君を呼ぶ世界 106


 アレとは、この聖獣のことで。
 どうも男は、オレの脱走責任をこいつに擦り付けるようだ。

 さすが、ラナックさま。皆が尊んでいるらしい聖獣さえも、扱いが雑だ。どこまでも、ゴーイングマイウエイだ。ある意味、感心するほどに凄い奴だ。
 しかし、悪いが、オレにはその案が上手く行くとは思えない。
 ラナックは何処で知ったのか、オレが牢屋を一度無断で脱出したのを知っているようで。それに聖獣が手を貸したのだというのを、全く持って疑っていないようだ。きっと、単なる噂だとかではなく、王様とか上司とかに聞いたのだろう。
 確かにオレは、リエムを相手に、そんなニュアンスの事を言った。はっきりと、聖獣に罪を擦り付けたわけではなく、曖昧に濁しただけだけれど。気付けば牢屋から出ていて聖獣の案内でペンダントを探したんだとか何だとか言って、勝手に解釈してくれるように仕向けただけなのだけれど。まさか、本気でそういう事に成り話が広まっているとはビックリだ。
 実際には、あのオジサンが手を貸してくれたのであって、聖獣は脱走とは無関係である。
 よって、この獣は濡れ衣を掛けられているというわけで。
 あの王様辺りならば、余計な事をしてくれたと聖獣相手に舌打ちした事だろう。正確に言えば、脱走後のオレの意を汲み王のところまで連れて行ってくれたのだから、半分くらいは甘んじて受ける怒りなのかもしれないけれど。オレのせいで、要らぬ誤解を生んでいるのならば、申し訳ないとも思う。聖獣にだって立場があるだろう。
 だけど、さ。ンなことよりも。
 リエムの話では、この白虎殿は人の言葉がわかるそうだ。ならば、自分の無実を訴える事も出来るというものだ。それなのに、ラナックまでもが信じているのだから、事実無根だとの意思表示はしていない事になる。
 果たして、それは何故なのか。
 そして、今も。どうして、気にいらないオレの前に居るのだろう。
「……まさか、本気で協力してくれるとか?」
 思わず呟くが、余韻が消えるよりも早くにオレは自分で否定する。妙な噂を立てられてコリゴリのはずだから、流石にオレなんかには近付きたくはないだろうし、協力なんて嫌なはずだ。普通なら。
 ラナックは、こうしてオレと聖獣が接している事実だけでも作っておけば、逃げた後の言い訳になると考えているようだけど。確かに、それは前例を考えても、役立ちそうなものだけど。それ以前に、この獣が本当に考えるような働きをしてくれるかというものだろう。
 聖獣にすれば、ちょっと願いを訊いてやり王のところへ連れていったアレは間違いだったと思っているはずだ。人間のような情緒面があればの話だけど、妙な言い掛かりをたてられ、王からの評価が下がったのならば、踏んだり蹴ったりだと感じたはずだ。少なくとも、オレに関われば面倒だと骨身に染みただろう。
 ならば、もう、オレには手を貸さないんじゃないだろうか。普通は、そうだ。
 ハム公に対して事実を隠してつれてきたように、ラナックは聖獣にもまた何も言っていなかったようで、ここへ来たのはひとえに仲が良いらしいハム公の頼みを汲んだからであるのだろう。そのハム公に至っては、全く何もわからないまま、聖獣にここへ来て欲しいと言っただけであるのだから、言葉の裏など読めなかった事だろう。
 っで。来てみれば、オレが居て。自分が、どうやら利用されるらしいと知って。何故に、中犬ハチ公よろしくその場を動かないのか。ふざけるなと踵を返すものじゃないのか?
 ラナックが使えると勘違いしたのは、そもそもの情報が間違っているからであって、仕方がないけれど。張本人であるこの獣は違うだろう。なのに、何故。
 まさか、協力する振りをして、ラナックの動きをこれから探ろうとでも言ったりするのか。それを王へ告げよるつもりなのか。
「……聞いても、教えてくれない…よな?」
 大人しく居続ける聖獣に、オレは愛想笑いを顔に張り付かせて首を傾げるけれど。
 まるで、視界にオレなんて者は入っていないかのような青い目に、オレは笑みを消す。
 この獣を本気で都合良く利用できると思っているのだろうか、あの男は。重要機密を無理やり教えられ、プレッシャーから暴露するんじゃないかと思われるハム公よりも危険だ。お粗末というか計画の無謀さに、オレは呆れつつも、とりあえず今はラナックよりも目の前の虎だと、真っ直ぐに視線を向ける。
 聖獣とはいえ、所詮は脳みその小さい動物だ。何処まで考えているのやらわからないが。兎に角、この二人きりのうちは下手な事は出来ない。この全てが王へ伝わるつもりでいなければ。
 距離をとり、穏便に済ませる事に努めねばと、オレは自分に言い聞かせる。先日は、気分最悪で逆ギレするように強気で居られたけど、流石に今日はアレはマズイし、何より無理だ。
 あ、先日といえば、そうだった。出会いは最悪で、謝って貰いたいくらいだけど、オレが手を借りたのもまた事実だし。とりあえず、謝っとくか?
