君を呼ぶ世界 104


 あの、な?
 言うだけならば、誰にでも出来るから。

 ジフさんが居間に戻ってくると同時に、ラナックは「篭っているのは不健康だ」と言ってオレを促し庭へと出た。自然な仕草ではあったけど、詰め寄られていたオレとしては、行き成りの行動だ。
 この男が、オレの健康面を気遣う筈がない。ならば、理由はひとつだろう。
「もしかして…ジフさんには、秘密なんだ?」
「当たり前だろう。お前、逃げ出す前に捕まりたいのかよ」
 庭の護衛に片手を上げて挨拶をしながら、ラナックが溜息交じりに吐き捨てた。
 成る程。憚る事無く喋っているように思ったが、どうやら一応はジフさんの耳に入らないようにしていたらしい。本気で、脱出を成功させる気のようだ。わざと失敗させてオレを処分させようとしているんじゃないかと、少しは疑う気持ちもあったのだけど、流石の虐めっ子もそこまで考えてはいないようだ。
 しかし、常に目を光らせているようなジフさんの協力を得ずに、果たしてここからどうやって出ると言うのだろう。どんな秘策を持っているのかと、前を行く背中を見ていると、不意に男は足を止めてオレを振り返った。
「丁度いい、その根性叩き直してやろうか?」
「は?」
「お前は何処も彼処も、腐りきったほどに甘い。どうせここに居なければならないようだからな、折角だ、俺が鍛えてやろう」
「ハイ…?」
 話が見えないぞと眉を寄せれば、真っ直ぐオレを射抜く視線を動かさずに、ラナックはサッと腰から剣を鞘ごと抜きとりオレに突きつけた。一瞬で目前に迫ったそれに、ワンテンポ遅れてオレは仰け反る。
「なッ! 危ないだろ!」
「お前、剣の経験は?」
「ンなもの、あるか!」
「一応男の端くれだろう、堂々と言うなバカが」
「ちょッ!?」
 呆れたような呟きとは裏腹に、機敏な動きで剣を構え直したラナックが一歩踏み込んでくる。ぎゃあ!と内心で叫びながら、オレはただ反射的に身体を捻ねり、横へと飛びのいた。このままではやられてしまう!と、そのまま逃げようと駆け出すが――。
「ぅわッ!」
 一歩目を踏み出した足を引っ掛けられ、たたらを踏みながら前へとつんのめったオレ。気付けば地面の上で四つん這いになっており、その横に、忌々しい男の足と装飾が施された鞘が立っていた。
「相手にもならないな」
 転ばせてきた男を睨み上げると、そう鼻で笑われた。続けて、腕を鍛えれば精神も少しはまともになるんじゃないかと、体育会系バリバリな思考を述べてくれる。鞘の先で、オレの身体を叩くように突付きながらだ。
 屈辱よりもオレが思ったのは、こいつアホだろう、だ。ンなもの誰が付き合うか、だ。
 剣の稽古に託けて、精神的なものだけではなく肉体的な虐めにも晒されるのだろう事がわかっていて、誰が稽古を請うと言うのか。腕が必要だと思ったとしても、間違ってもオレはこの男には頼まない。そんな、マゾのような趣味はない。
 勝手に言っていろよという思いでオレは立ち上がり、手足の汚れを払う。
「下手に武器を持つと自分が傷付くだけだろうし、遠慮する」
「わかっているじゃないか。だが、その非力なままでどうする? いつまでもどうにかなると思っているなよ」
「……」
 剣を腰に戻しながら向けてきたラナックの言葉は、意外にも真剣さを帯びていた。言外に、脱出しても今までのように平穏では居られないぞと示唆されているようなそれに、オレは思わず言葉を詰まらせる。だが、剣を持ったところで、その技術を高めたところで、やっぱり自分には意味がないように思う。
「アンタは、騎士だ。だけど、オレは違う。そして、オレはそれでいい」
「ここから出るのを、舐めているのか?」
「舐めてはいないさ。だけど、出してくれると言ったのはアンタだ。まさか、乱闘を起こして兵士を切捨て突破する訳じゃないだろ? 勿論、自分に出来ることはする。足を引っ張らないように指示には従う。それこそ、剣を持てと言うのなら持つよ。ご指摘通り、役には立たないだろうけど。だけど、それはアンタだってわかっていた事だろ? そうであっても、出してやると言ったのなら、オレが非力でも構わないはずだ」
