君を呼ぶ世界 124


 賭けた命が無事に戻ったとしても。
 それは果たして、何も変わらないままの、自分のものなのだろうか。

「……ナニを、バカな…」
 オレは来訪者じゃないといっているのに、まだ言うかとのニュアンスで発した言葉は。完璧、わかりきった事を聞くなという雰囲気を持った、苛立ち交じりのものになった。
 異界人と攻められる事に構えていたせいか。あまりにも当たり前なのに、今まで一度として向けられた事がなかったそれに、オレの中で感情が波打つ。
 戻りたいかだと? もとの世界に?
 リエムの中ではっきりと、オレが何者であるのか位置付けられているそれなどどうでも良くなるぐらいに。その言葉自体がオレを揺さぶる。
 リエムからの問いだと思えば、その言葉の意味を図りかね、疑心まで生まれる。
「……」
「そこに、お前の未来があるんじゃないのか?」
「…………」
 無言でいれば、オレは認めたことになると。確信を与えてしまうのだとわかったが。ここ以外の世界など知らないと、嘯くことは咄嗟には出来なかった。けれでも、戻りたいさと言うことも、出来ない。
 オレは、一瞬泣いてしまいそうな揺れを自分の中に感じつつも、視線を離さずに。リエムを一度見据え、ゆっくりと瞼を閉じ、一呼吸おき再び開く。
 重なった視線が、痛いくらいに熱い。
「協力をしてくれるのならば、俺達はお前の希望に添えるよう、出来る限りの手を貸すつもりだ。街で得るよりも、王宮内の方が神子召喚に関する情報は多い。来訪者の帰還は聞いた事がないが、絶対にあり得ないとは言い切れないのが世の中だ。今まで誰も調べなかっただけのことで、もしかしたら方法はあるのかもしれない。お前が王宮に留まってくれるのならば、その替わりというのはおかしいが、協力をする。それでも駄目か?」
「……。……ちょっと、待って…」
 畳み掛けるように向けられた言葉は、今までの対応から言えば予想外のものではあったが。リエムが発信源ならば、あっさりとオレの中にはいってくるもので、どう処理をすればいのかわからない。
 リエムが示すこれは、オレが望んだ妥協点ではあるのだろう。来訪者だと認めるのならば、帰る手助けをするというのだ。爺さんはその手立てはないと言ったが、実際に召喚は行った王が持つその知識を手にすれば、手掛かりは見付かるかもしれない。それこそ、消えた神子を探し出せれば、多くの知識を持つというその人物から方法を教えて貰うことも出来るだろう。
 妥協どころか、示されたそれだけを見れば、飛びつきたいくらいの好条件だ。むしろ、妥協したのは相手の方になるだろう。首根っこを抑える方法もあるのに、来訪者に協力しようというのだから、王なんかは苦渋の選択だろう。
 そう。リエムは兎も角、問題はやはり王様なのだ。
 たとえ、これはお前を懐柔するための餌なのだと、はっきりそう言われたのだとしても。目の前にちらつかされたものは、とてつもない魅力を放っていて、オレを惑わす。これが、王や奇人が提示したのならば、信用置けなさ過ぎるからと蹴っただろう。だが、口にしたのはリエムなのだ。オレの心を揺さぶらないわけがない。それでも、リエムは「俺達」と言ったのだから、飛びつけはしないのだ。
 リエムが手助けしてくれるのならば…!と、思わずにはいられないけれど。
 二の足を踏んでしまうくらいには、オレはもう十分苦汁を飲まされているのだから。
「……協力協力といっても、言った筈だけど。神子なんて知らないし、その名残も感じないし、オレにはなにも出来ないのに…何を言っているんだか…」
 真剣に言うなよと、リエムのそれを軽口にしてしまおうとオレは肩を竦める。が。
「出来る範囲でいいんだ。無理難題なんて吹っかけないさ」
 脈ありと見たのか、安心させる為か。柔らかく細丸目を見ながら、オレは小さく息を吐く。
 来訪者だと認めさせたいが為の戯言ならば、オレは見事に揺さぶられているのだから、成功だと笑ってやるけれど。だけど、本気であればあるだけ、頷くのは怖くなる。オレは確かに、彼等に関係ある異世界の人間だけど、本当にただそれだけなのだ。認めたならば、罪滅ぼしに帰還方法を探ってやると言うならば兎も角。リエムが提示したのは、協力による対価としての、協力だ。何も出来ないオレが成果などあげられず筈もないのに、出来ないとわかっていても頷くには、リエムの後ろにいる人物が悪すぎる。
 役立たずだとなってもなお、王はオレへ情報提供をするだろうか?
