君を呼ぶ世界 138
なあ、キックスくん。
ここは普通に、言っておこうぜ?
問いかけてくるリエムの強い視線に、オレは思わず顔を俯ける。
テーブルの上には、湯気がたつカップがふたつ。オレのそれは、先程までは冷めていた。そう、リエムへのものと一緒に、キックスが新たに用意してくれたのだ。
気にもしていなかったが。キックスはリエムの訪問をオレに伝えに来た時、奇人が帰ったのを知り、一度机の上を片付けた。
だから、ここには何ひとつ、奇人の訪問を示すものはない。奇人に会った二人が言わないとなると、オレがこうして口を開かない限り、秘密に出来た話なのだろう。
だけど、さ。キックスは一応オレの監視役も担っているのだろうから。リエムには早々、奇人の訪問を伝えているのだと思っていた。普通、そうだろう? 口止めされたオレとは違い、話題として、客が来ているくらいの事は言うものじゃないか?
それなのに。言っていないとは、どういうことか。
敢えて言っていないのか、その間がなかっただけなのか。しかし、それはちょっとおかしくないか? まさか、プロの侍従として、オレのプライベートを守っただとか言ったりする…? それとも、一切の報告義務は課せられていないのだとか…?
もしそうであるのならば、オレの立場って何なんだろう?と、奇人訪問を伝えていなかっただけでここまで思うのもなんだが、あまりにも意外で。つい、穿った見方さえしてしまいそうになり、オレは慌てて頭を振る。
いやいやいや、それよりも。キックスは口を噤むのだと、奇人がそれを確信していたのならば。オレへの口止めって、訪問自体も含まれていたりして…?
「リエム、さ……実は、怒ってる?」
でも、もう、この段階で誤魔化すのは無理だ。遅い。何より、腑に落ちないと眉を顰める友人の顔を前にして嘘を吐くほども、奇人に従う必要はないし。
そう開き直り、実はそこに居たんだよねと言う前に。
ふと、オレは窓から去る前に奇人が発した一言を思いだし、口に乗せてみる。そう、リエムは機嫌が悪いみたいな事を言っていたっけか。
「いや、怒ってはいないが……何故かと気になるのは、当然だろう?」
「あ、それじゃなく。ここへ来た時、怒っていたのかなと」
「……どうしてだ?」
「それがさ。あの変わりまくった人――えっと、ディア…さん?――がな。暫くここで喋っていたんだけど、突然、リエムが来るからって帰ったんだよ。その、持っているという妙な力でそこまで分かるのかと驚いたらさ、偶々だっていうんだ。今回は、リエムがすごく不機嫌で、その怒りの波動が向かって来ているんだとか何だとか――よくわかんないんだけど、そんな事を言ってさ。そんなリエムには会いたくないからと、廊下で会わないようにだろうな、その窓から出て行った」
「…………それは、つまり。確認するが。ディア殿はここへ来て、お前と話をして。俺が来る直前に帰ったんだな?」
オレが言葉を繋げるにつれ、段々と眉間に皺を寄せていた男が。短い沈黙を間に挟みつつも、何も処理出来なかったのだろう。オレの内容をただ繰り返す。
そうだろう。リエムとて、昨夜の今朝で奇人がやって来るとは、驚きだろう。きっと来るのが予測できていたのならば、この人のいい男の事だ、もう少し早くオレのところへ来るか、奇人を留めて置くためにあの部屋へ行くかしただろう。
リエムの、この昼前という時間帯の訪問は。オレに休息を与えるために、オレを慮ってのことのように思える。実際には、リエムには他に用事があり、偶々そうなっただけという可能性の方が大きいのだろうけど。あの奇人の突撃訪問の後では、何だって自分の良いように捉えても仕方がない話だ。
それこそ。来たのが苛めっ子・ラナックであったとしても。オレは、この男なりに気を使っているのかも…くらい思っただろう。
それくらい。本当に、奇人に齎されたものは、衝撃だったのだから。
「あの部屋へ帰ったかどうかは分かんないけど、な」
「……」
「なあ? あのヒト、暫くオレの振りしてあの部屋に居るんじゃなかったのか?」
昨夜言っていたのとは違うし、なんだか訳ありみたいだし、何より奇人だし。ウロウロさせていいのかよと問いかければ、リエムは嘆くように緩く頭を振った。
「暫く大人しくしていてくれるものと思ったが……」
嘆息するリエムに、心底から同情する。本当に、少しは大人しくしていて欲しい人物だ。自ら進んであの客間に入ると言ってこれなのだから、流石のリエムとて項垂れたくもなるだろう。
しかし、それにしても。
