君を呼ぶ世界 116
国を動かす程の頭脳で、何故。
オレ達は平行線だと気付かない?
ただの夢だし、実際にオレは何も被害を受けてはいない。
まして、覚えているソレも直感だけであって、記憶ではない。男の容貌に覚えなどない。
だから、雰囲気に飲まれて震える身体が、情けなくて。少しばかり痛めつけられようが自業自得だと、ラナックに対する暴力を流してしまおうと思うけれど。
それでも、染み込んだ怯えはそれなりにあるらしく、上手くはいかない。あの場にいた男だと、あの王の暴力を許した男だと思うと、条件反射のように腹の底が冷え、頭の芯が痺れた。
一度、伸ばした手を握り締め、オレは熱を零さぬように瞼を閉じる。
大丈夫だ、平気だと、舌の上で慰めを転がす。
けれど。
伝わってきた他者の痛みがオレを冷静にさせたのは、誰も気付かないだろうくらいに短いひと時だった。
「…ラナッ――わッ!」
そっと再び触れて伺うと、二度目の攻撃で眼を閉じ痛みに耐えていた男が、横たわった半身を起こしつつオレの身体を押しやった。構ってくれるなと、顔にはありありと書いていたけれど、これがただの仲間割れならば兎も角、オレのせいだと言われてした怪我を放って置けるわけもない。
「ちょ! 動くなよ、痛いんだろッ!?」
どこを打たれたのかと、三度伸ばした手を払われる。
同時に、未だに剣を持ったままの男に、問答無用の力で遠ざけられた。
「ま、ま、ま、待てよッ!」
抵抗するが力で押しやられては勝てるわけもなく、オレは思わずその腕にしがみ付く。だが、主の世迷言にも忠実な男は、子供の腕を捻るようにひょいとオレの拘束から逃れると、オレを王様の方へと押しやった。
後退しつつたたらを踏むオレの揺れる視界に、身体を起こしたラナックの肩を足で壁へと押し付ける男の姿が入ってくる。
王様もそうだが、この男もまた先程ごく普通にラナックと言葉を交わしていたのに。
何故、そう簡単に知人へ一方的な暴力を奮えるのか。信じられない。
「や、止めろって言って――ヒッ!」
もう一度挑みかかろうと足を踏み出したところで、胸の前に剣を突きつけられた。有り難くも鞘に入ったそれだが、夢の中の出来事と重なりそうな光景に、オレの喉が鋭く鳴る。
「スオン、待て」
場違いな平坦な声音が、まるで神の啓示であるかのようにその場に響いた。暴力に支配されかけた部屋の一角が、一気に雰囲気を変える。
「誤魔化すなら罰すると言ったはずだ」
「……」
王の一声であっさりと下げられた剣を若干放心状態で追いかけながら、オレは背中でその言葉を聞く。
「意味はわかっただろう。お前が正しく話さねば、同じ事を繰り返す」
「……」
「そいつが使い物にならなくなったら、お前の知り合いをひとりずつ用意しよう」
警戒の為に剣は向けているが、男はラナックの肩から足を下ろした。けれど、ひとまず大丈夫だと安心するのにはまだ早い。
だが、押し込まれる不快な言葉があまりにも無視できないもので。
オレは、ゆっくりと首を回し身体を少し捻って、後ろにいる男に顔を向け問いかける。
「……知り合いだと…?」
「ここから桔梗亭はそう遠くはない」
お前は何人自分のせいで知人が傷付けば、正直になるのだろうな。
見やった王様は、室内の騒動など見ていなかったかのように、変わらずに悠然と椅子に腰掛けていた。だが、物騒な言葉は淡々としていたが、オレを見る目ははっきりとそう語っていた。まるで、オレが誰かを傷つける主犯者であるように。
「それとも、こうして焦らして関係のない者を巻き込み続けるか? 少なくとも、ラナックはそうして甚振りたいのが本心か?」
「……アンタ、何を言ってんだ…?」
