君を呼ぶ世界 156


 もしもオレにも、神なる存在が居るのならば。
 それは、サツキ以外にあり得ない。

 チュラと共に部屋へと戻り、遅くなったが昼食を摂った。
 王城内とはいえ、客室の中で格式ばっているわけもなく。食事をしながら喋るのを特に咎められないので、ひとりだけ食べる気まずさを払拭するのも手伝い、オレはいつも傍で世話を焼いてくれる二人に話しかけるのだが。その殆どが、オレからの質問だ。キックスとチュラは、オレに答えを返してくれるのが常だ。
 なので。
「どちらにお出掛けになっていたんですか?」
「えっと…、城の裏の林とか、その辺をウロウロとしただけなんだけど…?」
 朝のボケ具合が心配であったのだろうキックスにそう訊ねられ、別段何も疾しさはないのに、ちょっとドキリとしてしまったのは。絶対に、妙なものを見たからだろう。
 王と反目し合っていると思われるあのオジサンと、バリバリ王陣営の奇人。オレの前でのそれとは違い、硬い態度を取ったオジサンと、真面目な奇人。さっきは単純に、仲が悪いわけではなさそうだと思ったが。立場的に憶測するだけでも、気心知れたお友達であるはずもなく。また、オレの知らない事が沢山あるのだろう二人の会話は、多くが意味のわからない事であったが、厳しいもので。
 あれって何なんだ?と考えない方がおかしいというものだろう。
 奇人の事など理解したくもないが、知らないと恐い面もあるので、危険回避の為にも多少は把握しておくべきようにも思うし。なあ?
「気分転換とまではいかなかったようですね」
「いやいや、そんな事はないんだけど……あ、悪い、またぼんやりしていたか?」
 キックスの、少し困ったような顔に、心配は継続中なのかと気付き。誘いを断り無理に一人で出掛けた自分を思い出し、オレは両手で持っていたカップを置いて手を伸ばす。
 お前が心配するほどのものじゃない、大丈夫だからと、軽い謝罪を口にしながら、傍らに立つ青年の腕を軽く叩く。
「別に悩んでいる訳じゃなく、まあ、色々考える事があるだけだから。そう気に掛けなくていいよ、心配し過ぎだ。キックスだって、こういう時はあるだろう? それに、気分転換はちゃんと出来たしさ、ありがとう」
 オレのそれに表情を緩めたキックスが、けれどもすぐに引き締め、「差し出がましい真似を…」と頭を下げそうになったのを、伸ばしたままの腕で無理やり止める。
 どちらかと言えば、差し出がましいのは、ただの一般人であるオレがここまで仕えられているという事の方だ。差し出がましくも受領しておりスミマセンだ。
 こんなことで謝られるのは困る。居心地が悪い。
「実は、さっきちょっと、チュラと会う前にさ。あの、ディアさんを見かけたんだけど…」
 という事で、話題を変えたのだけど。
 咄嗟に出たのはこれってどうなんだろうか…。情けない。
「ヴィスターさまがどうかされましたか?」
「いや、別にどうというほどの事でもないんだけど……普通だったんだ」
「普通、ですか?」
「そう。ふざけたようなところしか見ていなかったから、何かもうビックリでさ。まともな顔も出来るんだなと、思っちゃってさ」
 まあ、それだけだと。キックスだって言われてもどう膨らましようもないのを知りながら、ついつい言ってしまったのだが。
「あの方は、根はとても気さくな方ですが。長年神殿に仕え、政にも加わっていた方でもありますので、厳しい面も持っています」
「へぇ、いつでもヘラッとしてるんだと思ってたよ」
「今は、そのお立場を離れているのでそうであるのが常なのでしょう。しかし、ここは王城ですから。色々あるのだと思います」
「色々ねぇ…」
 まあ、普通なら。名前も職も捨てて一般人になったのなら尚更、王城にいるような貴族や何やらには、礼儀を尽くすものだろう。たとえ、過去には大神官である自分の方が、立場は上であったのだとしてもだ。
 だけど、そもそも、それが奇人らしからないんだよなと。だったら、奇人は昔から、あのオジサンに対してはああなのかなと、オレはまた、答えなどわからないのにそんな憶測を飛ばしてしまう。キックスが気さくだと評価するくらいなのだから、神官時代も変人であったのだろうし。それで対応していた相手に、今更畏まりはしないだろうし――とか何とか、と。