リエムが怒っていると言ったのは、奇人の嘘だったのだろうか。少なくとも、奇人が部屋に不在で怒っていたわけではないようだから、会いたくないと逃げる必要はなかったろうに。
「っで、ディアさんの予感はどうなんだよ? 何かあったのか?」
「そうだな……悩むと言うか、難しく考えている事はあるが。あの方に警戒されるような怒りはない」
「だよなぁ、やっぱり。オーラが見えると言うだけでも眉唾なのに、離れていても感じるだなんて、どんだけ〜って話だぜ」
あの男は、絶対口から先に生まれてきたに違いない。
ピーターと呼んでやろうか。いや、そのうち鼻が伸びるかも。
奇人だったらそれもあり得ると、騙された感のある結果にそんな事を思っていると。リエムに、奇人と何を話したのかと聞かれた。
「話って言っても、これと言って特にしていないんだけど…ってか。あのヒトとは、あんま会話は成立しないし」
「何か言われたんじゃないか?」
「別に。来て早々、あの客間に文句を付けていたな。思った程のものじゃなかったらしい。湯殿がどうのだとか、部屋が狭いだとか、何だとか。面白くなさ過ぎて、退屈で死んでは困るから、その前に出てきたんだと言ってたけど。本当なんだかどうなんだか、わかんないな」
「他には?」
「他?」
真っ直ぐと見てくるリエムに、ちょっとオレはたじろぐ。だが、流石にここで、怯んで全てをぶちまけるわけにはいかない。
神子を探しているくらいなのだから、リエムだって色々知っているのだろうし、それには奇人の事も含まれるのかもしれないけれど。秘密と言われた以上、一応はその頼みをきいてやるべきだろう。
迷惑…というか、本気で困る相手だが。それでも、何も知らないオレには、真偽は多少怪しくとも、語ってくれる相手は貴重なのだから。僅かくらいならば、誠意を見せてやってもいい。
「えっと…あとは、オレがフィナさんについて聞いたくらいかな」
神子召喚、神、奇人。これを隠すとはいえ、嘘をついては上手くはいかないだろう。行き当たりばったりでは、絶対にぼろを出す。
だったら、この事ならば良いかと。どうせリエムに聞くつもりだったしと。オレはその人物の事を口にしたのだけれど。
「フィナだと?」
意外だったのだろう。上げた名前に、リエムの眉が勢いよく上がった。「また、どうしてだ?」と問う顔は、純粋に驚きと疑問を浮かべたものだ。隠していた疾しさなど微塵もなく、また、探られた不快感も現れていない。
本気で、どうして彼の事をオレが聞いたのか、判らないといったその顔に。自分は先走り、間違った想像をしていたのかもしれないと思う。
今となっては、ラナックの言葉を素直にとるのもどうかというものだ。あいつなら、苦労させられた腹いせに、オレを振り回す為なら嘘のひとつやふたつ吐きそうだ。実際、昨日の脱出は、そんなものだったし。
「いや、その、さ。その彼が、神子召喚に関わったんじゃないかと思って…つい、な? いやいや、本気でそうだって話じゃなく、ただ思っただけだからホント…!」
「別に、責めているわけじゃない。落ち着け。だが、何故そう思ったのか聞いてもいいか?」
「何故と言われても、まあ、色々と。オレが知っている情報なんてのはさ、多分全体の中ではほんのちょっとなんだろう? ンで、そのちょっとだけの情報しか繋ぎ合わせたられないから、フィナさんって言うのは関係者じゃないのか?って事になってだな……って、マジ、あり得るかな?と思った程度だから」
「どんな情報でそうなったんだ?」
「あー、決定打は、聖獣との仲かな。リエムがこの前、聖獣と仲が良い奴がいると言っていたのは、その彼の事だろ? そして、神子召喚には聖獣が必要で、神官も要る。フィナさんは神官だった。――と、まあこんなわけだよ。他に聖獣と仲の良い神官を知っていたら別だけど、オレにはフィナさんの知識しかないから、必然的にそうなってしまったんだ」
本当は、決定打となったのはもう一つ、召喚師役をした神官が亡くなったと言う事もあるのだけど。神官だと知ったのはついさっき、奇人の話でなんだけど。そういうのは、胸中だけで吐いて、オレは外れているのだろう予想を鼻で笑う。
「お粗末な推理だと、笑いたければ笑えばいいぜ」
どうも馬鹿で済みませんね、と。オレは恥ずかしさもあって、続けてそう茶化したが。
「それで、ディア殿は何と?」
オレのそれを受け取りもしないリエムの表情は、いつの間にか真剣だった。
……亡くなった友人を、適当に扱ったのは悪いけど。そう真面目に捉えないでくれよ。笑ってくれよ。
でないと、何かあるのかと思っちまうぞ?
