君を呼ぶ世界 130
真実はどこに、誰の中にあるのか。
それさえも、オレは見極められていない。
よく考えなくとも、オレは殆どの事を知らない。
この世界の事はたくさん知ったけれど、現状は朧に近い、曖昧なものでしかない。
知っているのは、あの暴君が召喚を行い、それにオレが巻き込まれたという程度のことだ。それくらいに、オレが得たものは少ない。
王が、何故召喚を行ったのか。誰が、それに賛同し手伝ったのか。知らなさ過ぎて、リエムやラナックがいう、王は神子を必要としていないという話をどう受け止めればいいのかさえ分からない。
本当に。オレは自分が異世界に居ると言う事以外、あまり知らないのだ。何となく察するものばかりで、100パーセントの確証を得ているものなど殆どない。
一体、こんなオレが何をどう出来るのだろう。
この翻訳機能の能力を得たのだから、オレはどこかで神子なる人物と接触したのだろう。リエムがそこに希望を見出しているのも分かる。だが、その接触が、東京での事か、異空間での事か、この異世界での事か、その予測さえ出来ないのが現状だ。もしかしたら、求める神子は別の場所どころか、この世界へは来ていないのかもしれない。そう、こんなトリップ現象が罷り通るのならば、ここではない別の世界へ飛ばされている可能性だってあるはずだ。もしかしたら、案外神子はまだ東京に居たりするのかも、だ。
例え、リエムや王には、オレは手掛かりとなるのだとしても。オレ自身には何の手立てもない。神子の名残がこの身の内にあっても、何も感じない。この世界での神子や召喚に詳しくもないので、勘のひとつも働きそうにない。だから、ホント。捜査協力せよと言われても、どうしろって言うんだよ…な溜息ものでしかないのだ。
そんな、役立たず認定まっしぐらなオレよりは、直接聞いてはいないと言っても、状況も事情も知っているのだろう。ラナックの昨夜の一言が、とても引っかかって仕方がない。今まで、王自身を見てきて感じ取ったものが。リエムから教えられたものが。ラナックを通すと違って見えるようで。
ほんの少しだけだが握っていた事実さえも無くしてしまいそうな不安が、オレの中で渦巻く。
ラナックが言ったのは、つまり。話の流れから察するに。王以外の者が、神子の召喚を強く望んだという事だろう。あそこで名前が挙がるのだから、それがフィナという人物であるのかもしれない。だけど、王は王なのだから、実行したのならば召喚の責任は王にあるものだろう。そういうところは、ラナックも兵士の一員なのだから、誰かのせいにするような発言はたとえオレが相手でもしないような気がする。
ならば、あれは何だったのか。何を言おうとしたのだろう。
そこまで考え、嗚呼これは、と。うつらうつら夢に片足を突っ込んだ状態でも探っていた状況で持った、自分の心情に改めて気付く。
「不安じゃなく、違和感、だな…」
呟いた声は、掠れきっていたけれど。頭の中だけで起こっていた覚醒を身体へと呼んだ。
オレは続けて空咳をし、ベッドの中で瞼を開ける。
昨夜とは違い、室内がよくわかる明るい部屋を届く範囲で見まわし、もう一度眼を閉じる。
「……」
はっきり言って、寝た気がしない。
謎というか、気になる言葉を残してくれたラナックのお陰で。明日にはリエムと話せるのだから、王の事も、奇人の事も、神子の事も、オレの事も。何もかもとりあえず置いておいて、王城というのは気に食わないけど、ちゃんと休もうと。サツキの石も戻った事だし、これを奪われるより最悪な事はないからと。新たな客間を与えられる事に納得していたのに。思ったようには休めなかった。
疲れきって、身体は休息を欲していたし。それに逆らう気力もなかったのだけれど。用意されたベッドに横になっても、ラナックに応えて貰えなかった質問が頭を回り、そのうち、街中での王との接触が脳内で繰り返されて。もっとこう言えば良かったと、自分の行動に今更だけどダメだししたり。思い出した王の言葉に突っ込んだり、奇人を改めて分析し恐れたり。身体同様沈んでいく思考は、けれどもそのままそれを夢にしたのか、延々繰り返されて。
果ては、川の中で目覚めたあの時からの記憶を掘り返し、爺さんの事や、この世界の事や、自分の今までのすべてを客観的に見ようと努めたりしていて。寝ぼけたように一心不乱な勢いで、知り合いに神子が居たのだろうかと、友人知人の顔を片っ端から思い出してはバツをつけていたところで、自分は睡眠中だと思いだし。けれども、思考は止まらず、考えはまたいつの間にか昨夜の事に戻っていて。
