君を呼ぶ世界 155
存外、仲良しか…?
リエムに王とその周辺には確執がある事を匂わされてしまったので。驚きも手伝って、つい、隠れるような真似をしてしまったのだけど。
よく考えなくとも、あのオジサンが実際に王様の敵であってもオレが逃げる必要はあまりない。いがみ合いなど勝手にしてくれというものだ。
オジサンに対してオレにあるのは、気まずさくらいだ。折角逃がしてくれようとしたのに、勝手な行動を取って捕まった自覚があるので、骨折り損にさせてしまった申し訳なさがある。なので、どちらかと言えば、あの時は済みませんでした!と謝罪に行くべき事態であるようにさえ思う。
そりゃあ、リエムがオジサンにとっていた態度や、王を取り巻く現状や。ついでに言えば、牢屋でオジサンが口にしていた色々を考えれば、オレの存在って微妙なもののようなので。どこに誰の目や耳があるかわからないここで、能天気にオジサンに挨拶に行くのはどうかと思うけど。つーか、オジサンにとっては、王に歯向かう形でオレを逃がしたなどバレては問題だろうから、声など掛けて欲しくはないんだろうけど。気持ちとしては、折角こうして遭遇したのだから、アクションを起こしたい気がするのだ。
けれど。
そういうオレを思い留まらせるには十分な、奇人が落とした意味深な言葉が。オレを、その場へ縫いつけた。
生きていたいならば会わないこと、だなんて。まるでそんな、殺人鬼のようなこと……。……確かに、あのオジサンはオレが王に協力するなら排除するみたいなことを言っていたけど――、殺すなんて…まさか、なあ?
奇人お得意の戯言だと、そう思う。思いたい。だが、実際に今、あの男から見たら、オレは王の手の中に落ちたようなものかもしれないし……。……いや、でも、だからってそんな……う〜ん…。
リエムから聞きかじった程度の情報しかないオレには、この王城の勢力図など描けていないというもので。王が捉えた者を逃がすだけの力があるオジサンがどれ程なのかわからず、動く事を躊躇わす。本気でそういうことを実行できるやつなのならば、オレなんて簡単に屠られそうだ……まあ、王様のように非道な人には見えないけど。
それでもそんな可能性に、奇人の言葉にビビるなんて心の底から嫌なのだが、情けないけど動く気もなくすというもので。
だけども、だからって、言われたように退散するのも出来やしないというもので。
オレは下がった分の数歩をゆっくりと進み、壁に貼りつき、そっと通路の様子を伺う事にする。
当たり前だが、オレが悶々としているうちにあのオジサンはかなり近付いてきていて。通路から出て数歩進んだあたりでオジサンを待つように止まっている奇人のところまで、無言でやってくる。なんだかちょっと意外だが、ひとりのようだ。
こちらに視線を向けられれば直ぐに気付かれる距離なので、オレは顔を戻し耳を澄ませる。
「――貴様に礼をとられるなど、気味が悪い。顔を上げよ、ディア・ヴィスター」
聞こえてきた声が思った以上に低く、オレは自分が責められているような感覚になりドキリとなってしまった。正直、怖いほどのそれだ。
あの時は体調が最悪だったので、全てをそうはっきりと覚えているわけではないが。牢屋でのオジサンは、別段悪い人そうでも、奇難しそうでもなかったと思ったが。オレはダルさにやられて捉え損ねていたのだろうか。王よりも、権力者って感じがする。
盗み聞きをしている緊張ではない、その冷めたような雰囲気に、壁越しに感じる威圧感に、オレは息を詰める。にわかに、先程の奇人の言葉が現実味を帯びた。
「御無沙汰しております、シャグラド様」
しかし、一気に固まったオレとは違い。奇人は何の思惑も持っていないような自然な声で言葉を紡ぐ。男の声音など、小鳥の囀り程度にしか思っていないようなものだ。
「あれより、いかがお過ごしかと気に掛けておりましたが、健やかなご様子で安心いたしました」
「戯言はよい。よもや、そなたが再びこの王宮に舞い戻ってこようとは、思ってもみなかったぞ。――何故ここに居る、ディア・ヴィスター」
「閣下。お言葉ですが、私はもう姓を持たぬ身でございます。どうぞ、ディアとお呼び下さい」
「ほう…、ならば。平民風情が、我に意見をするという事か?」