 王様相手でもあれなんだからなァ、と。確かに、色々ありそうだなと。
 やっぱり、昔からの知り合いみたいだけど、単純に仲良しってわけではなく、むしろ逆なのかもと。
 キックスの、ふざけた顔も真面目な顔も当然だと言ったような反応に、そんなことを想像しながら。オレは食事を終え、奇人の件もそこでストップしておく事にする。
 奇人だって人間だ、いろんな顔があろうが不思議ではない。
 むしろ、オレが気にしたのは、それではなく。出来るのならば、オレに対しても真面目であった欲しかったという事だ。威圧感たっぷりである事を思えば、そりゃあ、あの毒気が抜ける程のおかしさは救いでもあるけれど。話をややこしくしている感じがしないでもないふざけ具合は、真剣にあれやこれやを考えているオレには頂けない。つか、単純に、悔しい。
 天然だとは思っていた訳ではないが、あの飛んだ感じが常だと信じていたのに。だから、諦められていた部分もあるのに。普通に対応出来るというのは、ある意味詐欺じゃないだろうか。自分が神子の息子だとか何だとかの話した時、確かに時折、真剣さを感じたが。あれも、冷静にその効果を分析してのポーズだったのかもと思うと、ムカツク以外の何ものでもない。
 本当に、どこまでもフザケタ男だと。
 次に会ったら、その喋り方を止めろよ!くらいは言ってやろうか、と考えて。
 そういえば、オレに用があったとか何とか言っていたのを思い出す。
 食後の休憩を終えて、書庫へ行ってくると部屋を出たところでそれに気付き、直ぐに戻ってオレはキックスに声を掛けておく。貴族であろう相手に慇懃さを見せたとはいえ、奇人は奇人だ。アレはただの冗談であったかもしれないし、マジで用があるのだとしても、それをも今日処理するとも限らないのだけども。
 一応、訪ねてきたら教えてと頼み。思い立っただけの、急ぐものでもないのだが。オレは予定を変えずに、書庫へと向かうことにする。フィナさんにとって、神や神子が、召喚が、どのようなものであったのか、自分で調べてみるために。
 一度道を間違えかけたが、直ぐに気付いて通りかかった人に教えて貰い、無事に書庫へと辿り着けた。勿論、王の客人である上着を着ているので、問題なく中へも入れる。まあ、兵士が居る訳ではないので、本当に止められるのかどうか分からない話だけども。
 リエムに連れられ入った時は、ほんの入り口程度であったので。
 とりあえずはと、天井まで本がびっしりな本棚の間を歩き回ってみる。
 利用者だろう幾人かが居るが、とても静かだ。
 適当に、目に付いた本のタイトルを追い。歴史書だとか、伝記だとか、専門書だとかを拾い。その中で、いくつか神子だの神だのといったものも見付けるが。
 正直、一体どこからどう手を付けていいものなのやら分からなくて。オレは、早々に自力での捜索を諦め、司書らしきオジサンを捕まえてみる。
「あの、少し教えて戴きたいんですけども…、こちらの方ですか?」
「はい。いかがされましたか?」
 五十前後のオジサンは、声を掛ける前は気難しそうな顔をしていたが、とても柔らかい笑みで対応してくれた。
 なので、ついつい調子に乗って。オレはこの世界での神子とは如何なるものであるのかを知る為に、基本となるような本を求めてやって来たのだが、相手してくれるのを良い事に、色々とその司書さん付きっきりで教えて貰った。
 この世界の神や神子について、この国の信仰心について知りたいんですと。オレは、今まで殆どそれを意識することなく生きてきたので学びたいんですけど、神殿でそれを乞うほどもまだ覚悟も意識も意欲もなくてですね。兎に角、まずはどんなものなのか齧りたくてここに来たんですけど……どの辺りから手を付ければいいですかね?と。
 自分でも、怪しさマックスじゃねぇ?と思う説明でもあったが。書庫のオジサンに怪しまれても、別段問題にもならないだろうと開き直り。ド田舎で日々堅実に生きる爺さんと黙々と暮らしていたので、神も神子もあんまり知らない無知者なんですとの申告で流し。それ以外は下手にとり繕う事はせずに、手助けを乞うてみたのだ。
 結果。
 幾つかの本を選んで貰って、それに目を通し。浮かんだ疑問は、オジサンに質問して教わり。