「あぁ、そうそう。この前は、ありがとうございました。っで、折角連れて行って貰ったのに、不甲斐無くも捕まってしまってスミマセン」
 反応は全くないが、言葉はわかるようだし、ポイント稼ぎだと。オレはあの一件の礼と詫びを口にする。
 はっきり言って、虎相手にアホみたいだ。本気で動物に話し掛けるだなんて、傍からみればまるで過保護な愛犬家のようだ。
 しかし、間が持たないので仕方がない。全く言葉が通じない犬が相手なよりもマシだと、ヤケクソ気分でオレはそのまま話し掛けてみる事にする。ラナックは、オレとトラ公の接触を周囲に知らせておきたいようだから、ここで帰られたらオレは後で怒られるだろう。迎えの声が掛けられるまで粘らねば、後々煩い。
「あの後、大丈夫でした? 王様に余計な事をしたと怒られなかった? もしそうなら申し訳ない限りです、はい。いや、まあ、オレだって、今なお切羽詰っている状況であり、いつでもご協力は大歓迎なんだけど……流石に、聖獣サマにそれをさせるのはね、マズイってものですよねぇ。オレなんかに手を貸したら、立場がないでしょ、ホント。反省してます。だから、まあ…ラナックが何か考えているようですけど、気にせずサッパリ無視して下さい。お願いします」
 殊勝な態度を維持し、揉み手をしながら擦り寄るよう言葉を紡ぐ。が、トラ公は無表情のまま、ピクリとも反応しない。…いや、虎の表情なんてわからないんだけど、さ。雰囲気が、まさにそれ。
 こいつは何を言っているんだ?な不信感を表してくれた方がマシだと思うくらいの黙殺振りに、オレは口元を片手で覆い顔を背けて溜息を飲み込む。…虚しい。…てか、辛い。早くも挫けそうだ。
 これは一体何の拷問だろう。朝イチから脱走話で驚かせ、今は無理やり獣の相手。ラナックの嫌がらせ具合度が増している気がする。
 それでも、兎に角。明らかに、思いついたばかりの練りが足りない計画は動き出しているのだから、この場は何でもいいから時間を稼ぎ、周囲に聖獣との繋がりの印象を与ねばならない。加えて、聖獣の協力は最初から期待はしていないが、王への報告は阻止せねばならないのだ。へこたれている暇はない。
 ラナックのせいにして、一応それとなく、今回の呼び出しに意味はないと言ったのはいいが。だったら、余計に用はないと、さっさと帰られては困るので。オレは俯けた顔を直ぐに戻し、足止めになる話は何かないかと必至に考える。
 っで。お座り状態の獣を見つめて思いついたのが、これだ。
「…ああ、そう言えば……レミィと仲がいいんだ?」
 聖獣に向けられる話題なんてやっぱりオレにはない。だったら、こうなればもう、自己紹介でもしてみるか? 知っているのだろう桔梗亭の話でもするか? おべんちゃらでも言ってみるか? …う〜ん、どれも同じく無視されそうだ。しかし、王様や王城の話しはオレ的にNGだ。嫌味と愚痴にしかならない。
 最初の出会いを思えば、こいつが聞きそうなものはサツキのことだけど。こんな状況でばら撒くように喋りたくはないし、何よりどうせ、リエムから王様やこいつへの報告が行っているのだろうし――と。そう思ったところで、オレの頭で存在を示したのがハム公だ。
 彼の呼び出しに応じやって来るくらいなのだから、仲がいいのは本当だろう。普通、仲がいい奴のことを褒められ嫌がる奴はいない。ラナックならば、もしオレが女将さんを褒めたのならば、「お前が語るな」と舌打ちするだろうけど。この獣にそんなち稚拙な独占欲はないだろう。
「とてもイイ奴だよね、彼は。ややこしいオレの相手もちゃんとしてくれるし。ホント、癒し系」
 キミや王様と違って、噛み付く事は絶対無いしね!――と、内心付け足しつつも笑顔で彼を褒めてみれば。
 大きな体の脇に置かれている尻尾の先が、毛玉が撥ねるように小さく揺れた。思わず、凝視しつつ立ち上がり、近寄ってしまう。
「へえ…」
 全く気にしていなかったけど。尻尾の先は、想像通りの黒毛なんだけど。天先というのか、中心部分が数本白毛だ。
