君を呼ぶ世界 142


 たとえ優しくても。
 ここは、全く違う世界なのだ。

 王様と遭遇したが、奴とは何もなく終わった。寧ろ、もう少し何がしかの反応をするべきではないかと思うくらいに、あっさりと。
 なので。
 はっきり言って、拍子抜けで、腹立たしくもある程だ。
 昨夜あんな事があったのに。オレの存在など初めからなかったかのようにサクッと無視しやがって…!だ。
 だけど。喧嘩をするよりマシなので。ひとまず、何もなく済んだ事で良しとする。リエムにも呆れられるような事にはならなかったし上出来だろう。
 加えて。
 その後に発生した、今の事態が事態なので、王の態度になど構っていられないのが正直な気持ちであったりもする。
 ……あの王さまが、オレをビビらせる為にこの男に送迎を命じたのならば、色々考えなきゃいけない事なのかもしれないけれど。まあ、多少自分でも、それは穿ち過ぎだろうとも思うし。何より、リエムは全然、問題なさそうに離れたし。とりあえずは、大丈夫なのだろう。
 昨日のお前の王にする態度は何なんだ!と、今更怒りそうな男でないのはオレにだってわかる。
 それよりも、だ。
 それよりも、昼に軍だのなんだのと話していたからかだろうか、オレの意識は別へと向かう。
 半歩先を行く男がオレの視線など気にしていないのを良いことに、まじまじとその姿を観察しながら、色々考えて仕舞う。
 王付きであるその事実で実力は知れるというものだが、見た目や雰囲気から言ってもさぞかし強いのだろうと思われる男だ。こんな男にとっては、オレが緊張を持ってしまうようなこの沈黙も、何の屁でもないのだろう。
 黙々と歩く兵士とオレとでは、肉体もそうだが、それ以上に、精神的なものに雲泥の差があるように思えた。
 一般人と、軍人の違い――か。
 先程の話ではないが、人を斬ることも命を奪うことも、軍人ならば正当であり、その覚悟をこの男は持っているのだろう。そうでなければ、戦う事など出来ない話だ。だが、己と同じそれを奪う事を、何を持って納得するのか、どう割り切るのか、方法は知らないが。それに耐えられるように、訓練をされているのも確かだ。誰もが初めから、その精神力を手にしていたわけではないのだろう。
 しかし。オレが今から同じ経験を積んだところで。同じ精神力を手に入れられるとは、とてもではないが思えない。それは、根本的に、育った環境が、世界がこんなにも違うからだろうか。
 国の為、守りたい者の為に、王に尽くすそれが、正直に言ってオレには理解不能である。
 武力を持つ以上に、王と言う存在が、オレには分からない。
 オレの生まれ育った日本は、国を守る為の自衛隊があったけど。あれは、組織であり、定められた法の範囲内で動かされるものだ。極端に言えば、誰が上に立っても同じなほど、決められた中でのみ動いていた。基本、国の存在を維持する為のものだった。だが、ここは違う。
 個人である、王と言う存在に。己と変わらぬ人間に、多くの者が全てを託している。その向こうには、確かに国があるのだろう。国を背負う王だからこそ、彼らは忠誠を誓うのだろうけど。それでもやはり、王が右だと言えば右に動くのだろうそれは、オレにはわからない。
 誰もが同じ、一人の人間で、ひとつの命だ。それなのに、王を頂きに置くその感覚が、日本で生きてきたオレには掴めない。
 知らないからこそ思うのだろうけど。知識が乏しいから、他の例えを見つけないのだろうけど。まるで、昔の日本だ。天皇を神として、無茶な戦争をした日本だ。そうでないのならば、宗教国家か何かだろう。
 オレには、忠誠と盲信の違いが、イマイチ見えない。理不尽な理由で知人を罰する王もそうだが、王の命で腕を振り上げる兵士が気味悪いくらいに理解不能だ。軍人とはそういうものだと知識ではわかっていても、実際に目の前にいると、感情が追い付かない。
 それでも。リエムはどうだろうかと、オレは別れたばかりの友の事を考える。