「お前がラナックに好意を持っているとは思えないからな」
「何を……」
何を言っているのか意味がわからないと続ける為に口を開いたが、言葉はそれ以上紡げなかった。
王が言った言葉は、レベルは全く違うが、先程オレが思ったものと同じだ。無自覚とはいえ日頃からオレを苛め、脱走を手伝うなど嘘八百であった男が痛い目を見るのを、どこかで確かにザマアミロと思ったのだ。その言葉の裏に、穿った見方以上に、オレを呷る意図を感じるのも確かだが。それは間違ったものではない。
だけど、オレは。
苦痛に歪む男の顔を平気で見られるほども神経は図太くない。自業自得だなんて思いはオレの罪悪感を少しばかり軽減させてくれるだけのもので、オレの中ではその暴力を放置してよい理由にはならない。王が言うように、わざと罰を引き出したのならば、その時点で加害者はオレとなるのだ。あえてそんなこと、したいわけがない。
けれど。
けれど、こうして。理不尽がまかり通り、オレの返答しだいで、ラナックへ再び暴力が向かうとわかっても。
その理不尽を受け入れたくはないと抵抗はしても、正直に話して罰を免れようという気持ちには傾かない。
どうすればいいのか、逃げ道を考えてしまう。
甚振るつもりなど皆無だが、リスクのない回避を臨んでいるのは本心だが、自分の状況と天秤にかけているのは明らかだ。そんなつもりはないといったところで、それこそこの王は信じないだろう。
言葉を無くし黙ったオレに、王はその返答は求めずに一番の問いを再び口に乗せた。
「この世界に来たのはいつだ」
「……何のことだか、わからない」
「……どうやら本気で、奴を殺したいらしいな」
スッと細まった眼に、挙がりかけた手に、慌てて「待ってくれッ!」とオレは叫ぶ。
だが、またしても次の言葉が出てこない。
「そいつを助ける気があるのならば、お前が出来る事はひとつだ」
短い沈黙を挟み、再び王はそう言った。
けれど、よく考えなくろも、それを勝手に決めたのはこの男なのだ。他の方法がないわけじゃない。この男がヒトコト、攻撃を止めろといえばこうして止まるのだ。オレの秘密を知っているのならば、もうそれで終わらせればいいのだ。ひとつも何も、拘る必要はない。
どうやって調べたかわからないが、どうせオレの話など都合のいい所しか採用しないのだから、裏を取る必要なんてないだろう。勝手に、異界人なり何なり思っておけばいいじゃないか…!
「…ひとつって、何だよ。質問には正確に、か? 馬鹿らしい」
「お前の『馬鹿らしい』で死ぬ事になったら、流石のそいつも哀れだな」
「フザケタことを言うなッ! 第一、勝手に決めて実行しているのはアンタであって、オレじゃない!」
例えば、本当にラナックがどうにかなったのだとしても。それでもそれは、オレの愚かさのせいではない。この男の傲慢さのせいだ。そして、そんな男に従い、打たれてもなお抵抗ひとつしないラナック自身の馬鹿さだ。哀れなのは、家臣を道具のように扱う王と、愚王を正す術を持たない騎士と、命のまま動くだけの御付の三人だ。オレではない。
けれど、確実に。この状況で精神負担が掛かっているのは、その三人ではなくオレで。
そうして、王の狙いは、正にそれだ。
知人を痛めつけることでオレに罪悪感を覚えさせ、その隙に、裏付けやら言質やらを取ろうというのだろう。
先日の攻防は、押さえ込もうとするもので、オレは力で抵抗すれば事足りた。だが、今ははっきりと、攻め込まれているのだとわかる。防御もままならぬ間に踏み込まれ、後退するしかないのに、背後に地面はない。落ちるしかない状況だ。
オレだって素直に落ちる気はない。傷付くとわかっていても、例え剣を向けられていても、前に一歩踏み出してやりたい。けれど、それもまた、相手の思惑に乗るようなもので。どうすればいいのか判断がつかない。
