君を呼ぶ世界 108
オレはまだどこかで。
すべてが夢だったのだと目覚める時を待っているのかもしれない。
基本、オレがいる時にはジフさんは寝室には入ってこない。勿論、掃除はして貰っているのだが、それはオレが居間や庭に出ている時のことだ。オレが寝室にいる場合に用があれば、控えめなノックで知らせ、待機。どうぞ、と促しても扉を開けもしない。
正直、丁寧なのかどうなのか、よくわからない対応だ。だけど、オレが知らないだけで、こういうスタイルが普通なのだろう。
傍若無人を絵に描いたようなラナックでさえも入ってこないんだなと気付いたのは、昨日の事だ。側仕えになったという割には気紛れにしか現れない男に構えてばかりいたオレだったが、それに気付いて少し楽になった。寝室にいる限り安全だと。
正直、そこまでビビる話でもない。だが、この閉鎖空間に漸く訪れた刺激がアレなのだから、気鬱が増すというものだ。慇懃なジフさんや、職務を貫く衛兵さん達の堅さと比べれば、最早取り繕う必要のない相手は貴重で、それがたとえ嫌味の塊でもオレにとっては有り難い存在だ。
けれど、頭ではそう捉えていても、精神に受けるのはやはりダメージである。勝手に言っていろと思い笑って流してはいるが、嫌味も聞きなれてきたが、それでも、向けられる言葉の暴力はオレの中で鬱屈し蓄積していく。脱走なんて事に巻き込む罪悪感がより一層、オレを圧迫する。
そういうわけで、寝室がより一層オレにとってオアシスになったのだが。同時に、寝室から出るのに気合が必要となった。
とりあえず居ませんように…と思いながら、朝イチの接触回避を望みながら、意を決してドアを開ける自分がほとほと情けなくて。気分は滅入る一方だ。寝室にいっそ不可侵規定がなければ諦めも付くのにと思うが、それではそれで安眠出来ずに事態の悪化にしかならないのだろう。
ラナックは悪い奴ではないとわかっているし、その性格も別段嫌いではない。ただ、オレの手には負えないだけで、非常に困るだけなのだ。それでも、これが桔梗亭での事ならば、オレはここまで気鬱にはならなかっただろう。この軟禁状態での接触だから、どんどん心労が溜まっていっているに過ぎない。要はオレ自身の気持ちひとつの事だと、そうわかっている。
わかっているが、上手く処理出来付き合えるほどの単純さでもないのだから、やっぱりどうしようもない。
「…おはようございます」
そろりと居間へと顔を出せば、そこにいるのはジフさんだけで。オレは、ホッと小さく息をつく。
だから、こういうのが自分で自分を追い詰めているのだとわかってもいるのだけど、ホントどうにもならない。
ジフさんと軽く交わす言葉は、いつもの定型文だ。この執事さまは、相変わらずピシッと互いの間に線を引いてくれている。多少、気心は知れなくとも、十日ほど一緒にいるのだから緩くなる部分があってもいいというのに、それが訪れる気配はない。親切だし、丁寧だけれど、それまでだ。
同じく、オレを見張る兵士達も、必要以上どころか、必要だろう会話も交わさない。ジフさんがいれば、そちらにいく。例え、オレに用があってもだ。もっとも、用といっても注意ばかりなのだけど。
「珍しい、今日は雨なんですね」
いつもより暗い室内に、朝食の準備をはじめてくれたジフさんに失礼だとわかりつつも、席につかずオレは窓へと寄った。さすが王城である、透明度の高いガラス越しに窺った灰色の雲は、まだ雫を零してはいないようだが今にも降りそうだ。
「また嵐ですか?」
「いえ。夕方には晴れるようです」
「そうなんだ」
用意が出来たと促され席につき、朝食を摂るが。何となく、視線は外へと向かう。
給仕など別段必要ではないのだが、いつもジフさんは側で待機する。慣れはしたが、それに居心地の悪さを覚えるのは相変わらずだ。故に、食事中のおしゃべりはマナー違反かもとわかりつつ、オレは沈黙を作らないように話し掛けるようにしている。
っで。今朝の話題は、天気にしょうと。何故、夕方には雨があがるとわかるんですかと問うてみたのだが。
「城には専任の占術師がおりますので」
「は? 占術って…え? うらなィ〜!?」
何だそれと、思わずパンを千切った姿勢のままでジフさんを振り返る。が、言った本人は真顔だ。
「……えっと、天気って、そんなので知るんですか?」
両手に持っていたパンを皿におき、オレはこれはこの世界の常識なのか…、聞いてはマズイのか…と思いつつも、放置は出来ずに突っ込んでしまう。いや、だって。地球のように科学的にはいかなくともさ、もっと、こう、なんていうか。ツバメが低く飛んだら明日は雨だとかなんだとか、そういう知恵があるもんだと思ったのに。
占いとは、なんていい加減な…。
元々全く馴染みはないオレの頭の中で、タロットや水晶が浮かび、最終的に雨乞いする祈祷師なんかが出てきた。流石にそそれはないだろうと、胸中でセルフツッコミをするオレに、ジフさんが簡単に説明をしてくれる。勿論、その方法ではなく、情報についてだけど。
天候はそれ専門に学んでいる術師が観て、城で働く者に伝えられるらしい。それが、商人や下働きなどの口により城下の民にまで届く事もあるにはあるが。街には街で、それを得意とする者もいるのだとか。っで。この季節の終わりに大雨がくるかもしれないだとかの大事が現れれば、被害が受けると予想される地域に知らせがいくような事もあるらしい。
つまり、その術師は、いわば予報士ということだ。だったら、この城が気象庁か。成る程。
……って。
全然、成る程じゃないんだけど。
