君を呼ぶ世界 101
耳にした話がじわりと頭に染み込むにつれ、どんどんと不快感が増していく。
寵愛って、何だそれ。
愛人部屋って、アホか、オイ。
一体、どこの国の話だ、何様王だよと。茫然自失に近い状態で突っ込んで、そうだよここは日本じゃないよと。オレの常識は歯牙にも掛からないのだと片手で顔を覆い天を仰ぐ。
ここは異世界、何でもござれだ。元の世界でも、権力者は色欲が強い生き物だという話があったし、我が国日本でも男色が一般的であった時代もあるのだし。あの王様が男を囲おうがどうしようが、さほど驚くべき事ではないのだろう。
そう、蝶でも蝉でもカナブンでも何でもいいから、勝手にしてくれて構わないというものだ。
ただ、罷り間違ってもオレをそれに巻き込むなという条件付での話でだ。
しかし、既に激しく巻き込まれている事実が目の前にあって、それを告げた男はさも嫌そうにオレを見るのだから堪らない。
「……言っとくけど、オレは蝶々じゃないからな」
「お前が蝶なら、羽を毟ってやる」
嘆かずにはいられない。だけど、最低な噂に素直に弱るのも情けなさがあって。悔しさを押し殺して言った言葉に、オレ以上に冷めた声が返った。アホな事を抜かすならその舌引き抜くぞといったそれに、オレは身体を前に倒して項垂れる。
お前も一度、この立場に立ってみろというものだ。脱力以外に何が出来る、コン畜生…どこまでSなんだ!
「精々可愛くしていろよ、王の情けを貰えるかもしれないぞ」
「…ンなの、要らないデス」
「なければお前は、確実にここを出た瞬間潰されるな。まあ、オレはそれでもいいが」
「……あの、さ。アナタはその噂が嘘だと知っているんだから、正しておいて下さいよ」
「何故そんな面倒な事を俺がしないとなんねぇんだよ、フザケンナ」
「…だったら、リエムに頼んでおいて下さい。ってか、リエムにオレが会いたがっていたと言ってくれないか? オレ、本当に早くここから出たいんだよ。何なら、あの王様にでもいいからさ…」
「それは何か? 俺を伝書鳩に使うつもりか?」
「…いや、だって、オレここから出られないし、」
「知るかボケッ。そんなのはお前に都合だろう、オレに頼るな鬱陶しい!」
そういい捨てて、ラナックはさっさとその場を去った。弱りきって頼ろうとしたオレを振り返る事なく出て行く背中に、ケチだと舌を出す気力もない。
確かに、端から期待しての頼みではなかった。けれど、虐めっ子とは言え、他者の存在が去り独りになると堪らない焦燥感に見舞われた。あぁ、オレは彼にまで縋ってしまうくらいヤバイらしい。振り払われた事実に、手が勝手に震える。
本当に、冗談じゃない。
嫌な気分を振り切るよう勢い良く立ち上がると、視界の隅で兵士の姿を捉えた。ラナックが居る時は近寄っては来なかったが、去ればそうもいかないらしい。
そうしてまで監視せねばならぬ程、ここからオレを逃がしたくないのか。本気で逃げ出すと思っているのか。そもそも、逃げ出す事など不可能だろうに。
一体全体、あの王様はオレをどうしたいのか。
彼自身面白くない噂であるのだろうに、ラナックの話が本当ならば否定さえしていないよう。醜聞を撒き散らして、何が楽しいのだろう。
「噂がたっていると聞きました」
居間に戻ったところを出迎えてくれたジフさんに投げかけると、「そのようでございますね」とあっさり受け取られた。
「ここは王の私室内の部屋で、そういう相手を置く場所だそうですね。知りませんでした」
「この客間に決まりはございません」
「だけど、誰もがそう思っているらしいじゃないですか。愛人だとか、神子だとか。オレは大事にされているわけではなく、ただ収監されているだけだというのに、酷い誤解ですよ。王様は何を考えていらっしゃるんだか…。何故、否定していないんです? 彼だって不本意でしょう、オレとそんな噂がたつのは。それとも、この噂を望んで、態々オレをここへ入れたんですか? 目的がおありで?」
どうなんですかと、オレは何かに利用されているのですかと畳み掛けるが、ジフさんは「落ち着いてください」と言うだけで、受けたそれを返しはしない。
「噂など、貴方様が気になさる必要はございません」
「それは、罪人に人権はないと言うことですか。何を言われても何も言うなと?」
「貴方様は王の客人であって、私も護衛をする者達もそのように思った事は一度もございません」
「監禁されていて、何が客だよ…!」
ジフさんに当たるのは違うと、絶対間違っているとわかりつつも。ちょっと愚痴るはずが、ひとつ言葉を紡ぐたびに怒りが高まっていって。王様の肩を持つ目の前の男に苛立ちが募った。昨日の二の舞じゃないかと思うのに、止められず悪態を吐く。
王を誹謗し、噂を流す面々を蔑み、己を卑屈に評し。自分でも、何を言っているのか主旨は何処にあったのかわからなくなり、言葉が出てこなくなった瞬間に襲ってきたのは虚しさで。
「……騒いで、スミマセン」