 リエムが示すのは誠意であり、本物だろう。協力と言っても、具体的に今の段階でオレが出来ることなど殆どないのはリエムとてわかっているはずだ。それでも、王は。この王様は、軟禁までしていた相手に、こんな条件を出して乞うほどに。オレを利用したいのか、監視下に置きたいのか。それとも、来訪者にしてしまった責任を取るとでも言うのか。
 そのどれかはわからないが。リエムの言葉に嘘はないと感じるが、それを覆る事が出来るほどに、この話はリエムの一存で決められるものではないのだ。YesもNoも何も、答えられるまでになっていないのが現状だ。
 それなのに。
 わかっていて追い詰めてくるのか、わからずに頼んでいるのか。リエムはオレの躊躇いを突き、迫ってくる。
「もう一度、王宮に戻ってくれないか。メイ」
「……」
 戻るも何も、きっと、オレは連れ戻される。それは、奇人の言葉じゃないけれど決定事項だろう。
 はっきりと敵意を向けられてのそれは、何としても抗いたいと思うそれさけど。
 だけど、こうしてオレの意思を尊重するように乞うリエムのこれは、これはこれで性質が悪いな…と思いつつも、突き放すことは難しいもので。
 オレは、真っ直ぐと向けられてくる視線を外すのを諦め、深く息を吐き口を開く。
「……神子を探すのに、オレが居ればどうにかなるんだとは思えないけれど…それでも、リエムはオレが居る意味があると思っているんだな…?」
「それは……正直に言って、具体的にはまだ何もない。だが、神子の事もそうだけどなメイ。俺はお前に、出来る限りの事をしたい。お前があの召喚に関わりがあるのかどうかは関係なく、お前が元の世界に戻るための力になりたいんだ。信じてくれ」
「……、あのさ。根本的な事を言うけれど」
 ストレートな言葉に、オレは、大事なことなのだけど少し勘弁してくれと。その押しの強さに若干引きつつ、それでもこのまま押し切られるわけにも行かないからと指摘する。
「オレが来訪者でなければ…、その交換条件は、全くオレにとって何の意味もないだろ? 帰る世界もなければ、召喚に関する知識が増えても嬉しくない」
「そうであるのならば、別なものを望んでくれて構わない」
「別? たとえば…?」
「金でも、職でも。俺が出来る事ならば」
「だから。それは役に立たたずともか?」
「ああ」
「そりゃあ、何とも太っ腹なことで」
 何だよそれはと、ズレているようなその会話に思わず失笑すると、リエムもまた視線を緩めた。
 その、柔らかい表情を見た瞬間。
 言おうと、今なら言える筈だと、オレは確信する。
 体中の血が一瞬沸騰し、決めた覚悟を全身に行き渡らせたかのように、スッと冷える。
「あのさ、リエム。オレが、もし…その条件を呑むとしてもさ」
 オレの言葉に、リエムが深く頷いた。
 身体の中心から押されるような力を感じ、促されるままにそれを開放するか、やはり留め置くか。迷いが拭えないままも、オレは言葉を選び進む。進まなければ、もうこの場はどうにも出来ないのだろう。
「あの部屋に留まるとなっても…籠の中の鳥じゃ意味がない。リエムには悪いけど、オレは情報を与えられてもそれを鵜呑みに出来る信頼を…この王様には置いていないよ。その条件は、オレの分が悪すぎる」
「心配するな。お前の希望には添うと言っただろう。自分で調べたいのならばそうすればいい。街で仕事をするのは無理だが、出かけることまで止めはしない。行き違いからお前をあの部屋に閉じ込めてしまったようだが、もうそうはしない。メイ、お前は自由だ。その中で、俺達に協力して欲しい」
「自由、ね…」
 選べという事かと。それは、オレに自らの首を締めさせるものかと、相手が王様ならばそう思っただろうけど。リエム相手にそこまで思える程、オレの根性はひん曲がってはなくて。
 行き違いって何だよと、呆れて溜息を吐きながら。オレは、軽く笑って肩を竦める。
「リエムばかりがそう言っても、仕方がない気がするんだけど」
「大丈夫だ。これは王とて了承済みだ」
「へぇ…」