「意見などとは、とんでもございません。本来ならば、私は口など聞けぬ身でございますので」
「どの口が言っているのやら、だな。相変わらず、喰えぬ男だ」
「恐れ入ります。ですが、閣下が私を食したいと仰るのであれば、いつでもこの身をお与えしましょう」
「要らぬ。それより、早々に立ち去れ」
「おやおや、貴方も相変わらずですね」
つれない方だと、どんな言葉でも無機質であるオジサンの声とは違い、奇人は静かながらも感情を滲ませてそんな事を言う。
けれど。
そこに匂うのは明らかに、会話を楽しんでいるようないつものそれなのだけど。
口調は、違った。出てくる言葉は、まるで別人のものだ。
王に対してでさえ、妙な言葉使いを変えなかったというのに、どう言うわけなのか。それとも、これもまたふざけの一種か。
会話の中身もさることながら、一体何なんだよと奇人の奇妙さにオレは眉を寄せる。
そして、それは、彼と対峙している男も同じであったようで――。
「数年振りに戻って来たというのに、また追い出すつもりですか。容赦がないですね」
「そなたに古巣を懐かしむ自由はない。忘れたか」
奇人の小さな笑いに、男の声が重なった。
「田舎で大人しくしていればいいものを……何のつもりだ、ディア。まだ四年しか経っていないというのに、お前はもう忘れたのか?」
「いえいえ、そのような事は御座いませんよ」
「ならば何故ここに居る」
「それは、私に訊かずとも、貴方とてご存知でしょう」
「……厄介な性格も相変わらずだな」
「王の恩赦があってこその、私の今ですからね。こればかりは仕方がない」
「そうではあるまい…。――血が騒いだか…?」
漸く、と言ったように。僅かに男の声音に温度が混じったと思ったら。
今度は、奇人のそれがなりを潜めた。
聞きとれなかったのか、声にしなかったのか。短い沈黙を挟み、「――本物ではないと聞いているが…?」とのオジサンのそれに、硬い声が返る。
「正しいからと言っても、意味にもならない真実はあるものだろう。神子ではない、それが何になる? ――ボクとて、神子ではない。そう、なかったのに、これだ。なあ、イアン」
「…………まだ、四年だ。今は無理だ、早い」
「わかっている。それはあいつとて、重々承知だ。だが――こればかりは、どうなるか…」
「…厄介な事をしてくれたものだ」
紳士面を捨てて舌打ちしそうなほどの、苦渋が滲んだその声音に。全く何の話をしているんだかわからないオレでも、どうやら何かが大変なようだというのだけは察する。しかも、奇人もそれをわかっていて、二人して気に掛けていると言った感じだ。
ひとつ言えばふたつ通じるどころか、みっつもよっつも解りあっているようで。言葉は、それを補うだけだとでも言うようだ。聞いているだけでも、呼吸があっているのが伺える二人に、オレは自分の考えを見直す。
棘があるような雰囲気だった先程とは違うそれに、対立しているわけではないのかもしれないと思う。
まあ、何事も、そう単純な話ではないのだろうけど…。
「会ったのだろう。どうだ?」
「わからぬ」
「わからない?」
「まあ、それが答えとも言えるのだろうが…」
そこまでオレが首を突っ込む事ではないので、鵜呑みにはしていないつもりだが。それでも、入る情報はリエムからのものばかりなので、オレはどうも王様寄りの視点になりかけているらしく。
らしくない奇人の異常さよりも、オジサンの粗を探しそうになっている自分に気付き、内心でリエムに毒されているなと溜息を吐く。だからと言って、嫌でも困る訳でもなく、自分の気持ちひとつの話だが。リエムからのそれがなければ、オレは躊躇う事なく男の前に立ったのだろうと思うと、隠れて聞き耳をたてている己が凄く残念な気がする。
相変わらず何のことやらな二人の会話は、一番初めの言葉に比べて随分砕けたもので。旧知なのだろうそこに無理やり割り込んでいる気まずさが、オレを若干脱力させる。
そこへ、タイミング良く、どこからかオジサンを呼ぶ声が届いた。
二人が会話を止めたのを察し、オレは張りついていた壁から身を剥がす。
幸いにも新たな人物は、通路の向こうからやって来ているようで。奇人が短い言葉を掛け立ち去ろうとしているのを背で捉えながら、足をとを殺して軽く駆け、その場を離れる。居た事がばれても恐くはないが、かっこ悪いので。見付かっていない事を祈るばかりだ。
