君を呼ぶ世界 159
この男にも、守りたいものだとか、譲れないものだとかがある様に。
オレにだって、崩れない思いはある。
サンサンと降り注ぐ日差し、爽やかな風と溢れる緑、どこからか届く声は華やか。まさにオアシス、ここは楽園と言った感じ――であるというのに。
オレと対峙する男との間だけ、何やら不吉な空気が流れ込んできた。
女将さん以外でも気に掛けるんだな、と。思う以上に二人は仲良しなんだな、と。そう言う事を頭の隅で思いながらも、向けられた言葉が全然理解出来なくて。飛び交うのはハテナばかりだ。
「……恨む?」
オレが、リエムを? 何故?
はっきり言って顔見知りではあるけど友達ではないコイツに、態々会いたいんだけどなと相談したオレが、何故にリエムを恨むと思うのか。オレの態度は、罵倒したいから探しているようには見えるのか? いや、まさかだろう。そんな気は微塵もないし、そんな素振りを見せたつもりもないし。
どこから、その発想はやって来たんだ、オイ。
「……ちょっと、待って。何でそんなことを――」
「下手な事をしてみろ、オレがお前を排除するからな」
覚えていろよと、オレの言葉を遮って、そんな物騒な台詞を口にした男が。もう用はないというように、踵を返す。
が。
「ちょッ! 待てってば!」
変な言いがかりは毎度の事でも、さすがにこれは「ハイそうですか」とは流せられない。
空いていた距離を駆け足で詰め、オレはラナックの前に回り込む。
「何で、オレがリエムに恨み事を言うと思ってんだよ? ンな気は更々ないんだけど?」
「ハッ! どうだかな」
「いやいやいや、マジだって。オレはただ、普通に会いたいだけだ。友達に会いたいと思っただけで、どうしてンな誤解をされなきゃいけないんだよ…。アンタ、ちょっとオレを疑い過ぎじゃねえか? そりゃあ、アンタからしたらオレはどこの馬の骨とも分からない男で、ついでにここの世界の奴でもない異質者なんだろうけど……だからって、そんな妙な話でリエムと遠ざけられるのは納得出来ない。リエムがオレを避けているというのなら兎も角――」
――って。
本気で避けているとか…?
オレは避けられているのか?
偶々見かけて捕まえて、リエムへの伝言を頼んだだけでしかないこの男が、オレとリエムが会えない原因であるはずもなく。言葉はキツイがそれだけだとわかっているし。キックス経由のアレが不発に終わったのも、こいつには関係のない事だと理解しているのだけれど。
つい勢いで、言葉を重ねてしまったオレは。
目の前の不機嫌な顔と、自分が舌で転がした言葉に止められる。
「……知っているのか? アンタ、訊いたのか?」
先日はまだ、一切聞かされてはいないと言っていた。ただ、耳にした幾つかの情報と、事実とで、かなりの憶測をしている風ではあったけれど。
男の、発言が。態度が。
今までと変わらないけれど、変わった風にも思えて。
あ、コイツも知ったんだな…と確信する。
知人が死を覚悟し招いた結果、オレがここに存在している事を。オレが、失敗作である事を。神子が見付かっていないその不運を、この男は知ったのだ。
ラナックが語った言葉を思い起こせば、元より嫌うオレなんかでは、きっと知人の命の対価であるとは納得していないだろうし。神子ではないオレは、厄介でしかないと判断しているのだろう。女将さんの件以外でも、どんどんとオレの心証は悪くなっているようだ。
そう。恨む云々が出てきたのは、多分。こいつがオレを恨んでいるからじゃないのか…?
「何を知っているというんだ?」
「……」
「お前は、何を知っている?」
異界人であるオレが、神子召喚の原因を、その他諸々を恨んでいると思っているのだろう。リエムに対してのオレの気持ちを穿ったのもそうだ。自分が納得出来ないから、オレもそうだと思ったのだ。
だから、リエムだけじゃなく。きっと王様も含めて、オレの悪意がそこへ行くのを防がねばと、そう言う意味で牽制を掛けてきたのだろう。
そして、それは、騎士としてじゃなく。
多分、フィナさんの、王やリエムの昔からの友人としての正義なのだろう。
だけど。
それは分かるけど。
オレとしては、悔しいし、単純に悲しい。
「何も知らないだろう……あいつらの事は何ひとつとして、な」
上手く言葉は浮かばなくて、唇を噛んだオレに。ラナックは、静かに宣言するかのようにそう言った。
そうして、オレの横を擦り抜けていく。
「……」
本気でうとまれているのだとわかるその態度に。女将さんのことでではなく、妙な立場にあるオレ自身が否定されているのだと感じた途端、見事に身体は固まったし、気持ちもズドンと沈んだ。
けれど。これでは駄目だとか、嫌だとか言う思いではなくて、本当にただ本能に突き動かされるように、何も考えずに。
オレは次の瞬間には、地面に縫いつけられたような足を振り上げ、振り返り駆ける。
「――だから、待てって言ってんだろうがッ!」
追いつき、その腕を掴むと、意外な顔をされた。追いかけてくるとは思わなかったのだろう。