 彼も、誰かの命を奪ったことがあるのだろうし、そんな自分を受け入れているのだろう。だが、王に従いつつも、何も問題に思っていないわけではなさそうだ。どうにも出来ない自分を悔やんでいたのは、兵としての立場と、リエム個人の感情の差からだろう。
 だったら、だ。
 奪う事に折り合いをつけられるのだとしても。逆に奪われる事には、どうなのだろう。兵士として培ったものは、個人にどのくらい影響するのだろう。自分が人の命を奪うのと同じだと。大切な者を失わされた時にも、そう思えるのだろうか。
 例えば、それが。忠誠を誓う王に、幼馴染である者を奪われたのだとしても。それでも、リエムは、王に従うのだろうか。王の行動を納得出来るのだろうか。いや、出来たのだろうか。
 今が、そうなのだろうか。
 失くす事に対しても、オレとは違い強いのだろうか。誰を失っても、折り合えるものを持っているのだろうか。
 兵士にとって、忠誠を誓う相手とはそんな存在なのだろうか。
 沈黙の中では意識を向ける場所がなくて、聞けなかった事へと、そんな風に思いを馳せて。
 ふと、オレは気付く。
 軍人と同じく、王もそうなのだろうかと。王もまた、それ用に作られた者なのだろうか、と。
 王が、リエムやラナックと学校の同期生ならば。王は個人的にも、リエムの幼馴染であるフィナさんを知っているのかもしれない。その彼が亡くなった事で、王は何を思ったのだろう。彼個人は、どんな感情を持ったのだろう。
 リエムが、王に従うように。王もまた、国の要である「王」に従うのだろうか。あの青い目の彼もまた、個人のそれより「王」というものを、その立場を優先させたのだろうか。ひとりの知っている神官を犠牲にするとしても、王ならば実行せねばならないと、知人を天秤に掛けたのだろうか。
 そう、もしかしたら、それ程の何某かの理由があったのかもしれない。兵士が人の命を奪うように、王もまた、その立場に相応しい事をしただけなのかもしれない。王ならば当然であるからこそ、リエムは今も王に従っているのかもしれない。
 それでも。この世界でそれが100パーセント正しくて、他はあり得ないのだとしても。
 オレは、やはり、納得なんて出来ない。その全てに、オレ自身さえも仕方がないと思えるような理由があるのだとしても。神子召喚を実行した王を、慮る事は出来ない。
 それこそ。リエムが、ラナックやハム公が、その辺に居る騎士や兵士が、戦争下の中での事であったのだとしても。オレは、他者を屠る彼らを認める事は出来ないだろう。どんなにリエムと打ちとけ合おうが、そこはやはり無理だろう。
 何もそれは、この世界での事ではなく。元の世界でも、同じだけれど。
 だけど、日本でいる限り、こんな事は考えなくてすんだ。考えても、こんなにも身近な話ではなかった。
 この世界でのオレは、来訪者だというその立場以上に。曖昧だ。
 先程、二人が向けてきた胡乱な視線を思い出す。
 彼らのそれは、何を持ってのものであろうと、やはり正当なのだろう。
 でも、だからって。オレは何も、自らここに飛び込んだわけではない。不可抗力で巻き込まれたのだ。
 しかし、それ自体は、あの二人には関係ない事でもある。
 右手を伸ばし、逆の手首にかかるそれにオレは触れ、幼い子供を思い出す。片割れのペンダントと一緒で、すっかりと付けているのが当たり前になってしまい意識さえする事はなくなったブレスレットは、彼らと別れてからの日数と同じ分だけ薄汚れていっている。
 あの旅一座は、皆元気にしているだろうか。リコは、苛められていないだろうか。
 世代が変わっても迫害を受け続ける、異世界の血。
 オレは貴方達と同じ人間で、同じ赤い血が流れているのだと訴えても。あんな風に嫌悪を持っている相手には届かないのだろう。そうした者にとっては、自分とは決して「同じ」ではないのだろうから。
 あの二人が、オレに向けたのはどの感情かは分からないが。オレの真実は、オレを殺す事もあるのだなと。慣れない視線を向けられて、今更だが改めて思う。
 もしも、王がオレの処分を望んだら。
 リエムはオレを斬るのだろうか。
