君を呼ぶ世界 140


 言っておくけど。
 オレが呼び寄せたわけじゃないからな…! ……多分。

 食事を終えて、リエムは約束通り、オレに王城の案内をしてくれた。
 客間を出て、ゆったりと歩みを進めながら、リエムに色々と教えて貰う。
 外は、大神殿だとか、制限なく入れる庭だとか、近道だとか、オレも利用するだろうところを中心に。上流貴族の個人邸宅なども指差しで教えてくれたが、これはまあ、知らない人の家まで覚えるのは無理であるので、右から左だ。
 逆に中は、出歩くつもりなのでしっかりと聞く。
 オレに与えられた客間から近いのは、働く中でも偉い人のみが貰えるらしい私室だった。閑散としていたのは、皆が仕事で出払っているからだったようだ。っで。その向こう…と言えばいいのか、続き棟と言うべきか。まあ近くであるのは間違いないところに、そんな彼らの執務室があるらしく、それを考えてみれば。私室と言っても、客間近くのそれは仮眠室みたいなものかもしれない。そこの私室を与えられている者は、きちんとそれぞれ別に、大抵は「家」となる住処があるそうだ。
 王宮内の勤め人は、王都からの通いもいるらしいが、家族で宮殿内や場内に部屋や屋敷を貰っていたりするらしく、元からの貴族連中を集めれば、この小さな山の上にはかなりの人が住んでいるらしい。示されたそれは、オレの想像以上のものだ。
 その中で、リエムは、と言えば。彼は、兵舎とこの王城にそれぞれ部屋を貰っているらしい。もしも結婚でもすれば、また別な、家族用の部屋が貰えるのだとか、何だとか。聞く限り、なかなかの待遇の良さである。でも、別段、特別な訳でもないらしい。
 城外に個人的な屋敷を持っていない貴族が住む棟にも足を運んだが、用はないのでサクッと過ぎる。あの通路から王の私室へ繋がるのだと、リエムが少し離れた位置から、先で立っている兵士の辺りを指差し示すが、そんなところはもっと用がないので、近付きさえしないでおく。
「昨日はあそこを抜けてきたのか?」
 完全拒否なオレの態度が可笑しかったのか、からかうようにリエムが言ってくる。こいつ、オレがリネンボックスに押し込まれたのを知っているな?
「…隠れていたから知らないよ。ほら、次だ次」
「なら、余計に気になるんじゃないのか? 構造は教えられないが、簡単に言えばあの客間は王の私室に囲まれた場所にあってだな。ディア殿じゃないが、そう足を踏み入れられるものでもなく、普通は興味を持つものだが」
「オレは全然興味ないから、いい。っつか、もう十分で、関わりたくないのが本音」
「そんなに居心地が悪かったか?」
「妙な曰くがあって、居心地も何もないだろ」
 オイオイ、何でオレはからかわれているんだよ…。ここは、傷心を抱えるオレを労わるものじゃないのかよ、と。女の子ならばキズモノにされた気分になっているはずの待遇だったんだぞ、と。言葉を重ねるリエムに若干イラつき、眉を寄せつつ声を低めてやると。
「ああ、そうだったな。悪かった」
 そう、あっさりと謝り、先導を再開する。
 ……なんだ、それは?な対応だ。
「…おいおい。まさか、忘れていたのか?」
「いや、そうじゃない。お前はそんな話、どうでもいいと思っているのかと、思っていてな。俺自身、バカすぎて気に掛けてもいなかったから」
「何を言う。気分のいいものじゃないんだ、どうでもいいわけがないだろう」
「お前は本当に、王を厭うているんだな」
 一度外に出て、短い通路を渡りながら、今更な事をリエムが言う。
「嫌わない理由がないし」
「だが、お前は基本、人を赦す性質だろう?」
「は? 何それ?」
「人懐っこいし、他人と上手くやるが。案外、冷めた部分もあるだろう。その一環で、苦手な奴でも嫌悪する方が面倒だからと、適当にあしらい上手くやっていくんじゃないか?」
「……さあ?」
 唯の思いつきではないのか、さっと飛び出したその言葉を追いかけ考えるが。悪いが言われた事の半分もわからないし、それが自分に当てはまっているのかなど、更にわからない話だ。
 だけど。リエムの言ったのは、他人との折り合いの付け方ならば。
 別に、オレは特別な事は一切していないはずだ。特異なことも、そう。
「でも、さ。それって、誰でもそうじゃないのか? 態々、嫌いな奴だからと噛みついていかないだろう。縁を切れないのなら、その中で適切な距離を持って接するものだろう。普通じゃないか?」
 そうじゃなく突っ掛かるのだなんて、ラナックぐらいじゃん、と。思わず個人名を挙げて仕舞うが、苛めっ子当人はいないのでセーフだ。セーフ。
 つか、リエムとしてはまさにビンゴでもあったらしい。
「お前は、その絡んでくるラナックならば大人しいのに、王だと違うな」
 それだと言うように、突っ込まれる。でも、そんなのは当たり前だろう。
 なので、そう言うと、「何故?」ろ疑問が返ってきた。いやいや、何故も何も、明白だろ?
