君を呼ぶ世界 151


 リエムが知る王は、どこに居るのだろう。

 オレをこの世界に巻きこんだのが、血も涙もない冷血漢であるよりも。やっぱり、一部の特定の相手に対してだけであったとしても、自らの心を痛めるくらいの情を持っている奴の方がいい。
 憎み続けるべき相手とするのは、そりゃあ、前者の方がいいのかもしれないけれど。オレの残りの生涯を掛けて恨みつくしても、オレがこの世界に来た事実はもう変えようもないのだから。だったら、他人に苦しみを与えた事が理解できる人物の方がいいに決まっている。
 これから先、あの王に辛い事がある度に。自らもまた他者に対しそれを与えたことがあるのだと、オレを少しでも思い出すのであれば、オレの溜飲は多少なりとも下がるというものだ。実際には、そこまでオレを気に掛けないだろうとわかってはいるのだが。それでも、そういう可能性が少しでもある方が、オレは救われる。――いや、救われるはちょっと違うかもだけど……。
 まあ、なんていうか。兎に角。
 全く何の痛みも覚えない相手よりは、どこかに弱点なり何なりを持っていてくれる方が、オレの中での処理具合は違うというわけだ。
 だから。リエムの話に、オレは心を動かした。
 実際にはまだ、王自身に信用は置いていないし、嫌な奴認定を消してはいないが。リエムが語る王は、随分オレの中に入って来ている。自分が接したそれと、聞いたそれを一直線で繋げられてはいないが、それでも。得たものを元手に想像する事が出来るようになったのは、かなりの進展だろう。
 って、こんな事を言っても。動いたのはオレだけであるので、関係も何も変わりはしないのだろうけれど。
 けれど、仕える主の事をオレに懇々と語るリエムにとっては、オレがその言葉を汲みとっただけでも前進となったはずだ。確かに、本当にわかっているのか怪しいものだが、「ンな王様なんて知りたくない!クソくらえ!」じゃないのは、願ったり叶ったりな筈だ。
 それなのに。
 リエムの言葉を充分過ぎる程に考慮して、多少の情はあるのだろうと、オレが王のそれを認めた矢先に溜息とは。
 何故にその反応なのか。意味が分らないぞ。
「は? 何それ? そんな温い感情を一国の王様が持っているわけないじゃないか!何が、痛みだ。優しさで国を守れるか!――ってか?」
 温くて甘い事を言っている自覚は十分にあるので、その罰の悪さから、思わずそんな突っ込みを入れてしまう。
 そのまま、鼻で笑らい、肩を竦めて若干ヤサグレたオレに。リエムは、今度は落としかけた溜息を飲み込んだような息を小さく響かせたのち、言葉で返答した。
「…違う。逆だ」
「逆?」
 逆。溜息の、逆ってなんだよ? 今のが、感嘆だとでもいうのか?
 それとも逆なのは、吐いた息のそれじゃなく、オレの言葉か? 情なしじゃないと言いたいのか?
「……じゃあ、誰だって持っている心を態々確認するな、王にだって情けはあって当然だ!――の溜息だってか?」
 つまり、あまりにもオレの理解力の無さに吐いたのか…?
 ……まあ、王様主義なリエムにすれば、今まで語ったのを理解していたら出ない質問だったのかもしれないけどさ。
 それはちょっと、ムシが良過ぎだろう。
「いや、でもさ。くどいけど、オレの中の実物王に、ンなのはないんだかさ。聞いてもいいだろ、別に。呆れてくれるなよ。リエムの語る王もわかってきたけどさ、あくまでまだ、『リエムが語る王』でしかないんだからな。変に期待しないでくれ」
 オレはまだそこまでリエムの王様を掴んじゃいねぇーよ、と。両掌を軽くあげて見せれば、再び深い息を吐かれた。
 ちょっと感じが悪いぞ、オイ。
 だけど、リエムからしたら、これだけ出来た人物だと語っているのに何故わからないんだと言ったところなのだろう、マジで。そう、マジでこの男は、主君兼友人の良さは伝わるべきものだと思っている節がある。話がわからない男じゃないからこそ、その盲信振りが際立っているように見えるだけかもしれないけど。これがこの世界の、この国の、一般的な忠義なのかもしれないけど。改めて見てみれば、若干引く話だ。
 けれど、実際は。オレはリエムのその言葉を、自分の立場を考慮したら誉め千切られてもいいくらい、充分に汲み取っている。ただ、そうだと、頷いていないだけだ。そうなのかもしれないな、で止まっているだけだ。でも、それは当然だろう。王の人物像を決定するのは、ここではないのだから。ここだけで飲み込むような話ではない。
 当人もいないのに、互いの心証だけで答えを出すなんて不毛なだけだろう。
 オレは、オレなりに最大限の譲歩を、リエムに対してしているのだ。それが王に対してでないのが、リエムは気になるのだろうけど。それはどんなに望まれても、どうにもならないので諦めて貰うしかない。呆れて溜息を吐かれようが、頑固だと言われようが、こればかりは仕方がない。
 なので。リエムの二度目のそれをオレは流すことにし、話をひとつ前に戻してみる。そもそも、情の云々の問いに、王を慕うリエムがノーを返す訳もないのだろうし。
「っで、もう一度聞くけど。個人の性格はともかくとして、だな。王として、オレへのアレはいいわけ?」
「王として、か…」
「そう、王様として。自らが行った召喚の、出さないことも出来たはずの被害者に対する態度として、適切か否か」
 リエムは、どう見るんだ?と。国王のそれを、主君のそれを、友のそれを、オレは問う。
