君を呼ぶ世界 148
それでも王であるのだ、というのは。
オレが言わずとも、リエムも、当人も、誰もが分っているのだろうし。
もしも、この世界に来た時に。その場に、王様が居て、自分の状況を知ったのであったならば。
オレは、あの王を恨んだだろう。心底から、呪っただろう。こうして、後からでも冷静に考えられるような、そんな時間さえ持たなかっただろう。
神子を呼んだはずなのに、余計なものがやって来たと。必要もないのに召喚なんてものをされた被害者に、平気でそんな事をいう人物が目の前に居たら。どんなに温厚な奴だって、「諸悪の根源はお前だ!殺してやる!」となって当然だ。
そして、そんな苦しみの中に居たら。早々に狂ったとしておかしくない。
この世界には、トリップの概念があるのだとしても。オレの世界では空想世界だけのもので。実際にンな体験をさせられて、その上その先で虐げられたら、現実など簡単に見失うというものだ。
そう言う点では、オレは恵まれていた。
最低最悪の中であっても、救いは沢山あった。
そう、オレにはその召喚場所に降臨しなかったからこそ、この世界を受け入れる時間が沢山あった。
確かに、一体何がどうなっているのかわからなくて苦労し、苦しんだが。気付いたら川に浸かっていた、ではなく。気付いたらあの暴君が居て、オレに牙を剥いた――なんて状況でなかったのは、本当に、不幸中の幸いだったのだと今ならわかる。
何故自分がここに居るのかわかるまでに、沢山の事を知って、沢山の人に出会えて、心の中に余裕が出来た。この世界で大切なものが出来て、希望が出来て、居場所を見つけた。
オレは、ふざけた儀式に巻き込まれたのだと判明するまでに、そういう得難いものを得たのだ。この世界に来た意味とまではいかずとも、居る意味が出来ていた。
だから。
あの王様は、心底腹立たしいし。異世界に飛ばされた事はやはり、最低だと思う。ここに来なければ会えなかった人達もいたけれど、それとこれとは別の話で、最悪に変わりはないのだ。それこそ、元の世界で続くはずだった日々を思えば、自分がここに存在するだけでどうにかなりそうな苦しさが今もある。
それでも、だ。
それでも、この世界の中だけを思えば。右も左もわからないオレが歩んだ道は、恵まれていて優しくて、幸運でさえあるもので。全てを否定して、それらを失くすのは惜しい。そう思うくらいのものを、オレは得てきた。
王は嫌いだ。だが、恨んでいるかどうかは、今はもう正直、わからない。少なくとも、死んで償え!みたいなことは思っていない。ンなのは償いでも何でもなく、ただの嫌がらせだろうと思うくらいだから、あるのだとしてもオレの恨みは微妙なものだ。
あいつも同じようにどこか別世界へ飛ばされて、不要だと判断されて虐げられてみればいい――と。苛立った時は思ってしまうそれも、今のように落ち着いた時は、実際にそのチャンスが来たとしてもオレは実行しないだろうと言い切れるものだ。恨みがその程度でしかない、というのではなく。恨むとか何だよりも、ただ、王様の態度が気に食わない方が強いのだ。
民に慕われている王を、民から奪うほども。リエムから奪うほども、オレの怒りはそこにない。実行したらきっと、確実に、オレは自分を許せない。そんな罪悪、持ちたくもない。恨みつくすほどの思いを、オレは自分の中で飼いたくない。
これはこの世界に来て自覚したわけではなく、前からだけど。
オレは全然、強くないのだ。それはもう、ある意味清々しいほどに。
全てを受け入られるほども強くない、という意味もあるが。同時に、誰かを貶められるほどの根性もないのだ。友達だったか誰かが、オレのそういう部分を平和主義者だと指摘した事もあったが。どちらかと言うと、周囲の平和を求めるのではなく、オレはただ、自分の平穏を求めているのだ。
だから、頑固者のように曲げられない部分を持っていたり、排他的に冷めていたりする面を持ちつつも、ヤな事に対しても案外さっぱりしているのだと思う。自分で言うのもなんだけど。