改めて、自分は何も知らないと、そう認識し。自覚したところで一人ではどうにもならないと、歯がゆさを噛み殺し。早くリエムに会って色々聞かなくては、オレは知らなくてはと、目覚める事を意識して。それでも疲れた体が休息を強請って、それに負けて。
はっきりしない中、夢と現の狭間のような場所で無駄に頭を動かして、漸く。漸く、覚醒に漕ぎつけたのだけど。
「…………ぅー」
駄目だ。眠い。疲れなど微塵も取れていない。
未だに脳内では勝手に誰かが騒いでいるような感覚で、このまま二度寝を決め込んでも、また思考のループに陥るのだろうけど。それでも、起きたくないと思う。
けれど、明るさから言ってもう十分に朝なのだろう。起きなければ。
軟禁状態の昨日までとは違い、起きればオレにも多少の自由があるはずだ。早く起きた方がいいに決まっている。
ああ、けれど…と。
今度は深刻さゼロの葛藤で思考を占領し始めた、オレの寝汚さを注意するかのように。とても控え目だけど、一応起きているオレの耳に届く音が上がった。その、トントントンと響いたそれがノックだと気付くのに数拍要したけれど。きちんと拾っておいて無視できるほども、オレの立場は偉くも何もないのだろうで。
布団に齧りついていた自覚マックスのオレは、他者の気配にヤバイ!と飛び起きて、視界に入った扉にまっしぐらして。
ハイ!と答える前に、無言で勢いよくドアを開けてしまった。
開けた瞬間、ガツン、と。ノブを握った手から鈍い振動と、衝撃音がオレを襲う。
「あッ!? ゴゴゴ、ゴメン! スイマセン!!」
半分ほど開いたドアが止まった理由は、考えるまでもなく、ノックをした人物への激突で。慌てて、隙間から身体をねじ込み、ドアの向こうに居る相手を伺ったのだけど。
オレが半歩足を踏み出したのと同時に相手も一歩後退し、深く頭を下げた。
「お早うございます」
「あ、はい。お早うございます――って。大丈夫ですか? どこ、ぶつけちゃいました?」
「爪先が当たっただけです。申し訳ございません」
「いえいえ、オレが悪いんです。ホント済みません。気をつけます」
何故に当てられた方が謝るのやら。挨拶から起しかけた身体が、また謝罪と共に下がったので、オレは慌てて背中を見せる相手の肩に手を置いた。頭をあげて下さいと。そして、直ぐにしゃがみ、ぶつけた足を見る。触れる手前まで手を伸ばし、首を回して相手を仰ぐ。
痛くないですか?と。口にしようとしたのだが。もうとっくにあげていると思われた相手の頭がまだ下がったままで。
「…………」
「…………」
少し驚いたような顔の若い男と、思わぬ近さでご対面してしまった。
「……私は大丈夫ですから、お気になさらないで下さい」
どうぞ、御立ち下さい。そう促され、オレが従って立ち上がると、男も背中を伸ばした。
「突き指になっていなくとも、足の指って、打った痛みも後を引くからね。ホント、御免なさい」
向かい合った相手に、もう一度オレは謝罪を口にする。箪笥の角に小指を打ちつけるあの痛みは、思い出すだけでも嫌なものだ。それだけでなく、高校の頃オレは中指と薬指の間でドアと喧嘩した事があったのだけど、アレも相当痛かった。その後も、まるで思いだすかのように、忘れさせないかのように、何年も時たま痛みを訴えてきた。肉の無い部分の怪我は、地味に厄介なものだ。
リエムなどは、兵士だからか旅が多いからか、普段着姿でも堅そうな靴を履いているけれど。民の多くは、バリバリ布製な、ちょっと頼りない靴だ。この男も然りで、これではドアの勢いは殺せなかっただろう。ホント、マジで申し訳ございませんだ。
だから。危ないだろうと怒ってくれて構わないのに、「本当に平気です。実は、とっさに足で止めたんですよ」と。事実なのか気遣いなのか、反省するオレを慰めてくれる男に、オレはいい奴認定を早速してしまう。ここは王城であり、王が用意させた客間であるのだけれど。
けれど、それは間違いではなく。滞在中オレの世話をしてくれるらしいその男は、事実、いい奴だった。二言三言話しただけで、気持ちのいい奴だとわかる。名前は、キックス。二十三歳で、オレと同じだ。
「今、ご朝食を持って参ります。貴方様には、私ともう一人、身の回りのお世話をさせていただく女中が付いておりますので、一緒に紹介させて頂いても宜しいでしょうか?」
「あ、はい。宜しくお願いします――の前に。オレあまり肩苦しいのは慣れていないので…もう少し言葉を崩して貰えればありがたいです。あと、貴方様じゃなく、名前で呼んで貰えませんか?」
長椅子に案内され、腰をおろしながら。上目使いに相手を窺う。
あの愛人部屋もどきでは負けたが、ここは同年男。いけやしないか?
