君を呼ぶ世界 132


 相手がこの男では、ガッカリする間もない。

 ひと風呂浴びてさっぱりしたのと、ささやかだが久々に与えられた自由に、ぼんやりと景色を眺めながらまどろみそうになっていたのだが。
 ものの五分もしないうちに、どこかへ行っていたのだろう、戻ってきたキックスに声を掛けられた。お帰りと言うと、自然なハニカミが返る。
 二人で扉をくぐると、直ぐにチュラが出迎えてくれた。
 いや…出迎えというか、掛け寄ってきたという方が正しいだろう。なんだか少し、慌てた様子だ。
「お客様がお待ちになっております」
「えっ、オレに?」
 同僚への話かと、少女にただいまと挨拶し、その横を通り過ぎようとしたのだけど、呼び止められたのはオレで。客って何だよ?と、唐突で驚いてしまうが。
 実のところ、新しい環境に和んでいる場合でもなく、オレには訪ねてくる相手が居るのを思い出す。そう彼は、明日行くと言っていたじゃないか。
「ああ…、リエム?」
「いえ…」
「は? 違うの?」
 早速リエムが来てくれたんだと、確認もそこそこに再び足を踏み出すが。またもや、思わぬ答えに立ち止まる羽目となった。
 リエムでないのならば、一体誰だというのか。
 本気でわからずに首を傾けると、チュラは困ったように視線を彷徨わせ、一点で固定させた。その先を追いかけてみれば、いつの間に動いたのかキックスが居間へと進んでいく背中が見える。
「……あの、ヴィスター大神官さまなのですが…」
「……誰それ?」
 少し低い位置から遠慮気味に上がったその声に視線を戻せば、何故か本気で困惑した顔と出会う。知らない奴に訪ねられるのは、まあ、今のオレの状況ではあるかもしれないけれど。この侍女がどうして、部屋に招き入れた相手の名を告げるのに躊躇う必要があるのか。訳がわからない。
 余程その客が嫌いなのか? 曰くありの人物か?
 ていうか。大神官って、察するに、神官の親玉だろ? 早速、神子捜索を始めるつもりか?
 焦られても、オレは何も出来る事がないんだけどな、と。オレ自身、困ったなと眉を下げたところで、「メイ殿、こちらへお願いします」と、キックスに呼ばれてしまった。
 仕方がない…というか、訪問されて会わないわけにもいかないので。当然、オレはそれに応えて、留まっていた通路を抜け居間へ顔を出したのだけど。
「……」
「なんじゃ、なんじゃ、その顔は。湯浴みをしてサッパリしたのかと思えば、不可思議な面をしおって。湯でふやけすぎたのかのォ。いくら顔立ちが良いとはいえ、限界があるぞ?」
 のう、息子よ。そなたも主人がこれでは、気も抜けよう――と。そう言ってキックスを巻きこんだのは、紛れもないあの奇人だった。
 ……あのも、どのも、オレには奇人の知り合いなんて、この男しかいないのだけど。
 客がこの奇天烈では、そりゃチュラも戸惑うわけだ。
 可哀相に、ひとりで奇人の相手をしていたのか。早く戻ってやれば良かった。
 ――て言うか。
「…………なんで?」
 何をやっているんだと、どうして居るんだと。あの厄介な部屋に居る筈の男の訪問にオレは驚き、言われた言葉を理解しつつも、誰の顔が何だって?などとツッコム気も起こらない。
 詳細を詳しく理解しているわけではないが、昨日の様子から言って。王もリエムも、この奇人にオレの代わりを頼んだと思うのだが。軟禁部屋の住人を、バレるのを承知でそれでも、この奇人に入れ替えるようだと思っていたのだが。
 それなのに、何故、ここに居る…?