それでいいのかよ!?と思う気持ちがマックスなのだが、それで問題なく皆が暮らしているのだろうから、異界人のオレなんかは何も言えない。何より、術師なんて聞くと日本生まれの日本育ちの若者のとしては、胡散臭ぇとしか思えないが。ま、そういうのは歴史上で見ても、案外身近なもののようだし、こんなものなのかもしれない。
そういえば、平成の世の中になったとは言え未だに我が国の天皇サマは、正月だかなんだかにそういう「何それ!? オカルト!?」な感じの儀式をすると聞いた事があったような気もする。よく覚えていないけど。
神様がいて、聖獣がいて、召喚なんてものがあるのだから。天気でも、政局でもなんでも、占っていようがどうしようが、最早何でもありなんだけどさ。
馴染みがなさ過ぎだよと、溜息を飲み込みつつ外を見やれば。雨が静かに降りだしていた。占いは当たっているというわけだ。ま、まだはんぶんだけで、これで夕方までに雨が止めばの話だけど。
それにしても、その術師というヤツは。
一体どこまで、何を見ることが出来るのだろう。
神子の行方を占えないのだろうか。
オレの正体を、占えたりするのだろうか。
確かめてみたくなったが、そこまで聞けば墓穴を掘りそうで。同時に、答えを知るのも怖くて。オレはジフさんに向けかけた言葉を飲み込み、変わりに朝食の終了を告げたのだけど。それでも、やはり、気になってしまう。
明かりを灯された部屋は不便がない程度に明るいが、庭に面した大窓の外は暗くて圧迫感があり、気が晴れない。
手持ち無沙汰にはじめた桔梗亭の模型作成は昨日で終わってしまった。
出来上がったものは、オレの作業に感心しきりだったハム公に押し付けた。本人は恐縮していたが、オレの手元ではゴミにしかならない。作る事が楽しいのであって、展示しておく趣味はない。
大事にしますと可愛らしい事を言ってくれたハム公は、実際にはラナックに脱走話を聞かされて以降気が気ではないようで、オレの前でも落ち着かない状態だ。相変わらず、時間があれば相手をしてくれるが、いつものほんわかさが少ない。時折、何か言おうと口を開き、言わずに閉じるを繰り返す。考え直してくれだとか、王様の弁護を試みようだとか、多分そういう類いだろうと思うので、オレは気付かない振りで終わらせる。
ハム公は、誰にも話していないのだろう。喋った後ならば、あんな風に迷ってはいないのだと思う。自分のところで何とか出来ないかと思うからこそ、オレに物言いたげなのだ。喋っていたらもっと、罪悪感丸出しだろう。報告した相手に口止めされているのだとしても、態度がそれを教えるタイプだから間違いない。
ラナックが思い付くままに無謀な提案をしてから、今日で三日。あれからは、特に何も言われていないし、何か用意している様子も見受けられない。本当に逃がす気があるのか、少し疑わしく思いもし始めているのだが、オレは何となく聞けずにいる。止めたと言われるのは勿論、準備は進んでいると聞くのも気が重い。
だけど、そんな憂鬱は、オレ自身の問題だ。根本的な話をすれば、この世界に来たのはオレの意志ではないのだから、問題が自分にあるというのも面白くない言い方だけど。少なくとも、一兵卒であるハム公には関係ない。とばっちりもいいところだろう。
ラナックが巻き込んだとは言え、原因はオレだ。
気苦労をさせている。それも、好ましく思っている相手にだ。オレには、ハム公に迷惑を掛ける権利なんてものは一切ないのに。
オレは勝手だ。
あの素直で心優しい青年を泣かせてでも、オレはここを出て行きたいのだ。
……いや、行きたいのか?
不意に、思いついたそれに、思わずオレは眼を見張る。桔梗亭の事は気になるし、あそこは居心地が良かったけれど。オレの目的は、一生居たいと思う居場所を探しているわけではないのだ。拘る意味は、あそこにはない。
現状への不満から、ここから出て行くことしか思い浮かんばないけれど。もしも、この状況が変わるのならば、王城でいることもまた可能になるのかもしれない。居たい意味なんてないけれど、居なければいけないのかもしれない理由ならばある。元の世界に戻りたいのならば。
天気を占う術者に期待するものは微塵もないけれど。それでも、ここは、この国の中枢だ。優秀な術師が居るのだろう。少なくとも、召喚を成功させた召喚師は居るのだ。オレにとって、ここには価値がある。軟禁状態でなければきっと、追い出さないでくれと願うくらいに、ここは重要だからとしがみ付くだろう。
この場で自由があったら、どんなに良かっただろう。身分は替えられないだろうけど、最低の人権があれば、オレはここで帰る方法を模索出来るのに。オレよりも、神子召喚について知る人物が、書物が、ここには集まっているのだろうから。
それなのに、なんて勿体無いのか。なんて無駄をしているのか。今のオレは、目の前のそれをみすみす逃す事になるのだとしても、出て行かねばならないのだ。
脱走という罪を犯してでも。
自分が、自分であるように。ただ当たり前の事の為に、他人を傷つけてでも。
状況を変えなければ、ここに居ても何にもならないのだから。
「……早く、」
自身の耳でとらえて漸く、呟いた言葉の意味を知る。
早く、ラナックがここから出してくれればいいのにと、続く言葉を知る。
忙しさに忙殺されて人を思いやる余裕もなく、後悔した事は何度もあるけれど。こんなにも考える時間があって、それでも誰かを傷つけるしかない現実が、オレは辛い。
時間は、無ければ大変だけど。
有り余るのも、残酷だ。
2009.10.19