 やっぱり、何となく以上のものは掴めないけれども。
 それでも、この世界で神や神子が慕われているのは、もう十分だと思うくらいにわかることが出来た。
 それはもう、暫くは、神も神子も要らないと。今日食ったものがきちんと消化し、取り込むべきものを取り込み捨てるべきものは捨ててからでないと、これ以上は入りはしない。無理だ、というくらいにだ。
「少しはお役に立てたでしょうか?」
「いやいや、滅相もない。充分過ぎるくらいに充分で、頭がパンクしそうですよ……」
 すっかりお世話になってすみませんとの言葉も、若干おざなりになるほどで。そんなオレを、お疲れ様ですと労ってくれるオジサンが、長い間座っていた椅子から立ち上がる。そして、少しお待ちをと言って、本棚の間に消えた。
 疲れたというか。正直、胸やけしたといった感じだ。
 神も神子も、今まで聞いてきたものに変わりはないが。こうして改めて見直して、やっぱりオレには合わないなと思う。
 信仰に対する嫌悪はない。ただの宗教だと思えば、別段異常なものでもないのだから当然だろう。そして、爺さんが言っていたように、世界的に見ても、この国においても、その信仰心は柔らかいというか。緩いというか、悪くはない程度に薄らいでいる感じだ。それこそ、オレが子供の頃にサンタクロースを信じていたのと変わらないような、お化けや妖怪は居るのだと思っていたのと変わらないような程に。
 最近、ぶっ飛んだ神だ神子だの話ばかりで忘れかけていたが。思えば、民の暮らしの中での神や神子は、日々の平穏の中にあるようなものだった。だから、そういうのならば、心の糧に信仰を持つのは良い事でもあるのだとさえ思う。
 そう、本当に。そんな風に穏やかであるのならば、その信仰心をオレはどうこう言う気もなければ、思うところもない。オレだって、神様が実在するとは思っていないのに、ゲンを担いだり窮地の時は神頼みしたりした事はあるし。それこそ、子供のころの幾つかの行事は神社で済ませたし、クリスマスに教会に行ったことだってある。そんなものだろう。
 居るわけがないと思う中で、そう言う事をするのは。つまりは、神にさほどの期待をしていないからだ。気分的なものとして、昔からの習わしに倣ったり、どこかの宗教に、恩恵までは望んでいない程度の関心で首を突っ込む程度のそれだ。良くは知らないが、どこかの誰かにとってはイイ事を、自分もしてみる程度であり。そこに、本気は置いていない。
 信仰熱いものから見れば邪道だろうが、それで何も問題はなくオレは生きてきて。それこそが、オレの信仰みたいなものとなっているのだろう。今まで意識なんてした事はなかったものだけど、改めて考えてもそれで充分で、今更何らかの神を得たいとは思わない。
 神を信じる事がないオレは、神に裏切られる事もなく。誰かが熱心に崇拝していようが、誰かが誰かのそれを嫌悪していようが、オレにとってそれは人畜無害であった。宗教間のイザコザなど、遠くの話だった。だが、だからこそ、抽象的すぎて突き詰めれば矛盾しか生まれないようなそれを、許容出来ていたのだろう。
 だけど、実際に存在するとなれば話は別であり。
 ただ想うだけじゃなく、それを持って何かをしようと実行する奴が居るとなると、それも同じで無視は出来ない。
 奇人は、この世界に神は実在するのだと言い。
 神子召喚が行われ続けている、その事実。
 それを他人事と流せられはしない、自分。
 オレの中の意思を剥ぐようなそれへの対処が定まらない。
「お待たせしました。これが、先程話していた子供向けの本です」
 戻って来たオジサンに、伏せていた顔を上げれば。数冊の本を差し出されていた。
 よろしければどうぞお持ち下さいと、一杯いっぱいなオレはその親切に少し引きつりつつも、礼を述べて受け取る。
 子供の夢と希望が詰まった本は、けれどもオレには優しくない。
 きっと、一生かかってもわからない事を考えなければならないこの苦行。
 自ら乗り込んできたのだが、書庫を出るオレが抱えるのは数冊の本ではなく、敗北感だった。

 服の上から抑えた細いペンダントが、いつも以上に頼りなく感じられた。


2010/04/12
155 君を呼ぶ世界 157