「あのヒトは、別に…。知っているかと聞いたら、まだ神官見習いだった子供時代なら知っているって言って、何か色々話ていたよ。どれだけ可愛かっただとか、どうやって遊んだとか、お仕置きしただとか……大人が子供相手に何をしてんだと呆れるような事をな」
聞いているだけでフィナさんが可哀想になったよ、と。リエムの硬さを気にしつつも、気付いていないように。オレは奇人への呆れを示し、頭を振る。
「っで。結局関係ないんだよな?」
努めて、オレは軽く問うた。
ああ、関係ない。そういうリエムを想像して。それが、嘘のようであっても、今は飲み込もうという気持ちで。
だけど。
「お前が巻き込まれたあの召喚に関わっているかどうかという事でならば、お前の想像は正しい」
「え…? マジ?」
「だが、これ以上は……今は言えない」
「……それは、話が違わないか? あんたは、オレに神子の捜査協力を申し出て。オレは、帰還方法を探すのに手を貸してくれるならってことで。今、オレ達はここに居るんじゃないのかよ?」
あっさりと肯定されたのに驚く間もなく、なんだか納得出来ないような言葉がリエムから出て、思わず噛みつく。関係するのならば、教えるべきじゃないのかよ…。
「オレは、自分がどうやってこの世界に引っ張りこまれたのか、知れば手掛かりに近づけると思ってるんだけど。リエムは教えてくれないのか?」
「いや、そう言うわけじゃない。お前には協力する。だが…フィナについては、待って欲しい。俺自身、あいつが死んだ事は頭では理解しているし、それが何故なのかも納得しているが……気持ちはまだそこまで追い付いていない」
「……それは、そうだろうけど」
だけど、関わっているんだろう、と。そういいかけた言葉を、オレは飲み込む。
オレは、確かに被害者だけど。それでも、こうして生きている。亡くした友を悼むリエムにそう言う事を言われては、無理には踏み込めない。
だけど。
「言えないのは、本当にそれだけか? その…口外するなと言われているんじゃないのか?」
誰に、とは言わずとも。オレが示すのは王しかなく。また、口外なんてものじゃなく、オレへの嫌がらせじゃないのかと。行き場のない思いの、落としどころを求めて問うたそれに。
リエムは、痛ましそうに顔を顰め。苦しそうに、「違う、俺の中だけの話だ」と口にする。
そうか、と頷きつつも、違うなとオレは思った。勘ではなく、確信さえ持つ。
リエムは確かに、亡くなった友を悼む気持ちを持っている。だが、それを、目の前で生きているあの王よりも優先させるとは思えない。王が一言、オレの欲求を満たせてやれと言えば、リエムは話すんじゃないだろうか。昨夜は、そんな風なところで折り合いをつけたはずなのだから、神子召喚時の神官の一人だったと話してもいいものだろう。
「近い内に必ず話す。待ってくれ」
そう言うリエムに、心の中で問いかける。
その日まで、アンタは王を説得するのか? 話す許しを得るとでも?
それとも、その忠誠を違え、オレに話すというのか? 決心を付けるための日数か?
どちらにしろ、難しそうなリエムに。オレは、溜息を吐く。
苦しむべきなのは、オレ達ではないはずなのに。
2010/02/04