君を呼ぶ世界 161
何かの評価を変えるというのは、かなり難しいことである。
オレの記憶が正しければ、シグっていうのは、王様を指す名前だ。それが愛称かどうなのかまでは聞いておらず、リエムが呼ぶのを何度か耳にした事がある程度だけど。ンなことは、どうでもいい話だ。
この場合、重要なのは中身だ。この話の流れで、あの王様が出てくるのはないと思う。百害あって一理なしな話だ。
流石に別の同名人物ではないだろうと、思いつつ。だから、こいつは話を妙な所へ持っていくのが得意なんだと思いつつ。
オレとしては、それでもこの予測を覆したい気持ちが強くて。
縋るような気持ちで、とりあえず確認してみる事にする。
「…えっと、……シグっていうのは…ダレ?」
内緒話をするように近づけた顔を遠ざけながら、ラナックが唸った。
「お前、フザケてんじゃねーぞ」
「……いや、あの…王様、だよな? でも、それはわかっているけど…」
ただ、な?
自分でも充分過ぎるくらいに言葉を重ねて理解を求めた後でな? まさか、王様に会えと言われるだなんて思ってもみなかった訳だよ。どんな嫌がらせだよ?ってな話なんだよ。全然、オレの真意は伝わらなかったのかという展開じゃねえか、なあ? 理解したくねェと思っても無理ないだろうが、クソ。
なのに。ちょっと聞いただけなのに凄むってどうよ。おかしいのはこの場合アンタでしょ、と。低い声を落とされて、オレはちょっと唇を突き出す。
しかし、その仕草を鋭い眼光で咎められてしまい、思わず負けたように視線を斜め下に逃がす羽目になった。
若干、悔しい…が。眼からレーザー光線でも出しそうなそれに、太刀打ちできる手立てはオレにない。
けれど。
「…つか、王様ってシグ・キースさん? キース・シグさん?」
オレは全然ふざけてはいないんですよとのアピールではないが。王様の名前を知っていて当然だと言うそれもどうかと思い、何度か会ったがオレは名乗られた事はないんだよと教える意味を込めてそう聞いてみる。
「別に、どっちでもいいんだけど。ちゃんと聞いた事がなかったなと――、…って、何だよソレ」
参考までに確認しておこうと言ったオレに、ラナックは眼光を緩めると同時に明後日の方へと視線を向け溜息を吐いた。これ見よがしな、大きなものを。
「お前は本当に阿呆だな。王の名も知らぬとは、有り得ない」
「いや、オレの王様じゃないし」
心底呆れたその口調に、思わずそう突っ込むと、斜め上から「黙れクソボケ口答えするな」との威力を持った視線を向けられる。
確かに、何度もあった奴の名前を正確に知らないのもどうかとも思うが。この評価は理不尽だ。誰もオレに教えなかったじゃねェか、って話だ。つか、『キース王』でも、『ハギ国王』で事足りるのだから知る必要もないだろうが。
オレは別段、知らなくても困らないんだよと。アンタやリエムのように名前で呼ぶ事はきっと一生ないだろうしな、と。その評価に対する面白くなさはあるが、実際には知らなかった気まずさは皆無で痛くも痒くもなく、責められる謂われはこれっぽっちもないぞとオレはラナックを見返す。
つか。
「って事で、まあ、それはさておき、だ」
そうだ。名前なんて、マジどうでもいい。
問題は、その発想だ。発言だ。
その、恐ろしい計画は何なんだってもんだよ。
「アンタは王様とオレがどういう関係か、知っているだろう。いがみ合うだけなのに、会ってどうしろっていうんだよ…?」
リエムには会わせたくないという態度であったというのに、王様に会わせようとするのはおかしくないか? おかしいだろう?
この前のことでも、オレ達の雰囲気が最悪であるのはわかっているだろうに。主人の心境を汲むのも、アンタの仕事じゃないのかよ?
「向こうも、オレになんて会いたくないだろう」
「王じゃなく、シグに会えと言っている」
「……同じ奴だろうが」
「同じじゃねェーんだよ」
「…………アンタが言うのは、王様なんだろう?」
いやいやいや、ここに来て実は別人なのよって言いだすのか? またぶっ飛ぶのか?と。
訝るオレに、派手な舌打ちを落とした男が、マジでナニサマなのかって言葉を吐き捨てる。
「ったく、お前は黙って会やァいーんだよ。いちいち煩ぇな」
この俺が協力してやろうって言っているのに贅沢だ!と。
「…………いや、でも、」
ジャイアンにも負けず劣らずなそれに、怯むと言うか、引きかけるけれど。
ここで一歩でも足を引いて隙を見せては、直ぐに間合いを詰められて拘束それる予感がするので。
何とか耐えて、意思を示す。
「マジで、オレは王様には会いたくないから…」
思い出すのは、あの軟禁部屋からの脱出だ。数日前の、あの時の男と目の前の男がシンクロする。
この男、また何か企んでいるのだろうか…?