「ラナックのあれは、なんていうか、仕方がないなと思えるそれだろう? リエムもそう言っていたじゃないか、諦めているとか何だとかさ。女将さんが好きでオレに絡むんだと理由がわかっているから、確かに理不尽でも、やれやれと思う程度だ。マジむかつく事もあるけど、女将さんが絡んでいなかったら、別にオレなんかを敢えて構って悪さを仕掛けないんだろうし。ラナックはさ、悪い奴じゃなく、基本ただの子供みたいなもんだろ? 王とは全然別だ」
 違うか?と、伺えば。あの男をそこまでわかるのなら、何故王には突っかかるのかと、心底わからないと言った顔を向けられる。だから、暴力や理不尽を向けられるのは同じでも、二人は全く違うだろう…!
「何でオレが、王のアレを、諦めたり許したりしなきゃいけないんだ」
「それは、ラナックは面倒だと放置しているのであって、王には期待があるから正そうとしている――わけだったりするのか?」
「バカッ、期待なんて全然あるかよッ! 腹の中で処理出来ない以上の怒りがあるってことだろう!」
 なんて勝手な解釈をするんだと、目を剥き否定すると、わかっていたのだろうか苦笑で宥められる。
「わかった、わかった。そう怒るな」
「ったく、なんだよその、意識してんじゃないのか?洗脳は。止めてくれ」
「ははは、面白い言い方をするな」
「アンタが仕向けてんだろうがッ」
 勘弁してくれと、顔を顰めると。「ちょっと気になってな、もう止める」と、リエムが目を細めた。
 引っ込めたのを態々引き戻す気もないので、オレもそれに乗じるが。なんだか、釈然としない気分だ。
 気になったって。普通、あの王の態度ならば、どんな温厚人間でも噛みつくだろう。それくらいに、人権を踏みにじられたのだ。ラナックの、大人げがなさすぎである嫉妬とは訳が違う。
 それなのに、何故、そんな事を聞く?
 気になったのは、本当にオレのそれなのか?
 もっと別なものであるような気がして考えてみるが、リエムが言わない限りわかるわけもない。
 これもまた、いつか、話してくれるつもりの話なのだろうか…?
 大広間だとか、サロンだとか、ちょっとした会議室だとか、接見の間だとか。一度門番を通り越さねば入れない、政治を行う場所になっている区画へも足を延ばした。オレなんかがいいのか?と思ったが、オレ一人でも出入り出来るようになっているらしい。と言うのも、そこには図書館のような場所があるからだ。
 ちょっと入って見るかと、中に足を踏み入れる。薄暗い部屋の高い天井までぎっしりと、本が並べられていた。
 なんだか、大学の辛気臭い文献室を思い出す。広さは、倍以上あるけど。
「文字は読めるんだったな?」
「ああ」
「ここへは自由に来て構わない。街で調べるよりも、この世界の事でも神子の事でも、多くの知識が得られるだろう」
「うん、ありがとう」
「実を言えば、もっと重要な文献をそろえている書庫が、この棟の別なところにある。あと、王の私室や神殿にも、機密本はある。だが、それは流石に、自由にさせる事は出来ない。俺自身、見る事が出来ないから、教える事も出来ない」
「それは、まあ…仕方がないな」
 そこに、オレが欲しい情報がないとは限らないだろうと。話が違わないか?と口を開いたが、何もリエムが制限しているわけもないのだ。言っても面白くないだけである。
「いいのか?」
「何があるのかは知りたいと思うけど。それが神子や召喚に関係するとことでも、オレが得ても別にどうする事も出来ないだろうし。とりあえず、手近から勉強するよ」
 気の長い話だけどと苦笑すると、「ここでわからない事は言え、出来る限り調べる」と、心強い言葉を紡いでくれる。
「ああ、その時は期待しているよ。頼む」
 リエムのそんな真摯な態度に、ほんの少し、罪悪が浮かんだ。
 オレがあっさりと仕方がないと思えたのは、ひとえに、先にあの奇人からその正体を教えられていたからだろう。今なお、本当かよ?と思うけれど、嘘ではないと信じる方が強い。ふざけた事ばかりいう男だが、アレは真実だろう。あんな嘘でオレを騙す理由があれば別かもしれないが、だったらそれは一体どんな理由だよ?だ。そんなもの、ないに等しい話である。