 オレが出れずに嘆いていた部屋を、あっさり出てきてんじゃねぇーぞ、オイ…。
「何でと言われても、気が抜けるのは仕方がなかろう。やはり、主人は主人としての威厳がなければ、仕える方が哀れじゃというものじゃろう。顔くらい引き締めてやるのも、上に立つソチの努めじゃ」
 ……そんなことは聞いていないし、そもそもコイツに人の上に立つ教えを頂きたくない。
「…………あの部屋で、暫く過ごすと言っていませんでしたか?」
「ああ、言ったのォ。じゃが、出歩かないとは言っておらぬ。何より、あの部屋は何もなくツマらんじゃないか。確かに、蝶の間のその機能が今なお健在に発揮されているとは思おておらなんだが、それ以上の簡素さじゃ。この客間と変わらんじゃないか。アレで籠って居れるわけがなかろう。そなた、よく十日もあそこに居続けられたのォ。奇特な奴だ」
 そっと、席へつくようキックスに仕草で促されたが。目の前ではじけた奇人の言葉に、オレは唖然と立ち尽くす。
 奇人に、奇特と、変人扱いされてしまった…。
「華美な衣装も、悪趣味な蒐集品も、騒ぐほど興味はないが。時間つぶしにはなると考えておったのに、ないのならば話にならぬ。専用の湯殿も、王のそれへの通路も、全て閉ざされておって、一体何が出来るというんじゃ。あれでは、ボクは退屈で直ぐに死ぬ」
 いや、そんなに力んで宣言されても。居続けたオレが馬鹿みたいだ。
 確かに、言われてみれば、庭は広いしここの品々も立派であったが、歴代の愛人部屋としては華やかに欠けていたかもしれない。部屋数も少なかった。風呂もなかった。けれど、それが本来の役目をなさない為にとられた処置ならば、本来のそれではない身であるオレ達には痛くも痒くもなく、むしろ安心要素だろう。
 なのにこの奇人は、そうではなく。愛人部屋を本気で満喫しようとしていたらしい。なんて肝なのか。オレのようにいい加減な噂など上がるはずもないと踏んでのことだろうが、仮にも自分の国の王のそこでそれとは、恐れ入る。
 神経太すぎだ。いや、そもそも神経などないのかもしれないが。
「あの間でボクが死んだら流石に王とて困るじゃろうと、息を吸いに出ようとすれば、融通の利かない従者の嫌味が降り注ぐ。その傷心を癒して貰おうと、苦労を重ねてやって来たというのに、ソチはひとり湯浴みへ行ったという。追いかけて背中のひとつでも流してやるか、流させてやるか迷ったんじゃが。待つのも一興かと、のぉ。可愛い侍女も居たし、なかなか楽しかったわい。これで、ソチが満面の笑顔でただいまと言ってくれたら、お帰りと抱きしめてやるのじゃが…どうだ?」
 そう言って、座ったままではあったが両腕を広げた奇人については行けず。オレは固まった首を動かし、傍らに控えているキックスを見る。
 こいつ、ホントに大丈夫な奴なんだろうか? 席について、ホントにいいのか?
 一応、この部屋の主であるのならば、奇人にはお暇願う方がいいのかもしれないと。眉間に皺を寄せつつ内心で唸っていると、「では、息子よ。おいで。使い回しのようじゃが、気にするな」と言って、立ち上がる。何だと、引き気味に視線を向ければ、苦笑しつつも嫌がる素振りなど微塵も見せず、キックスはそれに応えて、奇人とハグをした。
「…………」
 引き気味じゃなく、ドン引きだ。
 …て、そうでもなくて。
 キックス、凄い…凄すぎだ。それは、素か? 仕事で仕方がなくか?
 どちらにしても、恐れ入る…。――じゃなくッ!!
「――息子なのかよッ!?」
「そりゃそうであろう。キックスは男であるから、娘とは言わぬ」
「アンタが親なのかよ!? 似てねェよッ!」
「そうであるのが、残念ながらか、幸運ながらかは分からぬが。ボクはまだ誰の親にもなった事はないのォ」
「は?」
「ヴィスターさまは、私の父を知っていますので。その息子と言う意味で、私を斯様に呼ばれるのです」
「なんじゃ、それを聞いておったのか。ならば、はっきりそう言わねば分からぬ。と言うか、メイ。そんな些細な事を気にしていては、疲れるだけじゃぞ。もっとゆとりを待たねば、早々に潰れよう」
 気をつけろよと、どの口が言うのやら、だ。
 アンタがそうでなければ、オレの疲労は半減だ!と。あまりの言い草にむかっ腹が立ったが。そんなオレの心境を察してか、労わるような視線をキックスが向けてくるのでバツが悪くなり、オレはそそくさと席につく。
 知り合いらしいが、一体どのくらいのものなのか。少なくとも、オレよりこの奇人に慣れていて、接し方も上手なこの青年には、奇人に振り回されているオレが可笑しくあるのだろう。正直、面白くない。奇人のせいで、かかなくていい恥までかきそうだ。
「…それで、何用ですか。――ヴィスター大神官殿…?」
「ソチには名乗ったであろう、ボクはディアじゃ。神殿を出た今、大神官でもなければ、ヴィスターでもない」
「でも…、名前なんでしょ?」
「大神官であったから頂戴した氏じゃよ。今はもうない」
 そう言うものなんじゃよ、と。オレを来訪者だと知っているからだろう、詳しい説明ではなかったがそう付け加え、奇人はズズズと茶を啜った。
 それ以上口を開かない男に、わからずとも鵜呑みにしろという事かと思ったが。イマイチ納得出来ないような感覚に、オレはキックスを見上げる。だが、彼もまた、濁すように曖昧な笑みを浮かべるにとどめた。
 神官を辞めたのならば、大神官と言う役職は消えるだろうが。ヴィスターというのは、個人の姓だろう。平民には持てないそれは貴重であろうに、職を辞しただけで奪われるのはおかしくないか?
 それとも、奇人だからこそ、その地位の象徴となる姓を奪われたのか?