 意外な言葉に顔を向けると、相変わらずな表情に出会ったが。否定の言葉はそこから零れなかった。この場合、無言は肯定だ。言質確定してもいいだろう。
 まあ、確定したところで相手は暴君なのだから、それが有効に活用されることはないだろうけど。
「さて少年。お前は、何を望む?」
「……。オレは、王に、」
 驚くことに王の命に従い続けていたのか、それまで大人しくしていた奇人が、オレが顔を向けたのを気に早速口を開いた。だが、それは違和感全開のものではなく、とても静かに入り込んでくるもので。オレは普通に口を開く。
 奇人は、もとの世界に帰りたいと、そう言わせるために聞いたのだろうけど。その前に。
「オレの扱いの改善を望む」
 そう発した言葉の余韻が消えないうちに、ほんの僅かに寄った眉を確認したと同時に。「ぶはッ…!」と、何かが避けるような音が響いた。そして、部屋に奇妙な笑い声が駆け回る。一度我慢しかけたのか何なのか、奇人が噴出した音だったようだ。
「ふぉふぉふぉふぉッ! これは傑作じゃ!」
「いや、全然、笑うことじゃなくて……オレは本気だから」
「真剣だからこそ、おかしいんじゃよ! 隠すことで保身にはしるよりイイが、王に乞うのがそれか!」
 最高じゃなと。オレを嗾けていたとは思えない男の発言に、お前が言うなよ!と思うが。奇人に訂正を求めるほども、オレに余裕はない。勝手に笑っておけだ。
 第一、乞わねばこの男はオレを虐げるだろう。そんな奴の言いなりになって、王宮に戻るのも協力するのも癪だ。詰まるところオレの抵抗は、今この場では、オレを蔑むその態度の改善だ。それが叶えば、無闇に来訪者だとばらされることはないだろうし。何といわれようが、これはオレが今出来る唯一の自己防衛だ。
「リエムが自由だと言っても、同じように扱われたならば、その意味がなくなる。押さえ付けられて、自由も何もないだろう?」
 不快さか嫌悪か何か知らないが不服気な色を帯び始めた青い眼から視線を移し、オレは笑い声が消えない中、隣のリエムに同意を求める。
「これから先、どれだけ王宮に居るのかはわからないけれど、接する事もあるだろう? その時にいつもこうじゃあ、やってられないよ。疲れる」
「……疲れるとかではなく……相手は王だぞ」
 わかっているのかと、笑う奇人と変わらずに、オレの返答は意外だったのだろう。驚きを消さないままに、それでも立場を忘れずにリエムが苦言を呈しかけるが。オレはそれを遮る。
「オレは別に、王よりも優位な立場に立ちたいわけじゃないから、全服の敬意を示せとまでは言わないよ。それは、オレの方だって今すぐには無理だから、相手にも求めはしないさ。だけど、他者であるからこその尊重と、その配慮は出来るはずだ。王がオレに理不尽な仕打をせず、オレの尊厳を無闇に侵さないのであれば、出来る事があるのかどうかわからないが協力するよ。オレだって、友達が必死で頼んでくるのを無碍に出来るほど非情じゃないつもりだし」
「メイ……それは、」
 受け入れると言うことは、来訪者だとも認めるという事かと。急くように発しようとしたりエムの言葉を、沈黙を保っていた男が引き継ぐ。
「では、ディアの申した通りだという事だな?」
「…だったら、何だって言うんだよ?」
 来訪者じゃなくとも、協力してくれというリエムを止めなかったくせに、勝手に解釈するなよと。そう返したくなったのをグッと押し留め、オレは「その前に、返事を下さいよ王様」と、本当は内心ではビビっている部分を持ちながらも、尊大な振る舞いで誤魔化す。傍では、「大した奴じゃ」と再び奇人の笑い声が狭い部屋に響いたけれど、無視だムシ。
 だって、大したも何も。
 もう、こうするしかないだろう。
 リエムの思いやりが叶うかどうかはわからないが、この示された折れどころをフイにしては、後はもう立場が悪くなる一方なだけのはず。けれど、追い詰められて仕方がなくではなく、あくまでもオレは死ぬ気で認めるのだ。認めてやるのだ。打算抜きではやっていられない。

 後悔は、目の前にあるのかもしれないけれど。
 ないかもしれないのだから。


2009/12/14
123 君を呼ぶ世界 125