君を呼ぶ世界 150
リエムの話は、オレを変える威力を持っている。
王を恨む事で、オレに救われている部分があるのは確かだけど。変わりたくないと、奴を理解したくないと思う気持ちが残っているのも確かだけど。
だけど、浮かんでくる疑問は解消したい気持ちの方が強い。
「リエムが語る王は、賢しい奴でさ。オレは、全くそういうのを知らないから、それに対しての真偽は何も言えないけど。それを鵜呑みにするならば、だな。だったらどうして、オレに対しては適した対応をしなかったのだろう?と思うんだよ」
辿る道以上に、闇夜の中で明るく浮き上がる馬の首に何となく手を伸ばし。指先で微かに触れた鬣を掬い流す。
馬は特に、人間の気持ちを察する動物なのだと聞いたような記憶があるけれど。この世界でもそうなのだろうか?
馬と王様を一緒にする訳ではないけれど、賢い王なら他者の思考を読めるだろうに…との思いからそんな事を考えてしまう。そう、あの王様の態度は、リエムの言葉を受け入れるたびに、少し違和感を覚えるものだ。
この辺ではっきりさせておかねば、今夜のこの話も忘れて、次に会った時もまた喰ってかかってしまいそうだ。
「王だからこそ、異界人とあからさまに詰るんじゃなく、ある程度きちんとした対応するものじゃないか? リエムの話を聞けば、それが出来そうな奴に思えるんだけど。だけど、実際はアレだろ? オレの持っている印象の方が、王様の本質に近いんじゃないかと思って当然のアレだ。個人的に、どんなにオレが気に食わなくてもさ。そこは王様なら、グッと我慢するべきものだろ」
リエムが見る王を、オレは、友人だからこそのものだとはもうそんなにも思っていない。初めはあんな男を良く言うのはそれしかないと、忠誠心と言うのは恐ろしいと思ったけれど。この国を成り立たせている者だと捉えれば、最低最悪人間ではないのは明らかで。オレ自身が不快を飲み込めば、王の人となりは貶しきるほどのものではないのだとわかっている。
だが、それはわかっても。得た情報は繋がるどころか、余計に絡むものだ。
「オレに対して神子だとか関係者だとか何だとか思ったのならば、首を絞めて揺すぶり吐かせるなんていうのは、リエムが言う王様らしくないわけでさ。オレとしては、オレ自身が直接得たそれじゃなく、リエムの持っているものを汲みとるとなると、ああして牙を剥いたのは何だったんだ?になるんだよ。そこんとこ、リエムの見解としてはどうなの?」
王様だと言っても、人間だ。しかも、まだ若い男だ。
善い面もあれば悪い面もあって当然だろう。だから、自分を支持する相手には笑って、厄介な相手は虐げて、それが出来ない相手には臍を噛んで耐えていたとしても、全くもっておかしくはない。しかし、それが王以外の他の誰かならば、突き詰めて考えようなんてしないけれど。
目の前の男は、王様の一面しか語らないから。
ついつい突っ込んでしまう。
まあ、王である友を支えると決断した男のそれは並大抵のものではないのだろうから、それ自体には突っ込まないけどさ。
「メイ、ちょっと待ってくれ」
これでリエムが、オレの中の王への関心を引きだそうと若干矛盾をチラつかせて話しているのならば脱帽ものだよなァ、と。
だけど、素で、この男の中での王はそれなんだろうな、と。盲信的な愛を垣間見るような居心地の悪さに、適当な事を思っていたオレに。
リエムは、数拍考えるような沈黙を作った後で、逆にオレに突っ込んできた。
「言いたい事はわかるが…、それと王の婚姻がどう関係しているんだ?」
クソ王とするならば、オレに対する態度は適正範囲内だけど。リエムが語る王としては、アレをどう説明してくれるのかと。
マジで訊ねたオレに、そっちの方が気になるんですか?で。
そんなに食いつく質問だったのかよ!?と、思わず笑ってしまう。王だってそれなりの歳なんだし、「結婚してるの?」「してないよ」で流れていってしまう程度のものだろうに、何故にまた。
それとも、王様のプライベートを聞くのは失礼だったりするんだろうか?
