君を呼ぶ世界 129
立場の違いに、邪魔をされてばかりだ。
相変わらず、空に月はない。
だが、大きな星がいくつもあって、夜空は明るく、地上をも照らす。
木々に囲まれてはいても、丘の上へと延びる道の上は開けていて、足元まで明るい。
でも、まあ、数歩も入れば真っ暗だけどなと暗い木々の奥を見やり、オレは、前を行く兵士の背中を見る。
リエムと別れてから、多少不本意ながらも大人しく王城への帰路についたオレに。意外にも、ラナックは何も言ってこない。無言でオレを促し、足を止めることを許さない態度であるくらいで、睨む事さえしない。と言うか、見もしない。
気まずさマックスだ。
怒っているのならば、そう言うだろう男なので。これは、それ以上の嫌悪か。それとも、オレの位置づけを変えたのか。どういう意味だろうかと考えすぎて、まだ街中を歩いているころは無視にもめげずに声を掛けていたのだけど、静かすぎる山道に入ってからはオレもだんまりだ。続く沈黙が、更なる沈黙を生む。
それでも。丘の上まで延びる道は明るくとも、暗い闇に囲まれたここに居るのが一人ではない事に、単純に安堵も覚えている。慣れぬ闇よりも、苛めっ子との気まずさの方がマシというものだ。
だからだろう。
「そういえば、この辺りの奥だったかな。この間、リエムに蝶を見せて貰ったよ」
なんて。本当にどうでもいい事で、オレは閉じていた口を開いて。
当然、また無視されるだろうと思ったそれに、幾分も遅れて声が返った時は、思わず足を止めてしまうほどに驚いた。
「……お前、知らないと言っていたよな」
「え…?」
「蝶の間に入れられた理由に、思い当たるものはないんじゃなかったのかよ」
その歩みは止まらなかったが、闇によく通るその声は言葉だけではなく男の感情もオレに伝えてきて。何を言われたのかようやく悟り、オレはつい天を仰ぐように顎を反らす。そうだった。確かに、召喚話を隠すためそう言う嘘を言っていた。
だけどあの状況で、自分を敵視するような相手に、他にどう言えると言うのか。
しかし、オレのそれを分かれと言ったところで、この男の事。下手な誤魔化しで自分を騙そうとしたオレに対しての怒りしかないのだろう。状況など汲んでくれそうにない。
「……秘密にしたのは、悪かったよ」
でも、言える状況じゃなかったんだ。オレの事ばかりじゃなく、王様も神子召喚を隠しているみたいだったし、と。言い訳でしかないと一蹴されそうなそれを、それでも潔く全てを受け止める気概もオレにはなく、ゴニョゴニョと口に乗せてみる。
そう。言わずにはいられないだけなので、大きな声ではなく、きちんと相手に届かない事をどこかで望んでのそれだ。
だから、全然。聞かなくても、取り合ってくれなくてもいいのに。たとえ耳に入ったとしても、さっきまでと同様に無視してくれていいのに。
「ひとを騙しておいて、わかった口を叩くな。異界人」
「…………」
仕える男だからこそ目を瞑ってくれやしないかと、王様の名を出してしまったが。逆にそれがいけなかったのだろうか。
振り返ったラナックとの距離は充分にあり、周囲も暗く、表情は分からなかったが。声が、言葉が、雄弁にそれを補っていた。
異界人、と。わざと呼んだのであろう、そこに込められた理不尽な侮辱に、流石のオレもカチンとくる。
ラナックが騙したと言うのは自分の事だけではなく、女将さんやエルさんや、その他諸々、オレがこの世界で会った人々を指してのものだろうとわかったけれど。それでも、この男には言われたくないと、オレは顔を顰める。
「……それを言うなら、アンタもだろう」
「俺が、何だと?」
「…王様に引きあわされるなんて、聞いていなかったぞ」
「当然だ、言っていなかったからな」
「はあ? 逃がしてくれるんじゃなかったのかよ…!?」
開き直ったようなそれに、オレが声を荒げると。無言で数歩の距離を即座に詰めた男が、反射的に身を竦めようとしたオレの首根っこを掴み、前へと押し出した。「黙って歩け、愚図」と、「お前に朝まで付き合うつもりはないぞ」と、つんのめったオレの足をさらに蹴ってくる。