「…アンタは、ラナックと幼馴染じゃないのかよ」
声を荒げた瞬間に、しまったと後悔する。なのに、努力して抑えても、直ぐにまたそれを無駄にするような衝動が湧き上がる。
「部下に友達を殴らせてまで、オレに何を言わせたいんだ…!」
「事実を話せ」
「事実? 笑わせるなよ。アンタが求める事実は、オレのそれじゃない。自分の理想の言葉をオレに紡がせたいだけだろうが! オレが何を言ったところで自分の都合に合う事しか信じない奴に、事実もクソもあるかよッ!」
「それは、嘘を吐いていないと言う事か? だが、お前が語った話に根拠はない」
「根拠ッ!? ンなもの、ただの田舎者にあるわけがないだろう! 自己証明せねば罰せられる予定などなかったんだ、用意などしているかッ!」
「どんな奴でも暮らしていれば痕跡は残る。近くで暮らす老人の知人として村に現れる以前のお前のそれがないのは、どうしたわけだろうな」
じわりと獲物を追い詰める態であるのに、その声も表情も、薄っぺらささえ感じる平坦なものだ。内心ではオレになど関心を向けていなさそうな、訊いている割には興味がなさそうなそれは、静かであるぶん頭に血が上るオレに突き刺さる。
「……そんなの、オレが知るかよ」
オレの事を調べたのだとわかる発言に、勝手に悩んでいればいいさという投げ遣りな思いと、本当に来訪者だとバレているのかという危惧がオレの身体を貫いた。
前も決して尊重などされていなかったが。異界人との認識だからこその仕打ちかと思うと、頭のどこかで電気が切れたように、暗澹たる気分が押し寄せる。
オレは、王と平民という身分差ではなく、この命そのものを蔑まれているらしい。オレをそうした、元凶である当人に。
「…第一、アンタはオレの隠し事というやつを、もう知っているんだろうが。オレに聞く必要は何もないじゃないか。オレがオレの真実を言っても、アンタは自分で調べて得た事の方を信じるというのに、こんな会話、何の意味があるんだよ。暴力で屈服させてまでして得る言葉に、中身なんてあるわけがないだろうが」
叫ぶ変わりに目に力を込め、オレは王を睨む。目から光線でも出るんじゃないかと本気で思うくらいのその視線を、王は眉ひとつ動かさずに受けた。それはまるで、例え噛み付いてこようが痛くもない相手へのものだ。
オレはその辺にいる虫かよ!と、オレはその態度に頬を引きつらせる。こいつは、オレの怒りも、舐めさせられている辛辣も、ギリギリで立っている恐怖も、何ひとつとして理解していないのだ。オレが何者であるか、予測は出来ていても証言が欲しいと詰め寄ってきてはいるけれど。一切、オレ自身には、内面には興味がないのだ。
この王様にとっては、異界人と思しき男など、自分と同じ人間ではないとの認識なのだろう。
オレは思わず、思い当たったそれに喉を鳴らし、顔を歪めて笑う。
そう、もう、笑うしかないじゃないか。
「それでも、アンタが……いや、王が望むのならば。いち平民でしかないオレの嘘で、一国の王の御心が静まるというのならば、幾らでも嘘を吐いてやるよ。神子でも異界人でも何でも、認めてやるよ。それが王としての命令なら、オレの事実など取るに足らないことだ。――人の命がかかっているのならば、な」
だから、ラナックを開放しろと。
続けて言ったオレの言葉をかき消すように、オレの背後で鈍い音が響いた。
まさかと振り返るオレの耳に、つまらなさそうな声が届く。
「存外、早いな。誤魔化せば罰すると言ったのを、もう忘れたか」
……この、クソ王めが!
ザケンナよッ!!
2009.11.16