「いや、別にちょっと思っただけだから――あ、いや、まあ関係なくはないけどさ」
「王が結婚していたら、何だって言うんだ?」
「いや、ちょっとさ、奥さんや子供がいるのかなと思っただけだよ。リエムが言うような奴で、守りたい家族があったら、それなりに痛みをわかる奴なのかもしれないと。期待出来る部分もあるかなと、な?」
「期待?」
リエムの言葉に、「ああ、そうだ」と、オレは苦笑気味に喉を鳴らしながら頷く。
先程ふと思い付き、婚姻の有無を聞いたのはだからだと。説明を求められ、そう言葉にして初めて、オレは自身でも持った感情の正体を悟る。
期待、というのは、ちょっと言い過ぎかもしれないが。そこに、小さくても希望があるかもしれないなと思えたのだ。
リエムが語る王は、オレは知らない王で。
知らないからこそ、今まで想像もしなかったものがそこにはあるのかもしれない、と。ただ単に、そんなちょっとした逆転の発想であり。突っ込まれるほどの話でもないのだけど。
「まあ、オレの個人的なものなんだけど――そうだな。えっと、結婚していなくても、王様には他に家族は居るよな? 兄弟とかさ」
「ああ、弟が一人。両親も健在だ」
「そうか」
天涯孤独じゃなくて良かった、と。まあ、それでもリエムのような友がいるのだからいいのだけど、と。ひとり頷けば、横から怪訝な視線を感じ、振り向けば。リエムが眉を寄せている。
いや、マジでそんな難しい話でもないので、警戒しないでくれ。別に、王に対する腹いせに、その家族に何かしようとはオレは思わないぞ?
大丈夫だから怖い顔をするなよと、手綱を持つ男の腕を軽く叩くと、続きを促された。
「いや、ホント、なんて事はないんだ。ただ、王個人に大事なものはあるのかとさ」
「それは、普通にあるだろう」
うん、そうだな。だけど、さ。
だからオレは、普通の奴が普通に持つものを、あの男も本当に持つかどうかを知らないんだってばさ。
リエムにとっては当然で、訊かれる意味もわからずに、当惑する話なんだろうけど。オレは、いちいち確かめたい訳よ。
しかし、そんな事を言っても意味はなく。オレとリエムのこのズレは変わらないのだろう、ので。
「じゃあ、リエムから見て、その家族の誰かが突然消えたら。王様はどうすると思う?」
話を進めるべく、そう新たな質問を乗せてみれば。
「勿論、可能な限り探すだろう」
当然だろうといった風な口調で、リエムがそう答える。
確かに、まあそうだ。普通は、探す。理由を考える。オレの、通常想像範囲内の回答だ。
だけど。オレは、実際にはあの王様がそうするのかどうなのか、わからない。他の誰かなら、リエムの言うように探すに決まっていると言うが。王なら、「探さない」可能性も捨てきれない。そう、オレは、その程度しか知らないのだ。居なくなったらそれまでだと、切り捨てそうな奴しか知らない。少なくとも、今のリエムの言葉が正しくても、それが家族以外になればどうなのだろうなと、リエムがあの男にも情があるのをこうして示した後でも、そう思ってしまうくらいなのだ。
「だったら、もうひとつ。もしそうなったらと、想像が出来る人物か?」
「…想像? 何が言いたいんだ?」
「いや、何となく、さ。あの王様は、本当にわかっているのかなと思っての確認」
「何をだ?」
「だから、さ。オレは、人生を変えられたわけだけど。オレ以外のそれも変えたんだと、あの王はわかっているのかな?と」
リエムから視線を戻し、馬の背から道を見下ろして。両脇の暗い林を眺めつつ、オレは言葉を紡ぐ。
「オレはこうして、どうしてここに居るのかを知ったけれど、元の世界に居るオレの家族や友人は今なおわからないままだ。そう言うのを、あの男はちゃんと想像して、自分がやった事を理解しているのかな?」