強引に部屋から出されて連れて行かれた先で、逃げ出したはずなのに監禁犯に再び捕まる事になったあの夜を、オレはまだ忘れていない。コイツも、都合よく忘れるにはまだ早いだろう。よくもまあ、あんな事があったのに、こんな事が言えるものだ。
オレであるから無茶を押し通しているのか。そもそも、気に掛けるような神経を持ち合わせていないのか。わざとなのか、素なのか。微塵も解らぬまま、警戒以上に、ただ単純にそれが嫌だとの思いで、オレは頭を振る。
「三発くらい殴らせてくれるって言うのなら、考えるけど」
「調子に乗るなよガキ」
「……殴る権利はあると思うけどな」
肩を竦めつつ言ったオレのその発言に、「あるかよ、異界人が」と、躊躇いのない差別発言を向けられる。ある意味、感心する男だ。本当に。この無神経さというか、強引さは、ここまでくれば魅力となり得るのかもしれないほどだ。……オレは賛同したくないけども。
しかし、マジな話。
とりあえず、妥協出来るとしたらそれであるのは嘘じゃない。しかも、それは考えるであって、会うとは言い切れない程度のものだ。本気で、大人げないと詰られようが、そのくらいあの王様には会いたくない。
そりゃあ、会えない事はないけれど。必要ならば愛想笑いも出来るだろうし、互いに大人であるならば、必ず揉めるとも限らないけれど。ラナックが何を求めているのか知らないが、こいつの希望を叶える為に、嫌な奴と向かい合う努力は虚しいだけだろう。それこそ、リエムが乞うてきたのならば、いつも世話になっているし仕方がないと。それが自分に協力出来る事であるならばと、渋々でも頷いたと思うけど。
命令でしかないこれに従うメリットがオレにはないし、と。どう考えても、そこに行きつく思考に、オレが再度頭を振ったところで。
「お前さ。フィナの事を知ったんなら、シグに対する怨恨は消えたんだろうがよ」
「は? 何でそうなるんだよ? 一切消えてないっての」
思わぬ言葉に、何も考える間もなく反射的にそう返すと、思いっきり顔を顰められる。
なんだ、その、妙な物体を見たような顔は。つーか、オレの方こそ、はあ?だよ、オイ。
「確かにちょっとは、アイツが強要して召喚を行わせ、結果、神官ひとりが犠牲になった――と思っていたそれは少し違って、誤解もあったわけだから。そういう意味では、変わっていない事もないけどさ。心証としては、さほど大きく変化していないから。怒りは継続中だよ」
そう。何故なら、しつこいが。
オレは王様の、自分に取ってくれた態度について怒っているのだから、召喚云々とは別だって話だ。謝られても消えない過去なので、諦める事はあるかもしれないが、許す事はないと思う。
リエムが言うには、アレは王様には考えがあっての事らしいけど。それは奴の自由で選んだものであるので、オレが酌む必要はない話だろう。オレはオレに向けられたもので判断し、相容れないとなっているのだ。本気で恨まれ役を買ったのであっても、そこに絆されるはずもない。
「つくづく面倒な奴だな」
だから会いたくはないんだと、会っても微塵も面白くないんだと。オレが、王様への心境を幾つか言葉にするのを聞いていたラナックは、そう言って本日何度目になるのか舌打ちを落とす。
確かに、恨みがましいとは自分でも少し思うが。それだけの事をされた自覚はある。このくらいいいだろう。
お前も非力になって、脅威に晒されてみればわかるさ。同じ男に、問答無用で衣服を剥かれてみろってンだ。どこにどんな理由があろうと、理屈とは別に、一生のトラウマが残るってもんだぞバカヤロウと。流石に、逃げない為だけに裸にされた屈辱を自ら暴露する趣味はないので心の中に留めるが。オレは胸中で、呆れ果てる男に向かって吐く。
アンタにとっては、子供のころから知る友達であるのだろうし、信頼を置く主人であるのだろうけど。
オレは違う。色々聞いて想像は出来るが、多くがその想像の範囲を超えずにいる、ただの暴君王でしかないのだ。会え!で、会うかって言うんだ。アホ。
前回は、躊躇う間もなくあれよあれよと連れて行かれたが。今回はそうはいかないぜ、と。
それでも、会いやがれと言うラナックに、「そう言う訳だから。リエムに宜しく!」と言い置いて、オレは駆け出す。ここは逃げるが勝ちだ。ここで逃げなきゃ、マジでヤバそうだ。
「あ、オイ!」
お前、ふざけんなよ!と背中に届いたが、その威力に押し出されるようにして足を動かす。
明らかに逃げた相手をとっ捕まえてまで、本人いわく親切だと言い割るそれを実行する気はないのか、暴言以上のものは追いかけて来なかった。まあ、オレの居場所はバレているので、本気ならばまた来るのだろうけど。
しかし、本気の親切心があったとしても。あの男が面倒を押してまでそれを実行するかどうか疑問なので、安心してもいい様な気がする。
今更だけど。この前は、王様の意向も噛んでいたのだろうから、ああなったのだろう。さっきのがラナック自身のその場の思いつきならば、何もマジ逃げする必要はなかったのかもしれない。
今日の事は、あの男の中では、親切にしてやったのに逃げやがったとなっているかもしれないなと。
更に評価がガタ落ちだなと、オレは駆けるのを止めて息を吐く。折角ひいていた汗がまた流れるのを、手の甲で拭う。
王城まで辿り着き、中へ入りかけたところで。申し訳なさそうに止められた。顔を覚える程度に把握している衛兵が、通行許可書代わりの上着がないことを指摘してくる。
「あっ…! 忘れた…」
「申し訳ありません」
でしたら、このままお通しするわけには…と。オレが謝るのならばともかく、相手が下手に出るってどうなんだろう。子供と遊ぶ中で脱いだそれも買った荷物も放置してきた自分が恥ずかしいが、その慇懃な態度に気を抜かれる。
つーか。セキュリティがなっていないと思っていたが、それなりに機能しているようだ。数時間前に出たオレを認識していても、顔パスで通さないらしい。
「すっかり忘れていたから、言ってもらえて助かった。戻って取ってくるよ」
いい加減、喉は渇いたし腹も減っていたが、これがルールであるのならば仕方がない。
あの上着は、オレ専用のものらしいが。もし盗まれていたらどうなるんだろう。悪用されたりするのだろうかと、今通ったばかりの道を戻りながら思いついたそれが気になりはじめ。
結局、また走る羽目になった。
マジで明日は筋肉痛かもしれない…。
2010/04/29