君を呼ぶ世界 122
オレは、自分がこんなにも。
臆病な上に、卑怯であるとは知らなかった。
「メイ。大丈夫か?」
「……、……あぁ、うん…」
入ってきたのは、リエムだった。
入室したと同時に、気遣うようにオレを見た男の顔は、何だかどこか疲れて見えたけれど。向けられた眼は、この状況を判っていないようなほどに優しげで。
オレは、リエムが居る事にも、その態度にもあっけに取られて呆然とした中で辛うじて頷く。
いや、まあ、ここにリエムが来るのは、オレとの関係性から言っても全然可笑しくはないんだけれど。
まるで予期していなかったので、戸惑いの方が大きい。いったい、何日振りだろう? 喧嘩をしたわけではないが、互いの意見を噛み合わせられなかったあの時以来だし。何より、手放しに喜べる状況でもないし。困惑して当然なのかも…と、そう思い、嫌な事にも気付く。
オレと仲のいいリエムがここに居るという事は。第二のラナックに成り得るという事か? オレが逃げ続けたら、今度はリエムを使って脅したりするのだろうか?
「どこで遊んでいたんじゃ、ヴァンの坊。遅かったのぅ」
「陛下。申し訳ございません」
よく把握しているわけではないが、耳に入れた先の言葉からすると、自分が余計な事をしたのだろうに。それを棚に上げているに違いない奇人の言葉を無視する形で、オレの傍らに進んできたリエムが王に向かって頭を下げた。
リエムに会えたのは嬉しいけれど、オレのせいで痛い目を見せるのは嫌だなと。突然登場の驚きと嫌な想像で跳ねた鼓動が早鐘を打ち、オレの血を高速に動かしていたのだけれど。奇人に出し抜かれた詫びか何かはわからないが、横に並んだ男のそれを見て、オレの頭がスッと冷える。
よく知っている横顔は、けれどもただのリエムではなく。主に仕える兵士のそれだ。
そして王も。
王様もオレに向ける視線とは違い、表情は相変わらずでも、眼にそれ相応の深みがあった。
「いや、苦労だったな」
「いえ、元より私の不手際です」
「こちらは問題ない」
「はい。兎に角、ディア殿が無事に戻られており良かったです」
「何を言うやら。そちこそ迷子になっておるのかと思うくらいに遅いからのう。今、ちょうど探しに行こうかといっておったとこじゃよ」
「それは、お気に掛けさせてしまい申し訳ありませんでした」
「なあに、子供の面倒を見るのは親の勤めじゃ。当然のことじゃろうて気にするな」
親どころか捜しに行く気もなかっただろうに、完璧な主従の会話にしゃあしゃあと軽口を挟む奇人にオレは白けるが。さすが好青年というか。役者が上なのか、嘘だと気付いていないわけでもないのだろうにリエムは笑顔で礼を言う。なかなか凄い。
だが、「ヴァンの若造は大したものじゃのぅ」と、奇人が身体を捻って振り返り、王にそう声をかけている隙を縫うように。リエムがオレに顔を向け、「驚いただろう? こういう方なんだ」と苦い笑いを零した。
「あ、うん、まあ…」
その苦笑がふと、結構前の事で記憶はないに等しいはずなのに。ラナックの苛めにやられていたオレに彼の人となりを語ったときと同じだと、何故かそう思ってしまう。リエムにとってきっと、この奇人はそういう意味で諦めきれる相手なのだろう。
オレには到底無理だけど。
「久し振りだな」
「うん…それより。なんか、疲れてないか?」
何故ここにと、聞くべきなのだろうに。オレの口からは別な言葉が落ちる。我ながら、ヘタレすぎだ。
「ああ、そうだな。だが、大丈夫だ。それより、お前の方こそ痩せたな」
「え? そうかな…?」
「しっかり食わなきゃ、大きくなれないぞ」
「…子供じゃないんだから、これ以上は成長しねぇーよ」
「だったら。年寄りじゃないんだから、そう簡単に痩せるな」
「…そんなに痩せたか?」
全く自覚はないんだけれどなと。どちらかと言えば桔梗亭でいるより全然動いていないので、身体は緩んでいるんじゃないかなと、意外な指摘に思わず自分の身体を見下ろし、ハタと気付く。善良リエムに和まされかけている場合ではない。このペースに乗ってはダメだ。
「……まあ、環境が環境だったし」