オレは取り乱した事に対して謝り、この数日でオレの席となった椅子へと腰掛けた。本当は寝室へ閉じ篭りたかったけれど、そこで枕相手に鬱憤を晴らしたかったけれど。ここで逃げては昨日と同じだと、意地で平常心を取り戻す。その振りをする。
「噂とは言え、ちょっと予想外の事で……驚きすぎてしまって…八つ当たりです、ごめんなさい」
「噂とは無責任なものであるのが大半です。それにより、貴方様が傷付く事はございません」
「……そうだね、アリガト」
いや、オレは、確かにその噂に驚き嫌悪もしたけれど。一番腹立たしいのは、その噂事態ではなく、過程と現状だ。王の蝶だと発想した誰かではなく、そんな発想を与えた王自身に苛立つのだ。そう言いたかったが、説明したところでジフさんにはわかるまい。この人にとって、王はあくまでも主人なのだから。
オレはこうして噂を耳にしても、ふざけるなと文句を言いに行く事も、そんな噂は真っ赤な嘘ですと否定して回る事も不可能で。それが歯痒くて仕方がない。もしかしたら自由であったのならば、オレはこんな気持ちは抱かなかったかもしれない。出来ないからこそ、余計に気になるのだろう。
そんなオレには、まるで、誹謗中傷に近いそれが流れる事実に身悶えして苦しめと。お前は何も出来ないんだと、あの男に示されているかのよう。
そう、これは一種の嫌がらせなのだ。だから、王は何も言わないのだ。そもそも噂を否定してまわるくらいならば、最初からこの部屋に入れていないだろう。あの男はわかっていたのだ。この部屋を使えばどうなるのかを。
そして、それは王様だけじゃなく、リエムにも言えることだ。
ただの王城の客間ではなく、王の私室内にあるいわくつきの部屋だと。ここに入れば、そういう対象で見られると、リエムにはわかっていたはずだ。知っていて、オレには何も言わなかった。
言わずともよいと、そう思ったのか。隠し通すつもりだったのか。
例え、あの時言われていたところで、何も変わってはいないだろう。だが、少なくとも。オレはこんなにも落ちなかったはずだ。最初に言われていたならば、たった噂も鼻で笑って済ませていただろう。
ラナックが齎したのは、嫌悪や怒りだけではない。あの友に対する、不信と不安だ。
何故、リエムは来ないんだ…。
ハム公と遊んで浮上させようと思っていたのに、目論見が外れたからか。ラナックとの一件でまた落ちたオレを気遣ったらしいジフさんが、昼食後にちょっとした量の紙を持ってきてくれた。出血大サービスで、ハサミ付きだ。刃先は子供用のように丸くて凶器にはならないが、きっとこれは特別処置なのだろう。
幾つか種類があった中から少し厚めの紙を選び、オレは午後の時間を使ってペンを走らせ続けた。楽しむ事は無理だと早々に諦め、ただ無心に、何も考えまいとして、桔梗亭の展開図を描く。
夕食後にはハサミを入れ、敷地となる土台の紙に食堂部分の壁を建てた。だが、女将さん達はどうしているだろうかと思えば、こうして手慰みをしている自分が哀れなほどに滑稽で。
本日はここまでと、虚しさに蓋をして寝室へと引っ込む。
けれど、ベッドに横になっても睡魔は訪れなかった。精神的にはとても疲れているのに、頭が動き続ける。
この部屋のこと、リエムのこと、桔梗亭のこと、王のこと。神子のこと、サツキのこと、この世界のこと、両親のこと。順順に尽きる事なく様々なものが浮かんでくる。そして、いつの間にか最初に戻る。
子供に何処まで真実を教えているのかは兎も角。どう繕っても、つまりはこの部屋はそういう為のものなのだ。一番の相手を、近くに置いておく部屋。王の鳥篭。
そして、事実は違っても。今はオレがそう認識されている。多くの人に。
そういう用途の部屋であった過去が存在しても、今は違う。オレは違う。なのに、何を誤解させているのか。あの男とて、オレとのそんな醜聞は嫌であろう筈なのに。何を企んでいるのか。それとも、否定するのが面倒なのか。事実と違いすぎるからこそ、鼻で笑って済ませているのだろか。
オレだって、逆の立場ならアホらしいとそう思って終わるかもしれない。だけど、この場合は無理だ。何せ、妙な立場に落とされているのは、オレの方なのだ。暴君王が寵愛を手に入れたところで、聞こえは悪くないだろうけど、オレの方は最悪だ。王様の御手付きなどと見られるようなそんな屈辱、異世界トリップ以上に受け付けられない。確実に損をするのは、弱い立場のオレの方なのだから。
ラナックが言った、ここから出れば地獄というのは、つまりはそういうことだろうなと。オレは、そう言う意味で周囲の関心を浴びる位置に置かれてしまっているのだと。想像するだけで、気が滅入りまくる。
絶望という闇は直ぐそこで口をあけてオレを待っている。だけど、オレはそこに飛び込む気はない。
けれど、逃げ切る手段もない。
頼むよ、リエム。ここへ来て、オレに説明してくれ。浮上するきっかけだけでもいいから、オレに与えてくれ。
闇を睨み、オレは固く両手を握り締める。
どうして来ないのか…。
リエムも、王も。
2009.09.21