君を呼ぶ世界 139
国とは、人が作るものだ。
微妙になった雰囲気を払ったのは、キックスの昼食の知らせだった。
まさか、こちらの様子を伺っていたわけでもないだろうが、絶妙なタイミングだ。オレとリエムが同時に、神の助けだ!と言わんばかりにそれに飛びついたくらいなのだから。
二人分用意してくれるというので、リエムと一緒に食事を摂ることにする。
フィナという人物が召喚に関わったのは明らかなようだ。だが、それ以上に話せないことがあるのか、リエムは認めつつも事情を明かすのは待ってくれという。
はっきり言って、ものすごく気になる話だ。聖獣と仲良しで、神官でもあったから、必然的に関わらざるを得なかっただけのことだろうと思っていたオレには、意外ともいえる展開だ。
だけど。
話してくれるのならば待つ。この世界に来て、すでにもう二ヶ月だ。今更、数日重ねたところで問題はない。
食事を待つ間、そう言ってリエムがわずかに張っていた緊張を解くのを見ながら。オレは、件の彼の死因は召喚にあるのかと、その可能性がますます高くなったなと考える。
リエムが躊躇っているのは、だからだろう。昔から体が弱くて亡くなったのだといっていたくらいなのだから、神子召喚なんて大事に関わり、まったくの負担にならなかったのは有り得ないだろう。それが原因で死期を早めたのかもしれない。
もしそうならば、それは召喚を行った王の責任だ。たとえ、命を削る認識をあの男がしていなかったとしても、それは免れない。いや、もしかしたら、それこそ。それこそ、召喚失敗の腹いせに、王は関わった神官を、弱っていたにも拘らず更に罰したのかもしれない。
リエムが躊躇うその訳を、そんな風に憶測するにつれ。今から飯だというのに、腹の中がズンと重くなる。自分の妄想みたいなそれに気鬱になってしまうくらい、言いよどむ理由が他に思いつかず、胸が苦しくなる。
王の事はともかく。
改めて。自分がここに居る過程に、嫌悪が浮かび。もし、神子が居なければどうすればいいのかと、不安が募る。
命ひとつを犠牲にして、そうして得たのがオレだなんて。誰が納得するだろう。
リエムは、オレで良かったと言ってくれたが。あれは、召喚や何やらを考えず、ただ単純に考えればという条件を付けてのものだ。幼馴染の死の引き換えがオレで良かったという話ではない。きっと、フィナさんが亡くなったのがオレの主思う通りあの召喚のせいならば、流石に混ぜ合わせて考えては、オレなど歓迎出来ないはずだ。
繁栄の象徴とも成り得る、本物の神子であるのならばともかく。ただの来訪者では慰めにもならない。
リエムが必死に神子を探すのは。何も、王への忠誠だけではなく、亡くした友のことがあるからなのだろう。
「頂こうか、メイ」
「あ、うん。おおッ、旨そう!」
考え込み掛けていたところに声を掛けられ、気付けばテーブルの上には昼食が揃えられていた。
オレは、神子になどなりたくもないのだから。卑屈にならず、リエムの好意は素直に受け取っておけばいいんだ。それ以上はないだろうと、気になる事も不安な事も、軽く笑って振り払い、オレは一度手を合わせてからスプーンを掴む。
「オレこのままだと、どんどん太るな」
「そうか? むしろ、もう少し肉をつけた方がいいくらいだろう」
「筋肉じゃなく、贅肉じゃあなぁ」
特に、朝から何かをしたわけでもなく。風呂に入って、茶を啜って、室内で話していただけだが。ちゃんと腹は空いているので、ひとくち口に入れれば呼び水のように食事は進む。それはもう、困るほどにだ。
ここで出される料理は、エルさんのような肉体労働者向けの高カロリー品ではなく、どことなく上品なものではあるが。オレの口にはあっていて、かなり美味い。よって、ここ何日か、似たり寄ったりなダラダラ生活をしている身としては、消費と吸収のバランスの悪さが気になるというもので。
軟禁中の食事はストレス発散のひとつであったのだろうけど、ちょっと自粛しなければなと、リエムにそんな話を振ってみれば。
レミィを気に入った奴がそれを言うのか?と。そう、ちょっとからかう様な笑いを向けつつも、「なら、鍛錬でもするか?」と、オレの悩みに打開策を示してきた。
「鍛錬ねぇ…」
いやいや、深刻な悩みではなく、ちょっとした話なんだけど。きちんと相手をしてくれるリエムのその親切さに微笑みつつも、実際には、オレは若干顔を顰める。
あのな。ハム公は特別なんだよ。あれが、彼の魅力だよ。あの性格だからあの外見が許される、いわば奇跡の存在だ。オレが、デブ好きだとしても、オレ自身がデブになってどうするよ? 女が好きだからって、女になりたいと思わないだろ?
