君を呼ぶ世界 99
オレの運はドコへ行ったのか。
頼むから、帰って来てくれ…!
ハム公を隠すかのように、その手前に立っていたのはラナックさまさまだった。
お久し振りです、なんだけど。全くもって嬉しくない人物だ。出来る事ならば、避け続けたかった相手だ。きっと相手も、オレに会いたくなどなかっただろう。
何故、ここに!?
そう驚いたのは、お互いで。驚きに固まったオレと同様、きっちり軍服を着ている男もまた、オレの姿に目を見開き動きを止めた。
「……」
「…………オイ」
よって、不本意だが暫し見詰め合うようになってしまったオレ達なのだが。ラナックが騎士なら王城に居るのは当然なので。どちらかと言えば、互いに共通する「どうしてここにいるんだ!?」な疑問は、オレの方が早く謎が解けるというものであるにも関わらず。
さすが、騎士サマだと言ったところか。驚愕から戻るのはオレよりもラナックの方が早かった。
「何をしているんだ、お前」
「…いや、ナニって……」
相変わらず威圧感丸出しなそれに、思わず言葉が詰まる。その格好からか、桔梗亭で会う時以上に敵意を感じるし。何より、仕事の邪魔をしにきた自覚ありな手前、弱腰になってしまうのは当然だろう。
うっと怯んだオレに何を思ったのか、ラナックは舌打ちを落とすと数歩オレに近付き、固まり続けるオレの前で仁王立ちをした。腕を組み、少し顎を突き上げ頭を傾けたその態度はまさにチンピラだ。ガラが悪すぎる。
もしかして、このまま殺されるんじゃないだろうかと。バカみたいだけれど、一瞬本気で腹の底に冷たいものを感じて身体を震わせるオレ。桔梗亭ならば沢山あった逃げ場も、ここでは何処にもなく。オレと同じように、周囲もこの男の陰険さを理解しているという安心感もなく。あるのは、未だにオレ以上に驚愕の中に包まれているのか動かぬハムスターもどきの兵士のみだ。壁を隔てたあちらこちらにいるのは、この男を騎士としてとりなしたあの暴君に忠誠を誓う者達だ。
全くもって、勝ち目はない。逃げ場もない。だったら、マジでオレはここで終わるのかも…。
「リエムに無理でも言って取り立てて貰ったか。身の程知らずだな、田舎者が」
「…………、え…?」
「少しばかり働けていたからといって、調子に乗るなよ。いつヘマをして追い出されるのか、見ものだな」
「……はい?」
「だが、その時はもう、あの店に戻れるなどと思うなよ。二度と扉を潜るな。自分の田舎に泣き帰るんだな」
「……あの、さ」
「何だ、下衆。金に釣られたか何か知らないが、役立たずなお前を雇った彼女を裏切った奴が、何の用だ」
「…………ちょっと、待って下さい。全く、意味がわかりません」
突然の責めは相変わらずだけど、この前までとは内容が違うそれに付いて行けず、これでまた不服を買うのだろう事をわかりつつもオレは口を挟む。
今までは、女将さんラブな男の嫉妬だ、しかも、低レベルな子供並みの嫌がらせだと、あえて放置の道を選んできたけれど。今回はそうはいかない。リエムに便宜を図って貰った覚えも、女将さんを裏切った覚えもない。
単なるいちゃもんならば、反論した事を後で悔やめばいい。この男の言う意味がわからないのは、オレが知らない何かがそこにあるからかも知れず、それを見過ごす余裕はオレにはない。姿勢を正し、オレがここで軟禁されている間に外はどんな風になっているのか知りたくて、オレは強気な言葉を選び男と対峙する。
「オレがここに居ることで、同情されこそすれ、アナタに非難される謂れはひとつもないハズ。何を言っているのか、ちゃんと教えて下さい」
「開き直るか、クソが。何が同情だ。お前のドコに、そんなものが必要なんだ下僕」
「だーかーらー、意味がわかんないって言っているだろ! アンタがオレを嫌うのはもうわかったから、何がどうなっているのか説明しろよ。女将さんを裏切ったって、どういう事だよ?」
「今更とぼける気か、無駄だ」
「オレだって別に、本気で同情しろとは言ってないさ。アンタにそんなもの求めても、それこそ無駄だからな。だけどさ、訳もわからず閉じ込められながらも堪えているオレに、少しは敬意を示してもいいんじゃないか。アンタ一応騎士サマなんだろ?騎士は腕が立つだけでいいってわけじゃないんだろ? ちょっとオレに――」
――私情を挟み過ぎじゃないか?
