君を呼ぶ世界 136
手に余るそれを、一体、全体、どうすればいいのやら。
いくつもの爆弾を残して去っていった奇人。
もし、追いかける事が可能でも、オレは追いかけないな…と。追いかけられるような状態じゃないよ…と、半ば放心状態で壁に頭を押しつける。折角ゆったりと入った風呂の余韻も、今はもうどこにもない。
……疲れた。
処理する前に零れ落ちて行きそうなくらいの情報が、頭を駆け巡る。マジでパンク寸前だ。
確かに、色々知らねばと。知ろうと思ったけれど。
最初から、ハードルが高すぎだろう…。
その場での衝撃もさることながら。奇人が去って、ようやく一息つける段階になったからか。勢いで交わし続けたような言葉を、頭と心がじわじわと吸収していくにつれ、そのあまりにも突拍子のない内容に再び揺さぶられる。
信仰心の欠片も持ち合わせていないオレにとっては、むしろ納得さえ出来る、奇人が言う、神の真実。召喚の実態。
それでもその真偽を掴めないオレの不審を払うように、奇人が明かしたのは、神子の子供だというその正体。
気になるフィナさんの事を聞き出せればいいなと、向かいあい掛けていたオレなどもう遠い昔の事であるかのように。今までの不義理で不親切な扱いを払拭し、その押し付けに畏怖するほどの情報がやってきた今。申し訳ないが、召喚師のひとりかもしれない男に向ける関心は、一気に急下降だ。悔しくもあるが、奇人の存在に意識は支配されている。
神子の記憶を持つという、神子の子供。それも神子の能力の一部なのか、人には見えない人間のオーラまで見えるという、奇異な男。
離れて新たに、側に居なくても煩いヤツだとオレは気付く。本当に、厄介だ。
っていうか。
奇人の歳から察するに、親であるというその神子はもう存命していないのだろうけど。だけど。何十年か前に神子が来て、子までもうける生活をしておいて、周囲に知られていないわけがないだろう。それとも、リエムが言っていたように、異界から来たその人物は神子を辞めたのだろうか。その正体を隠して、奇人を育てたのだろうか。だが、子供に記憶がうつっていては、神子を止めるも何もないだろう。
ふと、旅に出て直ぐ、最後の神子の話を聞いたことを思い出す。確か、砂漠の国のその神子は四十年前に亡くなっただとか言っていた。何歳で亡くなったのかは知らないが、年齢的に考えれば、彼女が奇人の親であってもおかしくない。
だけど、あの時の彼らは、以降の神子不在を時代だと割り切っていたけれど。それ以降も、秘密裏に召喚は行われてきたようだし、神子が存在した可能性もなくはないのだ。数国も離れた神子の子がこの国に居る方が、突飛もない話だろう。
第一、そもそも、だ。ボクの事も秘密にとは、一体どの事だ? 神子の記憶を持っている事なのか、親が神子であったという事なのか。本当に口を噤んでくれと請うのならば、オレ以外の誰がどこまで知っているのか等、色々教えていけというものだ。言い逃げしていくような内容ではないだろう。
確かに、昨夜の出現以降、何かと厄介ではあるが、その情報提供にはオレだって感謝している。しかし、本当に言いたい事を言って去っていく男に、その気持ちは半減だ。その意を汲み取ろうと、必死扱くのも馬鹿げている。
とりあえず、奇人のそれを置いておき、話を整理すれば。
フィナさんと言うのは、神官だったのは間違いないようで、召喚に関わった可能性はやはり大きいようだ。だが、奇人が語ったのは幼少期の事で、ここ数年の彼を知らない奇人から真実を引きだすのはもう難しいだろう。結局は、リエムに聞くしかないようだ。
亡くなった彼について、得た真実は。幼い頃から奇人に苛められていたらしいという、どうでもいいものでしかない。
