君を呼ぶ世界 157


 改めて触れた、それは。  真っ直ぐである分、恐ろしさを含んでいるように思う。

 すっかり日は落ちていたが、まだ西の空は赤かった。頭上は薄い青紫で、染まった薄い雲がシルクのような柔らかさで空を漂っている。
 書庫室からの帰り、何気なく薄闇の中を庭へと降りて部屋へと向かう。
 勿論、帰りも迷うのは御免なので、覚えた通路から離れずにだけど。
 王城の見取り図が欲しいところだ。なければ、自分なりに地図でも作らねば、何度でも迷うかもしれない。方向音痴のつもりはないが、如何せん慣れない建物であり、立ち入り禁止区域もあるのだ。把握は必須だろう。
 辺りが闇の帳を降ろし始めたのに気付き、ポツポツと明かりが灯り始める。遠くで揺れるランプのそれを眺めながら歩き、庭を進めるのはここまでだなと、中の廊下へ戻ろうとして。
 隣の棟の廊下に、王様が居るのに気付いた。一体、いつから見えていたのだろう。
 いつもの軽装ではなく、きっちりとした、豪華で重そうな服を着ていたが。その表情は今まで見た中で一番、柔らかいものだった。隣にいる男と何を話しているのか、笑っている。
 思わず足を止め見入ったオレは、此方側は暗いので見付からないだろうと考え、まじまじと観察してやる。
「……笑うんだな」
 風向きが変わったのか、オレが集中したからか。笑い声まで届いてきて、思わず嘆息してしまう。
 そりゃ、笑うだろうと、言った傍から自分で突っ込むが。何となく、釈然としない。オレに対するような態度では、普段接しない民は兎も角、顔を合わせる事があるような侍従や王宮で住む人達に手放しで支持される訳がなく。人当たりがいいかどうかまでは分からないが、マイナス評価に繋がるほど無愛想ではないのだろうとわかってはいたが。文官らしき穏やかそうな男の隣で、負けず劣らず頬を緩めているその姿は、少し癪に障った。
 オレはこんなにも足掻いているのに、いい気なものだなと。
 そう胸で悪態をつくが、直ぐに、あの男がオレをここへ、この世界へ引き込んだ訳ではなかったんだと思い出し。オレは頭を振って苛立ちを追い払う。そうだった、そこは、あの男を責める話ではなかった。
 いや、でも、だからって。
 男の数々の仕打ちを考えれば、最早それをこじ付けたとしても、行き過ぎた話でもないだろうとも思うのだけど。
「…………。……帰ろ」
 オレが王様ファーック!となっているのは、あの根性の悪い態度であるのだし。多少思わない事もないけれど、オレがこんな世界に来ちまったのはお前のせいだッ!なんていうのは、実際には向けられないそれだ。ンな事をしたらそれこそ、オレが居るから神子が居ないとホザいたあの男と同じレベルになってしまう。
 奴も人間だし、笑いもすれば泣くもするだろう。が、それを向けられる訳でもないのだから、オレには関係ない。無視だ、無視。
 見つからないうちにさっさと帰ろう。帰らねば、また、キックス達を心配させると。オレは今度こそ、建物の中へと戻る。
 この辺りは元々人の動きが少ないのだろう。まだ明かりの入っていない暗い廊下を、誰にも会わずに一人で進む。
 薄闇の中でチラついたのは、離れて見た、明かりの傍で笑う男のそれだけど。腕の中の本を持ち直して、意識を変える。
 オレが知りたいのは、召喚の事だ。それをした人の事だ。リエムの言った事が本当でも、他の真実があろうとも。それは、後の話だ。オレが知りたいのは、オレの感じたものが的外れな話なのかどうなのかを見極めるだけの情報だ。知識だ。
 絡んでこようが、絡まなかろうが、煩い奴だとの評価で蓋をして。オレは足を進め、今度は自力で与えられた客室へと辿り着く。
「ただいま」
 中へ入ると、世話役の二人の返事が揃って聞こえた。
 そんな事で、ささくれかけていた心が癒される。
 この世界の創造主たる神様も。神の作ったその世界を慈しんだ、神子も。
 もう食いたくない気分なのだけど、そう言う訳にもいかないので。
 迎えてくれた二人に元気を貰ったのでもう一分張りだと、食事の用意を待つ間、借りた本のページを捲る事にする。
 神子に限らず、神話のようなものまで詰まった短編集だ。子供向けのものだとの事だったが、内容はお伽噺のようなそれではあっても大人用の、しっかりした文章で綴られているものが多い。
 相変わらず、真似て書くのは難しいクネクネ文字は、目から頭に届くまでに翻訳されているのか意味は分かるが。未だに見慣れるその文字を追うのは、正直言って疲れる。
 だけど、これはオレに唯一ある武器だ。この世界で通用する術だ。もっと慣れた方がいいのだろう。
 勉強しなければと思い、本も手にしていたのに。結局はさほど精進せず、サボっていた自分を省みて、少し情けなさも覚える。軟禁状態で時間はたっぷりあったのに、何をしていたのか…だ。しっかりしろよ、オレ。
 大丈夫か?