オレだって、こんな暗い外で揉めながら一夜を過ごすなど嫌なので、問答無用な態度に腹立たしさを覚えつつも歩みを再開する。腹の中で、オレに付き合うのが嫌なら、馬車でも馬でも使って早く送り届ければいいものをと毒づく。
だが、その反面。こうして喋るために、夜中にも関わらず徒歩での帰城なのかもしれないと。オレから手を離し、一歩先に出た男の顔を斜め後ろから見て思う。その程度には、苛めっ子ではなく一人前の男に見えるのだから、厄介だ。
「俺は今日、一度も脱走させてやるとは言っていない。そもそも、あのジフが手伝った時点で違うとわかるものだろう。それを気付けなかったのは、お前が愚かであるからだ。俺を批判する前に、自分の馬鹿さを反省しろ」
「……でも、出してやると言ったじゃないか」
「だから出してやっただろう」
「…………これがかよ?」
「つべこべ煩ェよ、黙れクソガキ。もとはと言えば、全てお前の事だろう。関係ねェオレを巻き込むんじゃねえ!」
クソッタレガ!と。心底嫌そうに顔を歪めた男に気圧されたわけではないけれど。オレは、それ以上の文句を引っ込め、口を引き結ぶ。確かに、ラナックを責めるのは違う気がする。逃がしてやるような態度で王に引き渡されたのは腹立たしいが、頼ったオレもオレだ。神子召喚の事を話さないと決めたのならば、巻き込むような話に乗るべきではなかったのだ。
だけど。そんな反省を素直に示せるほども、ラナックがオレにした事は単純なものでもなくて。
「……アンタは、いつ、オレの厄介を知ったんだよ…?」
どうして、今があるのかと。どこで、この結果が決まっていたのだろうかと。
あの、ラナックの強引な手引きに乗らねば、オレは今どうなっていたのだろうかと。
この数日、出たいとばかり思っていた王城へ戻る道を自ら歩きながら、オレは訊ねる。異界人との嫌疑が出なければ、この男はオレを本気で脱走させようとしただろうか…?
「お前の事など、知るか」
「知るかって……なんでアンタは、オレに脱走話を持ちかけたんだよ」
「……」
「今日のこれがそうか? このつもりだったのか?」
「ハッ! それは、なんだ? 仕切り直せという事か? 今度こそちゃんと脱走させろって?」
「そうじゃないけど…」
「腰ぬけがッ! そンくらい言いやがれッ!!」
「…はァ?」
腹からの大声で吐き捨てるように出された言葉に、オレは目が点。言えって、何をだと。それを言って何になると。あまりにも意外な言葉に驚いたままのオレを、振り返り見た男は舌打ちを落とすも、親切にも言葉を続けその意味を説明してくれた。
「だから、てめェは舐められるんだ。リエムにイイように動かされ、このザマだ。召喚だなんだの、ンなの、本気で鬱陶しいならば幾らでも逃げる手立てはあるだろうに、中途半端な真似をしやがって! 最初に逃げ出した時、さっさとバックレていればいいものを。ッとに、ドンクセェったらねえよ! 何が、神子だ召喚だ! てめえのお陰で、ややこしいことこの上ないぜッ! 何なら今この場で、逃がしてやろうか、あァ? どうする、クソボケがッ!?」
「……。…………いや、それは、」
「気にしていたモンはちゃんと却ってきたンだろうが。何を躊躇う」
「だって、リエムと約束したし…」
「はあ? 約束? アレが? ……お前は、救いようのないアホだな」
「……オレがここで逃げたら、アンタだって困るじゃないか」
「お前が居るよりマシだ。俺は、神子も何も関係ないからな。第一、あいつ等もさほど困りはしねェよ。探さずにはいられないだけだ。実際、神子が居てもどうにもならねえ」
誰も、ンなもの欲しくねえよ。
そのくらい、わかるだろうが。
アホなお前でもな、と。愚痴るように言葉を重ねたラナックだけど。オレは、ますます頭にハテナを浮かべてしまう。だんまりも困るが、言葉を紡ぐたびに不思議を増やされるのも御免被りたいものだ。
関係ないと怒るのは理解出来るし、被害者であるオレを責めるのも、苛めっ子だとの理由で消化してしまえるけれど。自信満々に、彼らは神子を必要とはしていないんだと、言われても。捜査を請われたオレに、どうやって頷けという…?