っで。それとは逆に、だ。
何やら知っているのだろうが、本人は怪しすぎるし、真偽が見えないしで、オレのリストには敢えて入れていなかった奇人からもたらされた、この世界の真実。それは、神は世間が言うような審判者ではなく傍観者であり、基本、人々が行う召喚そのものを望んではいないという話だ。
はっきり言って、何だそれ…である。
神が傍観一辺倒であるのは、この世界の人が聞いたら、「バカも休み休み言えよ。そんな事、あるわけないだろ」なんだろうが。オレにとっては、「そりゃそうだろう。神の采配によって世界が成り立っているだなんて不健全な考えだ」である。けれど。それに、神の力が奪われる事で無理な召喚までもが成り立っているのだとなれば、「ふざけるな」だ。なんて、お粗末な話だろうと、呆れ果てる。
どうして召喚を拒むのかは知らないが、力を使われておいてなお容認しているのだから、馬鹿げている以外に考えられないというものだ。神が何かをするのも嫌だが、それでなお何もしないのも、オレなんかはどうかと思う。
そこに、唯の人間には計り知れない高貴なお考えがあるのだとしても。実際に、神子も、この世界に無関係な人間も、地上の者のエゴによって呼び込まれているのだ。神の傍観は、許されてよい話ではないだろう。
神と言うのだから、この世界を統べているのだろうし。放置は到底いただけない。
尤も。本当に、象徴ではなく実際に存在するのだと、奇人の言葉を信じるのであればの考えだけど。奇人のその考えのみが間違っているのならば、真実を黙っている奇人こそが問題だというものだけど。
だけど、実際に色々思いはするものの。それは、オレが今まで培ってきた価値観でのものでしかなくて。この世界のそれを全て知るわけでもないオレは、納得いかなかろうが、状況として理解するしかないのだろう。奇人の言うとおり、そういうものだと覚えるしかないのだ。
だから。数多の疑問も。
何故、神は動かないのか。神子がこの世界に来る意味はあるのか。来訪者に救いはないのか。この世界はどこへ向かうつもりなのか。そんな、漠然とした不安にも嫌悪にも似た感情も、ぶつけるべき相手はいないという事で。
奇人が紡いだ言葉を、情報以上にするのは難しい。
もっともっと、この世界の信仰が解れば、見える歪みの奇形さを指摘できるのだろうけど。感覚でおかしいだろうとしか捉えられていない今のオレには、被害者だとはいえ、詰られる域には達していないように思う。
そんなわけで。
オイオイオイと、突っ込み続けなければならない攻撃が途絶え、一息ついて冷静さを取り戻しても。結局、話を深める相手もいなければ、確固たるものがオレの中にはないので。ただ、騒がしさの余韻だけが、オレを包む。
この世界の真実と同時に聞かされた、奇人の正体についても。色々疑問が浮かびはするけれど、緘口令を敷かれた今は、どうしようもない。
要するに、打てる手段がひとつもないわけで。
クソ奇人め…と胸中で呪うように呟き、疲れを振り払おうと頭を振って。ひとまず置いておこうと、どこか現実逃避でもあるのを自身で察しつつも、そんな己を許して席に戻ったところで。
キックスがやって来て、リエムの来訪を告げた。
同時に、部屋を見回し、奇人の所在を問うてくる。
当然だろう。子供でもないのだから、誰も窓から退出するなど考えない。ヤツが可笑しすぎるのだ。
「帰ったよ…窓から」
はあァ、と。そのフザケ具合に改めて溜息を吐きながらオレが言うと、キックスは一度眼を張り驚きを見せたが、直ぐに困ったように笑って「そうですか。わかりました」と頷いた。やけにあっさりと、その奇行を受け止めたようだ。
先程も多た事だが、慣れているのだろうか? それとも、仕事だからか?