オレが知る王のままでは、こんな事を深く考え、その答えに希望を持つ事はなかっただろう。頭がいいのならば理屈は理解できても、人の痛みなど実際にはわからない奴だとして、それで終わらせただろう。
けれど、今。こうして、リエムに、オレの知らない王の面を見せられて。
人並みとまではいかずとも、わかる男なのかもしれないと。オレ以外に対してならば、人並みの感情を向けるのかもしれないなと。そういうものが見えて、答えを知りたくなった。
オレは王に、オレの世界を変えやがってと噛みついたが。
あれもどれだけ伝わっているのか、正直、今なお疑問だ。この世界でオレは踏ん張っているけれど、あの男には大した事ではないと判断されているのかもしれない。実際、奴がどこかへ飛ばされても、オレとは違って上手くやっていくのかもしれず、オレの苦労は微塵も理解されていないのかもしれない。国を背負う王にとって、今の自分の立場以上のものは、そうそうないだろう。
だけど、そうではなく。憎いのであろうオレの立場になるのではなくて。
オレの家族の立場にならば、どうだろう。訳もわからず、大切なものを失うそれなら、どうだろう。
王の心根を知っているリエムは、必ず探すと言うけれど。どれだけ探し続けるだろう。見付からない絶望を、あの男もまた、味わったりするのだろうか。それを感じる心はあるのか。
「大事な相手に突然消えられたら、何故かと考える。もし、理由になりそうな事があって、それが自分とのケンカだとかなんだとかだったら、己を責めたりもする。普通、そうだよな? オレの両親はきっと、今そんな状況なんだよ。ここへ飛んだその日に会っていた友達も、何故居なくなったんだと悩んでいるだろうな。そんな素振りもなかったのに、と。オレは、ここで何とかやっているけどさ、そういうオレ以外の奴も苦しめているのだろう事を、あの儀式に責任がある王はわかっていると思うか?」
振り向けば、間近からリエムの表情は見えるが。
オレはそれをせずに、答えを待つ。
だが、リエムは口を開かない。
「……オレの世界だと、行方不明者の捜索は結構大掛かりに出来るんだ。自国だけではなく、世界中の国に捜査網を広げられる。まあ、オレの場合目撃情報が上がる事はないだろうから、家族へ行くのは多分、身元不明者の遺体確認になるんだろうな。似た特徴の遺体があると連絡を貰ったら、父も母も相当参るだろう。見つかって欲しいが、遺体でもいいとは望まないはずだから。きっと、その確認へ行くのは死ぬほどに緊張して辛いに違いない。見知らぬ遺体を前に、息子じゃなくて良かったと、死んだ誰かが目の前に居るのにそう思うんだよ彼らは」
「メイ…」
「オレはさ。今この時点で苦しいのは。ここに居る事でも、王様にコケおろされている事でもない。オレなんかの事よりも、さ。オレに消えられた家族や友人達に、無事なんだよとひとことも言えない事なんだ」
それを。あの王はわかっているのだろうか。
リエムの口にする王ならば、わかるのかもしれないと。オレは心で信じ始めている。
あれだけ虐げられて、バカみたいだけれど。
だけど。少しは、痛みがわかる人物であるのならば。
オレはそれに救われる部分があると思うのだ。
それだけでも、居心地の良い桔梗亭ではなく。あの城を選んだ自分を、オレは許せられるのだ。
「結婚しているかと訊いたのは、それでだよ。奥さんや子供が消えたら、流石に慌てふためくだろうと思ったからなだけだ。っで、結果として家族でもそうなるだろうと、リエムに太鼓判を押されたわけだけど……王は、痛みをわからないわけじゃないんだよな?」
オレに対してだけ適応外なんだ?と。苦笑交じりで発したその言葉は、疑問よりも確認の色が濃かったが、もはや気にならなかった。
それよりも。
自分の中で大きく変わった王への心証に呆れるオレに対し。答えではなく、リエムは溜息を落としてきた。
ちょっと待て。
オレがかなり譲歩しているところでのそれって、どうよ…?
2010/03/18