そう、はっきり言って。今の状況は、疲れるのだ。イラつくときだけ、あたり散らせられればいいだけで、日がな一日嫌いな奴の足をすくうことばかりを考えていたくないというのが本音だ。だから、自分の中で王様の置き場所を、きちんと決めておきたい。
100パーセントいい奴でも、100パーセント悪い奴でもないあの王を、自分の中でどうするかが今一番の問題だ。
「この国は、周辺諸国とは少し違う。君主制ではあるのに違いはないが、多くの国はもっと、王に絶対だ」
「ああ、そうみたいだな」
きちんと勉強したわけではなく、色々なところから聞いたりしての解釈だけど。この世界は王に統治権を与えている国が多いようだ。
身近な話で言えば、リュフ達の母国だろう。ギュヒ国は、分かりやすい絶対君主制で、王の判断で全てが動き、王に法は適用しない。オレなんかには、王様が頂点だと聞いて一番想像しやすい体制だ。まあ、それでも昔話のような王制であり、単純明快な部分以外は理解出来ないそれだけど。
そんなギュヒ国は、リュフ達の現状が示すように、あまり良くない国だ。侵略を繰り返し、国内をズタボロにしている。しかし、それは確かに行為としては行き過ぎだが、体制としてはさほど特異なものでもないらしい。要するに、絶対王政であるのが問題なのではなく、王が問題であるというわけだ。
っで。そんな国に比べれば、このハギ国は驚くほどに民主寄りだ。っつか、超がつくほどの、法律国家だ。普通は、そうは言っても王様なのだから、ちょっとした罪でも即座に罰せられるのが世間の常識らしいが。オレが楯突き五体満足でいられたのは、だからである。…まあ、ちょっとは、王様の心の広さというか、特別に許された感がしないでもないけれど。
そして、それはリエムが言うように、階級社会なこの世界での中堅国家としは変わっているらしい。ここまで民が生きやすい制度を摂っている国は、小国以外にないようだ。この国にも地位や身分の差はあるし、貴族や王家が政治の中心であるのは変わりないが。それでも、優秀であれば市井の者が王になれる可能性もあるだなんていうのは、ある意味異常だろう。
そう、この国での最大の驚きは。次期国王は個人の能力で決められるという点だ。それ故に、現王が即位出来たらしいが、聞きかじるだけのオレなんかは、それでいいのかよ?だ。初めて聞いた時は、そりゃあ驚いた。
勿論、同レベルの優秀な人材が二人以上あれば、地位の高い方を選ぶだとか。王に据え置くほどの統率力が備わるものがいなければ、王家の者が即位するだとか。まあ、色々細かな決まりはあるようで、いい加減なものではないらしいが。世襲制の危うさを危惧して十数代前から徐々に取り組み、今や歴史も出来ているらしいが。
若干、そんなので問題が起こんないのかよ? と思ってしまうのは、愛国心の欠片もなくそれを眺めるからだろうか。この制度は、なかなかに、民には好評らしい。オレはそれに乗れなかったが、オレに話してくれたオヤジなんかは自分の手柄のように話していた。
そんなわけで。この国は愛国心者が結構溢れ返っていたりする。そして、オレの情報源はそう言う奴らなので、「そんなにいい体制ならばなぜ他の国が真似しないんだよ?」とか突っ込んでも、適当に流されたのが結果で。
実際のところ、国の中枢ではどんなものになっているのかは、わかんないものなんだけど。
「この体制は国民の誇りだ。だが、実際、弱い部分があるのも確かだ」
王様の事を教えて欲しいと話し、まずはと言うように国の話しを持ってきたリエムに。オレが知り得ているものを伝えて見せると、肯定なのか頷き。そして、そう、オレの心を読んでいたかのように言う。
「誰にでも、とは言わないが。ある程度の数の者が玉座を狙える状況であるというのは、国にとっては意欲を上げると同時に不安要素でもある」
「余計な争いが生まれる、てか?」
「そうだ」
「だが、それはどこでも大なり小なりそうだろう。世襲制にしたって、王家の中で骨肉の争いが…、地盤固めに貴族を巻き込んで…なんてのもあるだろ?」
オレのそれは、時代映画の見すぎじゃないか?っていうようなものだけど。でも、そういうのが事実としてあったからこそ、この国も体制を変えたのんじゃないのか?
