君を呼ぶ世界 105
次から次へと。
よくも、まあ、慌しいものだ。
オレも相当に可哀相だと思うけど。
ハム公には負けるなと、つい比べてしまったのは仕方がないだろう。何せ、今にも泣き出しそうなのだから。
「ったく、無駄に手間を掛けさせンじゃねえよ」
帰ってきたらオレが少し寝ていたというただそれだけで、掛けた手間など左程ない筈であり。どちらかと言えば、率先してオレを甚振ったのだろうから、自業自得じゃないかと思うのだけど。そんな事実は男の中ではミジンコほども存在しないようだ。
少しは気が済んだのか、ドカリと腰を下ろしたラナックが、「俺も寝るか…」と腕を組み瞼を閉じた。背中を壁に預け、体勢は万端だ。
しかし、こちらとしては、はァ?な展開である。
「寝るのかよッ!」
思わず勢い良くツッコミを入れたオレのそれに、ハム公はビクリッと震え、当人である男は剣呑な雰囲気を纏い薄目でオレを睨んだ。
「…自分は寝ておいて、どの口が言うんだ? ぁア?」
「いや、でも、」
「デモもクソもねえ。お前のせいで俺は疲れているんだ、貴重な休みを無駄にさせるな。わかったかクソガキ」
「ちょっと待って。アンタ、何か対策を思い付いたんだろう? だから、彼を連れて来たんだろうが?」
凄んでくる眼を何とか撥ね退け、オレは、未だに居心地悪く突っ立ているハム公を示し訊ねる。
「彼が、さっき言っていた…アレじゃないのか?」
協力者かと聞きかけ、濁す。ただ護衛としてか話し相手としてかで連れて来ただけなのならば、墓穴を掘る事になると、直前で思い当たったからだ。
だが、慎重に接したオレとは違い、ラナックは豪快だった。
寝るのを諦めたのか、組んだ腕を解き、背中を起こして顔をこちらへ向ける。
「コイツが脱走なんて大事に使えると本気で思っているのか? 無理だろう。お前、仲良くしているようだが、一体何を見ているんだ。考えなくても、ンな事出来る奴かどうかわかるだろう。惚けた事を言ってくれるな」
「……だったら、なんで、連れ立っているんだよ?」
「決まっているだろう。コイツでも、役に立つ事があるからだ」
身も蓋もない言い方をしているがちゃんと使うようだと、その尊大な物言いに、呆れるやらなにやらで軽く眉を寄せたオレに、ラナックはまた意外なことを言う。
「ちなみに、コイツにはまだ何も話していないからな。足を掬われないよう、余計な事は言うなよ」
「え…?」
「まあ、後で多少の説明はしておくが。お前が何であれ、基本、コイツは王に忠実だからな。真面目だしガキだしで、融通が利かない。ここから出るなんて言ったら、ダメだと泣かれるぞ」
頭の軽さが合うのか、お前に懐いているようだしな、と。しゃあしゃあとほざくそれに、オレもハム公も、目が点だ。
説明せずに連れて来て、オレの大事な癒しクンを一体何に使うつもりだ! てか、忠告しておいて、自分でバラすのかよ!? バレたら反対されるだなんて、どの口が言うんだバカヤローッ! 成功させる気が、ホントにあるのか!?