自嘲以上に、嫌味を混ぜてのオレの発言に、リエムが困ったように眉を少し下げた。当然だろう。あの客間で目覚めたオレに状況を説明したこの男は、以降、今の今まで現れもしなかったのだ。オレにとってあの場所では、頼れるべき者は自分だけなのだとわかっていただろうに、こいつは様子ひとつ見に来なかったのだ。実際に軟禁したのは王様であるのだから、オレのこれは半分以上八つ当たりだと思っていたとしても、流石のリエムも多少の罪悪は拭えないのだろう。
表情は、済まないと詫びているようでいるが。無言は、どうしようもなかったのだと開き直るかのようで。立場上、ここで何らかの返答をするのは難しいのかもしれないと思いながらも、オレは小さいながらも溜めた息を吐く。
ラナックの、リエムはどこかへ行ったと言ったのが本当ならば、物理的に無理であったのだろうけど。それでも、やって来いよと、本人を前にするとつい思ってしまい、恨みがましく見てしまう。だけどこれは、こうして再び会えた上に、以前と変わらないその態度に安心したからのものだろう。思えば、軟禁状態の日々でリエムを心底から恨んだことはない。ラナックに、捨てられたんだと言われて以降もだ。
そうであったのは、信じていただとか、信じたかったとかではなく。ただ、オレはこうしてまたそれまで通りに接するのだろうというのを知っていたからだ。例えオレを見限ったのだとしても、リエムの性格上、対面した相手を蔑ろにしないだろうし、協力を得られなくとも軽んじる事もないだろうとわかっていたからだ。同時に、オレもまた、互いの立場ゆえの意見違いで相手を切り捨てるほども頑冥ではないつもりだ。少なくとも、リエムにはそれでも余りあるほどに世話になっているのだし、オレ自身が彼個人を好いているのだから、この友人関係を絶つ気などないのだ。
だから、会いに来いよと思ったし、来てくれと嘆いたし、何故来ないんだと怒ったけれど。それはその時の感情であって、リエムを嫌う理由にはならない。友達解消の原因にもならない。
それは、きっとリエムも同じだ。同じはずだ。だから、部屋に入った途端にオレを気遣ってくれたのだろう。普通は、この場にいるのならばそれは職務であろうから、王への詫びを一番にするのだろう。
それでも、オレが行った小さな攻撃に対し、「災難だったな」というのでも、「悪かった」というのでもなく。ただ、言葉なく曖昧な表情をする男に。オレは、まだ終わっていないんだなと悟る。
オレを来訪者だとリエムは考えていると、そう聞いた時点で気付くべきだったけれど。
神子ではない、石の持ち主はいない、召喚に関係ない、神子捜索には協力出来ない。あれでオレは終わったつもりだったけれど、リエムは続けていて。そして、その延長がここに来ているのだから。リエムもまた、奇人をオレに向けてきた王様同様、終わらせてはいないし、終わらせる気はないのだ。
「……けど、オレも、平気だから」
「それならいいが」
無理はするなよと、リエムでなければ場違い過ぎて憤慨ものだろう言葉と笑みを向けられ、オレは返事代わりに小さく笑う。
四面楚歌状態のオレの前に現れたのは、望んだ知人ではあるけれど。この登場を素直に喜んでいい訳でもないのだなと。そんな事実に気付き、空しさが浮かぶ。リエムが討たれる危惧をしたが、逆もあるのだ。リエムが王の命に従い、オレを討つ事がないとは言い切れない。むしろ、リエムと王の遣り取りでその関係を目にした今では、そちらの可能性の方が高いと思える。
何より。もう、こうして奇人にここまで暴かれたのならば。あえて人質をとって脅すよりも、オレに直接打ち込んだ方が早いだろう。そして、その適任者はこの中ではリエムが一番だ。何だかんだと言っても、オレが一番ヤラれて堪えるのはリエムなのだから。
リエムの登場は、オレの首を締める方が多いなと。何もかもが歯がゆい状況だな、と。改めて気付き、苦味が口の中に広がる。
だけど、それはこの現状であって。リエムとの関係ではないのだと思う事が、思っている事がオレの心の拠り所になっているのも事実だ。
だから。
「リエム。ディアの読みが当たった」
「坊やはまだ認めていないがのう」
