君を呼ぶ世界 137


 生まれで身分が決まるのならば。
 それ相応の仕事をしろよってものだ。

 合わせたオレの手を反対側の手でも軽く叩き、リエムは「ホント、お前には参るな」と苦笑した。昨夜も聞いた言葉だ。
 だが。
 それが本当ならば、是非とも参って全てに降参して欲しいものである。しかし、この男は絶対に譲らないものを持っている。オレへの好意など、その前では些細なことで、本気で参りはしないのだろう。
 だけど、まあ。それがリエムのアイデンティティなのだし、口先ばかりの感服発言に突っ込む気はない。うん。
 こういう、気さくに笑う男に、オレも和んでいるのだし。
「オレは実際こっちに来て目の当たりにしているから、この世界の沢山の事を知りたいと思うけど。リエムは、まあ、異世界なんて空想世界と一緒で、そう興味もないだろ? だから、教わる代わりと言うほども役立つ知識にはならないだろうけど、もし気になることがあったら何でも聞いてくれ」
「何を言っている。自分の知らない世界に、興味を持たないわけがないだろう。何より、お前の事だしな、俺は聞きたいし、知りたい」
「じゃあまあ、追々にでも話すよ。っても、オレも世の中に詳しいわけでもなく、のほほんと過ごしていただけだから、何も期待するなよ?」
 それは心からのものだろうけど、来訪者が迫害される事実を知っているオレとしては、気を遣わせてもいるなと思うものでもあって。オレは苦笑交じりに受け取り、解放された手を引きつつ座りなおす。
「別に、爆笑話を望んでいるわけではない。心配するな」
「ハハハ、そりゃそうだ。――って。なんか、昨夜も似たような話をしたな?」
 オレ、ボキャブラリー少なすぎだな、と。自分でツッコミながら、再び前の席に着いた男を見ると。存外、真剣な目を向けられていて、少しドキリとする。アレ? 昨夜の話も地雷なのか?
「あー、どうかしたか?」
「いや…俺も、改めて名乗らせて貰おうと思ってな」
「ああ、どうぞ。遠慮なく」
 じゃなく、お願いしますと言うべきか?と。何をまた改まってとの疑問も合わせて、オレは頭を少し傾ける。
 リエムは、オレがそれを戻さぬうちに、名乗りを上げた。
「もう、分かっているだろうが。俺の名前は、リエム・ヴァンだ。一応、家名を持っている」
「ああ、うん、そうみたいだな。…その、貴族サマってやつだろ?」
「いや。昔、その端くれだった程度だ。屋敷も王宮内にはないくらいだからな」
 あ、その言い方だと。王宮に住めるのは偉い奴なんだなと、何となくはそう思っていたことに確信を持つ。ここでの暮らしは、権力者のステイタスであるというわけだ。王宮に住んでいますというだけで、一目置かれるわけか。成る程。
 だが、それでも。端くれとはいえ、一般庶民からすれば、リエムも立派なお貴族さまであるのだろう。その物腰も雰囲気も、言われてみれば、街中であった人々とは違うし。外から見た感じでも、館はかなりデカかったし。
「いやいや、でも、充分金持ちだろ。館を見たけど、立派なモノだったじゃないか」
 リエムってお坊ちゃまだったんだなと、しみじみと口にすれば。「何故メイが屋敷を知っているんだ?」と、思いっきり眉を寄せられた。
 そう言えば、昨日はそれどころではなくて、妹さんに会った事を言っていなかった。
「あ、実はさ。昨日、会ったんだよ、妹さんに」
「俺の妹にか…?」
「そう、ラティさん。ここから街まで降りるのに荷馬車に乗せて貰ったんだけど、それに彼女も乗って来てさ。っで、先に妹さんを降ろすから、屋敷へと行ったんだよ」
「そうか……ラティとは、何を?」
 おっ? リエムも、何だかんだ言ってもやっぱりお兄ちゃんなようだ。可愛い妹に接した男の動向が気になるらしい。
「挨拶程度しか交わしてないよ。オレもそれどころじゃなかったからな。だから、警戒するなよ」
「警戒などしていない」
「そうか? あれだけ可愛い妹が居たら、兄貴としては心配だろ?」
「可愛いか?」
「間違いなく美人じゃないか。愛嬌もあるし、モテてるんだろうな」
「さあ、それはどうだか知らないが。本人は、俺に似ていると言われるのがお気に召さないようだぞ」
「確かに、似ているよなぁ。オレも直ぐに分かったし」
 だけど、片方が残念なわけじゃなく。兄妹が揃って美形ならば、似ていて問題ないだろう。妹さんだって、ブサイクな兄貴よりもいいはずだ。
「確か、上に兄貴がいるんだったよな? その人も似てるの?」
「まあ、それなりに似ているんだろう。兄は父親似で、俺と妹は母親似ではあるがな」
「へえ、成る程」
 やっぱ兄弟がいるのはいいよなと、純粋に思う。サツキは、家族であり、ちゃんと片割れだと認識はしているが。実際に、一緒に成長している存在があるというのは、羨ましい限りだ。