「いやいや。欲しいから、召喚したんだろうが?」
「欲しかったのは、アイツだけだろう。いや、アイツも、本当に神子が欲しかったかどうか、怪しいものだ」
「……アイツって、王様、だよな?」
そう言えば。リエムも、王は何も望んでいないんだとか何だとか、問答無用で探すあの姿とは真逆の情報をオレに与えていたっけか…と。あの時は、何だそれはで終わったけど、流石に二人目ともなると…と。要らないのに何故召喚なんてものをしたのかと、暴君の胸の内など知りたくはないが、知る必要があるようにも思えて。
どうしてだ?と。
続けて問いそうになったオレの言葉は、けれども、即座に返った男の不審な声でかき消えた。
「はあ? なんで王なんだよ。召喚した本人だろうが」
人の話を聞けよと、話す気がなくなるなと、ラナックが再び舌打ちする。だけど、オレの頭はホント、ハテナしか出て来ない。
「召喚したのは、王だろう?」
「奴にそんな器用な真似が出来るとは知らねえな。召喚師になれるのならば、もっと上手く王様稼業をやっているだろうよ」
「……。……話が見えないんだけど」
「なら、見るな。鬱陶しい」
「……」
いや、そう言うわけにもいかないだろう…。この、苛めっ子め…。
王様が王様稼業を上手くやっていないという、その真偽も気にはなったが。ンなのは、興味でしかないので、とりあえず置いておく事にして。詳しく教えろよと、無言でじっとりと視線を向けてやる。
神子を欲したのは、誰だよ? そいつが、王を説得し、召喚させたのか? 王が欲の為に率先して行ったんじゃないのか?
教えてくれ。てか、言えよ。言いやがれ!だ、と。視線を外されても、その横顔を睨んでやる。
そんなオレに、負けたわけではなく、不審が生まれたのだろう。
「……お前、リエムにフィナの事を聞いたんじゃないのかよ」
呆れ交じりに、ラナックは何故かそんな確認をしてきた。忘れたのかよ、と。
「フィナ…? それって、身体が弱くて亡くなったっていうリエムの友達だろ? っで、聖獣と仲が良かったっていう奴でもあるんだよな?」
そういえば、その人物が同一者であるかは確認していなかった。だが、今、その人物が、どう関係ある?
「…………聞いていないのか…?」
「何が?」
「…………だったら、いい」
「いや、よくない」
「ならば、リエムにでも聞け。俺は言う立場にない。そもそも、俺はついさっきまで、召喚がされたなど知らなかったんだ。王からは今なお何一つ聞かされていないのが現状だ。つまり、お前と話すべきじゃないんだよ俺は。もういいだろう」
だから、終わりだと。
勝手に完結したラナックは、本当に、それ以降。オレが何を言っても、その事に関しては黙秘を貫いた。あまりにも徹底していて、一瞬、騎士の欠片を見た気がしたけれど。ただの子供の頑固さにも思えて、オレの不満はマックスだ。本当に、ケチすぎる。喋りかけたものを言わないのも、男としてどうだろう。
だけど、そう煽るように言っても、何を言っても。オレを新しい客間に届けて去るまで、その態度は崩れなかった。
それは、忠誠を誓う王に対してのものか、自分の信念に対してかはわからないが。守り貫くその姿に、オレの方が空しさを味わう羽目になった。知らずに済む話でもないのだろうに。
一体、ラナックは何を知っていると言うのか。召喚は、どうして行われたのか。王は何を考えているのか。リエムはなぜ、あんなにも必死なのだろうか。
そして。
話題に上った、その亡くなった人物は、何であるというのだろう。
オレは、知らない事が多すぎる。
2010/01/03