あれだけ騒いでおいて、何だそれは!!
運良く嵐の被害がなかったのだから、その余裕をオレに回せって言うものだ。いつまで捕らえておくつもりだ。オレにだって仕事があるんだぞ、コンチクショウ!!
「それで、如何でしたか。王とお会いになられた感想は」
「えっ、いや、如何も何も…」
どこまでも横暴な奴だと歯軋りしているオレに、ジフさんが嫌がらせのような問い掛けをしてきた。そりゃ、オレが王を見てみたいと以前から言っていたので、内緒だけどと客に視察情報を貰ったのだと正直に話はしたが。
今、この部屋に閉じ込められているオレにそれを聞きますか!?だ。
これは、トラップか? 最悪だったと正直に言った瞬間、罰せられるとか?
いい印象を抱いているはずがない事を察しつつもシラッと訊いてくるジフさんを見返し、オレは喉の奥で唸る。
「気付いたら、敵対していたというか、捕まったというか…ま、そんな感じだったので。感想も何も…」
「少なくとも、良い印象は持たれなかったようですね」
「そりゃ、…捕まっていますからね」
溜息交じりに吐いたそれに対し、ジフさんが返してきたのは沈黙だった。まだオレに言葉を紡がせたいかのように、無言で促してくる。
仕方がないので、何を言えばいいのか考え、オレはゆっくり口を開く。
「……でも、振り返ってみれば、それもまた一理はあったのかと思います。王の行動全てに。オレにはオレの言い分があるけれど、王には王のそれがあるのだろうし…。何より、オレは確かに王の良いところはひとつも見つけられていませんけれど、無いわけではないというのはわかっています。街で暮らしていると王の人気振りが窺えますし、ここへ来て多くの人が仕えているのを見て、その甲斐のある人物なんだろうと思う事が出来ます。ですが、オレにとってはそれはまだ予想の範囲内でしかなく、オレ自身が本当にわかっているわけではありません。オレの知らないところに良い面はあるのだろうけど、オレはそれを今はまだ見つけられていないから、彼をどう捉えていいのか……とても難しいです」
言っておくが、オレが根性無しなのではない。確かに、腹の中では、「それでもあの最悪な一面もあの男のものであるのだから、王様としてどうなんだ!ダメだろ!日本の総理大臣なら退任もんだぞ!」と罵倒したい気持ちはある。だが、今は無難な答えしか出来ないというものだ。
ジフさんにとっては、アレでも王で。それはリエムときっと同じような信念を持ってのものだろうから。何もない、ただ嫌いだと思うだけのオレが否定していい話ではない。しかし、気持ちとしては、そんな事を慮ってやるほども、リエムと違いジフさんに対し持つべき義理も義務もない。出来るならば、心底から「あの男は最低なんだ!」とトクトクと言い含めたいくらいだ。
けれど、ここは、王城の。客室という名の牢獄。
流石のオレだって、一瞬で駆けつける複数の兵士を隣にしてまで、愚かな事をする気はない。理性があるうちは、喧嘩なんて売りたくもない。打ってもバカを見るだけなのだから。まして、目の前にいるのは、ただの執事だ。他に言える事はない。
それでも。
オレにだって襟持ちくらいはあり、邪魔でしかないのだろうそれを捨て去る事も出来なくて。表面上は殊勝に、大人な対応というか、優等生回答というか、当り障りの無い言葉で纏め上げつつも。本気でホントにそう思っているわけじゃないから、オレは王様の事はいけ好かない野郎以外に思っていないからという本心を隠しはしなかった。
それは、ジフさんならオレが無言で訴えるそれに気付き、この話題を治めてくれるだろうと思ったからだ。
けれど。あの男を否定できる環境にオレはいないのだから、話題にしてくれるなよとのオレの願いはちゃんと届いたはずなのに。
ジフさんはいつもの辛辣なほどの無感動さで、オレの期待を跳ね返し、当然のように話を続け、意外な言葉を口にした。
「完璧な人間など居ないものです。人間、誰もが間違うものです。王であっても然り」
「……それは、王のオレへの対処が間違っていると?」
まさか、職務として完璧に主君崇拝しているようなジフさんから、そんな人間くさい感情が篭った感想を聞くとは思わず。また、慰めてくれるのかのようなそれに、オレの扱い方を変えるつもりかとの驚きで。
オレは間抜けにも、ジフさんの言葉をオレへの同情だと解釈してしまった。それで、理解者がこんな所に!と喜んで終わっておけばいいのに、あまりの事で確認をしてしまった。
全く、逆であるというのに。
「現王もまた、完璧ではありません。ですが、王としての立場を踏み外した事はございません」
「……王様なら、間違ったらダメでしょう」
「今はそうでも、結果が変われば、間違いであった事もまた変わります」
「正しくなると…?」
「貴方様が、本当に王を理解する気持ちがあるのでしたら」
「……」
何が言いたいんだと、自分の想像とは噛み合わない会話を進めて、漸く気付く。
つまり、先の発言は。貴方は悪くはないと、オレの見方をしているのではなく。
王様だって間違う事があるさ、人間だもの。だから、許してやってね!――というやつなのだ。バカらしい。
最早、ジフさんが変わるというのが、オレの王に対する好感か、それとも王のオレへの対処の是非か、何を指しているのかわからないが。脱力を覚えて追求する気にもならない。
理解だなんて、何をそうしろというのか。あの男の言動か? それとも状況か? 王様という地位や立場をか?