「どうぞ、私どもに気などお使いにならず、御言葉を崩して頂ければ結構です」
「いや、オレだけじゃなくって……。そういうのは、無理?」
「そうですね。王のご友人でいらっしゃる貴方様に――」
「はあ!? 友人!? あり得ねえッ…!!」
攻略すべく伺いを立てたところで、思わぬ言葉を頂戴し。オレは思わず、先程のドア以上の勢いで突っ込んだのだけど。
王城の客間に居るんだから、そう言う事にすべきだったのだろうか…?
ほんの少し困ったような、けれども内心では訝んでいるのかもしれないキックスの向こうで。オレへのものだろう、料理が乗った盆を持ったまま瞠目し固まっている少女に気付き、オレは自分の失敗を知る。
いや、冗談。友達です。だからお邪魔しています――なんて、言い繕うのは難しいくらい力を込めて言ってしまった手前。オレの大声に驚いただけではないのだろう、フリーズ少女の視線が痛い。居た堪れない。
でも。アイツと「ご友人」はないと思うんだよ…うん。想像しただけで、薄気味悪い。身体にも毒だ。
友達に、あえて暴君は要らない。
「あー、その…、さっき紹介するって言っていたのは、その彼女だ?」
視線を戻しキックスに問うと、問題発言を気にした素振りも見せずに、青年は「そうです」と笑顔で頷いた。そこにプロ根性を見、オレは別な人物を頭に思い描く。
…ジフさんは、今頃王様の傍へでも戻っているのだろうか。
「チュラ、こちらへ」
「あ、は、はい…!」
同僚になるのか上司になるのか、呼ばれて一度小さく震えた少女が、けれどもそれで強張りを取ったようで、止めていた足を踏み出す。だが、固まっていた気まずさからか、呆けていた焦りか。そう離れていない距離なので慌てる必要はないのに、小走りに近寄ってきて。
盆の上は大丈夫か?と、見ていたオレは、彼女の軸がぶれたのを一番に気付いた。
「あ、」
オレの声に重なるように、「キャッ…!」と、小さな悲鳴が上がり。ハッと、傍らのキックスが振り返るのを視界の隅でも捕えながら。
傾いて盆から落ちる、空へと飛びだしたバスケットをオレは見た。中身はパンだ。
そう。パンならば。もう落とす覚悟を決めて捨て置けばいいというのに。
反射的にだろうけど、止めるのは無理であるのに、とっさに彼女がそれに手を伸ばした。なので当然、細腕一本で支えるのは難しい盆が更に傾き、残りのカップや皿等も滑り落ちる羽目となる。
「……使えない者では決してありません。時たま、思わぬ事をしますが…」
散乱した朝食に、茫然自失状態の後、泣きそうな程に顔を歪め、少女は謝り倒した。その彼女に対し、片付け道具を持ってくるようにと言い、退場を促したキックスが。その姿が消えた後直ぐに、深く頭を下げて謝罪をし。どうかお許しをとオレに乞うてきた。彼女を処分しないで下さいと。
いきなりの惨劇に、あっけに取られていたオレだけど。その硬い真剣な声に我に返り、オレには、慌てて首を振る。
こんなことで、どうにかしようとするのはおかしいし。そもそもオレに、そんな権限はゼロだ。
「は、なに言ってんだよ。怒る理由ないじゃん。それより、片付けようぜ」
三人の方が早いからさと、オレが立ちあがると。
キックスは礼を言い、目元を和らげた。
思わぬハプニングで、すっかりと。
疲れも、眠気も、気になる事も、どこかへ飛んでしまっている。
2010/01/07