「現王が優秀であるのは間違いない。だが、聖獣が居なければ王にはなっていなかっただろう。少なくとも、こんなに早くには。現王の即位は、異例中の異例だ」
「……と言う事は、その奇跡のような事が通らなければ、王に就く奴が別にいたんだな?」
王位継承権がなかったと聞いた時には、そこまで考えなかったが。あの王様が見染められるまでは、次期国王になるはずの者が居たというわけだ。即位して五年。譲位がどのように行われたかはわからないが、それで起こった火種が消えるにはまだ早いものなのだろう。
どこにも誰にも蟠りなく、あの王様が即位したわけではないのだと。今ここで敢えてこんな話をするリエムに、その言葉に含まれた意味に、オレはそう中りを付ける。
それでも権力者なんてそんなのがつきものだろうと。憎まれてナンボの立場だろうと思いもするが。ある程度はリエムだってわかっているだろうことであり、それでも口にするのはそう言う事なのだろう。
あの男の王様稼業は、オレが思うほども順風ではないらしい。
「聖獣が降りてから、王位が譲られるまでに何があったのか。俺もまだ子供で、詳しくは知らない。だが、キース王の即位は、円満からは程遠いものだったのは今なお残るシコリで誰もが知っている」
何も知らぬは民のみで、聖獣を傍に置く、自分達平民に近い育ちの若い王の即位を純粋に喜んだのも彼らだけだ。
あの城の中では、そんな空気は皆無だった、と。
城壁を辿りながら歩くリエムが、城ではなく空へと視線を投げた。
星明かりに照らされた顔は、言葉ほども苦痛を映していないが。却ってそれが、痛々しくもあるもので。
王の友人である男のそれに、オレには暴君に見えるアレでも苦労はしているんだと知らされる。まあ、どこの世でも、国の中枢なんて政治以上に権力争いが盛んで、珍しいのでもないのだろうし。その苦労が何であるのかわからねば、同情の余地も何もないのだけれど。
それでも、リエムが歯がゆく感じているのだろうそれを一切無視するほども、オレは無関心を貫く精神力もなく。あのクソ王だと思えば、慮ってやりたくはないが、民に慕われている王だと考えれば、多少は譲れるものがあるのも事実で。
「玉座に踏ん反り返って左団扇なわけでもないんだなァ」
わざと、若干の茶化しを入れつつも。半分以上本気の確認めいて零したその言葉に、リエムが視線を降ろした後、クッと顔を歪めて喉を鳴らした。
「お前は、本当にどこまで思っているんだ」
オレにとってはそうなるのは当然でも、リエムの中ではあまりにもかけ離れたものになるようで。そもそもそんな奴だったら、聖獣が居ようと王にはなれないと、ツボにはまったらしく笑いながら言う。
「いや、でも、それオレにはわかんないし」
リエムだって言ったじゃないか。聖獣が居たから王になった、と。それを押し通したから、揉めたんだろう?と。反論してみると、それでも極端だと笑う。…いや、でも、あの王はマジでそれくらい可能な性格をしているじゃないか?
しかし、そう言っても今は笑われるだけでしかないなと。
ちょうど門まで辿り着いたので言葉を飲み込み、リエムを先へと押しやる。
衛兵の確認を済ませて門をくぐり、預けていた馬を受け取ったリエムが、颯爽とその背に跨った。
「登りだしな、ゆっくり進むから大丈夫だ」
またケツが痛くなるし、帰って寝るだけの身なので遅くなろうともいいから歩きたいと、訴える前にオレの表情にそれを察したらしく、先手を打つようそう言って手を差し伸べられた。
それでも迷ったが、夜の闇の中でも白さが映えるシャトが、乗らないの?とでもいうようにジッと見てくるので。抵抗は諦めて、もう姫でも王子でも何でもいいとオレはその手を取る。
手綱を持つリエムの手に挟まれるようにして座り、動き始めた馬の背から、頂に聳える城を見上げる。
あの牢屋であったオジサンは、あからさまなほどに王を厭うていた。その彼を、リエムは警戒していた。垣間見ただけのそこに、王の事情を見るのは早計であろうが、全く関係ないものでもないだろう。
座るはずのなかった玉座についた若い王。
リエムの話を聞いても、オレのイメージはどうしても、元の世界の情報からでしか作れなくて。オレの頭の中では、国会中継だ何だので見かけた、互いの上げ足を取るばかりの政治家達の様子が浮かぶ。だが、さほど間違ってもいない想像だろう。
事情を知らないオレは、どっちがどっちとは言えないが。いやはや、政とは、苦労なものだ。
それでも、あの男は王であり。この国を未来へ導くのが仕事だ。周囲に邪魔されようが、舵は取り続けねばならない。
そこで立ち続けるその精神力は。
オレには想像すら付かないものだ。
「オレは頼みこまれても、絶対王になんてなりたくないなァ」
反勢力の事はともかく。その可能性があったとしても、全力で拒否したいよと。その椅子を狙う奴らはモノ好きだよと呆れ半分で零したそれに、リエムは「俺もだ。…アイツのような真似は出来ない」と小さく笑った。
その、掠れた喉を震わせたような笑いに。
リエムの中で絶対な、揺るぎない「王」を、オレは感じた。
2010/03/11