オレの気持ち次第だなんて、まるでオレが悪いみたいじゃないか…!
「……そうであったとしても、間違いは間違いだとして、あの男は反省するべきだ」
オレが今、こうして閉じ込められているのをどう思っているのかと。よくそんな事が言えるなと。聞きたくなかった事を聞かされて、箍が外れかけたオレはそう捨て台詞のように掃き出しその場を後にした。衛兵やジフさんの視線から逃れる為には、ベッドルームへ行くしかない。
一人になった安堵に息をつきかけ、こうでなければ息もつけないのかと思うと遣る瀬無くて。
オレは頭を抱えるようにしてベッドに座る。心の中で叫ぶ。
神でも、悪魔でも、誰でも良い。それこそ、あの気に食わない王様だっていいのだ。オレの願いを叶えてくれるのならば、頭くらい下げる。ジフさんが懐柔するかのように、ここに来て踏み込んできた不快さも飲み込んでやる。
だから。
だから、誰か。オレを戻してくれ。
心底望む、元の世界へとは言わない。そこまでは望まないから、数日前の日々に戻して欲しい。両親の下ではなく、あの賑やかな食堂で構わない。高望みはしないから、頼む…!
応えてくれる者など居ないとわかりつつも呼びかけるそれは、片割れへのそれとは間逆だ。頭の芯が痛くなり、息苦しさばかりが圧し掛かってくる。神頼みする自分が情けなくて。けれどそれしか手立てがない自分が哀れで。気を抜けば涙さえ出てきそうだ。
あの執事は、おかしな事を言ったわけではないのに、こんなに動揺するなんて。
ベッドに寝転がり、意外に高い天井を睨み、片腕でオレは視界を防いだ。
居間のテーブルに放ってきた作りかけの箱さえも虚しく、頭から追い出す。
腐りかけている。
このままではいつか本当に腐りきり、ドロドロに溶けてしまいそうだ。
まだ、たった五日なのに。この部屋に閉じ込められているだけなのに。この世界に飛ばされた時よりも参っている。
どうしようも出来ないそれに鬱屈を溜めながら、オレはそのまま眠りについた。リエムはまた来なかったなと思ったのは、だるさが抜けきらないままに起きた翌日だ。
あのまま寝室に閉じ篭って眠ってしまった手前、少し気まずい思いで起きたオレを、ジフさんはいつも通り迎え朝食の用意をしてくれたけれど。オレとしては、それさえも居心地が悪い。
だから、朝食後。
いま護衛をしているのはハム公だと聞き、お呼び致しましょうかとオレに気を使って提案してくれたのだろうジフさんの言葉を遮る勢いで立ち上がり、「ちょっと行ってきます!」と宣言して駆け出したのは、渡りに船でもあったからだ。
だが、確かにそれ以上に。あの癒し系な青年に、癒されたかった。和みたかった。
しかし。
世の中、上手くはいかないものだ。
「レミィ…!」
居間と護衛の待機場所の間にはドアが無く、オレは掛けた勢いのままひょいっと顔を伸ばし、半身を踏み入れる。だが、あと半歩が、続かなかった。
癒しハムの前に、強敵が居た。
黒髪の、あの虐めっ子が。
2009.09.10