そう言おうとしたオレの言葉を遮る迫力で、顰めていた顔にラナックは驚愕を載せた。それは、先程唐突に顔を合わせた時のそれよりも大きなもので。いきなりのそれにオレも戸惑い、喉まで上がっていた言葉を飲み込む。
え? オレ言い過ぎた? 反撃、という程の事でもないものなんだけど…。
「お前…」
「な、なに…?」
「……ここで、働いているんじゃないのか?」
「はあッ!?」
「…下働きに入っているんじゃないのか?」
「違うよ。誰が、こんな所で…」
嫌な質問にオレが顔を歪ませたところで、ラナックもまた嫌そうな表情を作った。
どうやら、この男。オレがリエムに頼んで、王城での仕事を斡旋して貰ったものと思ったらしい。だからここに居るんだと、解釈していたのだろう。先の発言は、そう言う意味でであったのだ。桔梗亭を辞め、よりステイタスの高い職に就いたらしいオレを詰っていたのだ。
オレとしては王城勤めなんて、頼まれても働くか!ってなものだが。確かに、普通はそう考えるのが妥当なのかもしれない。王城内の客間にバカにしている知り合いが居たら、働き始めたのかと思うのが当然か。
だけど、それにしても。
オレが桔梗亭を辞めたのならば、この男にとっては万歳三唱ものなのに、何故怒っていたのか。
どうやら、この騎士サマはそれ程までにオレが嫌いなようだ。女将さんから離れただけで態度を改める気にはならないようだ。オレを標的にしていたのは、好きな女性の近くに居る目障りな男としてだけではなかったようだ。
先程のは勘違いしていたらしいとは言え、別なところで働いてもオレは虐められるようなので間違いないだろう。本気で、オレは嫌われているようだ。
何とも、面倒な。
今更だけど、発覚したその事実に重い息を吐くオレの前で、同じように溜息を落とした男が後ろを振り返りハム公に呼びかけた。
「レミィ。こいつが蝶の間の主で間違いないのか?」
「は、はい…! ま、間違いありません! そのお方が、王の客人ですッ」
反り返るように背筋を伸ばして勢い良く答えたハム公のそれは、オレとラナックの顔を一層に顰めさせた。
そりゃ、客間である事は間違いないし、オレをここに閉じ込めているのは王様なんだろうけど。王の客人と言われ紹介されるのは納得出来ない。ソイツは囚人だと蔑まれるよりも断然、居心地が悪い。オレは、客になりたくはないし、まして、あの男とてオレをそんな位置に置きたくないだろう。きっと、あの王様もその言葉に顔を顰めるはずだ。こんな無礼な田舎者が、自分の客であるはずがないと。
それと同じ、客としての資質に問題ありと判断しての不快だろう。相変わらずの虐めっ子が、「何でコイツが…」とブツブツネチネチ呟いているのを前に、オレは再び溜息を吐く。ラナックの向こうには、どうすればいいのか不安一杯で立ち竦んでいるハム公。オレの癒しであったはずの存在。なのに、折角駆け込んできたというのに、これだ。しくじった。
どこまでも運に見放されているのか、異世界に来てトントン拍子に落ち着いた日々を過ごしていたのに、最近はその反動のようにツイていない。それもこれも、あの白虎と暴君王が現れてからだ。
こうなっては、恨むなといわれても無理な話で、恨みたくなるというもの。奴らは、オレの元凶に認定決定だ。
「おい、お前。茶、飲みたいよな?」
「は? ……いや、」
「俺と飲めないというのか?」
全然飲みたくはないと、答える前に脅しが来た。唐突に迫られている意味が掴めないまま眉を寄せれば、「いいから、飲むんだよ!」と腕を掴まれ引かれる。
「ちょっ!」
「あ!あ! ラ、ラナックさんッ!」
同僚…じゃなく、上司なのだろう。男の暴挙に驚いたハム公が、見ているこっちが心配に成る程アタフタと駆け寄ってきたが、虐めっ子は「邪魔するんじゃねえよ。お前は仕事をしていろ」と空いた片手で追い払う。
その存在が、オレが逃げ出さない為の見張りであるならばそれでいいのだろうけど。一応、護衛だ何だと嘯いているのだから、オレの危機には助けに入るべきなんじゃないのか? なあ、ハム公。あっさりと負けるなよ。…まあ、立ち向かったら立ち向かったで、哀れすぎて見ているに忍びなく、「オレは大丈夫だから」と断るのだろうけど。
気に掛けつつも、上司の命令ですごすご引き下がったハム公を視界から振り切り、力のままに引っ張ってくれる男をオレは見上げる。
「痛いんだけど!」
「黙れ、愚図」
「……」
命令を聞いたわけではなく、呆れ果てての沈黙だ。この男はもう本当に、口を開けば歳にも職にも似合わない幼稚な暴言を吐く。相手の言葉を、反撃気力を根こそぎ奪う。それでも、心底からの嫌悪を感じないのは、それが子供のような匂いをさせているからだろう。多分、女将さん達がこの男の短所を許しているのは、口にするほども言葉に悪意がないのを知っているからだ。
同じ悪態でも、威力のある王様とは雲泥の差だ。アレに接した後でなら、前は呆れ果てるだけで、触らぬ神に崇り無しとばかりに逃げていたけれど、女将さん達が苦笑する心境がよくわかる。ラナックの虐めなど、可愛いうちなのだろう。
あの王様の場合、短い言葉でもそれ以上に、深くて重苦しい呪詛のような破壊力を持っていた。悪質だった。そこには、息をつける隙が皆無だった。
「ラナック殿、これは一体どういう事でございましょうか」
この数日接した、この部屋付きの兵士は皆慇懃であったのに、ラナックはその欠片を一切見せずにオレを居間まで連れ込んだ。ジフさんがその異常に、眉を顰めるような変化は見せないながらも、確かな不信を滲ませた声で問う。
だが。
「蝶の君がお茶をご馳走してくれると言うんでな。受けないわけにはいかないだろう?」
しゃあしゃあと答え、「庭の方がいいな?」とオレにおざなりに同意を求め、まるで我が家であるかのように男は堂々と庭へ降りる。一応、客人であるはずのオレは為すがままだ。
開け放たれたガラス戸から外へ出ると、まだ頂点を目指し上っている太陽の強い日差しが降り注いできて。眩しいと、オレが目を細めている間に、東屋に押し込まれる。
「ボケっとしてんじゃねえよ、座れ」
奥へと突き飛ばす勢いで手を離し、オレにそう命じた男が先に、ドカリと入口側の席に腰を下ろした。逃がさないぞというように、腰から剣を抜き足の間に立て、その柄に乗せた両手に顎を乗せ睨んでくる。
……なあ、ハム公。
今からでいいから、やっぱり助けてくんないかな?
2009.09.14