「メイさま、お夕食の準備が整いましたが、お持ちいたしましょうか?」
「あぁ、うん、頼むよ」
 チュラの言葉に、いつの間にか思考が脱線し読んでいなかった本を閉じ、机の端に置く。
 食事を運んできてくれた少女がそれに気付き、口にした。知っているのだろう、自分が好きな話をいくつか挙げてくれる。
「チュラは、神や神子が本当に居ると思っている?」
「はい。私は神子さまにお会いした事は御座いませんが、居らっしゃいますので」
「居るって…もう何年も神子はいないだろう? 昔の神子が本物だったかどうかも確かめようがないし、本物でもただの人だろう?」
 オレの言葉が意外だったのか、意味がわからなかったのか。キョトンとしたチュラに、大人げない事を言ったと、直ぐに反省するが。フォローを口にする前に、やってきたキックスに言われてしまう。
「それでも、神子は神子です。来訪者でも、たとえこの世界の者でも、特別な力がなかろうとも。神子としての務めを果たした彼らを認めたからこそ、人はそれを後世に語り、こうして今もなお続いているのでしょう。確かに、その形が変わっているものもあるでしょうが、これが、これこそが人々の想いですよ」
 失礼しますと断り、キックスが本を手に取る。
「――神は必要か? 神子は必要か? その問いに、ひとりの王が答えました。人は弱い、だが、強い。それは、皆が己の中に神を持っているからだ。神子がこの地にあれば、人は自分の中のそれを信じられるだろう」
「あ、ラヤ国の王のお話ですね、それ」
 チュラの反応に笑みで返し、キックスが本を閉じる。
「私も会った事はありませんが、目にする全てだけが真実だとも思っていませんので、それはあまり神や神子を思うのに関係はないです。私の中で一番重要なのは、続けられていく人々の想いですね。過去からのそれを、未来へと渡す役目が自分にもあるのだと信じていける事です」
 その中で、神や神子を慕うのであって、その存在ありきではないのだと。キックスが言えば、チュラが同意するように、「神さまや神子さまを想うのは当然って言いますか、それが自然な事なので。そんなに深く考えた事は、私はないですよ? メイさまもキックスさんも、神官みたいですね」と笑う。張っていた訳ではないのに、空気がさらに緩む発言だ。
「まあ、普通はそれでいいんだろうな…」
 思わず零してしまったそれに、二人が反応したので。何でもないと笑っておく。
 そう、この二人はそれでいいのだ。神でも神子でも何でも、大切にしていればいい。
 だけど。オレは違う。残念なことに、違うのだ。
 戻された本には、それはもう、これが神だ!神の子だ!な物語ばかりで、疑問を抱いたり嫌ったりするような話はどこにもない。描かれるその存在は全て、恩恵ばかりを与えるものであり、無害だ。こうしたものがこの世界の人達の根底にあるのだとすれば、二人のように純粋に信じるのは自然な事だろう。
 かなり脚色されているとはいえ、話は実際に居た神子のものが殆どなのだ。リエムが教えてくれた、この国を救った神子の話もあれば、どこかの国で戦を止めた神子の話もあった。キックスがいま言ったのは、ある国の初代王が神子を得た時の話だ。神のごとく奉られる神子もいれば、特別な事は何もなく暮らす神子の姿もあった。そのどれもが、万人に愛される者であり。親から子供へと伝わるそれは、とても綺麗なものだ。中には、悲しい話もあったが、それも同じく美しい。
