君を呼ぶ世界 144
オレを知って欲しい。知ってから、見極めて欲しい。
だから、オレも全てを知りたい。
子供達と遊び、情報収集をして。
王城へと向けて歩いていたら、前から見知った顔がやってきた。
リエムだ。
「部屋に行ったら居ないから、どうやって探そうかと思っていた」
「ごめん、ごめん」
会えてよかったとさわやかに笑う男前を見ながら、こういう時はこの世界は不便だよなと思う。東京では、ケータイがなければ出掛けた相手と偶然会うなどムリだろう。大学構内でも案外難しいものだ。
まあ、ここではオレの行動範囲は限られているので、多少の時間を掛ければ済む話なのだろうけど。
そんな事を考えているうちに、歩み寄ってきたリエムが前に立ち、ふと笑う。
「来て正解だったな。そのままでは、王城に入る時に止められるぞ」
「え? なんで?」
「その上着は、通行手形みたいなものだからな」
指摘され、思わずオレは自分の腰に巻いたそれを見下ろした。マジかよ?だ。
子供達とはしゃいだおかげで暑くなり、軽い生地で出来たそれを脱いでいたのだけど。そんな秘密があったとは。
腹で結んでいた袖を解き広げるオレに、「教えていなかったか、悪い」とリエムが謝罪を口にする。
まあ、確かに聞いていなかったけど。
「いや、別にいいから。気にするなよ」
確かに、よく考えずとも王が暮らす城なのだから、そういう仕組みがあってしかるべきなのだ。ふらりと出ていっても戻れると思っていたオレが間違っていたのだろう。
たぶん、服を用意してくれたチュラは、オレがそれを知らないなど思ってもいないに違いない。きっとこの王城を利用する際の常識なのだ。
「脱ぐにしても、手に持っておけ。王の客人用だからな、それなりに意味はある」
「あ、もしかして。オレが王城をうろつけるのは、これのお陰か?」
「そうだな。衛兵の全員が、お前を認識するまでは時間がかかるからな」
「成る程、そういう訳か」
昨日、少し王城を案内して貰った時。今はリエムがついているけれど、オレなんかがホントにウロウロしていいのか?と、思ったけれど。なんて事はない、この上着が許可書であるというわけだ。
今朝の職質もどきも、つまりはこれだ。風呂上りで、この上着を着ていなかったからだ。オレが手に持つそれに気付かなかった者が、声を掛けてきたというわけだ。きっと、一番重要なそれを何故にコイツは脱いでいるんだ…?と、彼らは首を傾げていたに違いない。
「ちなみに、これの何が、王の客人の印なの?」
薄手の上着は尻が十分に隠れるほどの長さで、心持ち袖が短い。形としては、元の世界でも普通に着れるものであるが。少し、舞台衣装とまではいかずとも、デザインが派手だ。
白い地に、青系のいくつかの色で幾何学模様が部分的に染め抜かれており、細かな刺繍も施されている。
オレもよくわかんないけど、客人の証しならもうちょっと。元の世界でいうならばバッチだとか名札とか、そう言った取り外しし易いものにするべきじゃないのか? 上着そのものだなんて、まるで制服だ。なんだか、大層だ。
そう思いつつも、だからこそ意味があるのかなとも思う。ただのちょっとした装飾品よりは、簡単に付け替えされたり、複製されたり、盗まれたり、そういう危険は少ないのかもしれない。
「蒼は国の色だから、代々王の客はそれを主にしたものだ。加えて、他の貴族や神殿などはある程度使いまわすが、王の客人はその者だけに与える品だ。これのどこでどう表されているのか俺にはわからないが、この上着はメイだけのものだということだな」
「つまり、これには名前が書いている――みたいな?」
リエムの答えに、袖を通しかけていたのを止め、もう一度広げ直す。この刺繍のどこかに、暗号めいたそれがあるのだろうか。それとも、模様全体でオレを表しているのか。
全くわからない。わからないが、興味深いものだと、オレは素直に感嘆する。
「へぇ、面白いなぁ」
「因みに。きっちりと決まっているわけじゃないが、大抵、貴族は赤や黄、神殿は白、軍は黒を基調としたものを客に与える。まあ、蒼以外は誰が何を使おうとよくて、重要なのは誰の客かってことなんだがな」
家紋を入れたりなんだりすれば、色はさほど重要でもないとリエムは言うが。きっと、代々の王が蒼に拘ってきたのならば、他のところも自分達の色を大事にしている事だろう。
「ありがとな、リエム。ひとつ勉強になったよ」
「いや、こんなのは何てものでもない事だ。それより、どこへ出掛けていたんだ?」
「別に、どこって事もなく、ただの散歩だよ」
連れて行ってもらったあの鍛錬場まで行って、公園で遊んでいたと言うと。なら、この後特に用がないのなら、桔梗亭へ行かないかとリエムが誘ってきた。
もちろん、オレに異論があるはずがなく、いちもにもなく頷く。
「それならそうと早く言えよ。ほら、行こうぜ!」
「そう慌てずとも、店は逃げないぞ」
明らかなからかいだったが、オレに付き合い、リエムも足を運びだす。
だがオレは、逸る心のままに駆け出す勢いだったそれを止めて、並んできたリエムに伺った。
「あ、でも。キックス達に言っておかないと不味いよな?」
ハッと思い出し訊いたオレに、リエムが先程訪ねた時に伝えてきたと答える。おォ、準備万端だ。
リエムは案外、オレを桔梗亭から離したことを気にし続けていたのかもしれない。
「今から行ったら、夜になるけど、仕事はいいのか?」
「俺は大丈夫だ。だが、そうだな……馬で行くか?」
