君を呼ぶ世界 131
挫けるのは、全ての手が尽きてからでいい。
恐縮する世話役ふたりに、なんだかこちらも負けてはならないと、意地になったというか、慌てる反応が面白かったというか。
思わぬハプニングの片付けを手伝えば、少女は食事をひっくり返した時以上に低頭するわ、青年は対応を決めかねて当惑するわで。歳が近い二人のその様子がおかしくて、オレの気分は当人達には悪いが晴れ渡った。
正直、オレの身分は全然高くないわけで。まして、実を云えば王様にうとまれているような問題者であるので。オレって何サマなのよ?という、勘違いしそうな扱いをされると、もう笑うしかないのだ。
けれど。ジフさんのように、キッチリカッチリした壮年男に慇懃にされれば、嫌味か!?嫌がらせか!?と卑屈にもなるが。同年代の彼らのそれは、オレなんかに何をやってンだよ? 仕事とはいえ、大変だねぇ。オレ相手なら手を抜いても構わないぜ?――という苦笑できる隙があり。オレ自身にも余裕が生まれるので。
遠慮というか、恐れ多いと辞退しつつも、結局は。オレの片付け参加を許した二人に、この二人ならば仲良くできそうだなと、オレは勝手ながらも確信を持つ。決して、ジフさんが嫌だったわけではないし、二人を侮っているわけでもないが。思い出しても、ジフさんのアレは慣れても精神的にくたびれるものだった。これ以上の経験は、もう充分だ。
だから、二人の若さとその経験の浅さが、王城勤めの従者としてはどうなのかは知らないが。オレには大歓迎であるのは間違いなくて。食事をひっくりかえらされようが、後片付けを手伝わされようが、全然構わないというものだ。いや、むしろこの方が気楽であると、二人が更に和んでくれるのをオレは望む。
新たに朝食を用意して貰う間も、食事を摂る間も。オレはもっとフレンドリーな関係にするべく、色々話しかけ、彼らの人となりを探ったりしてみる。未だに恐縮する少女に、それ以上の自分の失敗談を披露したり。立ち位置を決めかねている青年に、自身のユルさを説明したり、と。
その、懐柔策とまではいかないけれど、気さくさ全開の訴えは効を奏したようで。
朝食後の休憩をはさみ、湯浴みが出来ると聞いたので使わせて貰おうと。その案内を頼む頃には、二人とは結構打ち解けあえるようになっていた。さすが、若い分柔軟だ。ありがたい。
客人用の湯殿だと案内されたそこは、五、六人ならば一斉に入れるんじゃないかと思える大きな風呂で、久々のそれにひとりで盛り上がる。軟禁部屋では、用意された湯で身体を清めるだけだったので、毎日湯船に浸かっていた日本人には感涙ものだ。
誰も居ないのをいい事に、手足を思う存分伸ばし、長風呂を決め込む。
上がったら、寄り道せずまっすぐ部屋へ戻るからと。外で待つというキックスを押し返して正解だった。
何も考えず、肩まで湯に浸かり、息苦しさを覚えるくらいの状態で、オレは暫し目を閉じる。
「…………極楽だ」
思わず、そうぽつりと呟き。自身で、安上がりだと苦笑する。
しかも、ここは異世界だ。問題山積みの状況だ。極楽も何もないだろう。
まあ、まだこのトリップが、死にオチでない確証を得たわけでもないんだけれど。
「……夢の割には、オレに不都合多いしなァ」
死後なら、お前が居ても不思議じゃないし。夢ならば、もっとハチャメチャだけど、オレの思うように進むよなと。湯の中でたゆたうペンダントを掴み、オレは目を開ける。
湯気で霞む室内を見まわし、嗚呼でもやっぱ極楽だよと体も心も伸ばしきる。ホント、厄介事はまだ沢山あるのだが。とりあえず、あの部屋を脱出できて本当に良かった。
色々世話になっていた手前、ジフさんにダメ出しする資格はオレにはないのだけれど。それでもやっぱり、抜け出せて良かったと心底から思う。客間を用意すると言われた時は、そう言って今度は物置部屋とかそういうんじゃないのか?と、卑屈に思いもしたし。実際、昨夜ラナックに案内された時は、部屋はまともでも、そこに居たのが愛想ひとつしないオバサンで、オレの扱いを悟った気になったし。オバサンが、自分は今限りのもので明日には専属の者が来ると説明した時も、見張りの兵士じゃないかと穿ったけれど。
