君を呼ぶ世界 103
頷くべきか、拒否するべきか。
朝っぱらから一体なんなんだ。嫌な顔をしたいのは、オレの方だというのに。何だその、いつにもまして不満げな顔は。嫌なら来るな。仕事へ行けよ。騎士って、案外暇なのか?
それとも、これはもしや。新たな嫌がらせ作戦か?
自分を犠牲にしてまで、オレを虐めているのか…?
流石にまさか、そこまでする程もバカではないだろうと思うけど。いいな?と言われても、今までの何を持ってしてこの男に頷けるというのか。どう考えても無理というものだ。
当然の如く、迫ってきた男に対し、警戒心全開で構えたオレ。
けれど、相手は全く暴言を吐いたつもりはないらしく。至っていつも通りであった。
オレの朝食を用意するジフさんを気にする事もなく、いかに自分にとってオレが迷惑なのかを語ってくれる。オレが朝食を摂り始めたのを気配る事もなく、消化が悪くなるほど強い言葉を向けてくる。
誰でもいいから、この男をどこかに捨ててきてくれと。内心で思うけれど、オレに出来るのは暴言を無言で聞き流す事で。相手にされなければ普通止めるだろうに、男は尽きる事無く悪態を吐く。
っで。その内容といえば。
ラナックさまの話によると、どうやらこの男、オレとの接触を上司だか王様だかに知られてしまい、知人ならば丁度いいからとオレ付きの兵士になったらしい。はっきり言って、半分は自業自得だろうと、同情の余地はないものだ。進んで構いに来たのはこの男なのだから、オレにそれを愚痴らずに自分の行いを悔いろというものだ。
そりゃあ確かに、騎士にもなろうという人物が、たかが囚人に等しいオレの衛兵など役不足もいいところで遣り甲斐をなくすのもわかる。まして、相手をするのが嫌いな奴だとしたら腐るのも当然だ。文句のひとつやふたつ、理不尽とわかっても言いたいだろう。だが、そんなラナックの心情などどうでもいい。
それより大事なのは、オレだって嫌だ!ってことで。
これは、あの王様のオレに対する意地悪でもあるのだとオレは確信する。目の前では、「俺に喧嘩を売りやがるつもりか上等だ!」と、王相手にも本気で吼えている男がいるので、この男に対する戒めも確かにあるのだろう。だけど、きっと…いや絶対。ジフさんあたりにでもオレがこの騎士を迷惑がっているのを聞き、だったらそれも丁度いいと思ったに違いない。一石二鳥で、王様は嫌がらせを実行しているという事だ。
陰険だ。外道だ。腐ってる。
だが、あの王様ならば、こういうのも有りなのだろう。
果たして、オレがこの男の罰に巻き込まれたのか、男がオレの罰に巻き込まれたのかわからないけれど。まあ、有り得るよなと思えば、吼える騎士程も憤りは沸かないし、嫌気もささない。無論、コイツがいつでも近くにいるとなると胃に穴があきそうだが。目の前で騒がれると、逆にこちらは引くというもので、なるようにしかならないだろうと諦めが沸く。
そう言う意味では役に立っているんだなと、朝食を終えるまで喋り続けた男を眺めながら、オレはジフさんを呼びテーブルを片付けて貰った。
それにしても。ここから出られないオレの側についてどうするのか。
まさか本当に、一日中、こうしてネチネチ嫌味を言われるわけじゃないよな?
これが仕事ならば、対応も割り切って欲しいんだけど……この男にそれを望むのは無理か? 少なくとも、オレがそれを口にするのは逆効果になるのだろう。
「――聞いているのか、オイ」
「え…?」
「いい度胸しているな、ぁあ?」
「……ごめん、何?」
BGMにまではしていなかったが、理不尽な嫌味を心して聞けという方が無理な話で、ついボンヤリしてしまったところに突っ込みが入ってきた。凄まれて、反射的に謝るも。何故にオレが?と思わないこともない。それでも、一応、もう一度とお願いするのだから、オレもつくづくバカな男だ。
「だから、言っているだろう。俺はお前に居なくなって欲しいんだよ。お前が居なきゃ、こんな仕事は回ってこない」
「それはそうだろうけど…」
「よって、お前には出て行って貰う」
「出て行くって…?」
「俺が出してやると言っただろうが。テメエ、端から全然ひとの話を聞いちゃいねえのかよ。クソッタレ」
「いや、それは聞いていたけど、さ」
いつもの嫌味かと思いましたよ、はい。出してやると言った後は、愚痴紛いの暴言しか言っていないだろう。まさか、あの数々が、オレの脱出をはかる理由だとでもいうのか? お前は鬱陶しい、お前のせいで俺がこんな事になっている、王も何を考えているんだ、俺に喧嘩を売りたいのか、あいつは昔からおかしい――云々かんぬんは、説明だったとでも言うのかよ?