「は? 馬?」
「乗った事はあるか?」
「オレ? いやいや、ある訳がないじゃん」
つい、突っ込むように答えてしまうが。リエムは、「なら、オレの馬だけでいいな」とひとりで話を進める。
早速、待っていてくれと言い置いて去っていくリエムに不安が募るが。若干、馬に興味がないわけでもないので、大人しく待つ事にする。
さほどの時間を掛けずに、リエムが戻って来た。勿論、馬に乗ってだ。
だが…。
「…………似合いすぎだ」
何と言うか、それは思わず、「お前はお伽噺の王子様かよッ!」と突っ込みたくなる光景で。思った以上に大きな馬に緊張する以上の笑いが、オレの中で起きる。…流石に、声に出して笑いはしないけど。
王子に堪えるオレの心情など露と知らないだろう、白い馬がオレの前で止まった。馬の善し悪しなどオレにはわからないが、すごく綺麗な馬だ。ほんのりと蒼いアイスブルーの大きな瞳がオレを映す。マジで、でかいビー玉みたいだ。
「シャトだ。大人しいが、少し頑固なところもある牝馬だ」
馬の背から降りてきたリエムがそうオレにシャトを紹介し、続けてオレの紹介をシャトにした。本当に聞いているのかと思うくらいに、リエムの声に反応してピクピクと尖った耳が動く。
リエムに促され、よろしくなと鬣を撫でると顔を振って来たので、長いそれも撫でてやる。すると、痒かったのか、まるでもっとと言うように、強くオレの掌に鼻先を擦りつけてきた。
「あはは、可愛いなァ」
初めて触れる馬は、愛らしい娘で。ついついオレは鼻の下を伸ばしたのだけれど。
リエムに指導され手伝って貰って騎乗してみれば、落ちたら絶対ただじゃすまないなと思える高さで。一気に余裕は吹き飛んだ。
こんなにも高いとは思っていなかったと身体を固めたオレに、力を抜けとリエムは言うが。出来たら苦労はしないというものだ。
オレの後ろで跨ったリエムが手綱を取り、シャトが歩き出す。走っているわけではないのに、思った以上に揺れた。
本当は、乗馬というのは跨って脚で胴を挟むのだとか何だとからしいが。この後の事も考えて、まるで女の子の様に横向きに座るオレ。しかし、それでも尻が跳ねて不安定に揺れて、どうにもならず。見かねたリエムが腕で抱えるようにしてくれて、何とか山道を下る。
後ろに乗らなくて良かった。乗っていたら、直ぐに落ちていただろう。
初めて乗るなら前だと言うリエムに。お姫様スタイルで、白馬と王子へ加われというのかと内心で唸ったが。素直に従って良かったというものだ。
そして。
山道を無事に済ませ、街へ着いて馬を降りてから。横向きに座っていて本当に良かったと、身に染みてオレは思った。
緊張の為に慣れない筋肉を使い、硬い馬の背に尻は痛いけど、動くに支障はない程度だ。きっと、背を跨ぎリエムの様に乗っていたら、脚が張って動けなかっただろう。尻や股間へのダメージももっとあった事だろう。
「乗馬の練習をするのなら、話を通しておくぞ?」
まだ揺れている気がすると、身体を解しながら歩くオレに、リエムがそんな事を言ってくる。
「乗れるに越した事はないだろう。やってみたらどうだ?」
「いや、まあ、今はいいよ。有難いけど、遠慮する」
「馬が怖いわけじゃないだろう。気晴らしにもなるぞ?」
交通手段と言えば、馬であるこの世界。リエムは親切心で言ってくれているのだろうけど、さっきの今では頑張ろうという気にはなれない。オレの中で、馬はまだ移動手段に認定出来ていないようで、乗りこなしたい気にならない。
「確かに可愛いけど、見ているだけで十分だから」
「まあ、無理には勧めないが…。メイの世界では、馬には乗らないのか?」
「そうでもないよ。ただ、オレの国では、家畜か、速さを競ったり演技したりの競技が主かな。移動は、別なものでする。――車とか、電車とか、飛行機とか」
オレの翻訳機能はとても優秀で。ある程度違っても、その概念が存在すれば、英語でも何でも正確に訳してくれる。だが、この世界に全く何もないものは、そのまま音のみ伝わるのだ。
だから、これらもリエムは理解しないとわかりつつ、オレはそれを口にして。
案の定、復唱しながらリエムが首を傾げた。完璧な、カタコト発言だ。
「クルマ? デンシャ? ヒコウキ?」
「そう。オレの世界は科学が発達しているんだよ。鉄の塊が、走って飛んで、大量の人を一気に運ぶんだ」
「……悪いが、良くわからないな」
「オレだって、それが当たり前で仕組みなんて考える事もなかったから、上手くは言えないし、聞かれても困るくらいなんだけど。気になるなら、今度絵でも描いてやろうか? 見たってしょうがないだろうけど、想像の足しにはなるぞ?」
「ああ、頼むよ。俺はお前の世界を見てみたい」
「……そうだな。オレも、見せたいな」
素直なリエムのそれに、見る程のものはないよと苦笑しかけたが。考え直し、オレはそう告げる。
出来る事ならば、リエムにオレが生まれ育った場所を見せたい。リエムからすれば、あのビルが聳え立つ街は。便利な科学が霞むくらいに、無機質に見えるのかもしれないけれど。それでも、見て欲しいと思う。
オレはどこに居ようとも。結局は、あそこに繋がっているのだから。
オレと言う人間の芯の在り処に、リエムを触れさせてみたい。
どんな反応があろうとも、だ。
オレは、沢山の事を知りたいのと同時に。
オレの事を、沢山知って欲しいと思うから。
リエムにも、他の者にも。
勿論、王にだって。
2010/02/25