っていうツッコミっつか、説明もおいといてだな。
鍛錬って。オレは軍人じゃないんだから、何を言うんだか…だ。
「オレ、剣術も体術も出来ないし。やれるのっていったら、走るくらいか?」
「俺でよければ、相手をしてやるぞ」
「ありがとう、でも遠慮する。玄人に相手してもらうほども、そもそも別に鍛えたくないし。自由に出歩いていいのなら、散歩でもするようにするよ。それで十分。ってか、いいんだろウロチョロしても?」
「ああ、構わない。後で、この城の中や周りを案内しよう」
まだ時間はあるようで、昼食後も相手をしてくれるらしいリエムに、パンを千切りながらオレは礼を言う。
王宮内の様子は、この間少し教えてもらったけれど。この城のことはまったくわからない。政の中心場所ならば、一般人が立ち入れないところもあるのだろう。自由だからと下手にウロツキ侵してしまえば、あの王さまの事だ、嬉々としてオレを捕らえるだろう。
オレの方も、打算があっての今だけど。王宮滞在は早まったかもなと、今更だが少し思う。オレの事をよく思っていないあの男は、常に目を光らせていそうだ。
何より。忘れていたわけではなく、どうにもならないだけであったのだけど。あの、最初に捕らえられた牢屋にやってきた男の話も、無視できないものだ。
神子が見つからなければ、王はオレを神子とする。あの話は、今も、この関係を思えばありえないとも思うが。忌まわしきオレなんかを、苦肉の策でも神子には仕立てないだろうと思うが。だが、王の秘密を握っているようなオレを、神子の存在がわかろうと、その逆だろうと、簡単に開放しないのかもしれない。あのオジサンの言うように、利用されるとは思わないが、首根っこは押さえられ続けるのだろう。
そんな中に自ら納得して飛び込むなど、かなり馬鹿な話だ。
でも、元の世界戻るためならば、背に腹はかえられない。これでは、足元を見られて仕方がないのだろうが、他にやりようもない。
さて。昨夜オレが出した条件を。オレの人権を尊重しろというあの訴えを、あの若い王はどう処理し、今後どうするのだろうか。
王様相手に通せる話ではないだろうけど、通れば儲けもののそれ。今更だが、自分でもよく言ったものだと思うし。あの男も、よく切り捨てなかったものだ。…まあ、もしかしたら、受け入れてなんていないのかもしれないけれど。
だけど。例えば、きっと、地球のあの国やこの国で同じような事を言ったら。アホだと笑われる事もなく、刑に処されそうでもあるのだ。案外、あの王は、仕方がないと条件をのんだのかもしれない。
そうだったら、オレも気が楽なんだけど。
なんて。いつの間にか脱線していたオレに、リエムが食事を終えて「お前の世界には、軍隊はないのか?」と聞いてくる。
「いや、軍はどこの国でも普通にあるよ。でも、オレの国は特別で、戦争はしません宣言をしているから、あるとは言い難いかな。似たようなものはあるけど」
「なら、攻められたらどうするんだ?」
「一応、守る方の能力はある。その為ならば攻撃もする。だけど、一番最初に拳を振り上げておろすような事はしないから、殴られてからでも予定通り機能するのかどうかわからない防衛力だ。だから、まあ、軍とは違うってわけだ」
平和ボケの現代っ子に聞かれても、詳しくわかるものでもなく。オレは適当に言ったのだが、流石、兵隊さんだ。リエムが食いついてくる。
「そんなもので大丈夫なのか?」
「他にも、同盟国が守ってくれる約束があるし、大丈夫なんだろう」
「その国が敵になったらどうする?」
「あー、どうだろう? その一般人を守る為の組織が戦うんだろうけど、言ったようにどこまで通用するのか怪しいものだし、なるようにしかならないんだろうな」
