君を呼ぶ世界 128


 出会ったのが、あの爺さんだったから。
 オレは今、ここで立てているのだ。

 リエムの話はこうだ。
 あの日。目覚めたオレと話をした後、リエムはオレからすべてを聞き出すのは無理だと判断し、爺さんにオレやサツキの事を詳しく教えて貰おうと考え、ガジャリ村を目指したそうだ。生まれる前に亡くなったサツキの話を双子であるオレに求めるよりも、その当時も大人であった爺さんに訊く方が真実に近づけると思ったのだろう。不思議ではない。
 が。
 きっとそれだけではなく。
 オレが何かを隠している事を察しての、裏付け的な意味合いもあったのだろう。オレに何も訊ねずに出掛けたのだから。
 だが、まあ、それは仕方がない。きっとオレは「お前が言う爺さんに、お前の話が本当なのか聞きに行ってくる」なんて言われていたら、今までのすべては嘘だ、爺さんなんて知らないと言い張っただろう。自分が最悪な状態であるというのに、親切にしてくれた爺さんへの干渉を見過ごすわけがない。
 そういう意味では、即座に動いたリエムは賢いなと思うけど。
 それ以上に、無謀だろう。オレが嘘をついていたら、あの山奥の田舎まで行っても無駄足以外の何にもならないのだから。
 隠し事をしているとわかっていても、爺さんやら何やらの話はちゃんと信じてくれていたらしいリエムに、嬉しさ半呆れ半分だ。本当に、即座にリエムが動かねばならなかったのか? オレが十日以上かけたあの道程は、たとえ馬であろうともそれなりの旅であろうに。兵士というのは、みなフットワークが軽いのだろうか。
 っていうか。
 それをする前に、もう一度でも二度でも、オレを訪ねて来いよ…。もっと話をしろよ…。……あの、軟禁期間は何だったのか。少なくとも、あそこにリエムが現れなかった理由はわかったが……その原因が爺さん訪問とは。微妙だ。微妙すぎる。
 しかも。リエムが訪ねた時はもう、爺さんがいなくなって結構経っていたらしいのだから。ホント、何をやっているのだか、だ。オレはその間ウツウツウジウジイライラで。リエムはリエムでウーンと、頭を捻り唸っていたのだろう。どちらも間抜けで虚しいことこの上ない。
 そして。そんなオレ達と違い、王様はオレのことなど気にせずに、オレの検分はリエムに任せて、いつもの日常を過ごしていたのだろう。今日、オレをこうして引っ張り出したのは。爺さんが見つからないことで、オレの過去を示すものは何ひとつとしてなくなった事により、オレへの疑いや関心を漸く復活させたといったところか…?  そう。単純に、爺さんが存在しないとなれば。オレの話に事実を証明するものがないだけのことで。印象事態はそう変わらなく、自体は動きはしなかったのかもしれない。
 だが。
 リエムはちゃんと、村で爺さんが存在していたことを掴み、そしてオレがそこに居た確証も得てきたのだ。村から少し離れた森の中で住む爺さんが、珍しいことに人を連れていたのでよく覚えられてしまっていたらしく、そんな村人からあの一時しかオレを見かけなかったという事実も不備なく収穫してきたのだ。そう、奇しくも、話を確かめに行ったリエムは、爺さんには会えず。オレの言葉が嘘であるものばかりを得たというわけだ。
 オレが言った人物が居るのは確かだ。だが、その人物は消えた。彼と暮らしていたのは本当でも、周囲が見る限り数日間のこと。だったら、オレはどこから来たのか。それより前の足取りを、どうすれば見つけられるか。そもそも、接点がなさそうな二人の関係は? 