虐めっ子の話を理解し、目を見開いたまま睨んだオレの視界の隅では、案の定ハム公が固まっている。
そんな彼に、「まあ、そういう事だ。お前は聞かなかった事にしろよ」と、全く問題などない風にラナックは言い含めたのだけれど。
「……で、出て、行きたいの、ですか?」
一方的な男の説明に、あ、とか、う、とか、首を捻られてでもいるような微妙な声を零していたハム公が、長い沈黙のあとオレを見てそう問うてきた。この騎士に尋ねたところで、自分の見解を捻じ込むだけだろうから、オレに確認するのは正しい。そう、正しいけれど……気まずさマックスだ。
「ああ…うん、まあ、そうだな…」
「何だその返事は。お前の気持ちはその程度なのか? やる気をなくすような声を出すんじゃねえよ。誰の為に骨を折っていると思ってンだ」
「いや、でも、そうは言っても……」
掻き回してくれるなよとラナックに視線で訴えるが、取り合ってくれるはずもない。
仕方がないので、虐めっ子はもう無視だと。オレは二人の間を遮るようにして立ち、ハム公と向かい合う。
そりゃ、この青年だって、寝耳に水な話でついていけないというものだろう。行き成り連れて来られて、勝手に脱出計画に使われようとしているのだから、ちょっと待てと言うものだろう。
だけど、さ。
「あの、な? オレだって、逃げるのは良くないと思うよ、わかっている。だけど、もうそれしか方法がなさそうなんだよ。…ここの護衛をしているんだから、わかるだろ?」
ハム公には、情けないところをオレは沢山晒したのだから、ラナックなんかよりも余程オレの腐り具合を知っている筈だ。何より、王がオレをどう扱っているのか、その命に従っているのならば、オレ以上にオレの先の無さを察しているはずだ。
だから。協力出来ないのならば、それは仕方がない。でも、少し目を瞑っていて欲しいと。見逃してくれとの思いで見つめるオレの視線を避けるように、目を泳がせたハム公は、キュッと唇を一度噛み締め少女のように赤いそれを開いた。
「そ、それでも、あの、お、お、王は! け、決して貴方様に、わ、悪い事はしません…!」
「……これ以上、されてからじゃ遅いよ」
「で、でも、王には、貴方様が、ひ、必要だと思うのです! だから、ボボ、ボクは、だ、脱走だなんて事をしてはダメだと、そう思います」
「お前の意見はもう要らねぇーンだよ」
もうその段階は過ぎているのだと、いつの間にか立っていた男がヌッとオレの後ろから腕を伸ばして、オレの前に立つハム公の頭に手を置いた。背後に立たれ、オレが飛び退くように避けている間に、ハム公の頭はグッと下がる。
「ラ、ラナックさ…!」
「良く聞け、レミィ。こいつは、王の客人だ。それも、この蝶の間の。王がどう思っていようが、コイツがそれである以上、俺達がその意思を尊重しても忠義には反しない。少なくとも、事実とは違うのだろうが、こいつは今や寵愛を受ける神子だ。ただの噂でも、王が何も発しない限りは、その現実があるんだ。手を貸すのが当然だろう? なあ?」
「で、でも、ですね!」
腹がつっかえているのか、体が固いのか。かなりの力を入れられているように思うのに、九十度ほどしか曲がらないというのが愛嬌たっぷりで、ハム公のそれに笑いそうになるけれど。実際には、耳に入ったもの全てに説明を求めたいが、出来れば知らない方がいいようなそれに、複雑な気持ちがモヤモヤ浮かぶ。
それでも王の許可がなければと、無理な体勢のまま健気に言葉で抵抗する必至なハム公と。いいから聞き入れろと、言葉と暴力で押さえ込む騎士の微妙な攻防を前に、オレは深い息を吐く。
愛人にされるのも、神子にされるのも嫌だが。噂を払拭する術がないのだから仕方が無い。だが、それを利用して脱出を試みるのは、かなりの嫌悪が浮かぶ。まるで、自分でも最低な噂を認めたようではないか。
けれど、オレはそれに異議を申し立てられない立場なのだ。
我慢だガマン。少なくとも、この二人はそんな噂を微塵も気に掛けておらず、オレに何も抱いていないようだからマシじゃないか。ここは、目を瞑らねば。