少し後ろを気にしながらも進み、奇人に教えられた通りに道を行くと、人を探す必要もなく前方に見知った者を見付けた。
「チュラ!」
「あ、メイさ――う、キャッ!」
きょろきょろと庭を見まわしているその姿に声を掛けると、少女がオレを振り向き駆けてこようとして、何もないのに躓いた。転びはしなかったが、妙な声を上げてしまった事もあるからか、合流すればチュラは首まで赤く染めていて。悪いと思いつつも笑ってしまう。
そんなオレを恨めしげに見ながらも、「戻っていらっしゃらないので探していたんですが…お元気そうでよかったです」と可愛いというか、面白いというか、そんな事を言ってくれた。いやはや、楽しく和ませてくれる女の子だ。
心配させたのと手間を掛けさせたことを詫び、迎えに来てくれた礼を伝え、部屋への道を並んで歩く。
歩きながら、オレは不審がられない程度で、先程の奇人達の会話で気になった事を聞いてみる。
まずは、四年前に王宮で何かあったのか、なのだが――。
「スミマセン。四年前は、私はまだこちらでは勤めていませんのでわかりません」
「ああ、そっか。チュラはいつから働いているんだ?」
「まだ、一年程前からなんです」
うん、だったらわかるはずもないよなと。そもそも、元・大神官と貴族なのだろうオジサンの間で出る話題など、一介の侍女にはわからなくて当然かと。探るのは早々に諦め、代わりにチュラの事を訊ねてみれば。この少女はまだ来月に十七歳になる年齢だった。落ち着きが欠けていて当たり前だと、だからキックスも大目に見ている部分があるのだろうと、今更だが妙に納得する。
自分が十六歳の頃の事を思えば、王城で働いているだけでも凄いものだ。
世辞ではなく本気でそう思ったので口にすれば、照れたチュラは首と手がもげるんじゃないかというほど、「そ、そんな事はないです!」と全否定でそれを振り回した。放っておいたら脳震盪でも起こしそうなので、そんな事はあるよとの言葉は重ねずに話題を変えてやる。
「誕生日かぁ、何か欲しいものはある?」
「え?」
「大したものはあげられないけど、こうしてお世話になっているわけだし何か贈るよ?」
「…私の、誕生日にですか?」
「あ、もしかして…そういう事はここではしないのかな?」
チュラの反応の鈍さに、その可能性に気付き、マズったのかと窺えば。案の定、気軽に誕生日プレゼントを遣り合うような習慣はないのを知る。
まあ、全くない訳ではなく、恋人とか家族とかでは決まったものを贈る事があるようだが、殆どは意識することなく、祝いの言葉を言いあいもしないらしい。それでも、王の誕生を祝う祭りがあるのだし、オレの申し出は可笑しすぎる事でもないようだが。やはり、一部の特権階級のステイタスみたいな感じだ。
なんじゃそりゃ、だ。はいはい、ブルジョワね……じゃなく。オレ、無自覚とはいえちょっと気障だ…ドン引きされて当然だ。
これだから文化の違いは…と、呆れかけたが。いつのまにか驚きを振り払ったチュラが、さすが王の客人様だというような眼になっているので、このままも何なのでフォローを入れておく事にする。オレは極々一般人ですからね、と。オレが育った場所では普通だったんだよ、と。王のそれも平民のそれも同じなんだから、おめでとうぐらいは言い合えばいいのにね、と。
そんな事を言いあっているうちに、ふと、何かが引っかかった。
……そう言えば。
「あのさ、王の誕生日って……即位した日でもあったよな?」
「あ、はい。そうです」
「即位したのって、確か……四年前?」
オレの言葉に頷くチュラを見ながら、冴えた自分の勘を誉めるけど。後が続かない。
王の即位と、彼らの話は関連があるのだろうか。その辺りに何があったのは確かだろうが、全く想像もつかない。
思い付いたのはいいが、リエムが言っていた即位に関する揉め事くらいしかオレには情報がなく、結局、疑問は何ひとつ解けない。
何から四年経ち、何がまだ無理なほどに早いのか。
苦々しいようなオジサンの声を思い出しながら、オレは二人の会話をもう一度反芻する。
リエムも、王も。あのオジサンも、奇人も。
なんとも心配事が多いものだ。
2010/04/08