どちらにしても凄いなと、まるでやんちゃ息子を見守る母のように穏やかな笑みを見返し、オレは自分を顧み、少し反省する。あんな男が相手ならば、キックスくらいどっしり構えるべきかもしれない。そうすれば、疲労は減るんじゃないだろうか。
そんな事を考えているうちに、リエムが入ってきた。軽い挨拶のあと、居心地はどうだと、ここの様子を聞いてくる。
「昨日まで居た部屋に比べれば天国だ。世話してくれる二人はイイ感じだし、風呂も入れたし、本当に自由があるようだし。大満足過ぎて、逆に反動があるんじゃないかと怖いくらいだよ」
先程まで奇人が座っていた、向かいの席に着くリエムに正直にそう言うと、相変わらずさわやかな男前の顔が、ちょっとばかり痛ましげに歪んだ。あ、地雷だったか?と、その表情に、嫌味に聞こえもする発言だったと己の失敗を知る。
オレ自身は軟禁された事でリエムを責める気持ちは微塵もないのだけれど、この真面目な男は違うのだろう。
案の定、リエムは、そのつもりではなかったが、結果的に軟禁状態になった事に頭を下げて詫びてきた。それに続けて、自分の至らなさや、誤った態度をオレに対して行ったなどと口にする。
「いや、ちょ、ちょっと。ま、待ってくれ…!」
「これもまた自分の都合だろうが…とにかく、まずは謝らせてくれ」
「いやいやいや、ンな事しなくてイイって! アンタが謝ったら、オレだって謝り倒さねばならないし!」
リエムは、リエムの仕事をしたまでだ。その優先順位を偽って、オレを懐柔していたわけでもないのだから、王に従い色々やった事をオレに謝る必要など微塵もない。寧ろ、嘘を吐いたオレが謝るべきだろう。
ただ、リエムはリエムの正しさで行動したように、オレもまたオレの曲げられない理由で嘘を吐いたのだ。隠したのだ。だから、正直、リエムにはオレを許して欲しいと思う。
オレが来訪者だと告げなかった事で、リエムに迷惑を掛けただろうけど。だけど、オレだって、それに対しての咎であるような不便を強いられたのだ。あの鬱屈し日々は、自業自得と言われればそれまでが。嘘は吐いたが罰も受けたから、どうか水に流してくれよ、と。厚顔を自覚しつつも言えるくらいに、それを押し切れるくらいに、オレはあの軟禁や王の態度は問題だと考えている。その王の臣下であるリエムならば、オレのこれは受け入れてくれるだろうとも。
だから、そう。オレは、リエムは引き引きでチャラにしてくれたのだと思っていた。だけど、昨夜は奇人の波に飲まれたオレだけじゃなく、リエムもまた、あの状況に酔っていたのだろう。
シコリは払拭された訳ではなかったようで、改めて示された謝罪に、オレは焦る。
リエムに謝られては、オレの方が悪くなる。バランスが崩れるじゃないか!だ。
真面目だが、融通が効かないわけでもないだろうに…。ヤメテクレ…。
「俺はお前が慕ってくれているのを利用したような――」
「だから、止めろって!」
謝るな!と、必死扱いて頼んでいるオレを無視し、どこまで突き詰める気だ!?と思うような発言を始めたリエムの言葉を、オレは声を荒げて止める。居た堪れなくて聞けるわけがない…それとも、これは新手の嫌がらせか?
隠し続けたオレに自責の念を植え付けてやろうと、殊勝過ぎる態度で攻めてきているのだとしたら、オレに勝ち目はないのだろう。
だけど、甘んじて受け入れるのも難しい。それなら普通に責めてくれというものだ。
「あのな、リエム。利用だ何だのは、おかしいから…そこまで考えるなよ。アンタは遣るべき事をやった。オレも、自分が思うように行動した。それで相入れていなかった部分があったのは事実だけど、それは仕方がない事だろう? っで。今、こうしているのも、偶々そうなっただけの事だ。深く考えるのはよそうぜ、なあ? 今までの事は今までの事で、もういいだろう?」
「だが、」
「だが、も、何もない。リエムが気に病む必要は全くないから、マジ止めよう」
「……それでいいのか?」
「言いも悪いもないよ」
「……。全く、お前は…甘いな。優しすぎるぞ」
「意味わかんねェよ。オレが優しいんじゃなく、これは今でのリエムの成果だ、行動の結果だ。オレに手を貸し続けてくれているアンタだからこそ、オレは認めて納得しているんだ」
オレはアンタと違ってお人好しでも何でもないんだぞ、と。苦笑交じりに言いつつ、もうこれで終わりだとリエムを見やる。
わかったと言うように、リエムが目元を緩めた。
ホッとして、ちょっと待てと制止するために上げていた手を下ろしかけ――。
「あ、そうだ。仕切り直しというのはおかしいけれど…、まあ、その、秘密もバレた事だし、改めて」
オレは右手を差し出しながら、椅子から腰を上げる。
「こことは異なる世界からやって来ました、柏尾芽生です。色々勉強しているけど、イマイチわかっていない事が多いので、どうぞよろしくお願いします」
これからも世話になるよ、頼むよ、と。ケジメだけれど気恥しさもあって茶化すように言葉を紡いだオレに、眼を張ったリエムだが。
次の瞬間には、若干の苦笑を交じえつつも全開の笑みを見せ、オレの手を打つようにして握った。同じように立ち上がる男の応えが単純に嬉しくて、合わせた手に力を込める。
オレは、今までの事を、無かった事にする気はないけれど。
だけど、気になるのならば。なあ、リエム。
今から、始めればいい。
2010/01/28