ハッと、王の言葉に顔を向けたリエムの横顔を見ながら、オレはこいつに言おうと思った。今更、この状況では誰も彼もないけれど。先程、こんな風に激白させられるのならば、せめてリエムにしておけば良かったと思ったように。その悔いが改まるわけではないけれど、もう遅すぎるという話だろうけど。だけど、どんな理由があったにせよオレを思ってくれた相手に。リエムに告げるのならば自分を納得させられると、させようと思えた。
正直、悔しいを通り越して残念なほどの状況だ。オレの告白をてぐすね引いて待っている奴らの前で言いたくない意地が、今も確かにこの胸にはある。でも、あの時に。あのリエムと向かい合った時、言えなかったではなく、言わなかったのであろうこの自分を、これ以上バカにしたくはない。
本当は探さなくとも、言う機会は沢山あったのだろうに。後生大事に隠して、嫌な奴らに暴かれて、大マヌケだ。ここで言わないのならば、オレは一生言わない。だが、そうしたいとオレは思うけれど、実際に言わないで通すことはもう不可能なのだ。今なお怪しいと思うが、奇人の的を射た発言は、オレをそう簡単に開放しないだろう。
だったら、実際にはもう遅くとも。
オレは自分で選ぶと、驚いた後に緊張を浮かべた横顔を見ながら決心する。
王と視線を交わし、無言で意思を遣り取りしているかのようなリエムの腕に、そっと手を伸ばした――のだが。
「さあて、少年。どうするかのう? そちはまだ、違うと抵抗し続けるか? だが、ボクが明かしてしまったからには、このまま開放されることはないぞ。折角出てきたようじゃが、王宮に逆戻りじゃな。だが、その中で、首根っこを抑えられるか、渋々でも従い多少の譲歩を認めさせるかはお前さん次第。いい加減、どっちかに動いてはどうじゃ」
そろそろ飽きてきたわい、と。旅疲れが溜まっておる老人を労わらんとバチが中るぞ、と。最近の若者は自分勝手じゃなぁ、と。
オレの決意を真横から殴るような言葉が、オレの上げた腕を止めた。
「…………」
オイコラ、奇人…! さり気なさを通り越して、必要不可欠なものまで一緒にオレのせいにするとは。あんた、ホント、何様だよ?
ドン引きに引きすぎて、クルリと一周して怒り地点へ戻ってきてしまったオレが思わず睨むと、「怖いのぅ、ヴァンよ、助けよ」とふざけた態度でリエムに救いを求める。
っで。「メイ…」と。リエムが宥めるような嗜めるような声でオレを呼ぶのだから、怒髪天を突くだ。
リエムにならばと思ったけれど。この奇人の奇行を妥協するのは、オレには無理だ。確かに、言わせておくのが一番だろうけど。実害有りまくりなオレは、我慢など出来るものか!
「黙れ、この奇人ッ! 眠きゃあ、どこへでも行って寝て来くればいいだろう! 何なら、穴を掘るのを手伝ってやろうか!? クタ――ッ!!」
クタバリヤガレ!と、喚く途中で。大きく口を開いたところで、伸びてきた手にそれを塞がれた。反射的に振り払おうと首を振るが、肩を捕まれ、身体の向きを変えられる。
「メイ」
「…………」
先程とは違い、痛いくらいに強い視線と真剣な顔で、硬い呼び掛けを向けられた。情けなくも、怒鳴られたわけでもないのに、ビクリとオレの身体が揺れる。
「落ち着いて、聞いてくれ」
「怖がらせている相手が何を言うのやら、じゃな」
「……ディア様。不必要にメイを刺激しないで頂きたいのですが」
「必要あっての事ならいいんじゃな?」
「ディア」
奇人の減らず口に閉口したリエムに変わり、王様が助け船を出すように奇人の名を呼び諌めた。怒られた男は肩を竦め、「年寄りは大事にするもんじゃぞ」と、懲りた様子もなく嘯くが。一応は、王を王と認識しているのか、きちんと口を閉ざす。
そんな遣り取りを、横目で見ていたオレは、すっかり気がそれて。
リエムが開放してくれた口で、溜息を吐く。
零れたそれに、「真実が知りたい」との、リエムの声が重なった。
「メイ、話してくれないか?」
「……」
話そうと思っていた。いや、今だってそう思っている。
だけど、口が開かない。
流れる沈黙が、オレを苛めるけれど。
言葉が、出ない。
2009/12/07