 機会があったらきちんと紹介するというリエムに頷いていたオレの頭に、弟認定しているわけではないけれど、今ので触発されてのことだろう、ひとりの青年の顔が唐突に浮かんだ。
 あ、そうだった、ハム公だ。彼の事を聞かないと。
「あのさ、リエム。昨日までいた部屋で、よくオレの相手をしていてくれたレミィって護衛が居るんだけど、知っているか?」
 いきなり話題を変えたオレに、リエムは少し呆れたような顔を作った。そりゃそうだろう、話していた途中だったのだから。
 悪いと、後にすると謝るが。今更なのだろう、リエムは構わないと許容し、知っていると頷いた。
「仲良くやっていたと聞いたが、どうかしたのか?」
「いや、どうかっていうか…。その、ラナックが、さ。オレをあの部屋から連れ出すのに無理やり一枚咬まそうとしていて、レミィは心底困っていたようだから、どうなったのだろうと気になって。結局、オレはこうしているわけだし、未だに気を揉んでいるのなら可哀相だろう?」
 そもそも、脱走話は端からあってなかったようなものだ。オレもそうだが、ハム公もあの男に騙された口である。ラナックは自分の始末をちゃんとしているのだろうか。  まさか、やりっぱなしじゃないよなと、伺ってみると。リエムは諦めに似た笑いを落とした。笑い事じゃない。だが、笑うしかないのだろうそれに、オレは眉を下げるにとどめる。
 ここで、あの虐めっ子の言動についてリエムと語っても仕方がない。
「心配せずとも、レミィの事は大丈夫だ。俺もよく知る奴だからな、ちゃんと対処をしておこう」
「本当か? 良かった、頼むよ。でも、出来たらオレもまた会いたいんだけど」
「会ってどうする?」
「まあ、迷惑や心配をかけたのも確かだし、一言謝りたいな。何より、折角仲良くなったんだから、これでサヨナラは寂しいだろ?」
「随分気に入ったんだな」
「ああ、イイ奴だし、可愛いじゃないか。部屋に据え置きたいくらい、癒し効果があると思わないか?」
 愛玩動物ではないが、それに近い愛情を持つオレは、当然と言ったようにリエムに同意を求めたのだけれど。悲しいかな、リエムは「そういうのはお前くらいだろう」と苦笑のみで頷きはしなかった。
「確かに、俺はあいつの本質がそうであると知っているから、お前が気に入るのも分かるがな。あいつが身を置くのは、皆がそれを美徳と理解してくれるような場所ではない」
「そうだな、そうかもしれない…。けど、周囲の評価で彼のそれが侵されるのは惜しいな……なんで、あいつは似あわない兵士なんてやってるんだろう…?」
 オレにとっては癒しだけれど、兵士仲間にとってのアレは厄介な面もあるのだろうと、リエムの言葉を理解しつつも。思わず、責めるまではいかずとも不服を込めて言ったそれに、リエムは「あいつにはあいつの事情がある」と話を閉めた。
「職務中以外は、兵士と言えど自由がある。この客間に、客を招くのも構わないからな。レミィには顔を見せるように言っておこう」
「ああ、頼むよ」
「それより。メイのその名前だが。カシオというのは姓か?」
「そうだけど?」
「家名持ちか…。この世界で、姓があるのはどう言う事か知っているか?」
「庶民にはなく貴族や偉い人が持っている、と聞いたくらいだな。あ、言っておくけど、オレのいた世界では、姓を持つのは普通だから。苗字が合っても、オレは偉くもなんともない庶民だぜ?」
「そうか…ならば、と言うのはおかしいが。これからも、名乗るのは名だけにして欲しい。正しく名乗れないのは不服かもしれないが…」
「いや、全然平気。全く拘りなんてないから」
 不思議なほどに、どこか痛ましげに顔を顰めたリエムに、オレは速攻で否定する。そりゃぁ、苗字を使う場面の方が多い社会で育ったけれど。名だけで通すのは、慣れない気恥しさが今なおあるけれど。全く持ってそんな事は、譲れない範囲に微塵もかかっていない。
「これからも、名前だけで通せばいいんだな?」
「ああ、そうだ。それで、ここで暮らす以上何かしら人と出会うだろうが。相手に名乗られた場合、家名持ちならば、その姓を呼ぶようにするのが無難だ」
「え、じゃあ、リエムの事も?」
「いや、俺は構わない。他の者も、当人が許可したのならばそれに従えばいい。堅く考える必要はない」
「…うん、まあ、了解」
 畏まる必要はないのに、無難な対処があるのかと。何だその曖昧さはと、頭にハテナが飛び掛けたが。それが礼儀だと言われればそれまで、で。まあ、日本人にはちょっと馴染みがないけれど、初対面からフレンドリーになれる要素が潜在している――見たいなものか?と。