蓋を開けてみれば、どうだ。世話をしてくれるのは、気が合いそうな同年代の男女で。部屋に監禁されることもなく、湯まで使わせてくれる。オレ自身への配慮が感じられるほどの対応だ。
そりゃあ、部屋とすればあの奇人が言ったように、愛人部屋に勝るものはないのかもしれないけれど。従者だって、ジフさんの方がランクは上なのかもしれないけれど。だけど、オレには今の方がウン十倍イイ。
これで、ハム公がこっちにも来てくれれば言う事なしなんだけど、と。現金なもので、一部が満たされた途端、別の一部を欲してしまう。
一応、自由となった身らしいので。軟禁する必要がなければ、オレの傍に兵士は付かないのだろう。簡単な監視は、キックスやチュラで事足りるのだろう。実際こうしてひとりになっても、見張られてはいないようだし。兵士を置いて拘束するつもりはないという事なのだろう。
それは確かに、嬉しいことである。だが。あの青年と和む時間がなくなるというのは、非常に残念だ。
折角仲良くなったのに。オレの癒しであるのに。少し、寂しい。
幾ら兵士らしくないとはいえ、彼はここで仕事をしているのだから。オレの相手がなくなったら、また別な仕事に励むのだろう。ちょっと不器用だけれど一生懸命に頑張るハム公の姿を想像し、オレは小さく笑うも、やはり勿体ないと思う。あの純朴青年は貴重であるのに、もう会えないのは勿体なさすぎだ。
会いたいと言えば、会えるのだろうか? だったら、リエムに頼むか? てか、そもそもリエムは、ハム公を知っているのだろうか?
オレとの仲を取り持てるのは、両者を知っているラナックだけど。彼は無理だろう。構うなと釘を刺された事もあるし、オレの頼みなど聞いてくれそうにない。
兵士だって休みもあるだろうし、初めて会った時のようにこの王城をうろついていれば、偶然会えるだろうか。しかし、それもまた気の長い話だ。第一、オレの警備じゃなければ、あの青年はどんな任務に就いているのか。リエムに見せて貰ったような、あの鍛錬を彼も日々しているのだろうか? あそこへ行けば、会えるか? いや、それより食堂か? 兵舎には、関係ないオレでも行けるのだろうか?
ああ。レミィは今、何をしているのだろう。
パチャパチャと、湯の中から出した手で水面を叩きながら、軟禁生活でオレを支え続けてくれた存在を思う。
ラナックが強制的にオレの脱走計画に巻き込んで以降、明らかに葛藤している様子だった青年を思い出す。
実のところ、ラナックのそれは王への引き渡しでしかなく、王に仕えるハム公が気にする事などなかったのだが。そんな事は今なお知らないのだろう彼は、同僚の暴走を上司に告げるべきかどうかで迷い、隠していることがバレないかと怯えているに違いない。唐突にオレがあの部屋から消えた今、一体どうしているのだろうか。
ラナックが早々に真相を話し、気欝を払えている事を望むけれど。相手がラナックでは、それも難しそうだ。オレに対する嫌がらせは苛めではないと、堂々と言い切るような奴が。小心者な同僚の不安を取り除く努力をするわけがないだろう。その手間を惜しむのではなく、そもそも気が付きそうにない。
そう言うフォローは、オレの知る中ではリエムが一番だ。ってか、リエムくらいしか頼める相手もない。
会える会えない以前に、ハム公の様子はどうなのか聞かなければ。ちょっと気にかけてやってくれと頼まなければ。オレが仲良くしたせいで、王の不興を買っていたらそれこそ大変というものだ。
オレの事も、その他の事も。とにかくリエムだ。リエムに相手をして貰わねばどうにもならない。軟禁状態から比べれば、かなりの自由をオレは得たようだけど。それでもまだ、なにも知らないオレはその使い方すらわからないのだから。
自分の事ばかりではなく。何でも、知らなければ。
全ては、知ってからだ。
久々にお湯に浸かり、ゆとりが出来たのか。固まっていた思考や気持ちが緩み解れたのか。
身体の芯まで温まりホコホコ状態の自分を、オレは前向きに押し出す。さあ、始まりだと。今日からがまた、新しい事態へ挑むのだと。