「いい加減だな。自分の国の事だろう」
驚きで上がっていたリエムの眉が、若干寄った。こいつ大丈夫か?といった感じの眼で、オレを見てくる。
そうだろう。日々、剣を握っているような奴には理解出来ないだろう。戦争をしないという事もそうだが、オレの持っているこの温さは、オレ世代の日本人じゃなければ分からない感覚なはずだ。
メディアを通して世界で起こる争いは目にするが。その姿は知っているが。本当の意味では何ひとつわかるはずがない場所で生きているのだ。リエムに眉を顰められても、これといったものさえ浮かびもしない。
「そうだな、おかしな国なんだろうな。事実、他国からは理解されていないから」
「理解というか……理想としては、戦をしないのは悪い事じゃない。だが、現実的じゃないな。自分が武器を放棄しても、相手が持っていては、誰も守れない。互いに剣を持っているからこそ、戦を始めないこともある」
「そうだ。だが、皆それを知っていても、それでも、ウソっぽくとも「平和のために」と言っていたいんだよ。他国に軍がある限り、愚かな話なのだとしても、そうしていたいくらいに戦争の痛みを知っているんだろう。馬鹿げていても踏み出す一歩には意味があると思っているんだろう。尤も、オレの歳なんかはもう、先の大きな戦争は全く知らないから、自国はこういうものだと思い込んでいるんだけどね。本腰を入れれば強者になれるのだとしても、今更別にもういいんじゃないか?と思もの」
「……よく、侵略されないな」
「それは、同盟国が睨みを利かせているからカナ」
「そこは強い国なのか?」
「そうだな、強い。でも、侵略されない一番の理由は、オレの国が島国だからなのかもしれない。もし、大陸のど真ん中で、四方を他国に囲まれていたのなら。きっと、何十年も戦争放棄は謳っていられなかっただろう」
「島国なのか」
ああ、と頷くと。ならば海に囲まれているのかと、海はいいなと、リエムが笑った。多分、その頭の中はオレが話した事が理解不能で、ハテナが飛び交っている事だろう。その解明を放棄したのか、ガラリと話を変えて、この国にはない海について話すリエムに、オレもまた笑う。
戦は、相手がある事だ。自分だけは、喧嘩はしないと言っても無意味だ。それを、兵士である男はよくわかっているのだろう。この来訪者の国はおかしいぞと、内心では呆れ果てているのかもしれない。
だけど。この世界では理解出来ないだろう武器が、あの世界にはあるのだ。バカにされても、バカを演じても。自国を守るだけではなく、その使用を避けるために叫ばねばならない事もある。それこそ、日本が本気を出せば、核以上のものが作れるだろうが。それをしては、何も言えなくなるし、言ったところで誰も耳を傾けなくなる。
この世界のように、剣を振り回し、弓を放って人の命を奪うのではない。スイッチひとつで、己の命を賭ける事もなく、大量の人間を屠れるのだ。
温く見えるだろう。実際、オレはその中で生きてきた。だけど。
オレの世界はリエムが思う以上に、残酷だ。
一瞬で世界が終わる可能性は、比べるまでもなく、地球の方が高い。この世界に存在する神が、この世界に関与しないのであれば尚更だ。
それこそ、戦争を抜きにしても。
日々、消えていく命も、遥かに地球の方が多いだろう。
オレがあの街に戻るまで、両親や友が生きている確証は、どこにもないくらいに。
友の死に悼む心とは別に、王の為、国の為、守りたい者の為に剣を持ち、誰かの命を奪う事もあるのだろう男を見ながら思う。
オレがここに来る事で奪われたのは、何も。
オレの世界だけではない。
2010/02/08