君を呼ぶ世界 147


 分かれるかどうかは、わからないが。
 分らないままよりはいい。

 オレと会って興奮した反動か、ただの満腹か。電池が切れたみたいに寝入ったチトを腕に抱いて、桔梗亭を後にする。
 すっかり夜は更けていて、片付けを申し出たのだが、女将さんに帰路へと追いやられたのだ。
 その名目は、男なら女子供を送りなさいと、三人のお供だけど。きっと、てか、絶対、従業員ではなくなったオレにそこまでさせられないと言ったものだろう。チトが本格的に寝入ったので、喰い逃げ宜しく、盛り上がっていた話が落ち着いたところでのお開きだ。
 だけど。なんていうか。
 もうこの数日は、別なところで寝起きしているのに。まだ、オレには桔梗亭での感覚が残っていたと言うか、蘇ってきたようで。はっきり言って変な感じだ。あの店ではない場所への帰り道についているのが、違和感ありありだ。
 あぁ、オレ、本当に辞めたんだなァ…と。前にあるのはレーイさんとリュフの後ろ姿で、腕にはチトを抱いており、隣にはリエムがいて。この現状に納得しているのに、寂しいというか虚しいというか、とにかく残念だと、失くしたそれの大きさを実感する。
 今はもう軟禁されているわけではなく、桔梗亭には好きに通えるっぽいのだけど。そういうのとは違うところで、どこかが痛い。
 まるで、その後の予定の無い定年退職者だな…なんて。自分のそれを揶揄するように、そう苦笑してみるが。
 けれども、強ち間違ってはいないと思い当たる。退職後に手持無沙汰になるオジサン同様、オレにも、似たように先が見えていない。つまり、これは不安かと気付く。
 見えないのは、この世界での自分の置き場だ。働いている時はそこで良かったが、今の状態では探しようもないそれだ。確かなものがオレにはなさ過ぎだ。
 何故オレはこんな世界に飛ばされたんだと、あの王のせいだとわかるまでは、そちらに不安を置いていたけれど。原因が判明した今は、どうしてではなく、どうなるのかに重点が移る。
 そう、オレはこれからどうなるのだろう。何が出来るのだろう。
 それは、自分で決められるのかさえ怪しいもので。未だに振り回されているというか、流れに乗れていない自身を自覚する。
 仕事を手放したのは痛いなと、今になって後悔が浮かびもする。
 いっその事、リエムに本気で、今度は翻訳の仕事を斡旋して貰おうか?
 働くよりも、オレにはすべき事があるとわかっているけれど。この世界の解明も、神子捜索も、今はまだちょっとオレには遠い話であるのも事実だ。
 奇人に訊いた話は、興味深いものではあったが。言葉は解釈出来ても、ある種の宗教に触れただけのような感覚が強い。余りにも馴染みがなさ過ぎて、物語みたいなものだ。あれなら、王様の人となりの方がよほど身近で、関心を向けられる対象である。
 だから、まあ。そう言うのも手伝って、聞き込みみたいな事をしてしまったのだろうけど。
 だけど、それも。あの結果では、むしろ神子話同様、オレには難しいものだ。
 オレにとっては最悪な男が、皆に好かれているって…どうよ?
「仲がいい兄弟だな」
「ああ。でも、リエムも妹と結構仲良しなんだろう? そんな感じがしたけど?」
「まあ悪くはないが。別に、普通だ」
 レーイさんもいつかの弟妹同様、ここでいいと途中で一度遠慮したが。家に入るのまで見なければ不安だからと、押し切るようにして送った。星明かりで見る家は、小さな小屋に近いものだった。
 難民だとわかっているけれど。実際には、オレはそれがどういうことであるのか理解しきれていないのだろうなと。三人が帰ったそこを見ながら漠然と思い、オレは、苦労しているのも足掻いているのも自分だけではないのだと感じた。身ひとつでこの国に来た彼らとオレは、似ているなと。
 しかし。片や、華奢な体で幼い弟妹と母親を背負って踏ん張っているというのに。片やオレは、未だに良くわからないまま惰性で生きている感じだ。
 今度は王宮へと、細い静かな路地を大通り目指して歩きながら。リエムに言葉を返しつつも、焦りの様なものが生まれる。
 帰りたいの気持ちだけでは、生きていくのは難しい。
「何を言ってんだよ、お兄ちゃん。妹さんが可愛いんだろう? 嫁になんてやるか!ってもんじゃないのか?」
 茶化した俺の言葉に、リエムが笑うが。その柔らかい表情を見た途端、ないもの強請りをするガキのように羨ましさが込み上げた。
「まあ、一人っ子みたいなオレには、何にしろ羨ましい限りなんだけど。――なあ、オレが来訪者だってことは、キックスやチュラに話してもいいのか?」
 突然の思いつきをそのまま口にすれば、リエムが少し驚いた表情を見せた。
「お前の側仕えにか?」