ハンッ! 生憎オレは、泣き寝入りするタイプじゃないんだっての! ざまあみろ。
「オレが知らないのは当たり前だろ、知らなくて何が悪いんだ。教える気もないくせに、ンな事言うんじゃねェーよ」
この男は本当に面倒ではあるが、悪い奴ではないのだとオレだってわかっている。どこまでも飾り気がないと言うか、主張が激しいというか、好き嫌いに素直と言うか。兎に角、その率直さは子供のそれと同じだ。だから、とても分かりやすくて、そこに裏はなく。厄介な事この上ないが、憎めない。
しかし、今までそんなこの男が示してきたのは、女将さんへの執着だ。オレへの態度は、その一点に尽きた。
なのに、今、ラナックの中にあるのは。女将さんではなく、リエムやフィナさんだ。
だったら、オレだって、遠慮はしない。女将さんの事ならば諦められるが、リエムの事ならばオレだって、月日は短くとも負けぬくらいの関係を築いているのだから、一方的に除外されたくはないというものだ。
「っつーか、アンタらがどれだけ仲良しだったかは、今は関係ないよ。関係あるのは、オレとリエムのそれだ。リエムがオレに会いたくないだとか、もうオレの面倒を見たくないだとか言うのならわかるけど。それを、アンタが手助けしているんじゃない限りは、アンタにとやかく言われてもわからないって言うンだよ。第一、もしもだけど、例えそう頼まれたのだとしてもさ、するのは普通中継ぎの世話じゃないのかよ。凄むなって話だぜ。そんなに、オレとリエムを仲違いさせたいのか? ご苦労な事だな、オイ」
「ああ? ったく、煩ぇなァ…いつまで掴んでいる。放せ」
煩いじゃないよと思いつつも、オレは大人しく腕から手を離す。
残る感触が嫌だったのか、解放された腕を一振りし、ラナックはオレを斜めに見下ろし舌打ちした。
「お前、リエムに色々聞いたんだろうが。オイ」
「聞いたって…何をだよ?」
「お前がここへ来た訳に決まってンだろうが、異界人」
去る事を諦めたのか、ラナックが腕を組んでオレに向かい合う。
「フィナの事を聞いたんだろう」
その一言で、やっぱりこの男も真相を知ったのだと合点がいった。王かリエムかは知らないが、アレから話したのだろう。
「…一応、少しだけだけど。フィナさんが王様の為に神子召喚をしたんだとかいうのは聞いたよ」
「リエムの謝罪を、お前はどうしたんだ」
「は? え? 謝罪?」
また話が飛んだぞと、驚きの中で見やった先で。思いのほか真面目な顔をした表情に出会う。
これって…、まさか…?
「それは…、リエムが自分も同罪だとか言っていたアレのことか?」
そんな事まで知っているのかよ…? もしかして、あの厩の前にこいつも居たのか? 盗み聞いていたのか?
いやいや、そんな事はないだろう。リエムがオレとのことを言ったのだろう…多分。
っで。
それを聞いて、この男は。オレが何も考えずにリエムの言葉を鵜呑みにして、恨むと本気で思ったわけか? だから、いの一番にあの牽制か?
だとしたら、本気でアホだろう。
「……あのな、まず言っておくけどさ」
真剣な雰囲気に、自分の予想がさほど外れていない気がして。オレは、先程のアレはからかいでも嫌味でも嫌がらせでもなく本気の本気なんだと悟り、つい溜息を落としてしまう。
だって、そうだろう?
一体、オレとリエムの仲を、どんだけ軽く見ているんだよ!って話だよ…ったく。
これなら、異界人排除の方が、まだらしいじゃないか…。
「オレがここへ来たのはリエムのせいだとは微塵も思っていない。だから、会っても恨みは言いはしない。まずはそれを理解してくれ」
そう、だから無駄に抑えつけてくれるなよ…。
つか。この男にまでそんなことを言うほどに、未だ気に病んでいるのならば。早々に会って、それは違うからと言わねばならないんじゃないか? なあ?
リエムのアレは、オレに対する負い目と、フィナさんに対する後悔からくる弱音なのだと思っていたが。実際はもっと深刻なのかもしれない。
そう、そちらに心配を置きつつも。オレは、オレの物言いに偉そうだと顔を顰める男の腕を、お前の気持ちは分かっているよと軽くぽんぽんと叩いてやる。
この苛めっ子が、友人を慮るだなんて。やはりそれでも、オレにとっては厄介でややこしい事この上ないものだけど。なんだか、ちょっと、大人への一歩を踏み出している子供の成長を垣間見たような気分にもなって。
オレは、場違いにも。その微笑ましさに笑ってしまう。
調子に乗って伸ばした手を叩き落とされたので、直ぐに引っ込めたのだけど。
「何故思わない。お前の方こそ言葉が理解出来ていないんじゃないか?」
「だったら、逆に聞くけど。リエムの何が罪なんだよ? 見逃したから、見過ごしたから、同じ思いを抱いていたから――そんなもので罪になったら、この世の全員が犯罪者になるぜ」
「…お前は、自分の状況に一切の嘆きはないのか?」
オレの言葉に少し考えるような間を作り。ラナックは、顔を顰めたままそう言った。
この男は、本当にどこまで唐突なのか。
いきなりそこまでぶっ飛ばすなよ、なあ?
2010/04/22