う〜ん、それはちょっと無理があるだろう。
だけど、ラナックさまとしては、そう思わないようで。出たがっていたオレに手を貸してやる親切な相手の話も聞かないとはどこまでも失礼な奴だと捉えたらしい。
「だったら、テメエ。一生ここで過ごすか? まあ、そうなったら、俺がお前の一生を一瞬で終わらせるけどな。はっきり言うが、俺はお前の世話をする気はない。仕事でも御免だ」
「……御免でも何でも、仕事なんだろう?」
「お前が居なけりゃ、仕事にはならねえ。一辺で理解しろボケ」
「……」
「いいか、良く聞け。王が何を考えているかは知らないが、ここに近付かない今だからこそ出来るんだ。お前は出たいといっていただろう、何を躊躇う?」
「躊躇うって言うか、さ」
一体、何がどうなっているのか。全く話が見えない状況に、テーブルを挟んで退治する男を眺め、オレは困ったと眉尻を下げる。この屁理屈を押し通す男に正論は効かないのだろうけど、ツッコミどころ満載な話を放置は出来ない。
「それ以前に、アンタはそんな事をして大丈夫なのかよ? オレを逃がしたら怒られるだろう?」
「俺が、逃がした証拠を作ると思うのか? 見くびられたものだ」
「でも……知らないところで逃げられたとしても、処分を受けるものじゃないのか? アンタだけじゃなく、他の衛兵さんとかもさ」
「自分の身さえどうにも出来ない奴が、他人の事など気にするな。鬱陶しい、生意気すぎる」
「……」
あのですね。そういう話ではなくてですね。
そりゃ、オレだって出て行きたいさ、こんなところ。脱走は、見付かった時の事を考えれば、かなり躊躇うけれど。次に捕らえられたら、やっぱり牢屋行きになっちゃうんじゃないかとか、体罰なんかも食らったりして…と不安いっぱいだけど。オレはここに居ます逃げません!と言えないくらいに、それは魅力的な話だ。だけど、魅力的でもそれに飛び込むだけの勇気がない。出してやるというだけでは、沸いてこない。
これが、全く知らない人達に囲まれているのであれば、オレはゴメン!と心で謝るだけで自分勝手に逃げ出しただろう。あの暗い牢屋から出たように。
だが、あの時と今は違う。数日間でも、世話をしてくれたジフさんが居て。オレを癒してくれたハム公が居て。仕事であるかもしれないけれど、職業範囲内の献身であっても、オレを丁寧に扱ってくれた衛兵さん達も居るのだ。名前は知らないし、こちらが教えても呼んでもくれないような人達だけど。気詰まりに思いもしたけれど。それでも、オレがこの囲われた中から脱走すれば、何らかの処罰を受けるのは必死だ。あの王様なら、例えオレが密室状態から掻き消えたとしても、お前達のせいだといって重い罰を与えるかもしれない。
鬱陶しいだとか、女々しいだとか、そういうオレの話ではなく。オレはその結果の責任を持てないから言っているのだ。本気で追い出したかったら、たとえ下手な嘘でもいいから言いやがれというものだ。誰にも迷惑は掛からない方法でするだとかなんだとかさ。
出してやるだけでは、やっぱりその手は取れない。
けれど、このままここで放置され続ける不安は、正直に言えば、自分勝手を戒める理由よりも大きい。
これは虐めっ子の改心ではない。オレを慮って逃がすのではなく、自分の苛立ちを排除する為に、この男はオレを追い出そうとしているのだ。こうして話をして、了承を得ようかという風に説明するのは、ただ、オレに恩を売る為なのだろう。自分だけの為ではない、お前が望んだから俺は協力してやるのだと。そういう証拠が欲しいのだろう。何かがあった時、それがオレの枷となると、この男は知っているのだ。
ただ、単純に、邪魔だからと。オレが理解しないまま勝手に連れ出してくれればいいものを。説明なんてしやがって。