「面白いな。普通の虎もそうなのかな? 知らなかったなァ」
 猫ならば、同じ種類でも個々によって模様が違うのは当然だとしていたけれど。普段馴染みのない虎など、皆同じだと認識していた。いや、正確に言えばそこまで興味がなかった。考える理由も意味もなかった。だが、どうやら虎も個別に違うのかもしれない。
 もしかしたら猫のように、ブーツを履いた虎や、何かの形に似た模様を持つ虎が居たりするのかもしれない。少なくとも、尻尾の先で色が変わっている虎を見るのはお初だ。
「っと、悪い…ごめんなさい」
 流石に手を伸ばしはしなかったが、近くまで行きしゃがみ込んでのオレの観察に、居心地が悪くなったのだろう。虎が大きく、凝視されているそれを振って、体の反対側へと持っていった。
 しかし、謝りつつも関心は引かず、そのままオレは目の前の虎を見る。いやもう、ホント。聖獣だなんだといっても、オレにとってはホワイトタイガーそのものだ。…まあ、実際にそれであったら、怖くて接近出来ないけれど。
「……。……聖獣って、何なんだろうなァ」
 本人を前にして、オレの口からは思わずそんな言葉が零れる。
 人の言葉がわかるくらいなのだから、普通の動物じゃないのだろう。少なくとも、そう認識出来るくらいの何かがあるのだろう。オレだって、雰囲気とかそういうので、違う事はわかる。わかるが、それが神の獣だとか何だとかには行きつかない。
 例えば、そう。
 聖獣は、突然現れるそうだけど。それは神が地上に遣わしたとかではなく。神子と一緒で、召喚の犠牲者――だったりしないだろうか。異世界から人が渡ってくるのであれば、動物が来たとしても不思議ではないだろう。地球でも、この世界でもそうではないが、どこかの世界に知能が高い獣がいたとしてもおかしくはない。人の言葉を理解する動物がいたとしても、召喚の影響でオレのようにその能力を得たのだとしても、このトリップなんて事が罷り通る世界では不思議でも何でもないだろう。
「……お前が同士だったら良かったのになァ」
 噛み付かれるのはゴメンだが、不意に寂しさを覚えてオレはそんな呟きを漏らしてしまう。が、トラ公には何がなんだか、だ。
「ううん、何でもない。さて、腹が空いたし、部屋に戻るかな」
 まだ早いかと思いつつも、やっぱりこのままでは限界だし、何より落ちそうになった空気を変えようと。オレは立ち上がり、トラ公の向こうに広がる庭へと視線を向ける。
「良かったら、一緒にどうですか?お昼まだでしょ?――なんてね、…って、え? ン?」
 オレの行動を察し腰を上げた聖獣を片手で促し、東屋から出ようとしたところで。先に出ていたトラ公が首だけで振り返り、そのまま止まり、身体ごとユーターンして、何事だ?と構えかけたオレの足元に腰を下ろした。
 通せんぼか?と、思わず半歩足を引きかけたオレの手を、グイッと下から頭で持ち上げられる。
 全く持って意味がわからない。
「ええっと……何?」
 初対面の時のように飛び掛かられる予感はなく、聖獣に対する恐怖はかなり薄いのだけれど。それでも、拭えないそれに手を引けば、今度は肘を押される。
 毛はフサフサのモサモサだけど、グイグイ押してくるのでその向こうの頭蓋骨がわかるくらいだ。
「いや、ちょ、…やめてくれ」
 このままでは仕方がないので、逃げ腰というか、遠慮気味に片手で頭を押しやる。
 押すオレの手の下で、トラ公が頭を振った。グニグニと尖った耳が押し潰されるのも構わずに。
「……もしかして、頭、痒いのか?」
 一応、聖獣サマであろう奴に、こういう事をしても良いのかなと思いつつ。指を立て摘むように頭を掻いてやると動きが止まった。
 あ、何だ。やっぱり痒かったのかと、納得がいき、少し大胆に掻き回してやったその時。
「――ッ!!」
 大きく振りかぶるよう手の下でその頭が動いたと認識した時には、オレの右手は虎の口の中だった。

 血の気が引く音が、耳の奥で響いた。


2009.10.12
105 君を呼ぶ世界 107