 そんな疑問が増すばかりの中で、リエムはオレへの来訪者疑いを深めたのだろう。だが、聖獣の件がなければ、爺さんが居ないくらいでそこまで行き着きはしなかったのだろう。畜生、トラ公め…。
 って。結局もうバレたオレの事はともかく。
 オレが落ちた近くの村では、見かけた程度でしかない村人たちからオレの情報を得ることは出来ないからだろう。リエムはオレの事を諦め、消えた爺さんの事を探ったようだ。彼はどんな人物であるのか、一体どこへ行ったのかを。オレが適当な事を言ったからの結果だが、いやはやホント、申し訳ない。
 いきなり王都の兵士がやってきて調べられては、人当たりの良いリエムの事だから上手くやっただろうとはいえ、あの小さな村では注目の的となったことだろう。逆に爺さんが留守で良かったぐらいだ。帰ってきた時、困る事にならなければいいのだが。
 そんな風に、大事にされるなんて知らなかった出発前の爺さんと接した幾人かの村人は、多くがオレの後を追い王都へ行ったのじゃないかと言ったそうだ。だが、それは予測でしかなく、行き先を聞いた者はいなかった。
 そして。その爺さんだが。
 大抵の村人が、彼はずっとあの森で住んでいると思っていたそうだが。実際はそうではないらしい。その昔、あそこには別な男が住んでいて。いつの頃からか、まだ若くあったオレの知る爺さんが一緒に住み始め、気付けば先に住んでいた男はどこかへ行き、残った爺さんの住処となったらしい。
 そんな説明をしながら、リエムはオレに、爺さんの名前を知っているかと訊ねてきた。
「名前…?」
 急に言われたのと、ほとんど呼ぶ事がなかったのとで、思い出すには少し時間がかかったが。なんとか記憶を呼び起こす。
「確か、ムクバだったと…」
「それは、その男自らが名乗ったのか?」
「……いや。村の人にそう呼びかけられていて、オレが覚えたんだけど? 爺さんは否定しなかったが、違うのか?」
 意外な質問に刺激されてか。その時の光景が浮かぶ。確か、そうだ。名前も聞いていなかった事を謝り、その名前をオレがすぐに口に乗せると、爺さんが頷く代わりに少し笑って――それだけだ。普通のやり取りだ。
 別段おかしいなところはなかったんだけど…、それが?
「ムクバというのは、先に住んでいた男の名前らしい」
 その男のところに住み始めた若者の名を知らなかったので、村人は、「ムクバさんところの人」という意味で「ムクバの」と呼ぶようになり、そののち、それを聞いた者達がそれぞれ「ムクバ」が名前だと判断していき、いつの間にか本物の名前のように呼ばれるようになったらしい。実際にそれが爺さんの名前ではないと知るのは、あの村でも幾人かの年配者だけのようだ。
「そうなのか。だけど、まあ、名前なんて何でもいいじゃん」
「いいのか?」
 怪しいとは思わないのかと、気にならないのかという風にリエムは少し眉を寄せたけれど。
 オレとしては、意外なところでちょっとおかしな爺さんの事情を知ってしまったという程度だ。はっきり言って、「ふ〜ん、だから、なに?」だ。名前など、本名でも通称でも何でもいい話だ。周囲の認識が合致していれば、問題はないだろう。事実、偽名だと知る村人がいても、関係なかったようだし。
 そりゃあ、リエムが気にして嗅ぎまわったのは分かる。訊ねた相手が雲隠れしていたら邪推するだろう。それこそ、逃げたのだとか、事件に巻き込まれただとか。通常、情報を持つ男の失踪はそういうのがセオリーだ。
 だけど、爺さんは全く無関係だと知るオレとしては、「そうなだったんだ、へぇ」でしかないのだ。ホント。爺さんはたまたま、オレを森で拾ったに過ぎない。
 彼はどこへ行ったと思うか、と。そう訊ねられても、「さあ?」だ。数日間一緒にいたし、世話になったし。そういう意味で、情も確かに抱いているが。恩は、恩でしかない。残念ながら気持ちはどうであれ、予測が出来るほどもオレは爺さんの事を知ってはいないので、聞かれても困る方が強い。
 何より、出掛けた理由よりも、彼の真実よりも、オレは別なことの方が気にかかるくらいだ。
 爺さんも大人の男なのだから、確かにオレの方の事情でいえばタイミングは悪かったが、どこへだって好きなところへ行けばいいのだ。だけど、オレは爺さんに借りがあるし、頼ってもいたから。居どころが分からないのは、不安だ。心細い。
 それに。
 使う機会があまりないと金を借りたが、爺さんは大丈夫なのか? オレなんかに渡して、自分の旅に支障はなかったのか? いつになるか分からないが、きちんと借りたものは返すつもりなのだけど、オレが訪ねるまでに帰ってくるのだろうか?