 普通の事なのか、特別な事なのか。それさえもわからなくて首を傾げたままのオレを、気付けばジッと奇人が見つめてきていた。
「…何ですか?」
「いや。改めてのォ」
「……」
 改めて、来訪者だなと見入っていたという事だろう。
 キックスが傍に居るから省いたのだろう言葉の先を読み取り、今度はオレが逆に見つめ返してやる。
 オーラだか何だか知らないが。人には見えないそれが見えるというこの男もまた、オレとは違う意味でだがこの世界の異質なのだ。けれど、それでもこの世界の住人である。オレの纏うそれは、奇人の関心を引くくらい、周囲とも、この男とも違うものなのだろう。
 はたして、飄々としたこの能力者は、そんなオレをどう捉えているのか。
 はっきりと比べられている事に、普段ならば嫌悪を覚えそうだが。奇人相手では、だからなんだと、開き直ってしまう気持ちが強くて。オレは、自分の異質さと大して変わらないと思える異常な相手を見据える。
 王さえも手玉にとっているような人物であるのだから、卑屈になる方が馬鹿を見るはずだ。勝負などしたくはないが、負けも出来ない。たとえ挑発されても、乗ってはならない。
 何を思い、考え。オレと接しているのか。奇人のそれが気にならないわけではないが、深く考える事をオレは放棄する。横道にそれている間に、どこまで付け入られそうだ。
「それで、用件は?」
「そう、焦るな」
「別に、そう言うわけじゃ…。ただ、向かい合って茶を飲んで和む関係でもないでしょう?」
「違うのならば、そうなればいいだけの事じゃ」
「……大神官って、偉いんだよな?」
 オレは一言も、仲良くしたいなどとは言っていないのに。至極尤もだけど、奇人が使うと違和感ありまくりなその言葉を拾う気にもならなくて。人をけむに巻く発言ばかりに付き合っていては永遠を見そうだと、相手から用件を訊く事を諦め、自分から質問を向ける。
 本気で、何かあるのならば、そのうち聞いてくるだろう。実際のところ、本当にただの暇つぶしでしかないのかもしれないし。
 しかし、正直それに付き合えるほど、オレはこの奇人に心を許しているわけではない。そのおかしさが数歩離れた遠くで発揮されているのならば、面白い奴で終われ、ほんの少しならば好感すら抱くかもしれないが。こうして目の前で行われ、絡まれていては、構えるなと言う方が無理な話だ。何より、昨夜はこの男のせいで、色々とオレの事情は変わってしまったのだから、警戒して当然だろう。
 確かに、あのままただ王とだけ揉めていたら、話は平行線を辿り、それを暴君が許すはずもなく、オレは再び牢屋へぶち込まれていただろう。今の待遇を思えば、来訪者であり、あの召喚に巻き込まれた者だとバレたのは良かったのかもしれない。しかし、それはやはり、今だけの状況でだ。次の瞬間の対応に、オレは一瞬でそれを後悔するかもしれない不確かなものだ。
 何より、バレるとしても。訳のわからない超能力で暴かれた不快感は、今もぬぐえていない。それまでにリエムに話せていたら良かったと、女々しい後悔をオレに覚えさせてくれたこの奇人は、正直、心底から悪い奴だとは思っていないが、苦手だ。
 だけど。
 オレにとっては、貴重な情報源であるのも事実。
「そうじゃのォ。神官の誰でもが成れるものでないのは事実じゃが、ある程度力があれば引き上げられるものじゃて、価値は色々じゃの。権力がある者の覚えがめでたいから成れた無能者も居るし、己の力のみでのし上がり認めさせた者も居る。ちなみに、ボクは両方が最強じゃ」
 だったら、どうして辞めたんだと。その性格の事だから、辞めさせられたのかと訊きそうになるのを、邪気がないのに胡散臭さ満開の笑顔を見てグッとこらえる。
 聞いたら負けな気がする。この奇人の事は、あまり知りたがらない方が身のためだろう。興味を示したが最後、取り憑かれそうだ。
「ボクの事を知りたいとは、さては惚れおったか?」
「オレが知りたいのは、フィナという青年だよ。……知り合いの神官とかに、居ませんか?」
「生憎、ボクは何年も前に神殿を離れたからのォ。それも、それまでは箱入りで、王宮外に出る事はあまりなかったんじゃよ。珍しい名でもなし、ソチのいうのがどのフィナであるのか見当もつかぬ」
 ボケを無視して、カマかけ半分で問うたそれに、当然だろう答えが返ってきて頷きかけたのだが。
 そうですかと、オレが答える前に。奇人は言葉を繋げた。
「じゃが。王やヴァンの若造の幼友達のフィナなら知っておるぞ。ボクが知っておるのは、神官のタマゴであった時じゃがのォ」

 そう言って、目を細めた男の顔は。
 本物と思える自愛に満ちていた。


2010/01/14
131 君を呼ぶ世界 133