 諦めてと言う訳ではないけれど、一日二日で剣が振れるようになる訳ではないんだからさと、オレが言葉を並べると。ラナックは眉間に皺を入れたまま、「その言葉、忘れるなよ」と言った。
「…どれ?」
「無事に出たければ、俺の指示には全て従え」
「……ああ、まあ、うん」
「何だその返事は」
「いや、だって…」
 そりゃあ、理不尽な事ではなかったら。思惑が何処にあるにしろ、オレが助けて貰うのは変わらないのだし。言う事は聞く。
 そう、聞く気はある。十分に。だが、こう念を押されると、ちょっと躊躇う。
 何せ、こいつは虐めっ子。何を思いつきオレに強要させるかわからない。そういう点では、かなり不安だ。信用出来ない。
 ……まあ、この男とて見付かれば処分物だろうから、脱出時におかしな事は仕掛けないと思うけど。
「ちなみに、どうやるつもりなの? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「何をだ」
「脱出方法。計画としてはどうなっているんだよ?」
「まだ考えていない」
「はあ!? ――痛ッ!」
 思いっきり叫んだオレの足に、蹴りが飛んできた。煩いと舌打ちしながら、長さを見せつけるように伸びてきたそれを喰らい、オレは痛みに呻きながら蹲る。
 て言うかッ! 考えていないってどういう事だよ!?
 出してやるとあれだけ偉そうに言っておいてと座り込んだまま睨むと、文句があるかと言うように逆に睨み返された。
「今朝の今だぞ、どれだけ時間があったと思っているんだ」
「…何を、」
「お前の専属を申しつかってからだよ。側仕えじゃなけりゃあ、お前になんか関わるか」
「…………あっそう」
 そうでございましたね、はい。護衛が嫌だから、貴方様はオレを追い出そうと思ったんでしたよね。それはそれは、失念していたオレが悪ぅございました。オレの顔を見た瞬間に追い出そうと思いついたのなら、まだ計画なんて練れていなくて当然ですよね――って!
 だから、何故! なんで、それでそこまで強気でいられるんだ!?
 突き詰めて考えて、やっぱり脱出は無理って事になるかもしれない不安はないのか、オイ!?
 流石、ガキ大将みたいな虐めっ子だ。最早、何も言えない…。何より、言ったところで通じそうにない。
「お前は気付いていないようだがな。ここは、全て王の私室で囲まれている」
 ひとに何とかなると思うなと注意した男がこれかと、オレは脱力したのだけど。座った姿勢のまま顔を上げて男を見上げれば、ぐるりと周囲を見渡しながら、「つまり、この部屋を出ても、警護兵は山程居るというわけだ」と、大変な事をあっさりと告げてくる。
 …おい。それじゃあ、策もないのに、問題ばかりが山積みって事じゃないか。
「逃げ道は…? 秘密の地下廊とかないのか?」
「さあな。あるのかもしれないが、俺は知らない。出て行くとしたら、正攻法で通路を通るか、この庭からか」
「…この向こうは何があるんだ?」
 ラナックの視線を追い、緑の向こうに見える高い壁を指し訊ねると、「王の庭だ。勿論、兵がいる」と小さく口角を上げて笑う。それはもう、楽しげに。
「……本当に、出られるのかよ?」
「それは問題ないな。いざとなれば堂々と、兵士の前を通ればいい」
「はあ?」
「はあ?じゃねえよ。言っとくが、俺はお前と一蓮托生なんてする気はこれっぽっちもないんだ。お前が脱走した責任をとる気もなければ、非があると認める気もない。だから、お前が考えているように、こっそり抜け出すなんてのは論外だな」
「いや、でも…」
 この男、自分がやろうとしている事を理解しているのか? 脱走だぞ? 今から逃げますので道を開けて下さい、なんて事は出来ないんだぞ? こっそり抜け出す以外に、何がある!?