 そうだと頷くと、何故だ?と今度は訝られる。そりゃあ、上手くやっているのに態々いうのは得策ではないのかもしれないけれど。何となく、込み上げた妬みを解消出来るのは、今のオレにはあの二人のような気がしたのだ。
 そこに、ハム公も含めたいけれど。彼はあれで兵士だし、何より居場所を知らないし。
「騙しているように感じるのか?」
「まあ、それもなくはないけど。オレは彼らの事を気に入ったし、これから世話になるのならば、知って貰っておきたいと思うし。何より、その方が色々教われて便利だと思うんだ。どうかな?」
 それとも、彼らは異界人だと知ったら戸惑うのだろうか?態度を変えるだろうか?と。やはり言わない方が上手くいくのか?と、別段含むところもなく単純に聞いたのだが、リエムは少し言葉を濁して考え込む。
「……差別、だとかいう点ならば、あの二人に関しては大丈夫だろう。だが、お前は王の客人となっているから、そう言う意味では戸惑うだろうな。異世界出身者ですというだけではなく、他の事も多少は話さねばならなくなる」
「話したらダメなのか? 二人なら大丈夫だと思うけど……王様の許可が要るとか?」
 そこまで管理されるのかと。考えなくても、それはまあ当然だろうと思う反面、実際に示されれば面白くなさが先に立ち、若干オレは声を低める。神子召喚がシークレットであるならば、オレの存在は厄介以外の何ものでもないのだろうけど。それは王側の都合であって、オレがそこまで考えて謹んでやる理由がない。
 リエムが困るというのならば、諦めるけどさ。
「許可と言うか、何と言うか……現状がそれを許すかどうかだ。二人の口の硬さは信用で来ても、絶対はどこにもない。まして、メイが来訪者なり、あの儀式の関係者なり知られれば、必ず付け込む奴が出てくるからな。正式にあの客間を利用し始めて、まだ二日だ。もう少し様子を見させて欲しいというのが本音だ」
 それでは駄目だろうかと、リエムは聞いてくる。
 そこまで言われても強行するほど、オレだって必死なわけじゃない。知りたい、知って欲しい、現状を前に進めよう。そんな気持ちで思い付いたのがそれだったわけで、切羽詰まっているわけではない。
 だから、全然それで問題はないと答えつつ。リエムが口にした、言葉を頭で反芻する。
 付け込むって言ったが。一体、オレにそれをして何のメリットがあるのやら、だ。
 オレはこうして隠されることで、そいつらから守られているという事か?
「神子の事はともかく。来訪者なんて、言うほども珍しくはないんじゃないのか?」
 好いている奴に、オレにはどうしようもない理由で避けられるのは堪えるけれど。知りもしない奴ならば、どうって事はないと思う。
 だから、それがバレたところでオレにとっては何ひとつ疾しくもないし、ダメージを受ける部分なんてないけどと。やられはしないけどと言ってみると、そうじゃないと小さく頭を振られた。
 リエム曰く、痛い目を見るのは、オレではなく王様らしい。つまり、神子召喚をしたのがバレたら、何やってんだ愚王!と怒る輩がいるらしいのだ。オレが来訪者だとわかったら、神子じゃないか?と疑う奴が出るらしく。オレを証拠として、王に儀式をした事を認めさせ足をすくってやろうとする者が出てくるというのだ。
 どこの世界にも、権力者の粗探しが好きな奴はいるらしい。
 っつーか。
「何だよ、王様って嫌われているのか?」
 王様好き好き発言ばかり聞いていたので、その事実に少しニヤリと仕掛けるが。実際には、そんな単純な話ではないようだ。
「政の中は、好き嫌いの話じゃない」
「でも、あの王ならそんな奴ら、指一本でどうにかしちゃいそうじゃないか」
「……嫌っているのは知っているが……お前の中での王は、相当なようだな…」
「そりゃ、まあ、当然だろ」
「言っておくが、暴君とは程遠いぞ?」
「ああ…、うん。そうみたいだな」
 小さな溜息で、オレの王に対する偏見を容認したのか。その後にリエムが紡いだ言葉は、軽いものだった。
 そう、その言葉は本気でも。伝わりはしないと思っての、それだったのだろう。
 だから、オレが素直に頷くと、リエムは驚いた顔を見せた。きっと、「信じらんねェ、充分オレさまじゃん」とかなんとか言うと確信していたのだろう。
「実はさ、ちょっとだけ情報収集というか。王様ってどんな奴なんだと周りで聞いてみたんだ。じゃあ、思った以上に支持があるじゃないか。尊敬しているだとか、偉いだとか何だとかさ。っで。そう言う奴の中にはさ、オレが見てきたような人物はいないんだよ」  オレは今も、暴君とまではいかずとも、最低な部分を持つ王だと思っている。けれど、そればかりではないのだろうというのも、人々の話を聞いて漸くの見込めてきたも事実だ。