唐突にこの世界へと飛ばされて。親切な爺さんに拾われ、多少のことを教わり、奮起して。王都を目指す間に、沢山の人と出会って、リエムという友を得て。王都に来て、職について、慣れたころで捕まって。まるで、異界人がこの世界に馴染むなと言うように、異端であるのを教え込まれるような扱いを受けたけれど。それでも、その中でも、他人の有難みに触れてきたのも確かだ。
そうして、今オレは。奇しくも、王都へ行こうと立ち上がった時に望んだものに、一番近いところまで来ているのだ。本当に、これからオレは、元の世界へ戻る手立てを得られるのか。あの王がオレに情報をくれるのか。そこまではまだ信じられないし、どう転ぶかわからないと穿った気持ちもあるけれど。それでも、街中で働いているよりも、何もせず逃げているよりも、その希望が近いところに居るのだ。
結果オーライというには、まだまだ早すぎるけれど。
この現状の、オレへの配慮が、リエムによるものでも偶然でも何でも。前を向き、目標を目指せるものになっているのは間違いなのだから、進まずにしてどうする?だ。いつまた、動けなくなるかわからないのだから、今のうちに走れるのならば走るくらいの事をしなければマヌケだろう。
そう思うと、ひとつでも多くの事が知りたくて。先程は、きょろきょろとただ物珍しく眺めていた数十メートルの通路を、帰り道ではじっくりと観察しながら歩く。ここからこの国は動いているのだと、この国の中心である空気を吸い込む。
大学の研究棟とは雲泥の、明るく広い通路は、彫刻が施された立派な扉が並んでいるだけで人は誰もおらず、静まり返っている。客間ばかりであり、ただ今は他の使用者が居ないだけなのか。それとも、オレのせいで人払いされているのか。わからないが、人目がないのをいいことに、高い天井を見上げて止まり、窓から顔を出して外を覗き、別れ道へと数歩踏み込んだりもする。
先日逃げている時も思ったけれど、本当に、ヨーロッパのお城と言った感じで。見れば見る程に、場違いな自分が笑えてくる。ひんやりとした壁に触れ、石の文様を指先でなぞりながら、片割れに心の中で呼び掛ける。お伽噺に出てきそうな、この場所は。この世界は。女であるお前の方が似合うのだろうになと。
その軽口に刺激されたのか。ふと、オレの頭の中で、ひとつの言葉が弾けた。
お前が神子を殺したのかと、吐き捨てた王の声が唐突に浮かび上がる。
神子の全ては解明されていないからと。リエムも、あの奇人もそう言って、サツキへの疑念を捨て去っていないようだったけれど。真実がどうであれ、もうこの世にいないのだから知りようもないだろう。オレ自身、知りたいとは思わない。
神子が、この世界に呼び戻されるのが正しくて。サツキがその神子であったのだとしても。オレにはそれを認められるはずもない。
彼女が死んだ事と、オレがここへ飛ばされた事に、繋がりは要らない。
物心も付いていなかったオレはともかく。父と母は葛藤の中で努力して、四人のあの家族を作ったのだ。その一員であるオレがするべき事は、ひとつの真実を探るのではなく、皆で築いたそれを守る事だろう。
そう思うのに。
それ以外は、怖くさえあるのに。
迷いか、不安か。何かがオレを責めるように、王の言葉が頭の中で響き渡る。
家臣達に揃って、神子を望んではいないと言われるような王ではあるが。あの時のあの言葉は、声は、オレを間違いなく責めていた。神子を欲した者のそれだった。だから、オレは、彼らが言うその言葉を信じられないのだろう。
それでも。オレが知らないものが、その中に隠れているのも確かだ。
迷うことなく与えられた客間の前まで辿り着いたが、直ぐに入る気にはならなくて。オレは少し離れた窓まで進み、両手で頬杖をつき外を眺める。誰もいない庭から、空へと視線を飛ばす。晴れ渡ったそこにも、鳥の影ひとつない。
帰還方法を探る中で、オレは多くの事を知るのだろう。その中にはきっと、知りたくはない事もあるはずだ。もしかしたら、サツキと神子を繋げるような何かもあるかもしれない。
けれど。
それでもオレは。知らないでいる自分を許せられないし、元の世界を諦められない。
もう、無関係は何一つないだろうこの状況では、無知は罪だ。
そこに、何があろうとも。立ち向かわねば、始まらない。
確かにオレは、腰抜けなのかもしれないが。
帰る為ならば、オレだって。
傷ついても、進んでやる。
2010/01/11