君を呼ぶ世界 123


 ヌルい日本の大学生に、やり直しが効かないような決断を迫らないでくれ。

 眼前のリエムからの痛い視線を避けて、ツイッと横を向けば。子供のように溢れる好奇心を隠していない、口元を引き上げた男が居て。その向こうには、テリトリーに入ろうとしている相手を監視しているかのような、飛びかかかってくる直前の猛獣のような、緊張を詰め込んでくる息苦しい視線があって。
 思わず落とした目で、オレは床を見下ろし睨みつける。
 言おうと思っても口に上せられないのは、オレの弱さであるのだろうけれど。それを素直に認める事が難しい。本当に、オレは言おうと思っているのだから。最早、何か別の力が働いているんじゃないかとさえ思ってしまうほどだ。口には出来ぬよう、オレは術でも掛けられているんじゃないだろうか。
 少なくとも。今この状況は。今までの現実は。オレの口に蓋をするほどのものであったのだから、あながち見当違いのものでもないのだろうけれど。
 それでも。詰まる喉を、抵抗する身体を裏切ってでも。心は告白を選んでいて。
 オレの中に、歯痒さが浮かぶ。
 情けない。
「お前が何者であろうとも。オレはお前を蔑ろにはしない。話さなければ良かったとは思わせない努力をする。信じてくれ、メイ」
「……。……信じるって、そんな…」
「頼む」
「…………」
 顔をあげた途端、真剣な瞳に気圧され、オレの口は再び閉じる。
 リエムが、信じられないだとか、頼りないだとかではない。オレはリエムがどうであれ、大して構わないのだ。たとえ、王の命令に忠実になろうとも、それによりオレを傷つけようとも、裏切られたなど感じない。
 だから、リエムに対する不安で、口を閉ざしているのではない。王に対する、この世界に対する、それぞれの大きさにオレは飛び込めないだけなのだ。ここまでくればもう、オレの中での問題である。
 来訪者であるのを口にするということは、もう後がなくなるという事だ。ならば、たとえ120パーセント疑われていようとも、告白して危険に飛び込む甲斐が見えないこの状態では、オレは否定し続けるべきであるように思う。生半可な覚悟ではなく、それこそ、口にするのは死さえも意識しておかねばならない事柄なのだから。
 確かに、リエムだけが相手ならば、オレはこんなにも悩まなかったのだろう。実際、このような窮地になど立たずに済んだだろう。けれど、リエムの向こうには、王が居るのが現実だ。その隣には、すべてを見透かしているような奇人がいるのが今だ。信じられない事があるのだとしたら、それは告白したとして状況が好転するとは信じられないということだけだろう。リエムにならば命を賭けられても、今までが今までなだけに、どんな言葉を貰おうとも、態度を示されようとも、王相手では無理な話だ。
 けれど。オレはそもそも、そんな事を求めているのではない。最悪のこの事態を打開するために、助かるために口にしようと思っているのではなく。無理やりに暴かれるのならばせめてリエムにと、小さな妥協に縋ろうとしているだけだ。話さないで済むのならば、今なおそうしたい。だけど、それはもう難しい。だから、言おう。リエムが相手のうちにと、そう思ったに過ぎない。思えたのは確かに、良い関係を築いたリエムだからであるのだが。だからって、オレが持つのは率先して打ち明けたいような、軽い秘密ではない。
 オレを一番に助けてくれた爺さんに全てを話せたのは、まだオレ自身が世界を飛ぶということを理解していなかったからだろう。迷惑極まりない事態に巻き込まれたとの腹立たしさの方が大きかったからだ。あの頃はまだ、オレはこの世界にいても、ここで生きている意識は低かった。
 けれど、旅をして。自然に触れて、人に触れて、この世界の流れに乗って。
 ここで生き始めたオレは、自分の存在の不安定さを知った。直接差別を受けたわけでも、旅で出会ったあの少年が置かれたそれを見聞きしたからだけでもなく。オレ自身が、世界の中で異質であるということを敏感に悟り、それを隠す術を無意識で身に付けた。確かにそれは、防衛本能であったのだろうけれど。それ以上にオレは、この世界に、この日々の中に溶け込みたいのだと。ここで生きているのだと自分自身に納得させて選び取った日々への、適応力だと思う。怯えてばかりいたわけではない。
 だからこそ。それをこうして暴かれるのは、今までの日々が偽りであったかのように自身で認めるようで、嫌悪感すら浮かぶのだ。頭では、告白しようと考えるのに、心はそれに従おうとしているのに、身体は抵抗し言葉は喉に張り付いたままだ。