 大丈夫かと、オレは自分の決断が早計過ぎた事を悟りながら再び脱力する。
 ラナックが言いたい事はわかる。オレが忽然と消えれば、誰が逃がしたかという事になるだろう。協力者だとバレなくとも、追求されるのは必至だ。それを、面倒だとか嫌だとか、この男なら本気で思っているのだろう。自分に関わりなく出したいのだ。だけど、他に方法はないだろう。王様の目の前で掻き消えろとでもいうのか、オイ。
 一体、どの口が出してやるなどと言ったのか。よく言えたものだ。ひとにバカだアホだというけれど、この男も大概マヌケだ。
「仕方がない、アレを使うか」
 不安いっぱいだとオレが心で嘆いたところで、秘策が思い浮かんだのか、ラナックが言う。
「アイツを呼び出してくる。お前はそこで大人しくしていろ」
 何を思いついたんだと、喜びではなく不安を滲ませたオレに示されたのは東屋で。オレがそちらに顔を向けている間に、男はさっさと立ち去った。
 彼が出掛けたのならば従う必要はないのだが、戻ってジフさんに捕まるのもなんなので、言われたようにそこへとすっこむ。
 アレって何だろうか。アイツって誰だろうか。
 そんな事をボンヤリと考えているうちに、オレはウトウトしてしまったようで。
「オイ、寝るとはいい度胸しているな」
「ンあ…?」
 頭に軽い衝撃が来て、低い声を落とされて。何だろうと覚醒しきらぬまま顔を上げれば。
 不機嫌なラナックさまと、その後ろに不安げなハム公とが居た。
「あー、…おはようございます」
「昼だ」
「…お帰りなさい?」
「二度と喋れないようにその口縫ってやろうか?」
「……」
 ラナックの発言に可哀相なくらいにうろたえるハム公を視界で捕らえながら、オレは唇を尖らせる。
 流石に罰が悪くてちょっとした冗談を言っただけなのに。それに乗ってもくれなかったから、殊勝に言ってやったというのに。待たせたくらい言えよ、クソ!だ。寝たのは確かに悪かったけれど、そもそもオレの寝不足原因の一因はアンタじゃないか! ムカツクぞ。
「何だ、その顔は。本気で縫って欲しいのか? 何なら、そのフザケタ顔、作り変えてやろうか?」
「ラ、ラナックさん…!」
 それはダメです!と、漸く事態に対応し動いたハム公だが、バタバタしているだけで、全く役には立たなかった。
「痛ててててッ!」
 部下か同僚か知らないが、真っ当な進言を無視して、虐めっ子が手を伸ばしてオレの頬を抓りやがったのだ。普通、マジでするか!? クソ!
「目が覚めたか?」
「…………お陰様で」
 頬から離した手でオレの髪を掴み、腰を屈めて覗き込むようにしてオレと視線を合わせた騎士さまは、騎士ではなくチンピラ風情だ。元々色白なハム公の顔面は、最早蒼白だ。
「ひとに手数をかけて置いて、お前は寝るのか? ぁあ?」
「……ゴメン、つい、」
「お前がつい寝るのなら、俺もつい斬っちまうかもなァ?」
「……スミマセン。以後気を付けますので、許して下さい」
 何を斬るんだと聞く必要もないくらい、逃がすよりも斬り捨てる方が簡単なんだぞとそう語る眼に、オレは神妙に謝罪を口にする。
 だが、残念というか何というか、厄介な事に、相手はお気に召さなかったようで。「お前は、口ばかりだ」と舌打ちを落とされた。
 反論も謝罪もNGとは。だったらオレにどう対応して欲しかったというのか。この我儘め…!

 無事に事が済むまで、オレは何度も、取る手を間違えたのかもしれないと思うのだろう。
 だが、オレに出された手は、これしかないのだから。


2009.10.05
103 君を呼ぶ世界 105