 人の命を奪う事は、直接でも間接的でも、行ってはならないと。生まれてからそうであったオレには、今もまだ、そう言う可能性を思い浮かべても、いつか来るかもしれない未来だとは思えない。実感など、示されるその瞬間までなさそうだ。痛みを覚えて初めて、やっぱり殺される事もあるんだと、そこで漸く理解出来そうな話だ。
 だから、本当に。オレにとっては無意味にも近い想像だけど。
 だけど、それでも。唯の妄想なのに、王やリエムが手を下さない方の可能性が見いだせないのも事実だ。
 オレはなんてとこに居るんだろうと。何度も何度も思った事を、また思う。
 そんな風に、考えれば考えるだけ、憂鬱になりそうなネタを捏ね繰り回しつつ。どうにか無事に部屋の前へと辿り着いた時、どうしても暗くなっていた思考から一気に現実へと戻った感覚に、オレは泣くくらいの嬉しさを覚えた。少し前に出たばかりなのに、安心するほどに懐かしい。
「あの、ありがとうございました」
 手間を取らせてスミマセン、と。スオン・ミルノアだと名乗った男に頭を下げる。
 立ち去る姿に、密かにホッと胸を撫で下ろす。
 男から得たのは、ラナックの無事と、彼の名ぐらいでしかなかったが。会話が王へ筒抜けだろうことを思えば、何事もなく過ぎたのが一番だと。弱っちさ全開であった自分を自分で慰める。
 ただいまと、室内へのドアを開けた瞬間、鈍い音と悲鳴が上がった。
 慌てて窺うと、チュラが両手で額を抑え、涙目になっていた。どうも、オレの帰宅に気付き迎え出ようとして、先に開いた扉にぶつかったようだ。しかし、手でも鼻でもなく、額を打つっておかしくないか?
 女の子になんて事を!?と焦りつつも、オレはその奇妙さに気付き。自分の仕打ちを忘れて笑ってしまう。
 おでこを真っ赤にした少女には悪いけど。騒ぎを聞きつけてやって来たキックスが加わり、笑い声は大きくなった。
 だけど、それはオレの思考を晴らしきるまでは出来ない。
 夕食までに少し休ませて貰う事にして、寝室へ引っ込みベッドに転がる。
 あれこれ考えた事をまた考えて、考えて。
「……疲れた」
 溜息とともに、オレは匙を投げる。
 リエムにフィナさんの事を教えて貰ってもいないのに、わからないまま考えても、わからないのが当然だ。もう止めよう。
 いつの間にか、オレはそこに理由があるんじゃないかと。王のムカツク態度の裏を探しているけれど。何も裏とは限らないのだ。オレがただ、「表」の顔を知らないだけの事なのかもしれない。オレが納得するような理由は、どこにもないのかもしれないのだ。わからない状態で考えても、どうしようもないだろう。
 リエムが、多少の事を飲み込んででも王に従い。けれどもそれと同時に、オレには良くしてくれるのと同じように。王にも、いくつかの顔があるのかもしれないけれど。オレの中にある王は。国のトップの役目は果たせるのだとしても、その能力を持っているのだとしても。その裏では秘密裏に、神子を召喚しようとするような奴で。今はそれ以外に、知りようがないのだ。フィナさんの事もまだわからないのに、その関係を察しようとするなど無謀だろう。
 あの、牢屋で会ったオジサンは、王を批難していた。ジフさんは、務めを果たしていると言っていた。リエムは、理解して欲しいみたいな様子をオレに見せる程度で、請うまでの事はしない。女将さんは、幼少期を知っているからか慕っていた。そして、フィナさんは、確か。確か、王と聖獣の孤独が似ていると言っていたそうだ。
「……やっぱ、訳がわかんないよな」
 それだけとっても、王がどう人物なのかなど、一言ではまとまらない。
 そもそも、「王」とはどういう人物であるべきなのだろう。この国の「王」は、何であるのだろう。
 そでが兵士でも、一般の国民でも。膨大な命を握っているその感覚は、どんなものなのだろう。
 それは、オレには想像すら出来ないことだ。
 だが。出来ないで終わっていい話では決してない。

 本当は、命は平等ではないのだと、元の世界でも知っていたが。
 オレは自分のそれが軽んじられる立場になって初めて、色んな事を考えている。


2010/02/18
141 君を呼ぶ世界 143