 オレから情報を得るような嘘ならともかく、アレはオレには何の痛みもない話だから。やっぱり、本当のことなのだろう。
 オレが知った奇人のそれを、きっとリエムは、知らない。
 そして、王も同じだ。リエム以上には、色々知っているのだろうが。限られた者しか見られないと言うそこに何が書かれていようとも、大神官でもあった奇人以上に知っている事などないのではないだろうか。奇人の口ぶりは、王さえも知らない事実をオレに明かしたようだった。
 だから。書物として残るそれらも、大事だろうけど。オレは、もうそれではきっと満足など出来ないと。疑いを拭えないままでも、奇人の言葉はオレに入って来るのだからと。それ以上のものはもうないような気がすると、リエムの示したものに食いつく気持ちにはならないのだ。
 オレはまだ、沢山の事を知っているわけではない。けれど、必死で探す彼らもまた、全てを知っているわけでもない。
 膨大な量の書物を背にしながら。こんなオレ達は、一体どこへ向かうのだろうかと思ってしまう。神子は本当に見つけられるのだろうか。本当に、元の世界へ帰れるのだろうか。
 その為の努力は、当然するけれど。
 漠然というよりも、思い描く事さえ出来ない未来に。オレの中で奇人の声が響く。
 あの男は、事実と現実の差異を明らかにしないのは、それが世というものだからと言っていた。しかし、それではまるで、それこそ何もしないという神のようではないだろうか。
 過去から残された言葉を全て紐解いても、奇人が正しいのかどうかの答えは出ないだろう。そんな、厄介な言葉を頭で回しながら、オレはリエムについて行き、庭に面した廊下へと出る。
 午後の柔らかな日差しが、整然と並べ植えられた緑へと降り注いでいるのを、ゆっくりと歩きながら見る。
 この中で、猫のようにまどろめば。きっと、神の事も世界の事も、それこそ、召喚の事も王の事も、些細な事だとなってしまうくらいの安らぎを得られるのだろう。暖かな日差しの中でたゆたえば、それ以外の全てが要らなくなるくらいの幸福を得そうだ。
 けれど。
 オレは、そんな幸せは要らない。苦しんでも、泣く事になっても、それで何かを失っても。温もり以外のものも求めたい。何より、一人だけの満足など、生きている意味がないと思う。
 オレは神に生かされているのではなく、自身でオレという人間を生かしているのだから。知ってしまった以上、奇人のように流す事は出来ない。
 いつか、で構わないから。いずれ、彼らも。王やリエム、神子召喚に関わった者達は皆、奇人の言う真実を知ればいい。
 いや、知るべきだ。
 それが叶わないのならば。そこに何が書いているか知らないが。神や神子などに関する事は、全て消えるべきなのだ。
 この世界に、神など本当は要らないのだろうから。
「――お前にも色々あるだろうが。せめて、人目のあるところでは抑えてくれ」
「え…?」
 物騒な事を考えていた耳に、飛び込んできた言葉。とっさには理解出来ず、唐突に何の事だとリエムを振り向けば。並んでいたはずの男は、一歩前に立っており。オレではなく別な方向を見ていた。
 その視線を追いかけて漸く、何を言われたのか理解する。
 前方からやって来る集団に、この国の若い王が混じっていた。
「あ……」
「間違っても、噛みつくなよ?」
 さっき話した事だろう。揶揄るように言って、小さく振りかえったリエムが口角を上げるけれど。その目は全然、笑っていない。
 つまりリエムは、王様を毛嫌いしていても、他人の眼があるところでそれを曝け出してはオレ自身が不利になるだけだから、堪えろよと。そう言いたかったのだろう。確かに、今までリエムはオレの暴言を当然として聞いてくれたが、大抵は、オレの態度を不敬だと捉えるのだろう。
 でも、さ。
「……っつか、行こうぜ?」
 何もわざわざ、行き違わなくてもいいだろう。今なら、まだ避けられる、会わずに済む。
 そう思い、こっちに道を変えようと示したオレに、リエムは少し呆れた表情を向けた。
「この距離で出来るわけがないだろう」

 いやいや、出来るでしょ。
 っつーか。出来なくても、やろうぜ、なあ?


2010/02/11
139 君を呼ぶ世界 141