 そして。
 神子の話に混ざり、あったのは。この世界のはじまりの話で。
 神に与えられた世界を気に入った神子がこの地に自ら舞い降り、人々を愛した。しかし、神子の恩恵に預かろうと、人々が争うようになり、神子は姿を消した。人々は反省し、再び神子に帰って気と欲しいと乞うた結果、神子はこの地に戻るようになった。
 ――どんだけ、ご都合主義な話だよ!ってツッコミまくりたいものだけど。
 神が神子にこの世界を与えただとか何だとかは、微妙に事実が混じるので、故にお伽噺を通り越してしまい、胡散臭さ満開になってしまうのだが。オレとしては体中が痒くなるそれでも、神や神子を信じるこの世界の人にとっては、これが事実で信仰の源なのだ。
 書庫のオジサンと話し、オレを拾った爺さんが言うように、この国の民の信仰心は過激ではないとわかっているけれど。キックスとチュラの様子に、それは本当であり、その想いに疑念は抱かないけれど。
 それでもやっぱり、不安が浮かばないわけでもないのだ。微笑ましい反面、空寒い。
 宗教は人それぞれだけど、この世界の信仰は、日本のようなそれだけではない。現実に、日常に、喰い込んでいる。多くがその術を持たず余所事のようにしていても、実際には異世界から神子を呼べるのだ。それが真実だ。
 どうしても、考えれば行きつくのはそこであり。元の世界とこの世界のその違いは、途方もなく大きい。
 それありきではないのだと、こうして今時の若者とでも言うのだろうか、そう心酔している程でもない二人だけど。目の前に神子が現れても疑問を浮かべず受け入れるのだろう、その根本にある自分との違いに、笑い返した顔が若干引きつる。
 食事を再開する事で誤魔化したが、気を抜けば手まで震えそうな程、急に緊張がオレを襲った。
 何故だと自問し、キックスの言葉に過剰反応しているのだと思い付く。
 来訪者でも、この世界の者でも、務めを果たすのならば神子なのだと言ったが。
 それは、彼の考えだけであるのか。それとも、多くの者がそう思っているのだろうか。
 本物でなくとも神子になるのならば。オレだって、そうなのだろうか…?
 牢屋でのオジサンの言葉が蘇り、馬鹿らしいと直ぐに沈め返すが。オレは兎も角、このまま神子が見付からなければ、誰かがその役目を担い、この国は神子を持つのだろうかと思うと、何だか恐ろしくなる。
 神や神子を信じるのならば、そんな蔑ろにするような事をしないだろうと思う反面。信仰心が薄いと、そう言う事もあるのだと。それは狂信と同様に、無謀を貫くものだと、現実味をも感じる。
 あの王は、どうなのだろう。
 先程見た、離れた場所で笑う男を思い出し、オレに向けられた狂気を思い出す。
 長い間存在しなかった神子を得たところで、国に絶対の平穏など訪れはしないだろう。そんな事は、オレにだってわかる。それこそ、突出すれば、神ではなく人が動きだし、足元を救われるはずだ。
 それでも。
 それ以上の旨みがあったり、得なければならない状況に追い込まれたりしたならば、どうなのだろう。それはこの国に限った事ではないけれど。神子は、いつかまた作られるのだろうか。

 フィナさんが実行していなくとも。
 いずれ、聖獣を持つあの男は。
 神子召喚に踏み切っていたのだろうか。


2010/04/15
156 君を呼ぶ世界 158