 自分ではもう、どうにもならないと。この状況を一番歯痒く思っているのはオレ自身なのだろう。
 周囲の注目を一身に集めているせいもあり、焦りまで浮かぶ。
 けれどももし、異界人として、この世界から忌み嫌われたら。きっと、こんな比の重苦しさではないだろう。今まで出会ってきた人は、本当に良くしてくれたが。それはオレが、この世界のただの田舎者であると称していたからだ。来訪者だとわかったらどうなるのか、正直に言って、オレには予測がつかない。
 旅の途中で出会った少女達のように、差別せずに付き合ってくれるだけの度量が彼らにはあると思うし、そう信じたいけれど。だけど、異端者を排除する行為が差別だと、嫌悪すべき行為だと把握しているのかまではわからない。異界人は同じ人ではないというのが普通だと、悪意など微塵もなく当然のこととしてそう認識していたならば、簡単にどうこう出来ないだろう。オレが、この世界の人達のように神や神子を思えないのと同じで、価値観の違いからそうした差異が生まれたら、言葉を尽くすだけでは駄目な筈だ。
 だけど、相互理解に不可欠な時間的余裕は、排除に踏み入られた場合オレには与えられない。秘密を明かすと言うことは、最悪を考えてしかるべきで、オレは再び危険を冒して未知の世界へ踏み入らねばならないと言うことなのだ。もう一度、世界を変えることになるのかもしれないというわけだ。
 それなのに、そこへと飛び込ませようとしている王の誠意が欠片も見えない事実が。今更期待もしていないそれであるというのに、オレの一歩を止めている。リエムが言葉を重ねれば重ねるだけ、オレの中のどこかで空しさが広がる。異界人だなと、先程向けられた蔑んだような低い声が、衝動を無理やり押さえ込んだ為に出来た胸の空間で響き渡る。
 苦しいのはもう沢山なのに。辛くて仕方がない。
 告げると決めてもなお、見えない未来へ怖気付き、決断を揺るがすようにオレを押さえ付ける。
 だけど、もう。本当に、オレは。彼らの中ではまだ想像の域を出ていないのだとしても。オレにはもう、それを跳ね除けるだけのものがない。何ひとつないのだ。
 じりじりと追い詰められ、最終的に暴かれるのを待つだけならば。やはり、リエムに。オレを嫌っているのだろう王が傍に居るのだから、言えば最悪な結果に繋がるかもしれないが。後悔するとしても、その原因を選ぶことだけが、今の自分に出来ることだと思うから。
 だから、あと一歩。踏み出すだけの根性があればいいのに、と。誰でもいいから背中を押してくれ、と。凝り固まったこの身体を動かせるように、少しでもいいから潤滑油が欲しいと。オレは、渦巻く葛藤を打破すべくリエムを見る。信じさせろと頼むように。言わせてくれと、助けを求めるように。
 オレの言葉を待っていたのだろう男は、オレの無言の思いを受けて。どこか辛げにその目を細めた。
 翳った表情に疲労の色が増し、本当に酷いほどの顔色だなと。疲れているなと、オレが思うそばから。「そんな顔をするなよ、メイ」と、痛ましげなものを見る視線を向けられる。
 そんな、が、どんなかはわからないが。
 酷い顔であるのはオレも同じなのかもしれない。
「俺はあれからずっと考えていた。お前が言ったように、神子を召喚するという事を。それに巻き込まれる者がいるという事を。もしも、俺自身がそうであったならばどうだろうと、な」
「…………リエムなら、…どこでも上手くやれるだろうな。その性格なら、適応力は高そうだし」
 少し和らげた視線でのそんな告白に、オレもまた肩の力を少しでも抜くように、軽口めいてそんな言葉を選び小さく笑う。
 打てば響くと言うのではないけれど。シコリがあってもなお、こうして気持ちの触れ合いがはっきりとわかるような、気負わない遣り取りが、オレをリエムへと導くのだろう。もとの世界では当たり前に出来ていた友人知人との接触と変わらない感覚をもてる相手だからこそ、まるで依存するように揺るぎない場所へ位置付けているのだろう。
 小さな笑みひとつで力を抜く自分を甘いと、オレとてどこかで思うが。それを許しているのもオレ自身で。この先、どれだけこの世界に居ようとも、リエムに変わる存在は持たないだろうし。リエムの位置付けを変える事もないのだろう。そして、それは、つまるところ俺にとっては家族と変わらない大事な者であるという事で。