「なあ、レミィに何をして貰うつもりなんだ?」
嫌がるのなら無理にはどうかと進言しようとしたところで、派手な舌打ちを落とされる。
「お前、またひとの話を聞いていなかったな。こいつが使えると思うなと言っただろう」
「でも、使うって…」
「それはもういい。終わった」
「……もう?」
「こいつはまあ、ちょっとした餌だ。つれてくれば良かっただけなんだよ。俺達が用があるのは、また別だ」
「別…?」
話が見えないと首を傾げると、そのうち来るからわかるとラナックは言う。どうやら、協力者はちゃんと他にいるようだ。
ならば、このハム公は益々もって哀れじゃないか…。
全く、この男はと。オレは内心で嘆きながらも、下手に出て男にハム公を解放して貰う。
「レミィ」
血が上り、幼児のように白かった顔が真っ赤になった青年の髪を直してやりながら、オレは頼む。
「王様の命令が大事なのはわかっている。それに逆らうような事が出来ないのも、したくないのも当然だ。だから、ただ、今の話を聞かなかったことにして欲しいんだ。レミィが誰かに話したら、オレは今度こそ牢屋戻りになるかもしれないし……本当にもうここには居たくないんだよ」
「…ど、どうしてですか? ここが、嫌いですか?」
「そうだな…少なくとも、このままだと何があろうとも好きにはならないと言えるよ。軟禁されていて、なれるはずがないだろう?」
「……で、でも…、お、王は、……。……」
あの、イカレ王を擁護しようとしたのか、口を開くが言葉続かず。それでも、ハム公は諦めきれないように再び口を開いたけれど、やっぱり何も言わずに唇を引き結んだ。
逆にオレは、王がオレを出してくれるのならば、一度でも話す機会があったのならば、軟禁状態でなければ、と。言い訳のように言葉を並べ、脱走しかないのだと重ねる。罪を犯してでも現状を打開せねば、腐り落ちて死にそうだと情に訴える。
気弱ゆえ、そうは見えないけれど。この青年の意思は、きっととても強いのだ。ただ、心がとても素直で、優しくて、それを捻じ曲げねばならない事態に陥ってしまうのだろう。割り切れずに流されるそれは、本人の気付かぬところで沢山の傷をつけている筈で、周囲がどれだけそれに気付いているかオレは心配だ。本人さえ、そんな己をわかっていなさそうだ。
なのに、オレは今、そこを突き利用している。オレを見逃せば、王への忠誠心を自分で疑うのだろうに。自信を無くすだろうに。これはオレの裏切りなのに。全てを知っていて、オレは頼んでいる。
なんて酷い奴なのか。ラナックのことを言えない。
だが、もう踏み出してしまった一歩は、戻せはしないのだ。
「おっ、御出ましだ」
ハム公とオレ、二人揃ってしんみりしているというのに。ラナックが場違いな声をあげて動いた。
何だよと、つい顔を向け、オレは直ぐに後悔する。
「お前、ちょっとコイツと居ろ」
折角呼び出したんだから、早々に逃がすなよと。騎士が顎で示したのは、お久し振りなトラ公だった。出来るのならば、ずっと再会をしないでおきたかった相手だ。
まるで置物のように東屋の入口でお座りをしているそれをアングリと眺め、本気で立ち去るらしい二人を慌てて止める。
「ちょ、ちょっと待てよ! な、なんで、聖獣が……てか、居ろってナニ!?」
オレに何を期待しているんだと、思わずラナックの腕を掴み、困ると訴えたが。必至なオレを鼻で笑った男は、振り捨てるようにしてオレの手を離し、「これが一番手っ取り早い方法なんだよ、従え」と取り付くシマもない。
絶対に持たれている印象は最悪であろう事を自覚しているオレとしては、我関せずといった風なトラ公を警戒しつつ、それでも食い下がる。
そうして、食い下がった結果。
得たのは、簡単な説明だけで。
結局、虐めっ子はオレを獰猛な動物の前に放置し、気に掛けるハム公を引き摺って出て行った。
……脱走ではなく、その前に。
思わぬところで、万事休す、だ。
2009.10.08