問答無用で追い出さないラナックは、本当に、徹底的にオレを疎んでいるのだなと。改めるまでもなく示され続けるそれに、溜息が零れる。王様に軟禁され、友達は行方知れずで、虐めっ子は更なる境地へとオレを追いやろうとするのだ。零れて当然の、深い息。
けれど、男はそれを聞きとめて、舌打ちをした。
「やるのかやらねえのか、さっさと決めろ」
選択権なんて本当は与えていないのだろうに訊いてくるのは、この男とて踏ん切りがつかない大事だからか。それとも、免罪符をオレに与えまいと躍起になっているからか。
「……アンタの申し出を受けて助かる保証はあるのか?」
「なんだって?」
「絶対に成功するのかよ? ここから無事逃げ出せたとしても、オレは追いかけ続けられるんじゃないか?」
「お前にそこまでする価値があるのか?」
「…そんなの、知らないけどさ。現に、オレはこうして捕まっているんだから…可能性はなくはないだろう?」
「だったら、逆に聞くが。お前は、王に用があるのか? この王城で居たいのか?」
「……こんな事になった原因を、一発殴ってやりたい気はするけど…逃げられるのなら、それは我慢できる。……本当に、逃げきれられるのなら」
「どうせここに居ても王を殴る事は不可能だろう。それこそ、殴りたければこの部屋を出て王の部屋に殴り込めよ」
「……」
「まあ、お前が嫌だといっても、最終、俺はお前を追い出すけどな」
「…どうやって出す気だよ?」
だったら聞くな!と突っ込まなかったのは、片付けで居間を離れたジフさんを気にするかのように気配を探ってからの、声を落としての言葉だったからだ。
この男、冗談ではなく本気だと。
言葉ではなく感覚で受け取ったその瞬間、何故か笑えてきた。
何なのだろうこの男。迷惑極まりないけれど、やっぱり憎めない。困った奴だ。
「オレ見張られていると思っているんだけど、案外簡単に出られるとか?」
「そんな訳がないだろう。お前ひとりが逃げ出そうとしたら、速攻捕まえられるさ。逃亡阻止の為なら、多少傷付こうが構わないだろうしな。オレなら斬ってでも捕らえる」
それが兵士というものだろうと、何の感情の起伏も見せずに言う平然としたそれは、けれども余計に男の信念を覗かせた。この男もまた、忠義を持つ人物なのだ。
そんな奴が、自分の好き嫌いを理由に、王が捕らえた人物を逃がすという。
嘘とは思えない。思えないけど、オレだってわかるくらいに、逃がすメリットがラナックにはなさ過ぎる。理由が、弱い。もしも関与がバレたらどうなるのか、考えていないわけでもあるまいに。
そこまでオレが嫌いなのか、王に対し怒っているのか、また他の理由があるのか。その思惑にオレは乗っても大丈夫なのか、どれだけの者にどのような迷惑がかかるのか。そんな事は出来ないだろうと考えた先程とは違い、実行すればどうなるか、どれだけの対処を取れるか模索し始めるようにオレの思考が動き出す。
閉じ込められている事は不満だ。強引な神子召喚を行なった王様には反吐が出る。だが、オレはここを出ても桔梗亭には戻れないのだろう。そして、リエムも頼れない。召喚について知りたいならば、元の世界へ戻る方法を模索するのならば、情報が集まるのだろう王都で居たいが、それもお尋ね者になっては無理だろう。
ベストなのは、王様の手によって解放される事だけど。そんなの、一体いつになる事かわからない。
この虐めっ子も何を考えているのかわかりきっては居ないけれど、この誘いに従えば、少なくともチャンスと成り得る変化を呼び起こせる。
「……大切なものを取られているんだ」
「何だ」
「ペンダント。置いて行きたくはない」
「……いいだろう。気掛かりがあれば、お前の足も鈍るだろう。実行までにオレが取って来てやる」
全く、手の掛かる奴だ。
そう言ったラナックの、眉間の皺を見ながら、オレは気持ちが固まる音を聞いた。
虐めっ子のくせに、諦めろとは言わなかった。
それだけでも、オレは――。
2009.10.01