 心境が変化したほどではないけど、見極めようとしてみる余裕が出来た種明かしをしながら、オレはリエムから顔を逸らし空を見る。
 オレの感情的な物差しではなく、この世界の物差しで計ったならば。
 この国は決して悪い国ではなく、国王も悪い人間ではないのは明らかなのだ。
「オレには、それがどういう事なのか、まだ良くわからないけど。少なくとも、彼らにとっては、本当に立派な王様んだろう。それが例え大衆に向けた演技だろうと何だろうと、嘘なんてものは最後まで付き通せば本当と変わりないんだから、彼らの真実はそれで間違いないんだよな。オレが知るのはいけすかない奴だけど、あの男は王様だ」
 レーイさんとその母親は、生まれた国を捨ててこの国へとやってきた。
 苦労するのはわかっていただろう。それでも、母国では生きるのが難しかった。この国ならば、彼女達は未来が見えると思ったのだ。
 そして。彼女達は今、ここで生きている。それが、途中経過に過ぎないかもしれないが、それでも今の答えだ。
「厳しいというか…酷いアレが、王様の本性なのかオレに対してだけのものなのかは、わからないけどさ。ムカツク気持ちは消えないけど、ちょっとさ。ちょっとだけだけど、賢君ばりのそれを知って、くたばりやがれ!って気持ちは減ったんだよな。最低な事をしやがってと、王様に相応しくない男だと思っていたけど、それはオレにとっては真実でも、オレが見ていた部分は王様の一部であるのも確かでさ。別な一部には、ちゃんとしたところがあるようだと知ったら、もうちょっとオレはそういうところを知っておくべきじゃないかと、あの男の人となりをもっと知ってから判断してもいいんじゃないかという気持ちになったんだ。自分でも、単純だと思うけど」
 これは、今だけのものかもしれなくて。実際にまた対峙すれば、些細な事だとどうでも良くなるのかもしれないけどさとオレが苦笑しつつも言うと。リエムは「それでいいのか?」と訊いてきた。
 良いも悪いもない。そういう感情を挟めば、面白くなさが先に立つから。そういうのはナシだ。
「お前が王をどう思っているのか、わかっている。メイにとっては、受け入れがたい相手だろう。王のメイにする態度では仕方がない話だ。なのに、許すというのか?」
「それはまだわからないよ。てか、別に、許すとかの話でもなくさ。う〜ん、なんて言えばいいのかな…まあ、とりあえず、知ろうと思ってるだけだから、期待はするなよ」
「わかりたいと思ってくれたのだろう?」
「わかりたいって言うか…まだその前の段階なんだよ。ただ単純にさ、話を聞くたび、なんかオレだけが王様を知らないみたいな気分になる訳だよ。気にしないわけにはいかないだろう?」
 今後一切関わらないのであれば、今のままでいいだろう。
 だけどオレは実際、昨日のように会ったのに無視をされたそれだけでムカついているのだから、現状放置は精神上悪いと思うのだ。このままでは会うたびに、奴の事で腹を立てる羽目になりそうだ。神子捜索もオレの王城での日々も、全てがリエム任せであろうとも、そこに王様が居るのは現実なのだから、居ないものとするのは難しい。あいつのように、きれいさっぱり無視できるほども、オレの神経は太くない。
 だったら、もう少し、理解すべきなのだとオレは思うのだ。本当に、ただの嫌な奴だとの結論にしかならなくとも、それはそれで今より強固な落としどころを得られるだろうし。周囲の面々が見るように認められる部分があるのならば、多少の事は気にならなくなるのかも知れない。まずは、何でも知るべきだろう。
 リュフが虐めっ子と歩み寄れたようになるとは、流石に思わないけれど。それがオレの背中を押すのも事実で。
 何らかの改善は見込めるのじゃないかと、思うのだ。挑む意味はあると思うのだ。
 リエムが願うように歩み寄れるかどうかはわからないけれど、知ろうとするのは、無駄な事ではないはずだ。
 オレが、リエムに対して全てを許容出来るのは。ひとえに、それまでの信頼があったからだ。王の犬かよ…!と詰る気にならないのは、苛立ちを相殺できるだけのものを貰っているからだ。日々のそれが、オレには納得できない行動をも理解させているのだ。
 だから。
 王相手でも、その一歩を踏み出してみるのもいい。決してそれは王の為ではなく、自分の為であるのだけれど。
 これが、リエムの為になるならば。オレのこの感情が、多少なりともリエムの気持ちを軽くするのならば、それだけでも意味は生まれる。
「オレだって、リエムが見ている世界を、王様を、見たいと思うよ」

 知らないことを知りたがるのが、生きている人間で。
 知ることが出来るのが、その特権だから。


2010/03/08
146 君を呼ぶ世界 148