 分かったような分からないような答えで、何となくながらも納得したオレに。リエムは、この国での、氏名を呼び合うに際し生まれる微妙なニュアンスを教えてくれた。
 まず、家名を持つと言う事は、ステイタスであるのは間違っていないようで。そこに、プライドを置いている者も少なくないようだ。なので、昔から、やたらと姓を誇示する奴が後を絶たないらしい。王家筋の姓などは特に、水戸の黄門様の印篭のように使っているだとかなんだとか。
 っで。当然、何代か前の王の時代に、政治の中心で、家名持ちとそうでない奴の派閥みたいなものが出来たりして、揉めたりして。当時の王が、一時全員に家名を名乗るのを禁止しただとか。
 そして、驚くべき事に。ちょっと話はズレるが。この国は、王位は世襲ではなく、その時に相応しい適応者を国の中枢が選び出すらしく。
 そんな国にとって、その諍いは確かに愚かな事でしかなかったのだろう。  家柄は大事だ。だが、個人の能力に、それは一切関係ない。そう王が宣言し、家名を封鎖された面々は、多少考えを改めたのだとか何だとか。
 そして、今は。基本、日常的には名を名乗りあうのが通常らしい。ただ、正式な場所では当然、フルネームを礼儀として名乗る。職場や何やら、立場が関係するところでは、上司のことは姓で呼ぶのだとか。同僚程度になれば名であるとか。敵意はないと示すのに、敢えて名を呼び合う事もあるだとか。姓は、尊敬をこめて相手の家を敬う気持ちで呼ぶものだが、それを逆手にとって嫌味のひとつとして使うこともあるだとか。
 つまるところ、未だに、家名の扱いはややこしいというわけだ。
 政府の命令で正式に家名を得るまでも、便宜上の為に適当に付けたそれを普通に使っていた祖先を持つ、大多数の庶民な日本人にとっては、やっぱり分かったような分からないような話だ。そんなに、家の名って大事か?だ。
 だけど、同時に。庶民が持っていない現実があるからこそ、それには必要以上の価値があるのだろうなと、納得する部分もある。
 素人考えだけど。何代か前の王も、使用禁止じゃなく国民全員に配布すれば、妙な格差はなくなったのかもしれないのに。
 その王もまた、きっと大層な家名を持っていた口なのだろう。
「お前の立場は、個人的なものとはいえ王の客に変わりないから、そう下手に回る必要はないがな。用心に越したことはないだろう。それで頼むぞ」
「大丈夫だよ。今までも、ポロっと言っちゃった事もないから安心しろ。名だけ名乗るし、下手に相手のそれを呼ばないようにする」
 王の客だとか何だとか、はっきり言って気に食わないが。何であれ、オレは庶民であり、この王宮で暮らすお偉方は勿論、働く兵士よりも身分がないのは歴然としているのだ。ここまで説明されて、名乗られたならばその姓を無視するわけがない。むしろ、初対面時からファーストネームで呼び合うよりも、日本人なオレには歓迎だ。
 なのに、何が心配なのか。大丈夫だと胸を叩くオレに、「そうだといいが…、お前は不意におかしな事をするからな」と。一体何を指して言っているのやらな発言と共に、心配げに眉を下げる。
 妙な言いがかりを、と。不安要素はゼロだろう、と。
 こちらの方こそ、その反応に呆れ果てるぞと顔を顰めたところで、ハタと思いだす。
「そういや、さ。姓って、取り上げられたりもするんだ?」
「ん? …ああ、まあ、そういう事もあるな。滅多にないが」
「昨日会った、あの妙な奴は……大神官になったから姓を貰い、辞めたから放したと言っていたけど。その役職や地位とセットの場合もあるんだな?」
「……そうだな。それこそ、そういうのは王以外には殆どないが――」
「王?」
「ああ、王家の血筋からでなく選ばれた王は、即位と同時に王家に入る。そして、退位と共に出る。まさにお前が言ったように、その役職故の名を得るんだが――ディア殿は、また少しそれとは違う。姓を剥奪されたのは、あの方自身の行動による結果だ」
 リエムは迷うようにしながらも、選んだ言葉をそう口に乗せた。
 言い方から察するに。その行動と言うのは、大神官を辞めた事ではなく、別な事柄を指してのものだろう。剥奪と、敢えてその言葉を使った意味を考え、罰かと気付く。
 あの奇人は、何らかの罪を犯し、名誉ある姓を取り上げられたのだ。
 だが、一体何を…?
「それにしても、メイ。何故、昨日の今日で、ディア殿のそれを知っている?」
 あの変人具合ならば、何をしていようともおかしくはないけれど…と、考えていたところに、リエムの今更ながらの質問が来て。
 オレは、「へ?」と、目が点だ。

 あれれ? キックスくん。
 奇人の訪問を、言っていないのかい?


2010/02/01
136 君を呼ぶ世界 138