「ああ、そうだな。そこがどんなところでも、生きていける自信はある」
 傲慢とさえ思えるほどに、堂々とそう言いきった男に、オレは誇らしささえ憶える。
 そう、この男ならば本当に。オレと入れ替わり、文明が発達したあの世界に飛んだとしても、直ぐに適応するのだろうなと。状況も忘れ、オレはスーツに身を包んだ美丈夫を想像し、もう一度軽く笑う。
 けれど。
「その為の能力は備わっているはずだ。だが、実際に生きていくかどうかはわからない」
「……」
 意外な言葉が、それに似合わない表情から落とされた。
 疲労の色が濃い中でも、相手を安らがせられる微笑を保ったまま。リエムは強い言葉を繋ぐ。
「俺はこの世界で、命をかけて仕えるべき相手を決めている。別の世界に飛ばされたとしても、その気持ちは変わらない。だが、戻れないのならば持ち続ける意味がなくなる。それは、俺にとっては命をとられる以上に辛いことだ。俺は生半可な気持ちで主を持ったわけではないからな。例え、その世界を救う人物だと拝め祭られても、俺は納得など出来ずに戻りたいと思うだろう。そこまで考えて、漸く、お前が言っていた事の意味が正しくわかったように思う」
「……、オレの…?」
「来訪者は勿論、神子にだってそれまでの日々があったのだと。些細な明日の予定も、未来への夢も希望もそうだが、世界が変わるということはそれまでの自分さえも消さねばならない事があるのだと。お前が、召喚は拉致に過ぎないと語った時、俺はその言葉の意味しか理解していなかった。お前の考えが何であれ、俺は神子を見付けたい思いの方が強くて、そんな事もわからなかったんだ。だが、今なら少しはわかる。俺だったならば、耐えがたい、許しがたい行為だ」
「そうか……。でも、じゃあ、リエムはもう…?」
「いや…、だけどな、メイ。それでも、召喚はもう行われたんだ。神子の存在を確かめずには終われない。たとえ、間違った事だとしても、必要なんだ」
「…………」
 間違った事とは、召喚そのものか。それとも、捜索に対してか。
 必要なのは、神子自身か、その存在の有無か。そして、それは誰に対してだ? リエム自身か、それとも王か。
 どこまでも真摯に聞こえるが、どこか強引でもあるその言葉に。オレはそんな疑問を浮かべるが、問い掛けるよりも先にリエムが言葉を紡ぐ。
「俺は、神子を見付けたい。その為の手掛かりは、今はお前だけなんだメイ。どうか、協力してくれ」
「……それで…オレは、どうなるんだよ?」
 あの日と同じ言葉に、やはりオレは変わらないのだと、リエムのオレに対する対応に若干の寂しさが浮かぶ。
 けれど、よく考えなくても。リエムは、可笑しな能力を持つと自称する奇人に会うより前から、オレを来訪者だと可能付けていたのだ。今更なのだろう。
 とは言え、疑念を持つまでは、まさか己の主が行った召喚での被害者であるとは思っていなかったのも確かだ。だから、あの時はただ、聖獣が一度だけ反応した石を持つ者としてオレに協力を仰いだのだろう。
 ならば。あの時のそれと、今のそれでは全く意味が違う。
 本気で神子を渇望するのならば、それこそ王のように強引に出るべきところだろう。それなのに、なおもオレに選ばせるかのように頼んでくるリエムを見返し、オレは逆に問う。
 神子と共に飛ばされた来訪者だとしても、オレには言語能力以外のものは一切ない。そんなオレを手元に置いて、何の意味があるというのだろう?
 奇人の言葉を採用はしても未だに認めろと迫ってくるところを見ると、オレは限りなく黒に近いが、真っ黒ではないのだろう。濃い灰色だけでは、こいつらは困るのだ。だったら、認めさせてオレ自ら協力的にならねばならない何かがあるという訳か?
「協力して、何を得られる?」
「言っただろう、お前の身の安全は保障する」
「保障も何も…オレは安全じゃないのかよ? オレが今この瞬間に危険だと感じているのは…、厄介だと思っているのは…、こいつ等なんだけど…?」
 流石に、指を差すことは出来なかったが。それでも言わずにおくことも出来ず、視線で傍の王と奇人をリエムに示せば。オレの苦労がわかったのだろう、わかっているというようにリエムは頷いた。
 だが。
「お前は、戻りたくないのか? もとの世界に」
 その問いは、オレの求めを跳ね除けるものだった。

 目の前に落とされたのは。
 希望なのか、絶望なのか。


2009/12/10
122 君を呼ぶ世界 124