 あのまま、王都を出る事になったら、爺さんに会いに行こう。そう思っていたのに、それも暫くは無理そうだ。残念…。
「第一、さ。爺さんは何にも関係ない。オレが見知らぬ場所で途方に暮れている時に、親切にしてくれたってだけだ。数日厄介になったけど、オレは直ぐに王都を目指したし。その後は、リエムも知っての通りだし。爺さんを調べる理由なんてないぜ?」
「お前が、来訪者だという事は…?」
「知っているけど、言い触らしたりするような人じゃないから。大丈夫だ」
「再会したくはないのか?」
「そりゃあ、したいよ。世話になったから。でも、爺さんには爺さんの事情があって出掛けたのだろうし、血眼になって居所を探ろうとは思わない。でも、リエムは気になるみたいだな? どこか変か?」
「変なわけじゃない。ただ、会えないとは思ってもみなかったから、引っかかっているんだろう。しかし、どこへ出掛けたのだろうな。メイがこちらに来た時の様子も知りたいし、是非会いたいんだが」
「様子も何も、ただ、目覚めたら森の中の川に居ただけだぜ? 爺さんに訊く必要なんてないよ」
「お前の助けとなった人物に会って、感謝をしたい」
 言いつのったオレに、リエムは生真面目な態度でそう言い向き合う。
 真っ直ぐ向かってくる視線に、本心だと悟るけれど。そればかりではないのだろう事も感じられて。オレは、小さく苦笑する。
 リエムはまだ、不安なのかもしれない。それが、オレに対しての疑心か、自分自身の問題かわからないけれど。どこかにはまだ、シコリが残っているのだろう。
「あのさ、リエム。オレは、確かに隠し事を沢山していたけど、事情が事情だったのだと許してくれよ」
「ああ、勿論だ。俺は一度として、お前を責めてはいない」
「うん。で、だな。もう色々バレたんだから、オレはもう嘘はつかないと約束するし、出来る限り秘密は作らない努力もするから、それを信じて欲しい。言えない事はちゃんと、理由があればそれをつけてそうだと言うから。オレに関することは、オレに訊けばいい」
 だからもう爺さんの事はいいだろうと、拘るなよと言外に匂わせる。
 リエムの関心を作りだしたのはオレであり。そして、この男のそれは、あの王に流れるかもしれないのだ。これ以上、爺さんには迷惑はかけられないというもので、避けねばならない事態である。今ここで、爺さんのことは処理しておかねば。
 何より。
 オレの嘘がリエムに傷を付けたのならば、オレはそれを償わねば。
「――と、言っても。いつまでオネショをしていたのかと聞かれても、絶対言わないけどさ」
「……」
「同じく。恋愛トークも、酒が入んなきゃしないからな」
「……全く、お前という奴は…」
「女だけじゃなくさ、男も多少は秘密がある方が魅力だろ?」
 茶化したオレに乗ってくれたのか、本気でツボに入ったのか。呆れたような声を落とした後で、クククッとリエムが笑いだす。抑えようとしても漏れるその声の隙間から、「参ったな…」とリエムは降参宣言をした。
 しかし。
 今夜参ったのは確実にオレの方なんだけど? 負けも負け、大負けだ。
 心ではそう思いながらも、オレは肩を竦めるに留める。
「それよりも、リエム。呼び止めておいて何だけど。あの変わった人、もうすっかり見えないけど、大丈夫か?」
 オレが背後の通りを示しつつそういうと、リエムは振り返り奇人が向かった方を眺め、本当に影も形もない事を確かめ溜息を吐いた。心底、疲れた様子が一気に現れる。
 本日二度目の逃走となるのだろうから、当然だけど。案外へタレじゃないかと、その哀れな姿に、今度はオレが喉を鳴らす。
 仕方がない、探すとするかと、嘆きから立ち直った男に頑張れよと応援を向け見送る。
 今度こそ、また明日なと言って別れる。
 そして、振り返ったオレが見たのは。
 片足に体重を寄せて立ち腕を組んだ、憮然とした表情でオレを見据えている苛めっ子だった。

 忘れていたわけではないが。大人しかったので、気にもしていなかった…。
 どうやら、リエムを憐れんでいる場合ではないようだ。


2009/12/29
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