 オレの中での王は、オレの心情などには微塵も気にかけずに、自分が思うままに行動する奴だ。だから、オレを詰り倒すのも頷ける。だが、リエムの語る王は、違う。本当にあの男がそんな人物であったのならば、オレへの対応も本来はもっと、上手くやったんじゃないかと思うのだ。
 オレが異界人だからの対応だといわれればそれまでだけど。だけど、リエムが友人のその差別を認めるとは思えない。実際、100パーセント適切だとは思っていない態度であった。それでも、それ以上にオレへの態度を仕方がないと思ったのだろう。その理由は何なのか。
 自分が王ならば、同じ事をしたと? 王と同じくらい、オレの存在を残念がったのか?
 あの王の態度のどこに、納得出来る部分があったのか。オレはそれを知りたい。
「……王としては、まだ若く、弱い部分も多くあるのだろう。だが、王になったこともないオレには、現王のそれを批判はおろか、評する術もない」
 沈黙を挟み、リエムが口を開いた。
 言葉は、思った以上に重かった。
「それでも、彼を良く知り、彼個人と今なお接する者から言わせて貰えば。――あいつは、充分やっている。己の能力をすべてそこに注ぎ込み、誰よりも国の為に尽くしている。オレはそんなシグを尊敬している」
「……あぁ、うん…」
 それは、嫌というとほどに。リエムの思いは、主従関係を理解しきれないオレにだってわかるほどに、知っている。
 改めて、怖いくらいに真摯に。まるで、それは武器であるかのよう向けられたその言葉に。オレは、もっと単純な言葉が来ると予想していたせいで、思わず怯む。
 その中で。オレへの答えではなく、リエムの思いでしかないのに。多少やりすぎていたとの言葉ではないどころか、そんな同調とは正反対なのに。何故か、どこかで何かを納得するような感覚を覚える。
 それが何かもわからないのに、不動なリエムに、王の真実が少し垣間見える気がした。
「思うところが何もないとは言わないが。もしも、また、同じような事態になっても。例えば、過去をやり直せるのだとしても。俺は何ひとつ、シグに対してのものは変えない。それが、お前にとって正しくはなかったとしてもだ」
「…それが、忠義てやつか?」
「いや、違う。俺自身が、あいつの判断に納得したからだ」
 出来ない時は、俺は言うからな。
 俺は臣下としてはそう優秀でもない、厄介者なんだ、と。ふと、張っていた糸を緩め、リエムが苦笑した。それに、友人同士のものを感じ、オレはどことなく安堵する。
 今までに何度か聞いたが。シグというのが、王の名前なのだろう。
 立場が大きく違うのだろうに、そうして名を呼ぶリエムの存在もまた、きっとあの王様にとって掛け替えのないものなんだろうなと。オレはすんなりと思ってしまう。
 けれども、実際は、本当に。オレは、そういう王を知らない。想像でしかない。リエムは見続けてきているのだろうが、欠片ほども目の当たりにはしていない。
 オレにあるのは、王自身のものではなく。
 他の人間の、言葉と想いばかりだ。
 オレが知らない王がそこに居る。居るが、見えない。
 それを歯がゆく思うのは、教えられる全てがオレとは反対なもので。オレばかりが取り残されたように思うからか。悔しいからか。
「なあ、王って何だと思う? 何をするんだ?」
「王とは、個人の感情や思考を殺してでも、国の為に動くものだな。その点では、現王の右に出る者はいない」
 オレがもっと、王というそのものが身近な環境で生きてきたのならば、わかる事もあるのだろうかと。日本の学生にその感覚は無理だけど、ついつい思って聞いたのだが。
 お前は嫌うが、本当にアイツは優秀なんだぞと。どこか寂しさをも匂わせる声で、リエムが言う。これを聞き続けたら、理解しきれない事に罪悪感を覚えそうだ。いや、もう覚えているっぽいけども。
 っていうか。
 まるでその言葉は、王としてあいつはオレを否定したが、男個人はそうではないような言い方だ。だから、ちゃんとオレから何を奪ったのか充分にわかっているとでもいうかのようだ。
 そして。だからこそ、あの王の態度は、仕方がないものなんだと。分ってくれといっているかのような風である。
 それでもリエムがそうだとはっきり言葉にしないのは、出来ないからであるのだろうで。
 これは、これ以上突っ込むなってことか? 平行線しか辿らないから止めようってか?
 いや、でも、王って、そんなもんじゃないだろ? 個人を殺すなら、法のように全てを決めておけば、誰でもなれるだろう。ただそこに目に見える人物がいるだけのいい話になるじゃないか。そう、言い掛けたオレの口は、言意識もせずに閉じた。リエムの思いの深さが、オレの軽いそれを飲み込ませた。
 だが、丁度厩に到着し、会話が途切れた不自然さはなく。ごく普通に促すリエムに手を借り、馬上から降りる。
 オレが尻を叩きながら世話になった白馬に礼を言うと、乗馬の訓練をしろよと、昼間の話を再び蒸し返された。
 馬を厩に入れるリエムをその場で待ち、出てきたリエムをに促されたので歩き出す。
 だが。
「リエム?」
 数歩も行かないうちに、追いついてこないのを不思議に思い振り向けば。
 厩の明かりを背に受けて立つリエムは足を止めていて。顔を向けたオレに、静かに言った。
「あの儀式に、王は一切関与をしていない」

 どこかで何かが変わったのか。
 それは、唐突だった。


2010/03/22
150 君を呼ぶ世界 152